秋にやさしさ

 青い空を遮るように、赤に黄に染まって揺れる、木々の葉。風が吹けば、ひらりひらりと舞い遊ぶ。
 さくさくと乾いた音を小さな足で奏でながら、ふんわりと降りつもった木の葉による赤い絨毯を、ティアは楽しみながら歩いていく。
 つい先頃まで、秋の実りや夏の名残にあふれていた森は、少し静かだ。冬が近いせいなのか、もう葉が落ちるのを待つだけとなっている。ほんのすこしだけ、淋しさが漂っているような気がした。
 ティアは、きょろりとあたりを見回す。
「ん~と……、このあたりで探索するところはもうない、かな」
 手元に具現化させた預言書を見下ろす。自分が現在いる場所をマップで確認すると、コードポイントはすでに最大値を示していた。
 それはつまり、ここで調べるべきところは、もうないということだ。つい先ほど見つけた珍しいキノコも預言書に記すことができたわけだし、今日はこれでいいだろう。
 にこ、とティアは笑いながら、すっと隣に並びたつ存在を見上げた。
「今日は、もう帰ろっか。付き合ってくれてありがとう、ウル」
 笑顔を向けただけだというのに、ふわりとその視線の先にあるものが、穏やかさを帯びる。綺麗すぎて近寄りがたい雰囲気が、ほどけるように甘く優しいものになる。
「ええ、ではそういたしましょう」
 す、と手が恭しく差し出される。紫色の特徴的な造りの手袋に包まれた、綺麗な手だ。指先の揃いに、品の良さがにじみ出ている。ティアは、そんな風にしてもらえることが、少しだけくすぐったい。まるでどこかのお嬢様にでもなった気分だ。
 そっと、そこに指を重ねると、優しく握り返してくれる。そうして幸せそうに細くなる青と赤の瞳に、この美しい精霊に好かれているのだと、実感する。
「風の中に、冬のかおりも濃くなってきました。あまりそのような風にあたりすぎるのは、ティアの体によくないと思っていたところでしたので」
 丁度よかったと、あまりにもほっとしたようにいうから、ティアは頬をやんわりと染めあげた。
 どうして、いつもこうして自分の身ばかり案じてくれるのだろう。そんなことを訊いたなら、訊いたほうが恥ずかしくなる言葉しか帰ってこないだろうと知っているので、ティアは口を引き結んだ。
「では、いきましょうか」
 そうして、ゆっくりと鮮やかな色彩の森を、手を繋いで歩いていく。
「それにしても……ほんと、綺麗だねぇー」
 ティアは、ふふっと笑いながらそういった。
 ルドルドに教えてもらった、森の奥のさらに奥。目に鮮やかな紅葉に、ティアは何度目かわからぬ言葉を漏らした。幾度言っても、この素晴らしさを讃えるには足りないような気がする。
「ええ。あのドワーフの方がいっていたとおりですね。それに教えていただいた幻のキノコも、ちゃんとみつかりましたし」
「うん。今度お礼にいかなきゃね」
 干して乾燥させれば、貴重な薬になるというキノコ。もともとは、その情報を聞きつけてここまでやってきたのだ。しかし、思っていた以上に自然の彩りが美しいから、ティアはやけに得した気分だ。
 ティアは、そっとウルを見上げる。森がもたらす秋の色に、ウルはとてもよく映えている。そこだけが、まるで絵画のようだ。風にそよぐ金色の髪も、白磁のような白い肌も。瞳の色は、この季節の空と大地そのものを表しているかのよう。
 端正な横顔にそこまで考え、ふとティアは思い出した。
 ああ、そうだ。そうだった。
「そっか、そっか……」
 ふむふむと一人頷いていると、ウルが不思議そうな顔をした。
「どうかしましたか、ティア?」
「ううん、ウルって秋が似合うなって思って」
 ティアは、楽しげに続ける。
「そういえば、預言書のウルのページに、ウルは秋を司るって書いてあるから、それも当たり前なのかもしれないね」
 ああ、そのことですかと、ウルが微笑んだ。
「確かに、私は四季のうち秋を司っていますが……似合うとか、そういったことは考えたことありませんでしたね」
「いわれたこともなかった?」
「ええ」
