やはり、ユ・リベルテは涼しい。
ふんふんと、鼻歌交じりにパスカルは美しい街を歩いていく。ここまで亀車を利用したが、やはり暑いものは暑いわけで。水の原素の恵み溢れる街に入った瞬間、生き返った気分だ。
上機嫌のまま、パスカルは商業区を抜けて行政区へと足を踏み入れる。
おそらくこの時間帯ならば、お目当ての人物は中央軍の本部で仕事をしているはずだ。きっと突然の訪問にびっくりして、でもきっとお茶を入れてくれたり、お菓子を出してくれたりして出迎えてくれるだろう。
そんな年下の青年の顔を思い浮かべ、パスカルはにまにまと口元を緩めた。きっとバナナのお菓子があるはずだから。
「なあ、あれってどうなったんだろうな?」
「アンマルチア族のことか?」
ふいに聞こえてきた声に、パスカルは反射的に足を止めた。
通り過ぎようとしていた柱の向こうからの、声だった。立ち聞きされているとも知らず、休憩中の兵士たちの口はよく回り始める。
「そうそう。いつになったら、オズウェル少佐はアンマルチア族を連れてこられるのだろうな」
「さあな……。だが、大統領閣下直々のご命令だし、あのお方は何事も迅速かつ的確に行われる方だ。早々にでも我が国の技術を支える人材を連れてこられるだろうさ」
「そうだな。そういえば、ほら、旅をしていた頃に一緒にいた女がいただろう? みたことあるか?」
「赤髪のか? ラントが襲われたときに治療して回っていたとかいう……」
「いやそっちじゃない」
「ああ、杖をもったほうか? 確かにいたな」
「あれがアンマルチアだったらしいぞ」
「へえ。あれがか。どうみても普通の人間にしかみえなかったが」
「なんでも、わが国の大煇石の不調を一目見て理解し、なおしたそうだ」
「すごいもんだな、アンマルチアってのは」
「ああ、はやくアンマルチアの技術を手に入れたいものだな。そうすれば、わが国の繁栄は未来永劫約束されたようなものだ」
「っと……そろそろ持ち場にもどらないとな」
「そうだな、そっちも頑張れよ」
「おう」
休憩時間が終わったらしい。
それまで親しげに会話していた兵士たちは、互いを励まして去っていった。
結局、最後まで黙って聞いてしまったパスカルは、遠ざかる靴音を聴きながら、ぽん、と手を叩いた。
ああ、そっか。そうなんだ。
これで、ちょこちょことヒューバートが自分のもとを訪れては、あれこれ世話を焼いてくれていた理由が、わかった。
きっと、兵士たちが話していたことのとおりなんだ。この国の研究者ではどうにもできなかった大煇石の不調を直したことがあり、この国の大切な資源でもある大煇石の機構に詳しく、かつて一緒に旅をしたことがある仲間。これほど条件に合致して懐柔しやすいアンマルチアなんて、世界を探したって自分しかいない。
「そっかそっか、なるほどなるほど~……あれ?」
ふと、ずきり、胸の奥が何かが差し込まれたような痛みを訴えていることに気付く。
「――???」
パスカルは、胸に手を当てる。健康すぎるほど健康な自分に、いままでこんなことはなかったはずだ。今日、砂漠の暑さにまいっていたときも、こんなことはなかった。
では、なぜ。
「……ま、いっか~」
普段ならとことんまで疑問はつきつめるものの、あまり深く考えてはいけないような気がした。
どうしてそう思ってしまったのかもよくわからないまま、それでもパスカルは当初の目的どおりにヒューバートのもとへと向かった。
ただ、彼に会えば、その理由がわかると思った。
だがその目論見は外れた。
「申し訳ありません。少佐は不在です」
ぼんやりとしながら、足が覚えていたままに歩いていたパスカルは、手近にいた女性兵士にヒューバートの所在を尋ねたものの、返ってきた応えはそっけないものだった。
「えっと~、どこにいったかって教えてもらえる?」
「申し訳ありません。お教えできません」
「ん、ん~……」
凛とした女性兵士の対応に、軍に関わることだからなのだろうと察し、パスカルは笑って頭を下げた。
「うん、どうもありがとねっ」
