雨の日

 ざあざあと、雨が降る。まるで、子供が泣いているようだと、ぼんやりと考える。
 湿気のせいでなんだか重い頭を巡らせて、レンポは気だるげに視線を流す。
 その先には、預言書の持ち主であること以上に、レンポにとって大切な存在となった少女がひとり。
 あどけない横顔を真剣さで彩って、ティアは机に向かって紙をペン先で引っかきながら、何事か書いている。
 確か、いつものような小説ではなく、これまでの冒険をまとめたもの、といっていたか。
 その凛々しさを脳裏に焼付け、次に透明な雫を滝のように滴らせる窓ガラス越しに外を睨みつける。
 朝からずっと、ティアは作業に没頭していてかまってくれない。さらに天気が最悪で、レンポは舌打ちでもしたい気分になった。
 だがそんなことをしても意味などないし、得るものもないので――窓枠にごろりと横になるだけで我慢する。
 預言書の精霊とは、世界と契約をすることのできるほどの大精霊である。しかし、預言書から離れることができないし、世界との契約媒体が本という形をとっているため水に弱い。加えて、レンポ自身が炎の精霊ということもあって、水がほんとうに駄目だ。
 つまり、こんな雨の日に、レンポにできることなどなにもない。
 さらに恋人に放置されていて、したいことも今のところ、ない。
 よって、その口から漏れる言葉など決まりきっていた。

