やきもちやきの彼

「いやはや、ワシがあと二十年若かったならば、本気でおまえのことを放ってはおかないんだがな!」
「あはは、師匠ってばまたそんなこといってー」
 そういって腕を組み高笑いするグスタフに、ティアはころころと笑った。石造りの道場に二人の声が広がっていく。
 こんなグスタフのセリフはいつものことだったので、軽く受け流したティアだったが、今日は少々違っていた。
「まこと残念だが、ワシの嫁というわけにはやはりいかんからな」
 ずい、と一歩前にでたグスタフのあまりにも真剣なまなざしに、ティアは思わず半歩後ずさる。
「そ、そうですね」
 ティアはグスタフのことが嫌いではない。むしろ好きな人物に分類されるが、それはけっして恋愛感情ではない。
 さらにずい、と身を乗り出してグスタフは期待に満ちた、懇願するような熱烈な視線を送ってくる。
「デュランはどうだ? ここ最近、すこしはましになったと思うのだが。年のころも丁度いい」
「へ? ええっとー……」
「お前が嫁に来てくれるのならば、この道場も安泰だ!」
 なんとこたえればいいのやら。
 返答に窮して口ごもったティアの耳に、ぱちぱちと何かが弾けるような音が届く。
「?」
 鼻が、かすかにただよう焦げ臭さをとらえる。
 不思議に思って目線でその源を探ったティアは、視界にとらえた光景に飛び上がった。
「きゃ、きゃーっ! 師匠! コート! コートの裾がっ!」
「お?――うおおお?!」
 グスタフが纏う青いコートの裾に小さな火花が点り、そこから細く長い煙があがっている。
 なぜ、どうして、こんな火の気のないところで!
 そんな疑問を持つ暇もなく、指摘を受けたグスタフが慌ててコートを脱ぎ捨てる。
 そして、冷たい道場の石畳に放り出されたそれを、二人がかりで踏みつける。
 わずかな火が消えるのはあっという間だった。しかし、そのあとにはぼろぼろになったコートが一枚。
「「……」」
 何をいうこともできず、互いに顔を見合わせてそしてまた足元に視線を落とす。
 焼け焦げと、二人分の踏み跡をつけられたコートは無残な姿を晒している。
 しばし呆然としたグスタフは、小さく息をついて眉間に皺を寄せた。解せぬ怪奇現象に冷や汗を流して唸る。
「め、面妖なこともあるものよ……」
「ううっ」
 呟くグスタフのとなりで、ティアは小さく呻く。
 実はつい最近も、レクスに対して同じような現象が起きていた。そのときのことを思い出して、ティアは頭を抱えたくなったが、グスタフの前ではそうすることはできない。
 そして、ティアは自分の傍らにそっぽ向いて浮かび上がる犯人をじっと悲しげにみつめ、深く深くため息をついたのだった。

 

