カニタマ日和

「こ、これは一体何事ですか……」
 カニタマ、カニタマ、カニタマ。ふわふわタマゴの、黄色いカニタマ。テーブルの上に並べられた皿いっぱいのカニタマの嵐に、それ以外の何をいえというのだろう。
 ヒューバートは、ラント領主家の台所に広がる光景に、思わず呻いた。
「すごいでしょ、ヒューバート」
 カニタマ大好きっ子のソフィは、一目見てわかるくらいとても幸せそうだ。椅子に腰掛けたソフィと向かい合うようにして、マリクが座っている。
 現状を説明してもらおうとマリクに視線を送ったヒューバートは、その姿に頬を引きつらせた。ラント領主の館で働くメイドのものを一時的に借りたのだろうが……。なにゆえ、その大きな体にあわない白いエプロンを着用している? さらにいえば、なぜフリルつきのそれを当たり前のように身に着けている?
 たくましい筋肉と可憐なフリルの競演に、ヒューバートはくらりと眩暈を覚えた。
 落ち着け、落ち着け。
 いろいろと突っ込みたいけれど、どこから突っ込めばいいのかわからなくなったヒューバートが、俯きながら眉間に皺を寄せた瞬間。
「いやなに、ソフィがカニタマを食べたいといったのでな。作ったまではよかったんだが……。気がついたらこの有様だ」
 苦笑しながら言われたその台詞に、ヒューバートは勢いよく顔をあげた。
「きょ、教官が作られたのですか?」
 これを、全部? そんなふうに続けたかった質問は、ヒューバートの顔に如実に表れていたのか、マリクが頷いた。
「まあな。最初はシェリアに頼もうかと思ったんだが、あいにくとでかけているだろう」
「――ああ、そうでしたね」
 ふむ、とヒューバートは顎に手を置いた。
 シェリアが、ラントの高齢者たちの様子を見に行きたいといっていたのが数日前のこと。旅の途中ではあるが、ヒューバートやアスベルとしてもラントの様子が気になっていた。だから、今日はラントで一日だけ休みをとることになり、こうして思い思いに英気を養ったり、したいことをしている。
 そんなことを思い出していると、マリクがソフィの隣の席を差した。座れ、ということらしい。
「ヒューバートもひとつどうだ? 全部は食べきれないだろうと思っていたところでな」
 調子に乗って大量につくってしまったことが原因の、このカニタマパーティへの誘いを受けて、ヒューバートは一瞬だけ思案する。もともと水を飲みにきただけなのだが、多少小腹がすいているような気がしないでもない。
「そうですね。では、いただきます」
 自分の腹と相談した結果、少しくらいなら、という結論に達したヒューバートは、ソフィの隣の椅子を引いて腰掛けた。みんなと食事をとるということが、楽しいことだといつしか知っていたソフィが、小さく微笑む。
 近くにあったスプーンを手にして、さあどの皿に手をつけるべきかと考えたとき、ふいに横手から何かが差し出された。
 何かと視線を向けてみれば、スプーンの上にカニタマが乗せられて、突きつけられていた。 「え?」
 声を漏らしてそのスプーンの持ち主をたどる。笑顔のソフィが、スプーンをさらに前へと出した。
「はい、ヒューバート、あーんして」
 ぽかん、とヒューバートは口を開けた。そして。
「っ!?」
 ばっと反射的に、ヒューバートはマリクの顔をにらみつけた。犯人はそこにいる。
「教官……!」
 にや、とかすかに口の端を持ち上げるマリクに、頭が沸騰しそうになる。
「ソフィに余計なことを教えないでくださいといつもいっているでしょう!」
「なにをいう。美味しいものをより美味しく食べるための秘訣だろう」
