ル・ロンドは静かな港町である。
かつては、精霊石を産出する鉱山を抱え、炭鉱夫やその家族、鉱石売買の商人が溢れ、栄えていた。
そういった歴史を持つ町のため、閉山後も精霊石を求めて訪れるものも稀にはいたのだが、そういった物好きは減ってしまった。
リーゼ・マクシアとエレンピオスの間に交易路が結ばれたことにより、あちらから精霊石が安定的に供給されるようになったからだ。
産地にこだわるという好事家ぐらいしか、もう訪れることはないのではないかと思われたが、町には優秀な医者が開いたマティス医院がある。
これまでにも医療ジンテクスという装置を使った、一風変わった方法で人々の怪我や病気を治療し、その分野ではひそかに有名であった。
今、その医院は、エレンピオスの技術の産物である源霊匣を用いた治療を受けた者たちの、リハビリを引き受けるようになっている。
異世界間の交流がはじまり、人と物資が行き交うようになったころ、その医院の息子であり、源霊匣研究の第一人者による提案によって実現したものである。
以降、エレンピオスから源霊匣による治療を行っている患者とその家族が逗留するようになった。周囲が海に囲まれた、自然豊な小さな島にある町というのも幸いした。
マナを生み出し精霊術を当たり前のように行使するリーゼ・マクシア人との交流が、町の人々だけに限定されるということは、エレンピオス人にとって安心材料のひとつであるらしかった。
そんなわけで、人々が危惧していた緩やかな衰退の道は閉ざされ、ル・ロンドは穏やかに栄えている。
町にある唯一の宿も、源霊匣研究の短期宿泊者から、リハビリ付き添い者の中長期にわたる予約で賑わっている。
そんな、女将の腕っ節と人柄、宿の主人が作る料理の美味さ、看板娘の元気いっぱいさが売りのそんな宿の片隅では、現在、町の穏やかさとはかけ離れた修羅場が展開されていた。
宿の片隅が暗い。ひっじょーに暗い。くつろげるようにと設置してあるはずのソファセットからは、ほのぼのどころか、おどろおどろしい空気が流れてきている。
経営する一家が切り盛りにより、常にいろんな意味での明るさに満たされているはずなのに、これはどういうことだ。
その中心にいるのは、年のころなら十代後半の麗しい乙女と、歳を重ねることで形作られる渋さを身につけつつある色男である。
よく見知ったその二人の姿に、マティス医院の一人息子であり、医院に源霊匣リハビリ施設を設置した張本人であるジュード・マティスは、目を瞬かせた。
というか、なんでここにいるんだろう……、というのが率直な気持ちである。
むすー、と黙り込んでいるのがエリーゼ。絹糸のような滑らかさを持つ長い金の髪と、夜の闇にあっても煌くだろう翠の双眸、透明感のある白い肌。淡く色づいた唇を真一文字に引き結んで、視線を落としている。ソファに座り、膝の上で小さな手をぎゅっと握り締めている。
その傍らには、困り顔のアルヴィン。旅を終えてから早数年。旅の途中で知り合った人物とはじめた商売は軌道に乗っており、あちこちを飛び回るように忙しくしているという。また、エレンピオスとの交易路が確立されたのは、彼の功績が大きいらしい。
かつて傭兵を生業としていた彼は、商売においてそのときとはまた違う種類の修羅場をいくつも乗り越えているはずなのに――いまは顔面真っ青で、目の前の少女の顔色を必死に伺っている。つまり、かつてない修羅場ということだ。その様子からは、哀れみしか感じられなかった。
歳を重ねようが経験を積もうが、根本的なヘタレ部分は直っていないようだ。残念だが、矯正できる類のものではなかったということだろうか。
月に数回行っているリハビリ患者への往診に時間がかかったおかげで、とり損ねた昼食のかわりになにか軽く食べようと思って、ここへきただけであったのに――余計なことに首をつっこむことになりそうだ。
宿の入り口で腕を組み、二人を眺めている幼馴染に、すすす、とジュードは近づいた。
「……えっと、どうしたの、あれ」
こそこそと耳打ちすると、「ああ」とレイアが頷く。
「エリーゼがね、どうも家出してきたみたいなの」