きびすを返し、軍本部を後にする。本部内にいるならば、会議中でもない限りヒューバートは自分に会ってくれる。ということは、きっとユ・リベルテ以外のところで、何かしらの任務にあたっているのだろう。
いつもなら、じゃあせっかくここまできたしラントにもいってみようかな~、と思うところであるはずなのに、なぜかそんな気力は沸いてこなかった。
気付けば、パスカルはオル・レイユの港から発着するフェンデルへの連絡船に乗っていた。
船の甲板の手すりに肘をついて、顎をのせる。目線を下げると、ゆらゆら揺れる海の波間。船が波を掻き分けて進むたび、白い小波がたっている。
その青さが、会いたかった青年の瞳を思い起こさせた。
そっと指先を心臓の上に押し当てる。
そこに感じる痛みは少しおさまったものの、まだちくちくとパスカルの胸を苛んでいる。
「あたしってば病気かなあ~?」
そうひとりごち、パスカルは珍しく、ほんとうに珍しく、深いため息をついた。
「ヒューバートに、あいたかったのに」
ぽろりと零れた純粋な本音は、さざ波の合間にのまれてきえた。
――それから一ヶ月――
大煇石の実用化に向け、実験を繰り返しその結果が出るたびに考察し、また生まれた新たな疑問の答えを得るために実験を行い――パスカルは、大煇石研究にのめりこむ暮らしを送っていた。
「こんにちは、パスカルさん」
そんな日々を破るような、清々しい声が響いた。
「ふぇ?」
里へ戻ってきてから、さらに散らかり放題になった自室のど真ん中、周囲に無造作に積まれ、あるいは放置された荷物に埋もれるようにして、先日行った実験結果を改めて読み返していたパスカルは、首を捻って後ろをみた。
「あ!」
そこにいたのは、涼やかな目元を眼鏡の下に持つ青年だった。ストラタの軍服の青さが、鮮やかに目に映る。
「すみません。ノックをしても返事がなかったので、失礼かとは思ったのですが……」
そういいながら、勝手にパスカルの部屋へとあがりこんだヒューバートが、あたりを見回し肩をすくめた。
「それにしてもあいかわらずぐちゃぐちゃですね……。よくこんなところで生活できますね、あなたは」
「わあ、弟くん! ひっさしぶりだね~!」
早速はじまりかけたお小言を遮るように立ち上がったパスカルは、飛び上がって喜んだ。そのまま、ヒューバートの手をとって部屋の一角へと連れていく。
「こっちこっち!」
「ここは……」
そこは、以前にヒューバートがきてくれたときに、綺麗にしてくれていった部分だ。
座るどころか足の踏み場もない! と、来るなりいきりたって掃除をし始めたヒューバートの姿を思い出し、パスカルは笑った。
柔らかな光が差し込む窓辺におかれた、二人掛けのソファ。
掃除が終わったあと、ここで肩を並べて一息つきながら、あれこれと話をしたっけ。
それが楽しかったせいか、なぜか物を置く気分にはなれなかったのだ。だから書類も、実験機具もドリルもない。
「まあまあ、座って座って! ここ、弟くん専用スペースだもん」
「……ま、まあ、あなたにしては綺麗にしているようですね」
そういって、クッションの置かれたソファの上にヒューバートが腰を下ろす。その隣にちょこんと腰掛け、パスカルは膝をかかえた。にこり、と笑いかける。
「ほんとひさしぶりだね!」
「久しぶりといっても、二ヶ月くらいですよ」
くい、と眼鏡を押し上げたヒューバートの言葉はもっともだ。だが。
「え~、でも前は、もっとよく会ってたような気がするよ~」
「まあ、旅をしていた頃とは違って、僕もあなたも忙しい身ですからね」
確かに、一国の最年少の少佐と、一国の未来を担う技術者だ。互いにやるべきことはたくさんある。とくに実験だけをしていればいいパスカルと違って、ヒューバートは様々なことをしているはずだ。
そんなやりとりをしているとき、ふとパスカルの頭にある言葉が蘇った。
――はやくアンマルチアの技術を手に入れたいものだな。そうすれば、わが国の繁栄は未来永劫約束されたようなものだ――
またちくりと、胸が痛んだ。そのことを思い出すと、いまのように身体が変調を訴える。
どうしてだろう?
