自分の長い影を連れて、小柄な少女はグラナ平原をゆっくりと歩いていく。
潮騒に似た、草が風に揺れる音。森へと帰っていく鳥が、流れ星のように空を横切る。夜色に染まりはじめた頭上には、ひときわ美しく瞬く星がある。地の先には、溶けるように真っ赤な太陽がある。
それは、何かに急かされているように、明日へ旅立つため西へ駆け足で去っていく。
刻々と移り変わる赤、朱、橙。青空に眩しいほどだった白い雲は、今は金色。明るい昼を名残惜しむようなその色が、わずかに翳り始めていた。
何もかも、世界のすべてが今は炎の色彩。
いつの日か、無に帰すとはいえ美しい。
「綺麗な夕焼けだねー」
今日の冒険を終えて街へ戻る道すがら、小さな小石をつま先で蹴飛ばして、ティアが楽しそうに笑った。
自身以外に、人影などひとつとしてないというのに、応えが返るのを確信したようなその声が、風にさらわれ平原の奥へと消えていく。
そして、傍らにあるレンポは口を開く。だって、他には誰もいないのだ。ならば、少女の言葉は己に宛てたものに違いない。
「そうだなー」
さらさらと靡くティアの髪をくすぐりながら、その肩に降り立つ。
無邪気とさえいえるだろう、なんの含みもない清らかな笑顔が向けられる。
「ふふふ、レンポ真っ赤だね」
「そういうティアだって真っ赤だぜ」
「うん、そうだね」
ティアの白い頬は上気したときとはまた違う、赤。髪と長い睫を縁取る赤みを帯びた光。太陽を直視できず、細められる目の色も、いつもの穏やかな茶色に赤い染料をかけたよう。
「なんだか、初めてあったときみたい」
指先をくるくると動かして、ティアがまた笑う。まるで、炎を操ろうとするかのようなその仕草に思わず首をかしげた。
レンポのそんな様子をみたティアの、可愛らしい笑い声が転がってくる。揺れる小さな肩の上、レンポは不思議そうに眉をひそめる。
「丘の上で寝ていたら、レンポが空から降ってきて」
ティアの目が、すいと過去をみつめて細くなる。
ああ、そうか。
レンポには思い当たることがあった。それは、ほんの数日前のこと。
「そのすぐあと魔物がでてきて――そのとき、私を守ってくれたでしょう?」
静かな横顔を眺めながら、頷く。預言書に導かれ、丘の上で無防備に眠りこけていた少女と出会ったあの瞬間から、新たな神話が始まったのだ。忘れるわけがない。
「あのときか。ったくよ、ほんとだったらあんなやつ一発で消し炭にしてやるのに」
思わず自由を失っている両の腕を動かせば、じゃらりと鎖の音がした。これさえなければ、精霊の力を思う存分発揮できるようになるものを。
契約を交わした以上、炎の大精霊とはいえ世界の抑制に抗えるわけもない。いつか、この枷が外れるときはくるのだろうか。
「あのときね、世界が綺麗な赤い色に染まって、すごくびっくりしたよ。ちょっぴり熱かったけど、まるで炎が生きてるみたいだった」
「へっへー、そうだろそうだろ。オレ様はすごいんだぜ」
「うん!」
心の底からそう思っているのがわかるようなティアの表情に、レンポの自尊心が満たされる。
どうして世界はこんなにも優しく素直な者を間違えることなく、選ぶことができるのだろう。
ふと、そんなことを思う。
出会いからそんなに時間はたっていないが、そのわずかな交流だけで、よくわかった。ティアは預言書の持ち主にふさわしい心をもっている。この世界の終わりを告げて、次へと繋ぐ存在が、ティアでよかったと思う。
まあ、当たり前といえば、当たり前なのかもしれないが。
だから、ついついしゃべる。ティアがどんな話でもあしらうことなく、真剣に聞いてくれるせいもある。
「なあティア、知ってるか? 太陽ってのはな、炎の塊なんだぜ?」
そして、ティアならばきっと預言書を素晴らしいものにできるだろうと信じられるから、語りたくなる。
たくさんのことを知って、たくさんのものを見て、たくさんのことを記して、次の世界へ渡してくれるに違いない。そんな確信を抱いて、ティアを見上げる。
「えっ、そうなの?」
レンポの予想通り、大きな瞳をさらに見開いてティアはぽかんと口をあけた。その表情に、思わず噴出しそうになる。
そして、太陽とレンポを交互に見たティアは、ほう、と息をついた。
「そっかー、だからあんなに綺麗な赤色なんだね」
ふむふむ、と納得したようにティアは幾度も頷く。そして、ふわりと微笑んだ。
「すごいね……! じゃあ、これからはいつだって、たとえば夜になっても、お日様のレンポがいてくれるから安心だね」
傍らに浮かぶレンポを、太陽といったティアが笑みを深くする。
「おうよ、ちゃんとティアの行く道照らしてやっから、しっかりついてこいよ」
それに応えるように、からからと笑ってレンポは胸を張る。
「うん!」
そう、冒険は始まったばかり。
とりあえずは、手近なところから他の精霊たちを探すとするか。
そんなことを考えるうちに、人の住む街が見えてくる――
.