「ええ?!」
思ってもみなかった単語に、ジュードが思わず大きな声をあげると、慌てて口元に人差し指を立てたレイアに「しーっ!」と怒られた。
ジュードは、口元で手を覆う。ちらりと例の二人をみてみるが、そちらの事情が深刻らしく、こちらをみてもいなかった。内心ほっとする。
レイアに連れられて、宿の中、あまり邪魔になりそうにもない位置へと移動する。そこには、野菜や卵やハムといった具材がたっぷり挟まれた、おいしそうなサンドイッチが置いてあった。
どうやらジュードがくることを見越していたらしい。そういえば、イル・ファンから往診にきたときには、たいてい食べ損ねてはここへきていた。きっと、予想して準備してくれていたのだろう。。
感謝しながら、ジュードは席に着く。厨房に入っていったレイアが、すぐに野菜スープで満たされたカップを持ってきてくれた。
「でも、うちの宿にくるなんて可愛い家出だよね」
眉を下げ、くすくすと笑いながら真向かいに座ったレイアに対し、ジュードはカップを受け取りながら首を傾けた。
「で、結局、なにがあったの?」
シルフモドキでの手紙のやりとりは定期的に続いているが、この前きたものにはケンカしたとか、そんなことは書いてなかったような気がする。
つまりは、それ以降にエリーゼになにかあったということだ。
交易の重要地であるカラハ・シャールの領主となったドロッセルが後見についているエリーゼは、彼女の仕事を手伝うために、学校卒業後は経済などを学んでいると綴っていた。実際に会社経営をしているアルヴィンのところへ、研修という形で顔をだすようになったとも書いてあったから……もしや、それでアルヴィンと揉めた? うーん?
あれこれと考えながら、ひとまず野菜スープをひとくち、とカップに口をつけたジュードの前で、「やれやれだよね」とレイアが肩を竦めた。
「アルヴィンがね、浮気したんだって」
「ぶっ」
きわめてあっさりといわれた言葉に、ジュードは思わず野菜スープを吹きだした。
てっきり、カラハ・シャールでなにかあって、それをアルヴィンが宥めにきていたとばかり思っていた予想は、音速を超える勢いで斜め上にすっとんでいった。
飛沫の直撃を受けたレイアが飛び上がる。
「うわっ! ちょ、ジュードっ……! 大丈夫?!」
そしてかたわらにあった布巾を渡してくれた。
「ご、ごめ……げほ……!」
むせ返りながら、とびちったスープを手早く拭き取る。
げほごほ、と数度呼吸を繰り返したジュードは、咳き込んだという理由だけでなく、ほんのりと頬に熱がともるのを感じつつ、レイアをちらりと見遣った。
「って、いうか、あの、浮気とかっていうことは、その、あの二人って……」
ごにょごにょと口ごもるジュードに、レイアが頷く。
「うん、付き合ってるんだって。今度の手紙でみんなに報告するつもりだったみたいだけど……でも、こんな場面に遭遇しちゃったわけだし、ジュードには言っちゃってもいいでしょ?」
それは確かに。
ジュードは、こくこくと頷いた。
「それにしてもいつの間に? なんでレイアは知ってたの?」
もっともな問いかけに、レイアが顎に指先を押し当て、右斜めうえに視線を向ける。
「えっとね、エリーゼが17歳になった日だよ。あたしは、ほら女の子同士の秘密の話とかいろいろあるからさ!」
レイアが屈託なく笑った。
そういえば、女子会などといっては流行の品の話やら、可愛いものの話を、二人でしていた。恋愛ごとも、どうやらその範疇であったらしい。
男では入り込めない世界である。そして、ジュードはとある事実に、静かな衝撃を受けていた。
「アルヴィン……ほんとに5年待ったんだ……」
脳裏に、大切な旅の思い出の一場面がよみがえる。その頃には、ミラもいたっけ――と、美しい精霊の主の姿を思い起こす。
「えー、なにそれどういうこと?」
ジュードの小さな呟きに、レイアが身を乗り出して食いついてきた。
「それがね、最初にハ・ミルでエリーゼにあったときに、アルヴィンが五年経ったらよろしくみたいなこと言ってて……」
「やだ、その頃から目つけてたってこと?! それってそういう趣味だったってこと?!」
