世界の果てまで

「わたしを連れて逃げてください」
 カラハ・シャールにあるアルヴィン達が経営する会社の支所にやってきたが一番、とんでもないことをいいだしたエリーゼに、アルヴィンはぽかんと口をあけた。
 あの旅からはや幾年月。
 アルヴィンがユルゲンスとはじめた商売は軌道に乗り、順調に売り上げを伸ばしている。交易の要所であるカラハ・シャールに支社をだすくらいには、経営は良好である。
 一方、己の耳を疑わざるを得ないようなことをいってのけたのは、金色の髪、翠の双眸、白い肌をした華奢で可憐な乙女ことエリーゼ・ルタス。
 旅の後、ドロッセルの後見を得て学校に通うようになった彼女は、口数が増え、歳相応の笑顔も増え、同年代の友達も増え――これから、輝くような未来を歩んでいくだろうお年頃である。

 それなのに、人生をあさっての方向に投げ捨てるようなことをなぜに言う!?

「……いやいやいや、いきなりやってきてなにいっちゃってんだろね、このお姫様は」
 ばりばりがしがしと頭を掻き毟りながら叫びだしたい気分に陥りながら、アルヴィンは額に手を当てた。
 事務所内に設えられた軽い商談用のソファに脱力して身を沈めるアルヴィンに対し、ローテーブルの向こう側にあるソファにちょこんと腰掛けたエリーゼが、むっと細い眉を可愛らしく寄せる。
 世の男なら「はい、あなたの願いならばよろこんで!」と二つ返事で頷きそうな、麗しい乙女に成長したエリーゼに、出会ったばかりの頃のようなあどけなさが滲む。
 アルヴィンは苦笑した。
「お姫様じゃないです!」
 いつまで子供扱いするんですか! と憤るエリーゼに、アルヴィンはわざとらしく肩を竦めて頭を振った。
「ああ~、ちっこい頃は素直に頬を染めていてくれたのになあ」
「いつの話ですか、それ」
 こんくらい、と手を空中にかざすようにして昔の思い出に浸るアルヴィンに投げかけられるのは、あきれたような視線だ。冷たい。
「とにかく、わたしを連れて逃げてください」
 まっすぐに向けられる鮮やかなオリーブ色の瞳が、アルヴィンに願いをかなえるよう要求している。
 アルヴィンは、お手上げだ、と手のひらを上にむけて降参する。
 まったくもってそんな発言にいたる経緯がみえてこないのだ。それでどう返事を返せというのか。
「なんなの、急に。オジサンにもわかるように説明してくれる?」
 シャール家に引き取られて、淑女としての教育も受けたエリーゼのしゃべりかたは洗練されている。ならば、アルヴィンにわかるよう、順序だてて話すこともできるはずだ。
 そうすることを忘れるくらい焦っているのか、それともそんなことをせずともアルヴィン相手ならかまわないと思っているのか。
 そんなことを考えながらのアルヴィンの言葉に、あら、といわんばかりにエリーゼの瞳が丸くなる。
「自分のこと、オジサンだと思ってるんですか?」
「最近、色男に渋さが増して余計にいい男になっただろ? いちおう謙虚にいっておこうかと思って」
 まさか、ときょろりと瞳を動かすエリーゼに、自信満々にそういえば、今度はじっとりとした目つきで睨まれた。
 ああ、呆れられた、とアルヴィンはくつくつ笑う。
「おいおい、可愛い女の子がそんな顔するもんじゃないぞ」
「アルヴィンのせいじゃないですか! もう!」
 ぷりぷりと怒るエリーゼをみていると、笑いが止まらない。年頃になろうが、淑女としての教育を受けようが、こういうところは昔と変わらなくて安心する。
「で、ほんとになんなわけ? 俺だってお仕事あるんだけど」
 話したくないならかまわないが、理由がわからなければ動けない。つまり、エリーゼの願いはかなえてやれないのだと、働く大人のずるさを垣間見せながら、重ねてこの状況への説明を求める。
 と。
 しゅん、と目に見えて、エリーゼから元気が失われた。
 アルヴィンは内心焦るが、ここで絆され流されてしまうわけにはいかない。
 沈黙をもってして話すよう促すと、エリーゼが腹の前で組んだ綺麗な手を強く握り締めるのがみえた。
「……今日、ドロッセルにイル・ファンからお客様が来ていて、たまたま近くの廊下を通りかかったときに、聞いてしまったんです」
 つまり、盗み聞きをするつもりではなかったが、きいてしまった、ということか。
 淑女として教育されたことが、そのことに対して心苦しさを感じさせているのだろう。
 ふるりと、エリーゼの細い肩が揺れる。
