春はここに

 様々なものが、ところせましと並べられた雑貨屋。きゅ、とブーツの靴底を鳴らしながら、小柄な少女――ティアが、歩いていく。
「んー、と……これと、これ……と」
 細い腕に塩袋をひとつ、黒胡椒の瓶をひとつ抱える。お目当てのものをみつけたティアが、店員に近づく。
「すみません、これくださーい」
「はいよ。じゃあこれ、おまけね」
 会計を頼むと、愛想の良い笑顔を浮かべたその店員が、棚の下から小さな紙袋をとりだした。そのまま、会計台の近くにあるキャンディをすこし、つめてくれた。
「わあ、ありがとうございます!」
 ティアの笑顔が花開く。それだけで、周囲の空気が柔らかくなる。決して気のせいではない。ウルは、瞳を和ませ小さく息をついた。
 店員も同じことを思ったのだろうか。さらに笑みを深くしたその店員が、ティアの頭をひとつ撫でた。これが下心満載な男だったなら、問答無用で雷でも落としてやるところだが、その人物は中年の女性である。きっと、自分の子供でも相手にしている気分なのだろう。
 ほのぼのとした空気が流れている光景から、ウルは視線を外し傍らの窓越しに外をみる。
 吹く風にわずかに揺れるガラスの向こうには、白い雪がちらちらと舞っている。世界は確かに冬に包まれているというのに、まるで春が訪れたように錯覚するようなティアの笑顔が、脳裏から離れない。こうして静かに待っている間も、次から次へと彼女の可愛らしい笑顔や愛くるしい声ばかりが、思い起こされる。人間のような心臓などない胸が、なんともいえないむず痒さを覚える。
 いつのまに、この身はティアだけで満たされていたのだろう。
 ウルは顎に手を当て考えてみるが、気付いたらそうだったとしかいいようがない。
 きっとどこかに、きっかけはあったはずなのに。
 静かに思考の海を漂うウルの前に、会計を済ませたティアが紙袋を抱えて立った。
「おまたせ、ウル」
 人間に姿を認められないというのに、ティアはウルに対して当然のように笑いかけてくる。わずかに怪訝そうな顔をする店員の顔を、ティア越しに視界の端におさめながら、ウルは応えて微笑んだ。
「もうよいのですね。では、帰りましょう」
 そういって促すと、ティアは頷いて店の扉を開けた。守りたいと思わせる華奢な背中に続いて、ウルも冬風抜ける通りへでる。
「きゃあ!」
 雑貨屋の扉がぱたりと閉まった瞬間、ごう、と灰色の厚い雲に覆われた空から吹き降ろした冷たい風に、ティアが小さな悲鳴をあげて身を竦める。
「ティア、大丈夫ですか?」
 ウルも多少驚いたものの、すぐにティアを気遣い、その薄い肩にかかるマフラーの端を直してやる。
「びっくりしただけだよ、大丈夫大丈夫」
 えへへ、とティアが微笑む。
「ごめんね、ウルだって寒いよね」
 風に吹かれたウルの金髪を、ティアの指先が優しく梳いて戻していく。
「私は精霊ですし、属性の相性もありますからそれほどではありませんよ」
「でもやっぱり、買い忘れしちゃったのに付き合ってもらってるから、んと――ありがとう」
 ごめんね、といいかけたのだろう。それを感謝の一言に変え、へにゃり、とティアが笑う。その鼻の頭は、冷気にあてられて微かに赤らんでいた。
 と。
「……っ、くしゅん!」
 むずむずと鼻を蠢かせ、ティアは可愛らしいくしゃみをした。よほど寒いのか、ぶるりと全身を大きく震わせている。
「風邪をひいてはいけません。さあ、はやく帰りましょう」
 ウルはそっとティアの肩を抱いた。柔らかなコートの下の細い体に、この冷たさは決してよいものではない。
「うん、はやくおうちに帰ろう。みんなも待ってるし」
 思いっきりくしゃみをしてしまったことが恥ずかしいらしい。照れたようなその口調は、わずかに早かった。
 そして、二人は手を繋ぎ、寄り添うようにして歩き出す。どこか幸せそうなティアの横顔を見下ろしながら、ウルは内心歯噛みした。
 ああ、今日の供を自分が務めたいといわなければよかった。
 もしここにいるのが、自分ではなく彼ならば、彼女にこんな思いをさせることはなかっただろう。
 だが、こうなるまえにその点に気付いたとしても、それができたかというと甚だ疑問だ。この立ち居地を譲れただろうかと考えても、出来なかったに違いないという結論にしか達しないからだ。
 ウルは、深くため息をついた。
 恋しい人の身の心配よりも、側にいたいという自分の感情を優先させてしまう未熟さが、そうさせた。むずむずとしたり、もやもやとしたり。ウルの胸の奥は、とても忙しい。
 そんなウルの様子に気付くことなく我が家への道を辿ったティアは、くぐり慣れた古びた我が家の扉を開いた。
「ただいま!」
「おかえりなさい~」