くわっと目を見開くレイアに、ジュードは若干引き気味になりながら、でも、と続ける。
「そうとは限らないよ。ほら、プレザとか……」
最後まで本当の名を知ることのなかった、豊満な肉体と妖艶な美しさをあわせもった一人の女性。こういってはなんだが、エリーゼとは対極にある魅力を持った人だった。
そして彼女は、かつて、アルヴィンと恋人同士であったという。つまりは、アルヴィンの趣味はある一定方向に偏っているというわけではないということだ。
「あー、それはあれだよ、守備範囲が広いってことだよきっと」
「レイア、どこでそういうの覚えてくるの?」
したり顔で頷くレイアに、ジュードはちょっと呆れた。
「なにいってるの、わたしたちもう二十歳すぎたじゃない。ジュードこそ、いつまでそんなにうぶなの? 研究のしすぎじゃない?」
「ぼ、僕のことは関係ないでしょ?!」
なんだかひどいことをさらっと言われた気がして、かっとなったジュードに対し、レイアはつーんと顎を持ち上げた。
「はいはい、乙女男子~」
「もうっ」
年齢のことを引き合いにだした割には、そういうところはレイアもまだまだ子供っぽい。
と、ひそかに交わしていたつもりだったジュードとレイアの会話は、話題の人物にすべて筒抜けていたらしく、アルヴィンが剣呑な視線を寄越した。
旅のおかげで、ル・ロンドの魔人とまではいかずとも、かなりの実力を備えたジュードとレイアがそれに気づかぬはずがない。う、と二人は同時に押し黙る。
――きこえてるっつーの!
そんなアルヴィンの叫びが聞こえてきそうな鋭い瞳を向けられたレイアが、えへと曖昧に笑って返す。
だが今は、幼馴染コンビの言いたい放題さを咎める余裕は、アルヴィンにはないらしい。
アルヴィンの瞳が、まっすぐにエリーゼへと向けられる。横からみても、それは真摯なものであった。
「おい、エリーゼ。機嫌直せよ、な? 俺が悪かった。このとおりだ。ほら、お前の好きな菓子屋でケーキ買ってきたんだ」
拝み倒すような勢いで、エリーゼの傍らに膝をついたアルヴィンが言う。
「……アルヴィンはバホーです、大バホーです」
エリーゼは、よほど腹に据えかねているようだ。いまは宝物箱にそっとしまわれているというエリーゼの友達が、かつて言っていた台詞がアルヴィンに返される。ケーキにもつられないとは――これは、そうとう怒っている。
困り果てた顔をして、アルヴィンがエリーゼの顔を覗き込むが、ぷいっとエリーゼはそっぽを向いた。
「大嫌い、です!」
細い眉をしかめたエリーゼは、ばっさりとアルヴィンを切り捨てた。
「お、おい待て! ほんと、あの女とはなんでもないんだって! 信じてくれ!」
宿のロビーに響く情けないことこの上ない台詞に、ジュードは目を丸くした。
うむ、とレイアが重々しく頷く。
「駄目男の典型的ないいわけだね」
「……僕、はじめてみた。ほんとにあんなこと言うんだ……」
三流恋愛小説なら出てきても不思議ではないが、現実でそれを口にする男がいるとは思ってなかった。
ぴきぴきと、アルヴィンのこめかみが微かに動く。
「こらそこの外野ども! さっきから聞こえてんだぞ、黙ってろ!」
八つ当たりだ。
顔はエリーゼとアルヴィンに向けたまま、目だけを器用に動かし視線だけを交わしたジュードとレイアは、きっと同じことをお互いに思っているだろうなぁと、幼馴染特有の勘を働かせた。
やや離れている二人に対する怒鳴り声を、間近で聴いてしまったエリーゼが、体を竦めて耳を塞ぐ。
「おおきな声、ださないでください……!」
怯えきったような姿での非難に、アルヴィンが目に見えてうろたえる。
「あ、ああ、悪い……。エリーゼ、大丈夫か?」
ジュードとレイアへの態度と、エリーゼに対する態度が百八十度違う。
ほんの少し触れただけで壊れる繊細な細工物を前にしたような、吹けば消えてしまう儚い幻を慈しむような、そんな様子である。
まあ、アルヴィンにあんな態度をとられても、ジュードもレイアも困惑して、最悪の場合には病院へと担ぎ込もうとするだろうから、扱いに差があっていいのだけれど。