 腕を軽く組み、ぴこぴことスプーンを上下させながら当たり前のようにマリクがいう。
 ああもう、この駄目大人。
 いままで、ソフィにいろいろと嘘・真実取り混ぜておもしろおかしく吹き込むたびに諌めていたが、まさかここまでとは。ヒューバートは、マリクという男をまだまだ甘く見ていたと歯軋りした。頭を抱えてかきむしって叫びたいところだが、ストラタの軍人としてそのような醜態は見せられない。そんな衝動はぐっと堪えて抑え込んだ。
 そのせいで厳しい顔つきになってしまったヒューバートをみて、ソフィの表情が曇った。
「ヒューバート、カニタマたべないの? きらい?」
「なっ……」
 その悲しげな様子に、罪悪感がこみ上げる。うぐぐ、とヒューバートはさらにマリクへと申し立てたかった言葉を飲み込むしかなかった。そして、諸々の葛藤の後、わずかに肩を落としながら頷いた。だって、ソフィに罪はないのだ。
「……い、い、いただきます……」
「うん! はい、ヒューバート」
 ふわとソフィの顔が綻ぶ。それをみられただけでも、了承したかいがあったと思う。自分も大概ソフィに甘い。
 そんなヒューバートの前に、銀色のスプーンに乗せられたカニタマが再度差し出される。ソフィの静かな笑みを見つめながら、ヒューバートは顔を寄せた。えいやと覚悟を決めて、素早く口を開いて、素早く口に含み、素早く離れる。
 視界の端にうつる、にやにやとしたマリクの顔が憎たらしい。
「どう?」
 一瞬で食べ終えたヒューバートに、ソフィが問いかける。それを咀嚼し飲み込んだヒューバートは、わずかに目を見開きながら頷いた。
「――美味しいです。驚きました」
 こんな恥ずかしい状況を生み出した張本人が作ったものとはいえ、味については話は別だ。なんだか若干悔しいものの、美味しいといわざるをえない出来だ。
 タマゴはふわふわで、カニの風味も生きているし、それらを包み込むようなあんかけもちょうどいい塩梅だ。なんとも絶妙なカニタマに仕上がっている。ヒューバートは素直に感心した。
「ね、教官の作ったカニタマ美味しいよね。やっぱりカニタマの祝日を作るべきだよね」
 うきうきとソフィがいう。
「いや、それはどうでしょう……」
 そんなにもカニタマが好きなのだろうか。ヒューバートは眼鏡を指先で押し上げつつ、口ごもった。
「わぉ、カニタマじゃん!」
 人の気配を察知したのか、カニタマの匂いにつられたのか、ソフィ発見センサーでも働いたのか。ぱたぱたと軽い足音を響かせて三人のもとに飛び込んできたのは、パスカルだった。特徴的な色合いの髪が、ふわりふわりと揺れている。
「おう、パスカルもいいところにきたな。食うか?」
「うん、食べる食べるぅ~!」
 マリクの誘いを、パスカルは至極嬉しそうに受け取る。
 この現状に対し、これといって疑問を抱かないのは何故だろう。パスカルが興味をもつ、もたないのスイッチが一体どこにあるのか、ヒューバートにはさっぱりわからない。
 マリクの横、ヒューバートと向かい合う席にちょこんと座ったパスカルは、笑顔全開。
 よほどお腹をすかせていたのだろうかと思いつつ、今度こそ自分で食べようとスプーンと握り締めたヒューバートの肩が、つんつんと突かれた。
「どうかしましたか、ソフィ?」
 ふと隣をみると、ソフィが小さく首をかしげている。何かあっただろうかと、同じようについつい首を傾げてしまう。
「今度はヒューバートの番だよ」
「は?」
 ソフィの言葉に、ヒューバートは一体なんのことかと目を瞬かせる。
「パスカルに、食べさせてあげなきゃ。ね」
 にこ、と柔らかな笑顔でソフィがいった言葉に、ぴしっとヒューバートは固まった。