「つっまんねーの……」

 つぶやき、ごろりと転がって、そのままティアの寝台へとレンポは落ちてゆく。飛ぶこともせず、重力に従う。
 すぐに、ぼふっ、と今のレンポの状態を現したような気の抜けた音が部屋に広がって消えた。
 そしてそのまま、ぼふぼふと音をたてて転がっていく。端までいったら、今度は落ちないよう来た道を引き返すように反対側へと転がる。
 ぼふぼふ、ぼふぼふ。
 それを何度か繰り返していると。
「レンポ……」
 さすがに気になったのか、ティアがペンを進める手をとめてレンポのほうへと振り向いた。
 呆れたような、困ったような、しょうがないなというような――曖昧な微笑を湛えて、レンポに向かって首を傾げた。
「さっきからどうしたの?」
「どうしたもこうしたもねーよ……つまんねーんだよ。大体この雨、いつまで降るんだよ……」
 いつもの活発さからは想像もできないくらい鬱々とした様子で、レンポはぶつぶつと天気に対しての不満をぶちまける。
 それに対し、ティアは小さな手を顎にあてて記憶を探る。
「んー、降りだして今日で三日目、かな。この季節、これくらいならよくあるよ」
 三日。
 ティアの口からそう数字にされて告げられると、余計に向ける矛先のない怒りが噴出した。
「だああああー! 外にでられねーし、冒険にもいけねーし! 次の世界がずっと雨ばっかりになったらどうしてくれるんだ! なんなんだよ、この世界!」
 じたばたと手足を寝転がったまま振り回すレンポに、ティアは苦笑しながら手を左右に振った。
「そ、そんなことにはならないってば、大丈夫、大丈夫」
 預言書を手にしてすぐに牢屋に入れられたときでもあるまいし。今はかなりの情報が預言書に収められている。いますぐ新世界を創ったところで、多少足りない部分はあろうとも、世界を構成するには支障はない。
 大体、この世界を作ったのは先代預言書の持ち主と預言書の精霊たち――すなわちレンポも含まれているというのに、なんともひどいいいようである。
 自覚はしているがあえてそこに触れることはしないレンポは、まだ飽き足りずにごろごろする。しかし、ティアと夜を共にする寝台から漂う少女の匂いのせいか、柔らかな布の感触のせいか、しばらくすると気分が落ち着いてきた。
 レンポが幾分かおとなしくなったのを見計らったかのように、ティアは口を開いた。
「でも、たまにこうしてゆっくりするのもいいよ。記録をまとめるにも丁度いいもの」
 そうして、ティアは机の上の紙を撫でる。
 あまり上質とはいえない紙に、彼女らしい可愛らしくも読みやすい文字が、いつもどおり綴られているんだろうな、とレンポは想像した。
「見たものも、見つけたものも、あらゆることを預言書に記してきたけど、冒険したときの気持ちまでは残せないでしょう? いつかこんなこともあったねって皆で思い返せるように、記しておく時間がもてるから、私は雨の日って結構好きだよ」
 預言書がそのページに記すのは情報だけだ。世界に存在するものが、何でできているのか、どうしてそこにあるのか、どうしてそういうものが存在するようになったのか。
 世界を形作る根源として必要なものだけが、預言書には書き込まれる。
 ティアの言うような、それに出会ったときの感動や思い出などは範疇外である。
 だから、預言書を補うようにティアは記すという。
 そのときの気持ちを、いつまでも忘れないために。
 そんなところが、とてもティアらしいとレンポは思う。だが。
「まあ、ティアはそれでもいいんだろうけどよー……。オレはつまんねー……」
 晴耕雨読を地でいくティアとは違って、レンポはせっかちで短気だ。まさしく炎のように、その一瞬を燃え上がるように過ごしたい。
 レンポのそんな心情をたやすく読み取ったティアが笑う。
「じゃあ、レンポも何かしたらどう?」
「何かってなんだよ?」
「小説書いてみるとか」
 じっと机に向かい、羽ペンを片手に書き物をする自分を想像する。否、想像することすらできない。
「無理」
 思わず背筋に走った寒気に、薄い笑みを浮かべ天井をみつめつつ即答した。
 ティアは、んー、と唇を少しだけ尖らせて次の提案を探している。そして、ぴっと人差し指を立てて笑った。
「じゃあ、カードゲームでもする?」
「オレ、昨日も負けっぱなしだったろうが……」
 思い出させるな、と沈み込みながらレンポは言う。なんだか、気持ちが重くなってきた。
 感情が素直に顔に出てしまうレンポは、そもそもそういったゲームに向いていない。表情からその手の内を読まれてしまうからだ。本人はつとめて表情を繕っているのに、他者にしてみるとわかりやすいことこの上ないらしい。
 ちなみに現在のところ、精霊4名+ティアでの勝負で、レンポは最下位をひた走っている。それでも、負けず嫌いな性質もあって何度も勝負しているのだが――ウルとネアキにこてんぱんにされるので、レンポはあまりカードゲームが好きではない。
「ん、もう」
 仕方ないなあ、とティアが立ち上がる。
 そのまま、とことことベッドの上に埋もれたままのレンポのもとへとやってくる。そっと小柄な少女のティアが腰を下ろした瞬間、寝台が小さく軋んだ。
 そして覆いかぶさるようにして、レンポを覗き込んでくる。天井を遮ったティアの顔がふわりと、笑みに彩られた。
「大丈夫だよ、明日はきっと晴れるから。そうしたら、陽だまりの丘にいってみよう? 久しぶりに新世界も覗いてみたいし、ね?」
 そして、宥めるように、慰めるように、明日という未来をみながら約束の言葉を口にする。
「雨が止むとか、なんでそんなことわかるんだ?」
 目の前いっぱいに広がる大好きな恋人の笑顔に、かまわれなくて心の奥で不満に燻っていた感情が、一瞬にして綺麗さっぱり恋の炎に焼け付いて消えていく。やはりこうして、互いの瞳をみながら言葉を交わすのが好きだ。
 ティアはレンポの問いかけにちょっとだけ思案して、ほやん、と笑った。
「んー、ただの勘かなぁ」
「あてにならねーなぁ」
 なんだか頼りないティアの答えに、レンポは肩を震わせながら笑いつつ寝台の上で上半身を起こした。
 それでもそんな根拠もない言葉を信じてしまうのは、きっと相手がティアだからだ。これまで、どんなことだってそのふんわりとした空気ですべて包み込むようにして乗り越えてきたことを知っている。だから、なんだか信じてしまう。
 きっと、明日は彼女のいったとおりの天気になる。そんな予感がした。
 だから。
「そんじゃ、まあ、約束な」
「うん!」
 小さな姿のまま、レンポは手を伸ばす。微笑んだティアが、その手のひらへ自分の指を押しあてる。
 柔らかなティアの体温が伝わってくる。幼子が小指を絡ませ約束するようなあどけなさを滲ませる指先が、離れていくのがなんだか惜しい。だって、今日ずっと欲しかったぬくもりなのだ。
 ふ、とレンポは桜色をした爪か飾られた指を掴んだ。
「レンポ?」
 その行動に目を瞬かせたティアの目の前で、レンポはその大きさを変じた。
 そうすると、まるでティアがレンポを押し倒したような形となる。小さな手のひらに触れていたはずのティアの指は、レンポが導いたようにその胸の上へと添えられた。
 ティアの瞳が、さらに驚きに彩られる。くるくるかわるそのさまが、レンポにはどんな宝石よりも綺麗だと思う。
 反射的に仰け反り逃げようとするティアの腰に、腕を絡ませる。
「きゃっ……! ちょ、ちょっとレンポ!」
 引き寄せたティアの胸元で幸せに浸りながら、レンポは甘い香りただようそこへと鼻先を摺り寄せた。その手は、ゆるりとティアの背を当然のように撫で上げる。ひゃっ、と可愛らしい声が漏れた。
「な、なにっ?!」
 わずかに顔を離し、慌てふためくティアを見上げれば、勝手に口が弧を描いていくのがわかる。きゅうと太陽でもみつめたように、瞳を細めてレンポは笑う。
「やっとティアがオレんとこきたんだ、ちょっとくらい――いいだろ?」
 ティアが顔を赤くして動きを止めたのをいいことに、レンポはぎゅうっと恋人を抱きしめた。せっかく転がり込んできた獲物を、逃してどうする。
 がっちりと回り込んだ腕から解放されることは、レンポが満足するまでありえないと悟ったらしいティアが、小さく笑った。
「もう……」
 仕方ないなぁ、という本日二度目の台詞をつぶやきながら、ティアがレンポの頭をそっと抱きしめてくる。
 子供っぽい我侭をいう自分に呆れただろうかと考えるものの、ティアから溢れるまろやかな空気とぬくもりに溺れてしまえば、そんなことはどうでもよくなってくる。
 そもそも、レンポがこれくらいのことをしたところで、ティアは嫌がらない。これまでの経験で学習済みである。ティアは、実は甘えられることに弱い。
「レンポってときどき甘えん坊になるよね」
 助長するように、ティアがレンポの秀でた額に小さく口付けてくる。
「なんだよ。悪いのかよ」
 美味しそうだと思わせる滑らかな頬にお返しをしながら、レンポはわざと不機嫌さを装ってそう言う。大体、かまってくれなかったティアが悪いのだ。
 そう思いつつも、声音はついつい楽しげなものとなってしまったので――ただ、ティアの微笑を引き寄せるだけだった。
「ううん、たまにはいいかなって思う。だって、なんだか可愛いんだもん」
 全身を小刻み震わせて、そんなことを言うティアに、レンポは小さく息をついた。
 それは違うと思う。だって、自分の恋人であるティアが世界で一番可愛い存在なのだから。
 だが、否定するには寄り添うティアという存在が気持ちよすぎて、反論するために口を開く気力が萎んでいく。一方で、ぽんぽんと音をたてて花開くように、好きだという気持ちが膨らんでいく。
 へらっとレンポは笑う。
「なあ、ティア。オレもたまには、雨の日もいいと思えそうだ」