そんな疑問が浮かんだ。兵士たちの言葉が、本当かどうかわからないから、こんな風になるのだろうか。
わからないことは調べつくし、考えたおして答えを得るのがアンマルチアの性だ。パスカルは、ヒューバートの顔を真正面から見つめた。だって、明確な答えになる言葉を、きっとヒューバートはもっているはずだからだ。
「ね、弟くん。弟くんが、こうしてあたしに会いに来てくれるのは、あたしをストラタに連れて行きたいから?」
「……は?」
目を丸くして、間の抜けた声をヒューバートが零した。そして、しばしの沈黙の後、ぼふっ、とヒューバートの白い頬が朱に染まった。
表情が乏しいようにみえて、意外とヒューバートの顔色は変わりやすい。
あいかわらずおもしろいなぁ、と思いつつ。なんで赤くなるのだろう、とパスカルは首を捻った。
「な、ななななな、なんの話ですか?! 会話の流れを考えても、どうしてそのような質問がでてくるのか理解しかねます。と、ととと、唐突過ぎるにもほどありますよ!」
早口でそうまくしたてるヒューバートに、パスカルは唇を尖らせた。
「えー、だって、そうなのかなぁって思ったからさ。違うの~?」
その慌てようが余計に墓穴を掘っているような気がするのだが、本人の口からはまだ肯定も否定も出ていない。パスカルは指先を口元にあて、さらに問いを重ねた。
ぐ、とヒューバートが言葉につまった。じっと純粋に答えを待つ子供のように、パスカルはそんな青年を見つめ続けた。
「た、確かにその……パスカルさんには、ストラタに来ていただきたいとは、思ってます……が、まだはやいというか、その……心の準備が……」
ぎゅ、とヒューバートが拳を握る。だんだんと小声になり、彼にしては珍しい歯切れの悪いなんともいえない答え。だが、ストラタに来てほしいと、ヒューバートは確かに言った。
いきなり足元にあいた落とし穴に、パスカルは落ちてしまった気分に陥った。かくんと、高いところから飛び降りたときのような感覚で、胸のどこかが消えてしまったみたいだ。そこからさらに痛みが溢れてくるのがわかる。
「……そっかぁ」
へら、とパスカルは笑った。どうやらあの兵士たちがいっていたことは、本当だったようだ。だがそれがわかって疑問は解決したというのに、ズキズキとしたものは増すばかり。消え去ることはなかった。すっきりどころか、痛くてどうしようもない。
「あーあー……あたし、アンマルチアじゃなかったら、よかったなぁ」
そのせいか、思ってもいない言葉が、ぽろりと口から零れた。
「え?」
ぎょっとして、身体を強張らせたヒューバートの反応に、今自分が口にしたものを反芻し、パスカルは「あ」と小さく漏らした。
「あっれぇー? あははは、あたしってば何いってるんだろね」
戸惑うように揺れるヒューバートの視線を受けて、パスカルは腕を組み眉を顰めて、首をさらに深く傾けた。どうしてそんなことを言ってしまったのかわからなかった。なんだか、わからないことだらけだ。
「どうしたのですか? どこか、痛むんですか?」
「え?」
ヒューバートが身体をずらして、顔を覗き込んでくる。なんでわかったんだろ、と思うものの、うまく口が回らない。
「その、なんだかとても苦しそうな顔をしているので。……研究のしすぎ、でしょうか?」
ひどく心配そうな顔をして、ヒューバートが腕を伸ばしてくる。自分のものとは違う、すこし骨ばった手から、目が離せない。
「一度、シェリアにみてもらったほうがよいのではありませんか?」
そんな自分に向けられる声が、優しさに溢れていて、パスカルの背筋が震えた。
おかしい。やっぱりおかしい。旅をしていたときだって、こうして心配してくれたときは何度かあった。そのときは、こんな妙な気分になんてならなかったのに。
綺麗な長い指先が、そっと自分の頬に触れようとしている。弟君の手って、こんなに大きかったっけ? ぼんやりとそう思う。そしてそれに、はやく触れてほしいと思う。
ああ、あたし――おかしい。
ピピピピピ!