「……わたしにお見合いさせないかって」
「……ほー」
 そうして告げられた内容に、アルヴィンは深く考えることもなく、数秒の間を置いて、気の抜けた返事で応じた。
 正確にいうのなら、深く考えることができなかっただけである。
 奈落の底に叩き落されるほどの衝撃ではないけれど、それなりに動揺した。もう、そんな時期がきたのかと、胸の奥が妙な焦りに焦げ付いていくようだ。
「ドロッセルから、正式にきいたわけじゃないんですけど……」
「……へー」
 ぽつり、ぽつり。
 その花びらのような唇が語る内容を、どこか遠いところからきいている心地で、アルヴィンは相槌をうつ。
「同じ年頃で、イル・ファンの学校に通っていた貴族の人が、学校同士の交流祭のときにわたしをみかけて、気に入ったとかで」
「……おー」
 それはまあ、そういうこともあるだろう。なにせ、エリーゼが通っていたのは、ドロッセルが通っていた、いわゆる上流階級のお嬢様やお坊ちゃんのための学校だ。
 ありとあらゆる一流の教育をほどこすだけではなく、将来、自分や自分の家に徳になるだろう交流をもつための場所でもある。
「結婚を前提にお付き合いを、ということらしいんです」
「……」
 アルヴィンは瞼を半分ほど落とし、口元を皮肉げに歪め、はふん、と大きく息をついた。
 いつかはくると、わかっていたことだ。
 それが、今、きただけのことにすぎない。ちょっとだけ、覚悟がたりないときに、言われただけのこと。
「……姫様にもそういうお話がくるようになっちゃったとはねえ。俺も歳をとるわけだ」
 ああ、いやだいやだ。
 嫌でも時の流れと、自分たちの立ち位置の差を見せ付けられた気がする。
 とはいえ、アルヴィンもスヴェント家の跡継ぎとして生きていたなら、同じ状況になっていたことは間違いないだろうが……。
 そうしたら、自分はどうしていただろう。
 ふ、とアルヴィンはそんなことをちらとでも考えた自分をあざ笑うように、口の端を持ち上げた。
 詮無いことだ。いくら考えてもそんな未来など、自分にはなかったのだから。
 軽い現実逃避もあいまって、遠い目をして意識を飛ばしていることに気づいたのか、エリーゼの瞳が険しくなる。
「ちゃかさないでください!」
「ああいや、エリーゼのこと笑ったわけじゃねーって。怒るなよ。可愛い顔が台無しだぞ?」
「……」
 ぷ、とわずかに頬を膨らませるエリーゼから許しを乞うように、アルヴィンは眉をさげる。
「で、エリーゼはお見合いが嫌だから、俺に連れ去って欲しいわけだ」
 まあ、今、カラハ・シャールでエリーゼに手を貸せるのは、実質アルヴィンだけだろう。
 貴族同士の話というからには、ドロッセルその話の仲介をしたに違いない。非公式でも貴族同士の話である。
 そうなると、あまりあちらにも迷惑をかけられないということだろう。自分の動きを察知されたくないということもあるかもしれない。
 両方だろうな、とアルヴィンはなんとなくあたりをつける。
 優しいエリーゼのことだ。正式にエリーゼに伝えられる前に、自分の意思で家を離れたならば、ドロッセルには咎はいかないとでも考えているのだろう。
 でもそれは、アルヴィンのことを考えていない。こっちの気持ちを考えていない。
 頼られて嬉しい。できれば、かなえてやりたい。いつか、エリーゼが心から好きだといえる人と結ばれて、幸せになるための手伝いをしてやりたい。
 それは心からそう思っている。
 だが、年甲斐もなく、エリーゼをほのかに想う自分には、なかなか堪えることでもある。
 だけれども、嘘をつくのは得意だ。幼い頃から、本当の自分を抑え、本音を隠して生きてきた。ならばこれくらいは、どうということはないはずだ。
 アルヴィンはそう己に言い聞かせながら、皮肉気に笑った。
「エリーゼはそれでいいのか?」
「どういうことですか?」
 きょと、とエリーゼが可愛らしく首を傾げる。
「だってそりゃー、イル・ファンのお貴族様ともなれば、将来安泰間違いなし。いいとこの若奥様ってのもいいんじゃねーの?」
「……」
 む、とエリーゼが眉を寄せる。機嫌が急降下していくのが、手に取るようにわかる。
「……だって、あちらはわたしのことを知ってるっていいますけど、わたし、その人のこと知りません」
 不機嫌さをあらわにして、エリーゼが冷たく言う。
「でもよ、せっかくの話だろ。会うだけ会ってみたらどうだ? いい男かもしれねーぞ」