 こんなひと時が過ごせるのなら。

 雨に隔離された小さな家で、慣れ親しんだ寝台の上、大好きな少女と身を重ねながら時間を過ごすのは悪くない。
「……ん」
 ティアの吐息がレンポのとがった耳を掠める。ゆるゆるとティアの全身から力が抜けて、レンポにその身を預けてくる。
「でも……まだ、今日中に書きたいことあったのにな」
 ほんの少し視線に未練を絡ませて、一瞬机を見たティアの首筋を唇でなぞる。小さく震えたその身体ごと転がって、二人の位置を入れ替える。
「今度にしろよ」
 先ほどとは違い、ティアを見下ろしながら綺麗な光を帯びる瞳を覗き込んで誘うように囁けば。
「うん、そうする。今からレンポとごろごろすることにする」
 あっさりとそう言って、ティアがくすくすと笑い声を紡いだ。
 その軽やかさが欲しくて、レンポは唇を寄せる。
 幾度も触れて、そのたび毎に離れて。結び合った視線が解けて、また絡まる。
 ふにゃふにゃと融けていきそうなほど幸せそうな表情で、ティアがレンポの仕草を追いかけてくる。
 ティアのスカーフを指先で弄りながら、レンポは笑う。
 「好きだよ」と、ティアが幾度も想いを囁いてくれる。それが、とても、とても嬉しい。
 なにもすることのない退屈も、かまってもらえぬ寂しさも、億劫な雨さえも、もはやこのひとときのためだったのだと思う己の現金さに内心盛大に笑いながら。
 ティアの言葉に応えて愛を告げつつ、二人一緒にさらに深いどこかへ沈むように。
 愛しい少女を抱きしめた。