 食べさせる? 食べさせてあげる?
 誰が? 誰に?
 ああ……ぼくが、パスカルさんに、ということですか。
 それはつまり――「あ~ん」、しろと。

 思考回路がフル回転して、脳裏に映像までもが鮮明に浮かぶ。
 ヒューバートに食べさせてもらうために、わずかに瞳を伏せて柔らかそうな唇を開くパスカル――ちらりとのぞく赤い舌はきっと綺麗だろう――
 そこまで想像し、一拍の後。
「!?!!」
 ぼっと頬に熱をともしながら、ヒューバートは目を見開いた。叫ばなかったのは、なけなしのプライドが働いたおかげだ。
「あや、弟くんが食べさせてくれるの? じゃ、あ~ん」
 あまりのことにぷるぷると震えるヒューバートの状態などおかまいなし。パスカルが腰を浮かせてテーブルに身を乗り出し、口を開く。それはついさっき想像していたものそのままで、さらに頭に血が昇った。
「っ! ぼくがいつそんなことをするといいましたか?!」
 餌を待つ雛のように口をあけるパスカルに、ヒューバートは叫ぶ。どん、と机を叩いた拍子に、カニタマの乗った白い皿たちが悲鳴のような音をたてた。
「でも、美味しくたべる秘訣、だよ?」
 ソフィの言葉に、まったくもって裏がないせいで、いたたまれない気分になってくる。含みもなにもなく、ただそうすることで美味しくなると本気で思っているのだ。まるでその助言を受け入れぬ自分が悪いようではないか。
「~~~っ!」
 ぎりぎりとスプーンを持つ手に力をこめる。みしりと音がしたような気がするが知ったことではない。こんな状況を生み出した元凶たるマリクをにらみつけても、なぜだか勝ち誇った顔で「な!」とかいっている。ああまったく腹が立つ!
「弟く~ん、は~や~く~」
 ぴぃぴぃと、巣に戻ってきた親鳥にねだるがごとく、パスカルは小さく飛び跳ねて催促している。
 真横にいるソフィからの、純粋素直な視線が痛い。左斜め前にいるマリクからの、にやけた視線に腹が立つ。眼前にいるパスカルからの、期待に満ち満ちた視線が困る。
「~~~っ!」
 三者三様に攻め立てられて、ヒューバートは音をたてて席から立った。
「わかりました、わかりましたよ!」
 目の前にあった手付かずのカニタマへ、スプーンを突き立てる。それを掬い上げ、こぼさないようにと気をつけながら――ヒューバートは大きく口を開いたパスカルに、それを食べさせてやった。
 ぱくり、とスプーンごとカニタマを頬張ったときの、パスカル嬉しそうな顔がヒューバートの脳裏に焼け付く。自分より五つも年上だというのに、無邪気な子どもそのものだ。心臓が大きな音をたてる。妙な苦しさを胸に覚える。
 自分のした行為とパスカルの笑顔に、半ば混乱しながらヒューバートはスプーンを引いた。
「ん~! おいしいぃぃ!」
「うん、おいしいよねカニタマ」
 そう言い合いながら頷くパスカルとソフィはとても楽しげで、なんだかまんざらでもないと思う。だがしかし、マリクが「よくやった」という顔で、ぐっと親指立てているのをみてそんな気持ちは吹っ飛んだ。

 まったく、誰のせいでこんな恥ずかしいことをするはめになったと……!