 今までの預言書の持ち主は、ウルのどこをみていたのだろう。むう、とティアは唇を尖らせた。だが、考え方をかえれば、自分だけが「ウルは秋が似合う」と気付いたということでもある。それはそれで、嬉しいことだ。自分だけがみつけた、ウルのこと。そう思えば、頬が緩んだ。
 ころころと、ティアが自分の考えに表情を変えるのをみて、ウルがくすくすと笑いだす。そんなに楽しいものでもないと思うのに。ティアは目を瞬かせた。
 ああでも、ウルにしてみたらどうだろう? 秋が似合うといわれて、もしかしたら戸惑っただろうか。ティアは小さく首をかしげた。
「ウルは、秋が好き? それとも嫌い?」
「そうですね……」
 ウルが微笑を留めたまま、ゆっくりとしていた歩みを止めた。あわせて、ティアも立ち止まる。はらりと、木の葉が目の前を過ぎていった。
「秋は、とても好きですよ」
 すいとそのまま空を見上げるように、ウルが視線を高みへあげる。たとえば、とウルは続ける。
「日、一日ごとに澄んでいく空の高さ」
 ティアは同じように、空を見上げた。いつでも一緒のものを、みていたいから。
「そこに吹く風がはらむ、冷たさ、冬の微かな香り」
 目に見えぬはずの風の動きが、ウルの言葉でわかるような気がした。木の葉が、揺れて飛び立つ。
 そうして自然の摂理に従い地に落ちる前に、ウルがそっとそれを摘んだ。ティアには幾度やってもうまくいかないことを、ウルはなんなくやってのけた。
「燃えるような生命の色を宿して散っていくさま」
 すごいな、と素直に感心していると、その木の葉がすっと目の前に差し出された。美しい濃い紅に染まった小さな葉を、ティアは受け取った。
 くるくると木の葉の軸を持って、回してみる。子供のようなその仕草に、ウルの瞳が愛おしそうに細くなる。
「つまりは、そうですね……消えゆくものたちの儚い美しさに溢れているから、私にとって秋は好ましく思える季節だ、ということでしょうか」
「消えゆく、もの……」
 ティアは、ウルの言葉をなぞらえるように小さく繰り返した。
 そういった風に、ティアは秋を考えたことはなかった。
「緑萌えた森も、咲き乱れていた花々も、ゆっくりと姿を消していく。虫たちの気配がなくなり、あらゆる命が息を潜めていく」
 ざぁ、と二人を撫でるように秋風が駆け抜ける。ひときわ強いそれに煽られて、木の葉が梢から離れて、一斉に遠いところへと運ばれていく。その道筋を、二人一緒にぼんやりと追いかける。
「そうしてやがて訪れる静寂が、冬の白さに覆い隠されるまえの、わずかな一瞬が――私は、とても尊く美しいものだと思うのです」
「……」
 くるくると、ティアは木の葉を回し続けながら、考える。
 ウルが新世界にもたらすものは、その属性に順ずるものの他「知恵」や「変革」といったものもあるが――「災厄」というものもある。
 だから、滅びに美しさを見出していてもおかしくはないのかもしれない。でも、なんだかちょっと違う気がする。
 ティアは「んー……」と声を漏らしつつ、答えを探しあぐねて、ウルを見上げた。
 遠くまで見晴るかすように、森の奥に注がれる視線の源。宝石のような、赤と青の瞳の深さをみて、ティアは思う。
 ああ、違う。
 滅びの美学とか、そういうものじゃない。そんなものじゃ、ない。
 にっこりと、ティアは笑った。
「そっか、ウルは優しいんだね」
 はた、とウルが動きを止めた。二度三度、長い睫を引きずりながら瞬きをする。
「……なぜ、そう思われるのです?」
 たっぷりとした沈黙のあと、迷子のように心細そうな声で、ウルはそう尋ねてきた。
「ん~とね」
 ティアは、指先の動きを止めず、ウルをしっかりと見返した。
 不思議そうにさがった眉、きいたことのないような言葉を聞いたような色の瞳、わずかに開いた唇。その美しい面が伝えるものは、戸惑いであった。
 ティアは、さらに深く笑う。うまく言葉にできないかもしれないけれど。伝えたいことが、伝わるようにと願って、唇を動かす。
「だって、みんなにおやすみなさい、っていう瞬間が好きなんだよね?」