「おかえ……って、さむっ! はやく扉しめてくれ!」
「……おかえり、なさい」
 元気のよい声に、留守番をしていた三者から応えが返る。彼ららしい様子のひとつひとつに笑いながら、ティアはウルの手を離し歩き出す。
 そのまま、ティアはテーブルへと抱えていた袋を下ろした。そこには、花などあるはずもないこの季節、ミエリが森の力で育てた色とりどりの花が、花瓶に生けられ飾られている。清々しい芳香をほのかに纏いながら、ティアは暖炉へと近づく。
 そこには、レンポがともした火が踊っている。どんな寒さでも、決して消えることのない、大精霊自らがうみだした聖なる火だ。
 手馴れた様子で、ティアは傍らに積み上げた薪を手にとってそこへと放り投げた。乾いた音が響いた瞬間、承知したといわんばかりに、火がごうと燃え上がった。よく乾いた薪はよい燃料となり、赤々とした炎が鮮やかに立ち上がり揺れだす。
 それにあたりながら、ほっとした顔をしているティアのそばへと、ウルは扉をしっかりと閉めてから近づいた。
「ティア、コートを」
「あ、そうだね。ありがとう、ウル」
 いそいそと上着を脱ぐティアを手伝う。わずかに付着した雪を払い、ウルはコート掛けにそれをさげた。
「ティアったら頬っぺたつめたーい」
 頬を擦りよらせてきたミエリにそういわれつつ、ティアがおもむろに近くにいたレンポの背中へと手を押し付けた。
「えい」
「ぎゃああっ! なにしやがる、冷てぇだろうがっ」
「……ふふ」
 冷え切った指先は、そうとうなものだったのだろう。レンポが飛び上がる様をみて、ネアキが口元に手を当てて笑う。
 振り返った先、暖炉の前で繰り広げられるそんな穏やかな光景に、ウルは目を細めた。その中心にいるティアと、そのまわりに集う仲間の精霊たちをどこか遠いところにから眺めているような気分で、ウルは順に視線をおくる。
 その中にいる炎そのままの気性を持つ精霊を、じっとみつめる。その言動の真っ直ぐさを、羨ましいとティアにいったことがあったことをふと思い出す。今は、それではなくもっと違うなにかが羨ましい――ふと無意識に思ったことに、ウルは引き摺られた。

「――申し訳ありません、ティア」

 ぽろ、と零れた己の言葉を塞ぐように、はっとしてウルは口元を押えた。だが、もちろん間に合うわけも、そんなことできるわけもない。
 聞こえてさえいなければ誤魔化しようもあっただろうが、どうやらそういうわけにはいかないらしい。
「?」
 くるり、ティアが振り返る。その顔は、どうして謝罪されるのかよくわからない、そんな感情を如実に表す驚いた顔。その綺麗だからこそ居た堪れなさを覚える視線から逃げるように、ウルはゆっくりと長い睫を伏せた。
 ティアと同じように振り返り、こちらをみつめる三対の視線も耐え難い。とくに、大きくつりあがった、炎のそのもののような瞳を、いま見返したならとんでもないことをいってしまいそうだった。
「どうしたの?」
「いえ……その」
 ゆっくりと近づいてきたティアが、首をかしげて問いかけるが、応える術がウルにはない。もごもごと、言葉にならないものを転がす。
 んー、とティアは反対側へと首を傾けながら、頬に細い指先をあてた。そして、くるりと振り返る。
「ねえ、みんな。あのね、」
 ティアがそういっただけなのに、こくこくと満面の笑みでミエリは頷いた。
「うん、わかってるよー。ほらほら!」
 ぐいぐいと背を押されたレンポが、不満げに眉を跳ね上げた。
「なんだよ、オレはよくわかんねーっていうか、押すな!」
「……また、あとで」
「うぉ!?」
 ネアキが、ティアに小さく微笑みかけがなら、がっしりとレンポの手を掴んだ。そのまま、身を投げ出すようにテーブルの上へと急降下する。その先には、世界の価値あるものを記してきた預言書。
 二人がかりでこられては対抗することはできなかったらしく、緑と青と、そして赤い軌跡を残して、三人の大精霊たちはそのなかへと姿を消した。
 どうやら気をきかせてくれたらしい。
 そのことに気付いて、またウルは気分をわずかに沈ませる。預言書の精霊たちの中、長的立場を自負している自分が、なんというていたらく。
「ウル、どうしたの?」
 これで誰もきいていない。二人っきりだから。と、安心させるようにティアが穏やかな口調で問いかけてくる。
 のろのろと、ウルはティアと視線をあわせる。秋の実りを思い出させる、大きな瞳が深い色をたたえて瞬いた。
 たっぷりとした沈黙のあと、ウルは口を開いた。
「その……レンポとは違って、私ではあなたを温めることさえできません。ですから、」
 雷の精霊である自分は、何かを穿つことはできるがそれだけだ。寒ければ温め、暑ければ冷まし、心和む花を育てることは、できない。