 今になって湧き上がった羞恥に、ヒューバートが内心悶えていると。
「ああ、皆ここにいたのか。――って、なにやってるんだ?」
 五人目の、カニタマパーティ参加者候補が現れた。空色の瞳を瞬かせ、事態がよくわかっていないヒューバートの兄ことアスベルが、不思議そうに首をかしげて立っている。
「うん。教官がね、カニタマたくさん作ってくれたの。アスベルも食べようよ」
 ソフィが誘うと、アスベルはにこりと笑って頷いた。
「そうか、よかったなソフィ。じゃあ、俺もひとつもらおうかな」
 ソフィの誘いを、そもそもアスベルが断るわけがない。候補者はあっというまに参加者に早変わりした。
 そんなアスベルが手近においてあった椅子を引き寄せ座った瞬間、にゅっと差し出されるカニタマ乗りのスプーンがひとつ。
「じゃあ、アスベル。はい、あ~ん」
「え?」
「っ?!」
 その持ち主であるパスカルが、にぱっと笑う。アスベルはきょとんと目を瞬かせ、ヒューバートは肩を跳ねさせた。
「パスカルが、食べさせてくれるのか?」
 なんでだ? と顔に大きく疑問を浮かべ、目を丸くしたアスベルが尋ねる。それに対し、うんうんとパスカルが頷く。
「うん! なんかね、そういう決まりらしいよ~?」
 決まりというか教官がソフィに吹き込んだだけだ。
「ちょ、ちょっとパスカルさん! 何をしようとしているんですか!」
 思わずヒューバートが声を荒げて止めに入ると、きょとんとした顔で見返された。
「え~。だって、さっきは弟くんがあたしに食べさせてくれたじゃん」
「……くっ」
 まったくもってそのとおりなので、止めようとしたところで説得力はないだろう。
「へえ、そうなのか」
 ヒューバートが逡巡している間に、アスベルがひょいと顔を寄せた。止める暇などない。
「じゃあいただきます」
 ぱく、とアスベルはそのままパスカルの差し出したスプーンにかじりついた。
「に、に、兄さんっ!」
 目の前で繰り広げられる現実に、対処が追いつかない。なにをどういったらいいのか。なにをいうべきなのか。
「そっか、ヒューバートも食べたいんだね。はい、あーん」
 苦悩するヒューバートをみて何を勘違いしたのか、ソフィがまた食べさせようとしてくる。その心優しい様子に、うう、とヒューバートは胸をおさえた。
「いえ、あのですね、ソフィ。そうではなくて……、くっ……! い、いただきます……」
 じっとヒューバートを待つソフィの綺麗な瞳に見つめられ、断るのも申し訳ない気がして、ついついヒューバートは頷いた。嬉しそうに笑うソフィに、結局食べさせてもらう自分が情けない。しかし、ソフィの期待は裏切れない。こんなところ、ストラタ軍の誰に見られるわけにもいかないと、ヒューバートは強く思った。
「ほら。ソフィ、あーんしろ」
 もはやカニタマの味もよくわからなくなってきたヒューバートの目の前で、今度はマリクがソフィに向かってカニタマを差し出す。
「あーん」
 二人の間に、妙にほのぼのとした空気が流れる。自分がくるまで、ずっとこんな調子でいたのだろうか。
「あー! 弟くん~、あたしもまだ食べた~いっ」
 はいはいと、自分はここにいるよと自己主張するように、元気よくパスカルが手を上げる。子供だ。これで二十歳を越えているというのだから、世界の謎は深い。
「ああもう、まったく!」
 ヒューバートはもうどうにでもなれという勢いのまま、カニタマを一口分掬い上げる。
「オレは誰に食べさせればいんだろうな?」
「そんなことはどうでもいいんですよ! 兄さん、なにかほかにいうことはないんですか!」
 なんで教官がフリルのエプロンを身につけているのかとか、どうして互いに食べさせることになってしまっているのかとか。
 パスカルの口にカニタマを放り込みながら、天然な発言をするアスベルに対してヒューバートは叫ぶ。だが、なかば怒鳴られたに等しいというのに、アスベルはにこにこと笑っている。
「そうだな。なんだか楽しいよな、こういうのって。ヒューバートも、そう思うだろ?」
「兄さん……」
 互いに餌付けをしあっているようなこの状況が、楽しいと思えるというのなら、アスベルは大物だ。ヒューバートが、二の句を継げなくなっていると。
 マリクからソフィへ。ソフィからヒューバートへ。ヒューバートからパスカルへ。パスカルからアスベルへ。そんなカニタマの一連の流れをみて、ん? と、アスベルが首をかしげた。
「教官は食べないのですか?」
 ぴく、とマリクの肩が震えたのをヒューバートは見逃さなかった。おそらく、このままではアスベルからカニタマを食べさせられることになるとでも思ったに違いない。
「――ああ、オレは作っただけで腹がいっぱいになってしまってな。気にするな」
 わずかな沈黙の後、そういいながらマリクはまた一掬い、ソフィの小さな口へとカニタマを入れてやる。
 うまく逃げましたね、教官。
 ヒューバートはそうは思うものの、ほっぺを柔らかな紅色に染めて、ソフィがもごもごと口を動かしているので、水をさす気にはなれなかった。
「どうだソフィ、うまいか?」
「うん、とってもおいしいよ。教官」
 マリクの言葉に、ソフィが大きく頷く。
「よかったな、ソフィ」
「うんうん、よかったねぇ~」
「……はあ、まったく……」
 この場にいる全員が、なんだかとても幸せそうに、喜びを感じながら笑いあっている。世界の危機がすぐそこにあるというのに。

 ――まあ、たまにはこれくらい許してあげてもいいでしょう。今日はせっかくの、休みなのですから――

 すっかりと周囲のペースに巻き込まれ、怒涛の勢いで流されているのには気付かず、ヒューバートは頬を赤らめたまま、パスカルにまた一口食べさせてやったのだった。

 

 

 それから数時間後。
「だ~か~ら~! 夕食の前におやつをたくさん食べちゃだめっていつもいってるでしょ! 皆で何を食べたの! 正直にいいなさい、怒ったりしないからっ」
 もうすでに怒っているシェリアお母さんの雷が、身体を縮こまらせた全員に落ちていた。