 俺ほどじゃないだろうけど、と付け加えると、エリーゼが俯いた。さらり、金の髪が頬を覆う。
 本当はこんなことがいいたいわけじゃない。でも、なぜだかとまらない。
「性格もよくて、話もあって、意気投合! なーんてことも……」
「……いいです! なんなんですか、意地悪ばっかりいって! もう、アルヴィンにお願いなんてしません!」
 ふるふると震えつつ、黙って聞いていたエリーゼが、勢いよく立ち上がった。
 そうして、凛と睨みつけられて――ほう、とアルヴィンは感嘆の息をついた。
 怒っているのか、悲しいのか、寂しいのか。
 いろんなものがごちゃまぜになった表情も綺麗だと、状況も忘れてアルヴィンは素直に思う。
 と、同時に、もっともらしい言葉を使って、餓鬼っぽく八つ当たりじみたことをいってしまったことを、自覚する。
 情けなくて、ひどく恥ずかしくて、ふ、と視線を逸らしてしまう。
 ミラと別れ、それぞれの道を歩き出したときから、まるで変わっていないのかもしれない。無駄に時間だけを経て、いいたいことが余計にいえなくなったのかもしれない。
 一回りほど歳の離れた少女に対して、こんな気持ちを抱いていることも、想いを素直に伝えることもできない。
 そんな自分に、なかば呆然としていると、突然のぬくもりが、アルヴィンの手を覆う。驚いて顔をあげると、すぐそこにエリーゼが迫っていた。
 あれ、いつの間に?
 きらきらとした宝石箱を覗き込んだような、まばゆい煌きの瞳が、確かな決意を宿してそこにある。
「えっと、エリーゼ?」
 なにを、と訊ねようとしたアルヴィンであったが、目の前にある美貌がさらに近づけられて、黙らされる。妙な気迫に、気圧される。
 ぼんやりと身の危険を感じつつあるアルヴィンに、きりりと表情を引き締めたエリーゼがいう。
「こうなったら、わたしがアルヴィンを連れて逃げます!」
 お願いしないなどと、ずいぶんあっさりいったものだと思ってはいたが、どうやらそっちの方向へとエリーゼの意識は切り替わったらしい。
 というか、どうあっても逃避行するという部分は決定されているようだ。
 しかし、それで納得しては男としていかがなものか。
「なんでそうなんだよ?!」
「さ、いきますよ!」
 とりあえず叫んでみるものの、エリーゼはおかまいなしに、腕をひっぱってくる。
 立ってと攻めたてられて、アルヴィンは思わずいうとおりにしてしまう。
「考えてみたら、アルヴィンにそんな甲斐性があるはずありませんでした」
 うんうんと頷くエリーゼの顔は真剣そのもの。頼むから、ひとりで納得して、ひとりでつっぱしらないでくれ。泣きそう。
「ひでーいいよう……」
 がっくりと肩を落としたアルヴィンにかまうことなく、エリーゼが出口を指差す。
「さ、逃げますよ、アルヴィン!」
「まったく、そういうところばっかミラの影響受けちまいやがって……。で、どーやって逃げんの」
 なんなのだ、その潔さと思い切りのよさは。いっそ俺にくれ。半分、いや、十分の一ほどでもあれば――などと、情けないことを考える。
 きゅ、とエリーゼがアルヴィンの腕を抱きしめる。ちらり、見上げてくる瞳に、アルヴィンは対抗する術をもたない。
「わたし、裏庭にワイバーンが繋がれいてるの、知ってるんですよ?」
「……めざといな、エリーゼ」
 ちゃんと確認しているあたり、しっかりしている。ワイバーンがいれば、たしかに要塞も海も越えられる。どこに逃げたかなんて、人にみられなければ早々わかるものではない。
 これはまいった。
 アルヴィンが内心舌を巻いていると。
「もう、こわくありませんし、子供じゃないから食べられたりもしませんよ?」
 ぎゅ、と腕をさらにきつく抱きしめて、いたずらっぽくエリーゼが言う。
 そういえば、怯えるエリーゼにそんな嘘をついたこともあったっけ。
「じゃあ、久しぶりに空のデートといきますかね、姫様?」
 もう笑うしかなくなってきたアルヴィンは、エリーゼを覗き込みながら、眉をさげて誘う。
 ぷ、とエリーゼが頬を膨らませた。
「デートじゃないです、愛の逃避行です!」
「……それさ、たち悪くねーか?」
 デートぐらいで、エリーゼの気が済んだら戻ってくればいいだろうという甘い考えは、即座に否定されてしまった。
 なんとも困ったと、ばりばりと頭をかくアルヴィンにエリーゼが背伸びをして迫る。

「いいんです! 好きあってる二人が逃げるんですから、逃避行です!」

 なんだって?