.
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.
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赤い色をした思い出が、ちらちらとレンポの思考を掠めて消えていく。
まだ、そんなに懐かしむほどの遠い過去のことではない。だけど、とても大切で眩い思い出だ。
「ティア――」
ゆるり、と瞼をあける。
相変わらず、闇色に閉ざされた檻の中、捕えられてからどのくらい時間がたったのか、わからない。
「……ティア<――」
もう一度、レンポは名を呼んだ。
いつの間にか、好きで好きでたまらない存在になっていた、預言書の主。自分にとって唯一のひと。
会いたい、会いたい。
「ちくしょう……! なさけねえっ……!」
好いた少女一人守れず、預言書を奪われ、力を邪悪な竜に吸い上げられていいように使われている。こんな状況、これまで一度とさえなかった。
ウルやネアキにいわれずともわかっている。レンポは、もともと短気でせっかちな性分だ。こんなところでじっとしているなんてどだい無理な話。それに、今はクレルヴォによってティアと離れ離れにされている。苛々ばかりが募っていく。
今、ティアはどうしているだろう。
その歩みをどこまでも照らす灯火となることを約束したのに。
目をいくら凝らしても視界は黒、とがった耳に届く音は無い。せめて、どうにか外を知る術はないものか。
気が狂いそうな空間に押し込められたまま、ただひたすらティアの事だけ考える。
会いたい、あいたい。
想いだけが重なりあって熱くなっていく。胸の奥から全身が焼け焦げるよう。
きっと、ティアはここへくる。それがわかっているから、なお口惜しい。
いつでも、いつまでも。
その傍にあり続けたいと願うのに。今頃、どんな危険な旅をしているかもしれぬのに。ああ、会いたい。
そう、ぽつんと零したら、たまらなくなった。
あいたいあいたいあいたい!
ぷつん、と何かが切れる音がした。
ぐあっと、活火山が一層燃え上がるかのごとく、そして溶岩を吐き出すような勢いで、レンポは暴れだした。封じられた力を振り絞るように、火花を散らしながら叫ぶ。
「っだー! オレをこっから出せ! この、ふざけんなーっ!!」
ぎゃあぎゃあと、あらん限りに声をあげる。ごう、とその身から炎が巻き起こる。
だが、まとわりつく闇を燃やすことはできない。待ってましたといわんばかりにうごめき、炎を捉えてくしゃりと丸めこんでいく。
魔力を高めれば高めた分だけ吸い取られていくことはわかっているものの、それでも憤懣やるかたないレンポはしばし暴れ続けていたが――やがて、おとなしくなった。
ただでさえ、魔力は常に奪われている。これ以上、竜に力を与えるわけにもいかない。
ぜぇぜぇ、と魔力不足に息を切らしながら、冷静になれと自分に言い聞かせながらレンポはつぶやく。
「ティアは、ここに来る」
そう、必ず来てくれる。だから。
今はただ、信じて待とう。
ゆっくりと目を閉じる。まぶたの裏に浮かぶのは、柔和な笑みをうかべた少女。この暗い世界でもまざまざと思い起こせるその姿は、世界をあまねく照らす太陽のようで。
ああ、オレじゃなくて――ティアのほうが、よっぽど太陽じゃねーか。
そう思った瞬間、ふとレンポは小さく笑っていた。
きっと、あの優しい光がこんな闇など払いのけてくれる。そしてこちらの気持ちまで暖かくなる笑顔を、当たり前のようにみせてくれる。
そう考えれば、おとなしくすることもきっとできるはず――ああ、だけど、やっぱり。
思い出せば、思い出したぶんだけ、想いが加速していって……
「ちっくしょー……! やっぱ腹たつー!! ティアに会いてぇー!!!」
静かにすると決めたわりに、すぐに頭に血を上らせたレンポは再び暴れだす。
その頃、もう一度噴火したレンポから、するすると魔力を吸い取ったウンタモが、満足したように大きくあくびをしていたのだが。
囚われのレンポはそれを知る由もなく。
そして、この檻へと手を差し伸ばす光が、三人の精霊を連れて近づいていることを知る由もなく。
「ティアー!!!」
尽きることない恋心を燃え上がらせながら、レンポはただひたすら少女の名を呼び続けていた。