夢を打ち破るように、けたたましくアラーム音が鳴り響いた。ヒューバートの指先が、驚いたのか一瞬にして引っ込んだ。
は、と我を取り戻したパスカルは、勢いよく立ち上がった。
「いっけない、もうこんな時間だ!」
それは、研究をともにすすめている姉のフーリエが、思考の海にはまりこんだら最後、なかなか出てこなくなるパスカルのために用意したもの。スケジュール管理用アラーム。しかもフーリエがもつ端末により、遠隔操作も可能という優れものだ。
時間に厳しい姉のことだ、遅刻をしたらご飯抜きなんてことにもなりかねない。もういかなければ。
「ごめん、弟くんっ」
ぱん、と両手をあわせてパスカルは頭をさげた。
「今日はおねえちゃんの研究室で、構築した理論の証明実験することになってるんだ!」
なるほど、とヒューバートの声が聞こえた。
「ですが、身体の具合は大丈夫なのですか? もし辛いようなら、ぼくがフーリエさんのもとへ連絡しにいってもかまいませんが」
「ううん、平気っ! だいじょうぶ!」
拳を握り締めてなんでもないと主張する。じっとパスカルの顔をみつめたあと、ヒューバートはわずかに下を向いて、眼鏡を押し上げた。
「――わかりました。では、ぼくはこれで失礼します」
「ほんと、ごめんねー!」
「いえ、ぼくが約束もなしに訪れたのですから、仕方がないでしょう」
そんな会話を交わしつつ、今日のために揃えた資料を抱えたパスカルは、ヒューバートと一緒に己の部屋を出た。
「あの……」
「ん? どったの?」
去ろうとしていたヒューバートが、足を止めて振り返る。
「研究も大事ですが、その……パスカルさんの身体のほうが大事なのですから、無理は……絶対に、しないでください」
気にかけてくれる言葉の温度は、とてもあたたかい。そんなことを伝えるヒューバートの和らいだ青の瞳に、自分だけが映っている。
それを気付いた瞬間、胸の痛みを越えるほどに心臓が跳ねた。ぞわ、と足元から這い登ってくる妙な感覚を自覚しつつ、パスカルは数度頷いた。
「それではまた、パスカルさん」
きちんと礼をして去っていく、軍人らしいきびきびとした動き。ひらひらと蝶のように揺れる、上着の裾。
その姿が見えなくなっても、パスカルはただ立ち尽くしていた。やがて、目頭が熱く、そのくせ頬が冷たいことに、パスカルは気付く。
「なんで泣いてるんだろ、あたし……」
帰ってほしくなかったのだろうか。自分から、帰ってもらったくせに。
自分のことのはずなのに、またわからないことができてしまった。
ただ、少なくともわかったこともある。
もし、自分がアンマルチアじゃなかったら、きっとこんな風にヒューバートは会いにきてくれないのだろうということだ。
ヒューバートは、ストラタの発展のため、アンマルチアを招きたいからこうしてきてくれているのだ。なぜかそれが、とても感情を揺さぶる。
そして、ヒューバートの存在そのものが、パスカルに大きな影響をもたらしている。くるくると色と形をかえる、万華鏡のような心。
これって、なんなんだろー……パスカルは、ぼんやりとした頭で、子供のような単純な問い掛けを繰り返した。