 ぱち、とアルヴィンは目を瞬かせ、動きをとめた。
 その様子をみて、エリーゼもまた動きをとめる。
 というか。いつの間に、そんな関係になっていたっけ?
「い、いやちょっとまてエリーゼ、なにいって……?!」
 どもりながら問いかけるアルヴィンに向けられる翠の双眸が、今日はじめて不安に揺れた。
「……あの、アルヴィン?」
「……なんだ」
 ひどく緩慢な仕草で、エリーゼがアルヴィンから離れていく。ぬくもりが去った腕が、寒さと寂しさに強張る。
 エリーゼが、ぎゅっと胸元で、まるで祈るように手を組み合わせた。
「あの、わたしたち、お付き合いしてるんじゃ、ないんですか……?」
「……」
 おろおろと、いまさらながらにうろたえだすエリーゼに、アルヴィンは無言でこたえた。
 正直なところ、いまそれをいうか?! というところだ。
 アルヴィンがなにもいわないことに不安が増したのか、エリーゼが泣きそうな顔をする。
「え、だって、あれ……? デート、してましたよ、ね……?」
「まあ、いっしょに買い物とかいってたよな」
 いつも賑やかなカラハ・シャールではあるが、伝統の祭りや定期的な市が行われることがある。そのときには欠かさず二人ででかけていた。デートといえば、デートだ。
「ええっと、プレゼントとかだってくれたし、わたし、お菓子とか……」
「そうだな、しょっちゅう作ってくれてるな」
 商売で可愛らしく珍しいものがあれば、エリーゼのためにととっておいて、あとで渡すことはよくあることだ。おかげで、社員たちからもプレゼントのおすすめまでされる始末。
 そして、エリーゼのいうとおり、丁寧に心をこめて作っているとわかるような菓子などを、よく差し入れてくれている。
 だが、だからといってお付き合いというのだろうか、これは。
 アルヴィンの記憶にある男女関係とはまったく違う清らかさではなかろうか。
 認識の違いに、わずかにこめかみあたりが痛んでくる。
 どういったものかと逡巡する間に、エリーゼがアルヴィンに一歩近づく。
「だって、だって……もう、五年、たちましたよ……?」
 であった頃から、そんなにも時間は経った。
 子供は少女の時代を経て、大人へと姿を変えた。彼女なりに、気持ちを育てていた。
 アルヴィンが思う恋愛とは違うだろうが、それはエリーゼにとって、大切で、確かなもので、かけがえのない――恋、なのだ。
 頼りにしてくれたのは、お願いしにきてくれたのは、友達だからとか動きやすいからとか言い易いからじゃなくて。
 エリーゼにとって、自分が、ともに逃げるべき相手であったということ。
 かあ、とアルヴィンは頬を染めた。
「アルヴィン、わたしのこと好き、ですよね……?」
 信じていたものが崩れる恐れと、勘違いだったのかもしれないという恥ずかしさに揺れる表情。
 アルヴィンは、笑った。
 泣かせることはしたくない。エリーゼに幸せになってほしい。
 エリーゼの綺麗な心が求めてくれるなら、いまここで、応えないでどうするのか。ずっとずっと、彼女なりに心を贈っていてくれたのに。
「ああ、好きだ。知っていてくれて……嬉しいよ」
 やや緊張にかすれた声で、アルヴィンはその心を、はじめて告げる。
「!!」
 緊張しきっていた花のかんばせが、やわらかにほころぶ。
 溢れ零れる喜びをみて、アルヴィンも泉のごとく嬉しさが湧き上がってくるのを感じる。
 そのまま、ぎゅうと抱きつかれて、再び感じるぬくもりに、アルヴィンの鼻の奥がツンと痛みを訴えた。
 やばい、泣きそう。
「……なんか今、すっげー泣きたいんだけど」