 申し訳ありません――そう、続けようとしたとき、ふわりとウルの手をティアが包み込んだ。
 思わず息を飲む。その行為を目で追うと、ティアは己の口元までそれを持ち上げて微笑んだ。
「あのね、大丈夫」
 きゅ、と込められる力はその言葉に込められた想いを、懸命に伝えてくる。
「たしかに寒いけど、それは冬だからあたりまえだし。それに、これまでだって私はひとりでこの季節を過ごしてきたんだよ?」
 改めていわれるまでもなく、ウルは知っている。こうして出会うまで、ティアはひとりで生きていた。たった一人、この家で厳しい冬を過ごしていたのだろうことは、想像に難くない。
「ティア、私は」
 だから余計に、もう決して一人ではない大切なあなたを守りたい――心からそう思っているというのに、それができない自分が嫌なのです。
 そういいかけるウルを遮るように、ぷるぷるとティアが頭を振った。
「いいの、大丈夫なの」
 ぎゅう、とさらに込められる力。温かい家の空気のせいではなく、紅潮していく少女の白い肌。
「ここが、とってもあったかいから」
 そういって、ティアはそこにあるものの温度を伝えるかのように、ウルのものごと自分の胸に手を当てた。脈打つ心臓の鼓動が、わかる。
「あのね、ウルがいれば、あったかいの。ウルが私をみてくれれば、あたたかくなれるの」
 口の中でほどけていく砂糖菓子のように、繊細かつ優しい笑顔でティアはいう。
「まるでね、この場所が春の陽だまりみたいになるんだよ」
 ふ、とウルは吐息混じりに声を漏らした。あの雑貨屋で感じたように、ティアも己の行動の中にそのような感覚を見出してくれているとは。
「それでね。名前を呼んでくれれば、もっとあったかくなれるんだよ」
 すごいでしょ? 小鳥が囀りながら、首をかしげるような可憐な仕草で、ティアはいう。
 嬉しくなることを歌うように告げられたウルは、その言葉の響きと意味の心地よさに目を細めた。この複雑な気持ちに、なんという言葉をあたえればいいのだろう。
 戸惑うように押し黙ったウルをみて、ティアがくすくすと笑う。
「ね、ウル。どうしてそんなに拗ねちゃったの?」
「……はい?」
 一瞬、ティアの言っていることがわからなかった。だが、じんわりとその言葉が笑顔とともに思考に染み渡り――ウルは、ぎょっとした表情を浮かべた。
「す、すね……?!」
 私が、拗ねた?
 ウルは、ぱっと白い頬を染めた。世界に選ばれ預言書の精霊として契約を交わせるほどの力をもち、世界の英知を蓄えてきたこの自分が。そんなはずはない。
「ち、違います! ――あ、いえ」
 かっとなって思わず否定するものの、ティアの澄んだ瞳にふと我に返る。
「――違わない、かも……しれません」
 声を小さくしてそういいながら、ウルは冷静に考えてみる。
 ティアを寒さから守れるレンポが。自分とは違う、自分がもちえぬ力でティアの役に立てる仲間たちが、仕方ないと理解しているくせに――とんでもなく、羨ましかったのでは?
 そして、力になれない自分が、仲間はずれになっているような、そんな疎外感さえ抱いたのでは?
 仲間への羨望と自分の力不足。でも、それがどうにできなくて。以前は決してもつことのなかった感情を持て余して、自分はそう――子供のように、拗ねていたのだ。
 ウルは得た結論に対し、まるで力尽きたように空いていた片手で顔を覆った。
「ティアのいうとおりです。私は皆が羨ましく、そして何も出来ないことが寂しかったのでしょう。……まったくもってお恥ずかしい。私は一体、何をしているのでしょう」
 地の底まで届きそうなほど、深く深く息をつく。
 ころころと、対照的な軽やかさでティアが笑った。
「ウルがそんなふうになるの、とっても珍しいね」
 いいものみちゃった、と悪戯っぽく告げるティアは、とても楽しそうだ。
「でも、わかってくれた?」
 私のなかの陽だまりは、あなただけがつくりだせるということ。そんなティアの音なき言葉が、ウルの尖った耳に確かに届いた。
 ウルは端整なその面に、幸せに彩られた笑みを浮かべた。
「はい」
 手を握り返す。やわらかな指先が、応えてくれる。
「私も、おなじです。ティア」
「うん」
 嬉しそうに、ティアが頬を染めて頷く。潤んだ瞳に引き寄せられて、高い背をかがめ、ウルは顔を寄せる。
 世界にはいまだ訪れ遠い季節のぬくもりが、二人の間にあることを確かめるように、ゆっくりと目を閉じたティアへと口付ける。
 ほわり、ひとつ。
 雷の霊元素で構成される胸の奥、ティアがいったようなあたたかなものがうまれたことを、ウルは感じた。

 ふたりの春は、いつもここに。