しばらく、「あー……」だの、「うー……」だの、意味のない声を発していたアルヴィンだったが、何かを決意したような瞳で顔をひきしめた。
「……あの女はさ、取引先の一人娘なんだ。俺にちょっかいかけてきてるのは気づいていたけどよ、まさか抱きついてくるとは思ってなかったんだ」
「美人にキスされて、まんざらでもない顔、してたくせに……!」
悲鳴じみた責めたてる声に、アルヴィンは悲しそうに眉を下げた。
まるで、飼い主に怒られてどうしようと困り果てた犬のようである。しゅんと垂れた耳と、足の間に力なく萎れた尻尾がみえるようだ。哀れだ。
「そんなわけないだろ」
「うそ……! やっぱり、アルヴィンは嘘つきです! だって、抵抗しなかったじゃないですか! 嫌だって、一言もいわなかったじゃないですか!」
エリーゼにしてみれば、自分という恋人がいるのだから、はっきりとした拒絶の態度をみせてくれたなら、ここまで怒ることはなかったのだろう。
言葉で、態度で、自分にはエリーゼがいると、言って欲しかったに違いない。
「商談の場を、ぶち壊すわけにはいかないだろ?」
「……」
それはエリーゼも理解していることだったのか、わずかに瞳を揺らめかせたあと、唇を引き結んで俯いた。
アルヴィンたちの言葉を傍観者の位置から聞きながら、うーん、とジュードはこめかみを指先で叩いた。
つまり、アルヴィンは、経済の勉強という名目でついてきたのか、たまたま同席になったのかはわからないが――とにかく、エリーゼの前で、美女とよろしくしていた、いや、されてしまった、ということか。
そのヘタレ具合を知らなければ、同性の目からみても、アルヴィンは間違いなく格好いいといえる容姿と言動だ。だから、なびく女性の一人や二人いるだろう。それは仕方のないことだ。火や光に引き寄せられる虫の本能的な行動を、責めることは誰にもできまい。
しかしながら、それをエリーゼにみられたのは、アルヴィンの失態だ。
なれば、アルヴィンは責められるべきだし、謝るべきだ。
などと、エリーゼ可愛さもあってジュードは思う。
ゆえに助け舟を出すつもりも、仲介するつもりもない。
責められて、謝って、許されるという過程を、アルヴィンは踏むべきである。
「だが、そうみえたんなら、謝る。エリーゼを傷つけるくらいなら、今度は最初から断る。悪かった」
そういったアルヴィンが、潔く頭を下げた。
エリーゼからの許しを得なければ、顔を上げないという意志が滲む。
濃褐色の頭が、微動だにせず、ただ許しを請う。
やがて。
「……ふ、う、ぇ」
ぽろぽろと、エリーゼがしゃくりあげながら涙を零した。
小さな手を伸ばし、ぎゅう、とアルヴィンの肩を掴む。触れられたアルヴィンが、ゆっくりと顔をあげる。
互いの視線が絡まった瞬間、エリーゼが花も恥らう美貌をくしゃりと歪めた。
「アルヴィン……ごめん、なさい。ひっく……う、わかって、いるんです……」
頬を濡らすものを拭うこともせず、まっすぐに恋しい男をみつめながら、エリーゼが言う。
「あのお話は、カラハ・シャールのこれからにも影響することだから、……ひっく……だ、だから、アルヴィンが一生懸命でいてくれたことも……あの女の人を、突き放したりしなかったわけも……。ちゃんと、わかってるんです……」
きらめきながら落ちる雫は、光を弾く宝石のよう。
「お仕事が、だめになっちゃいけないからって、わかってる、のに、どうしようも、なくて……! わ、わたし、嫌な子、ですよね……?」
結局は、自分でもどうにもできなかった嫉妬に、エリーゼ自身が振り回された。頭では仕事ゆえと理解できているはずなのに、心が納得できなかった。それが不満になり、不安になり――抑えきれずに、家出という行動にでたのだろう。
「アルヴィン、わたしのこと……きらいに……、いやに、なりましたか……?」
問いかけであるはずなのに、それは懇願のようだった。
嫌いにならないで。離れていかないで。
子供じみた、だけれど恋をすれば誰しもが抱く、せつない願い。
「んなことねーよ」
恋を知ったばかりの少年が持つようなあどけなさを帯びた顔で、アルヴィンが笑いながら否定する。応える。