「なんですか、急に。とりあえず、ワイバーンの操縦が終わったらいいですよ」
 いきなりの言葉に首をかしげながら身体を離したエリーゼが、現実的なことをいう。
「容赦ねーのな……よ、っと」
 女は夢をみながら現実もみることができるたくましい生き物であることを思い出しながら、アルヴィンは苦笑しつつ、腕を伸ばした。
 そのまま、目の前にある細い身体を、いともたやすく捕まえる。
「きゃっ」
「こっちのが逃避行っぽいだろ?」
 急に抱き上げられて小さな悲鳴をあげるエリーゼに向かって、アルヴィンは器用に片目を閉じる。それをみて、ぱあっとエリーゼが顔を輝かせた。
「……はい!」
 離さないでというように、細い腕がアルヴィンの首へとしなやかに絡みつく。
 ああ、これで共犯者。
 だがなんて嬉しく楽しい罪を犯すのだろう。
 エリーゼがいてくれるなら、世界の果てまで逃げてやろうという気になってくる。
 いやまて。事情を知らないやつがみたら、どうみたって俺だけが一方的に悪者にされるんじゃねーのか?
 思わずそんなことを考えるものの――腕の中で楽しそうに嬉しそうに笑い転げるエリーゼをみたら、別にそれでもいいかもしれないと思う。
 なんというか、いろいろと末期症状であることが妙におかしくなってきて、アルヴィンも大口を開けて笑い出す。
 けらけらとやかましいとさえいえる音量で笑いあいながら、足音も荒く裏庭への廊下を歩いていると、前方に大きな人影がみえた。
 手には書類の束。人がよさそうな顔立ちだが、意志の強さを表す凛々しい目元をした男だ。
 彼は、アルヴィンとエリーゼに気づいて、一瞬だけ驚いたあと、にこりと笑いながら声をかけてくる。
「やあ。二人とも、あいかわらず仲がいいな」
「おう、ユルゲンス。いいとこきたな、あとは頼むぜ」
 なにが?
 と、心の声がきこえそうなくらい不思議そうな顔をしたユルゲンスの隣を、堂々とすりぬける。
 逃避行という後ろめたいところがある行動にでているはずなのに、むしろ晴れ晴れとした気持ちなのだから、当然だ。
「お、おい、ちょっと待て、どうしたんだ?」
「俺たち、これからちょっと愛の逃避行にでかけっから」
 そういうわけで、あとよろしく。
 きりっと顔を引き締めてとんでもないことをいうと、『不思議そう』というのをとおりこし、驚愕、動揺、呆然といった表情をくるくると浮かべるユルゲンスは、何をいえばいいのかわかぬ様子で廊下に立ち尽くす。
 それがおかしくて、おかしくて。
 再び大きく笑いながら、アルヴィンはしばしの別れを告げる。
「じゃあな、落ち着いたら連絡するわ!」
「いってきます!」
 きゃらきゃらと笑うエリーゼを抱いたまま、アルヴィンは裏へと続く扉を蹴りあける。
 差し込む光が、二人の影を色濃く床へと描いたのは一瞬。
 そうして飛び出していった二人を、事情わからぬユルゲンスだけが、呆然と見送っていた。

 

 その後、逃避行をはじめた二人は、かつての仲間を訪ね歩いた。
 ジュードには「いい歳してなにやってるの?! アルヴィン!」とお説教を受け、レイアには「え? なに、どうしたの、詳しくきかせてエリーゼ!」と興味津々に迫られ、ローエンには「おやおや、若いというのは素晴らしいですな」と羨ましがられ、からかわれ。
 最終的に、エリーゼの気持ちを知っていたドロッセルからの、「お見合いはお断りしましたので、かえってらっしゃい」という手紙を受けとったことにより、二人がカラハ・シャールにもどったのは、飛び出してからわずか十日後。
 つまり、愛の逃避行は世界の果てまで辿りつくことなく、単なる旅行として終わったのだった。