 世界のはじまりからここまで存在してきた、人智の及ばぬ存在なのに、一度たりとも穢れることなく、純粋にありつづけているこの精霊に、どうか感じたものが届きますように。
「お疲れさま、ゆっくり休んでね、ってウルは言いたいんだよね?」
 きゅ、と繋いだ手に力をこめる。
「みんなみんな、春と夏に一生懸命生きてきて。冬に一休みするための、準備をするための秋が好きって、そういうことだなって私は思ったんだけど……違ってた?」
 問いかけのかたちをとってみたものの、ティアの中での答えは決まってしまっている。いまさらウルが否定したところで、覆すつもりはなかった。
「だから、そうやって見送るウルって優しいなぁ、って思ったの」
 ひとことひとこと言葉になるたびに、目を見開いていったウルが、す、とティアから目をそらす。口元を、手で覆って深く息をつく。
「――私は、そのようなことを思ったことは……ありませんでした」
 白い皮膚におおわれた目尻が、ほんの少し紅色に染まる。紅葉のよう、とはいかないが。照れているのだと、ティアは気付いて微笑んだ。
「それは、ウルが気づいていなかっただけだよ」
「そう、なのでしょうか」
 自信なさそうに、ウルは呟く。
「うん! そうだよー」
 元気一杯に肯定しながら、ティアはウルの手ごと、腕を振る。
 ウルが照れるなんて、ましてやそれが自分の発言によるものだなんて、なんだか気分がよかった。
「だって、消えゆくものってウルはいったけど、実際はそこにいるよ。皆、眠っているだけだもん。それは、もちろんウルは知ってるでしょ? だから、静かになったときが、尊く思えるんだよね?」
 次にその命芽吹くときの素晴らしさを、知っているからこそ。尊いと感じられるのだと、ティアは思う。
「秋が終わって、何もなくなっても、冬の白さの下には、春を待つ緑の芽があるから」
 ウルの手を引いて、ティアは歩き出す。
「おなじように、冬を越えて新たに命を繋いで生きていきたいって願う、たくさんの存在があるから」
 いま、二人の頭上にしげる木々の枝の先、まだ小さいだろうけれど、たしかについた芽があるのだろう。姿を消した虫たちだって、落ち葉の下や木々の皮に守られるように、命の欠片を残しているはず。
 ウルは、それを知っているから、きっと秋が好きなのだ。表面でなく、物事の本質、深いところを知っているウルだからこそ。
 だから、ティアはそれを素直に伝える。思ったままを、言う。ウルが、それを受け止めてくれることを、疑いはしない。
「――ウルは、優しいね」
 自分でもどうしてそうなるのかわからないくらい、柔らかな響きをもった断言に、ウルが背後で息を飲むのがわかった。
 きっと、ウルは困ったような、嬉しそうな、なんともいえない顔をしているに違いない。自分の想像に、ティアが小さな笑いを零していると。
 ぎゅう、と手が握り返される。それは、どうしようもないと、いわんばかりだった。
「ティア、ティア……ティア」
 そして、泣きそうな声で名前が幾度も紡がれる。
「好きです。あなたが好きです」
 感極まったような、胸を掻き毟るような、そんな告白は聞くものの心に響いて染みる。
「どうしてあなたは、私が知らない私を……このように、いともたやすく見つけ出してしまうのですか」
 そんなの、決まってる。訊かなくたって知っているはずなのに、それでも訊かずにはいられないウルが、たまらなく愛おしい。
 ティアは、楽しげに笑った。
「それはもちろん、」
 くるり振り返って、ほんのりと朱に染まった顔を晒したウルの瞳をみつめる。そこに浮かぶものは、ティアが想像していたとおりのものだった。
 にっこりと、ウルに相対したときだけに浮かぶ笑顔で、ティアは言う。

「私が、ウルのこと、だぁい好きだからだよ!」

 ウルの長い耳までもが、今度こそ紅葉に負けぬくらい赤くなるのを。そうして、高いところにあるその顔が、小さく了承するように顎を引くのを。
 ティアはこの上なく幸せな気持ちで、見上げて笑った。