「嫌いになったなら、ここまで追っかけてこねーって」
大きな手が、エリーゼの頬にそえられる。指先で、やや乱暴に涙を拭い、アルヴィンが顔を寄せる。
額をふれあわせれば、エリーゼが肩の力をゆっくりと抜いた。
「ほんと、俺が悪かった。油断してたんだ」
そのまま震えながら泣き続けるエリーゼを抱きしめて、アルヴィンが小さな背を撫でる。
「俺が一緒にいてほしいのは、エリーゼだけだから、な」
目じりに宿る涙をぬぐうように、アルヴィンが唇をよせると、今まで泣いていたのが嘘のようにエリーゼが柔らかに微笑んだ。
「……はい!」
そのまま、しっかりとアルヴィンの背に手を回す。大きな肩に頬を寄せる。
二度三度と、背を優しく叩いたあと、アルヴィンがそのたくましい腕でエリーゼを軽々と抱き上げた。
ほわー、と一連のやりとりに感嘆し驚愕し、顔を赤くしているジュードとレイアへ、アルヴィンが顔を向ける。
「わりぃ、レイア、今日一泊させてくれ」
見蕩れていたレイアが、はっとして立ち上がった。
「あ、うん! 一番奥が空いてるから、そこ使って!」
「おう、ありがとうな」
そうして、アルヴィンとエリーゼは階段に向かう。
ぴったりとくっついて、「お茶、淹れましょうね」「ケーキ、食べさせてやろうか?」「はい。アルヴィンにも食べさせてあげますね」などといいながら、いちゃいちゃと互いに柔らかなキスを頬や髪に贈りあいつつ去っていく。
いつの間にやら甘い空気を撒き散らしはじめたあげく、思った以上にあっさりと仲直りして去っていった恋人たちを見送り、その姿が見えなくなった頃。
幼馴染は、同時にため息をついた。
「はー……すごいね、アルヴィン」
「エリーゼも、ね」
すっかりあてられてしまった。
胃に、甘ったるいものを無理やり押し込められた気分である。けっして不味いものではないけれど、消化不良を起こしそうだ。
夫婦喧嘩は犬も食わないとかいうのは、こういうときに使うべきなのだろうか。まだ夫婦じゃないけれど、これは時間の問題だろう。
「大人だなぁ……」
「大人だね……」
独り身同士は、顔を見合わせ、再び重い息を重ねた。
あのエリーゼが、自分たちの立場をひょいとこえていってしまった気がして、若干寂しい。相手があのアルヴィンというのも、不思議でならない。
恋はほんとうに人をかえるものだと、つくづく思う。
「でもまあ」
「うん」
レイアとジュードは、視線を重ねたまま、くすぐったそうに笑いあう。
「「幸せなのは、いいことだよね!」」
息ぴったりに言葉を重ね、けたけたと声をあげる。
「ふふ、なんだかひと段落したらお腹へってきちゃった」
ジュードが途中にしていた食事を再開しようとすれば、レイアが駆け足で再び厨房に向かう。
「そういえば、デザートもあるんだよ。ちょっと待っててね!」
「ありがとう、レイア」
一人きりのわずかな時間、ジュードはさきほどのことを思い出して、小さく笑った。
精霊と人がともに生きるこのリーゼ・マクシアの片隅で、鮮やかに大きく花ひらいた幸福が、大切な彼と彼女の間で、いついつまでも咲き誇りますように。
はむ、サンドイッチを頬張りながら、ジュードは願う。あれは、そうせずにはいられないような、光景だった。
とりあえず、エリーゼがまた泣くようなことがあったなら――そのときは問答無用で殺劇舞荒拳だからね、アルヴィン。
かつて精霊の主と世界を駆け巡った勇者が、しかけられたほうはたまったものではないことを無慈悲にも考えて、うむうむと頷いていると、何も知らぬレイアがもどってくる。
「どしたの、ジュード」
生クリームの添えられたシフォンケーキをテーブルに置きながら、レイアが首を傾げる。
咀嚼していたものを飲み込んで、ジュードはレイアを真剣にみつめた。
「そのときには、レイアも活伸棍・神楽だからね」
「え?! なにが?!」
急に飛び出した秘奥義の名称に、さすがのレイアも目を丸くする。
その様子に、またジュードは噴出しながら、どういうことかを説明しようと、口を開く。
きっと、エリーゼを妹のように思うレイアなら賛同してくれると、信じて。