「レンポ、ちょっとそこに座って」
「?」
 家に帰ってきたティアは、何事もなかったように平然としているレンポに、テーブルの上に座るように促す。
 預言書から取り出したクッキーを頬張ろうとしていたレンポは、不思議そうな顔をしつつも、素直にいうことをきいて胡坐をかいて座り込んだ。
「なんだ、ティア」
「なんだじゃなくてね……。もうあんなことしないでって前もいったでしょ?」
 そんなレンポに対し、椅子に座ったティアがぐったりと項垂れた。
「ああ、あのことか。ちょっとびびらせてやろうと思っただけだ」
 からからと笑うその様子から、まったく反省していないことが読み取れる。なんだかもう、ものすごく脱力してしまう。
「だからね、レクスのときにもいったと思うけど危ないでしょう? 火傷でもしちゃったらどうするの?」
「そんなヘマしねーよ。今日だってすぐ消しただろ?」
「そういうことじゃなくてね……もう~」
 これ以上どういったらいいのか、どうしたらわかってもらえるのかがわからなくて、ティアは今度こそ頭を抱えた。
 当のレンポといえば、悪びれたところなどかけらもなく、両手に持ち上げたクッキーをどこから食べようか悩むように、くるくると回している。
 普通の人間が食べるサイズのクッキーは、小さな精霊のレンポにはちょっと大きい。自分の顔と同じくらいの大きさのそれを両手で掴んだまま、端から頬張っていく姿は小動物のようだ。
「大体な、あいつらオレのティアに馴れ馴れしすぎなんだよ」
「へ?」
 もくもくと口を動かしていたレンポが、一人頷きながらいった言葉に、ティアは目を瞬かせた。
「嫁とか、若かったらほうっておかないとか、やたらとはにかんだ笑顔とかしやがってよ、ふざけんなっての」
「え、ええと……」
 言っている内容をわかっているのだろうかと顔を上げたティアを、レンポはじーっと半眼で睨むように見つめてくる。
「ティアだって、オレというものがありながら他の奴に対して愛想よすぎだろ」
 不機嫌そうに眉を潜め、ぷいっと身体ごと顔を背けたレンポは、それでもなお言い足りないのか、荒々しくクッキーを食い散らかしながら、ぶつぶつと何事か言っている。
「えっと、えっと……」
 ティアは口元に軽く握り締めた拳をあてて、言われた内容を反芻する。
 ティアに対して馴れ馴れしい行動にでる者をレンポは快く思っていないから、あんな行動に出たということ。そして、そういう人たちとティアが親しくするのも、気に入らない、と。
 つまり。
「……レンポ、やきもちやいてるの?」
 もしかしたらそうかもしれない。もしかしたら違っているかもしれない。わずかに混乱してきた思考のまま、ティアがぽつんと呟くように問いかけると、レンポがゆっくりと振り向いた。
 金色の瞳が、炎のように揺れてティアの瞳を捕らえた。その熱に、ぞくりと背筋が粟立った。よくわからないけど、逃げられない――そんな風に思わせる強さだった。
「おう」
「っ!」
 あっさりとレンポは頷いて、ティアの言葉を肯定した。驚いて息を詰まらせたティアに、クッキーを放り出して立ち上がったレンポが近づく。
「オレはティアの恋人だし、当たり前だろ。なんか悪いのかよ」
 怒ったような、困ったような、照れたような、いろんな感情をごちゃまぜにした顔で、わずかに唇を尖らせたレンポが言う。
 そんな様子に慌ててティアは頭を振った。かぁっと頬が熱くなってくる。嫉妬されたのだという事実に、心臓が甘く早い鼓動を刻みはじめる。
「ううん! そんな、悪いだなんてことは……」
 火さえ点けなければ。ティアはそんな言葉をいいかけて飲み込む。
 なぜならば、小さなレンポの姿が、あっというまに大きくなったからだ。そのまま、テーブルの縁に腰掛けてティアの顔を覗き込んでくるから、余計に黙らざるを得なかった。
「ティアがいけねーんだろ」
「え?! わ、私なにかいけないことした?!」
 顔を寄せられて戸惑う間もなく言われた一言に、ティアは飛び上がった。おろおろと目線を彷徨わせると、しゃーねぇなとレンポが呟いた。
「どこか抜けていてお人よし。言葉どおり素直に受け取ってその裏を読まねぇし、いつもにこにこと笑ってやがる。まあ、オレはそんなとこも気に入ってるんだが」
 だから、とレンポは続ける。
「心配になるんだ。気付いてないんだろうけどよ、ティアのこと好きなやつはいっぱいいるんだぞ? 変なちょっかいだしてくるんじゃないかって気が気じゃねぇ」
「そんなことないと思うんだけど」
 心当たりがさっぱりないティアが疑問符を頭の上で行進させていると、レンポが呆れたようにため息をついた。
「オレはこのとおり精霊だからな、人間には姿をみられることがねぇ。ティアの恋人なのに、周りにはそれを認められない。そんなこと、これまではずっと当たり前だったのに、妙に焦っちまう。ちゃんと、こうしてティアの隣にいるのにな」
「レンポ……」
 どこかしんみりとしたレンポの口調に、ティアの胸が痛む。自分はこうしてレンポの声を聞き、レンポの姿を見ることができる。触れたその肌のぬくもりさえも知っているから、そんなこと考えたこともなかった。
 でも、自分の恋したのはレンポだけだ。誰にだって胸を張って言える。
 それを伝えようと口を開こうした瞬間、それまでの空気を吹き飛ばすように、にかっと明るくレンポが笑った。
「だからな、ちょっとお灸をすえてやるのにオレができるのは火をつけることぐらいしかないわけだ。つーことで、多少のことは認めろ」
「ああ、うん、そっか……じゃあ仕方ない――ってそんなわけないでしょ! それはだめ!」
「ちっ」
「舌打ちしないの! もう~」
 危うく丸め込まれるところだった。
 自分の存在を視覚に訴えるなどで大々的に知らせることはできないから、ティアにちょっかいを出そうとする輩への牽制ぐらい許せということだが、そのやり方が過激すぎる。嫉妬されてちょっと嬉しかった気分もどこかにいってしまった。
「と、とにかく! あんなことはもうしないのっ」
「ええ~……」
 ものすごく不満げな声を出すレンポに、ティアはほとほと困り果てた。ぶーぶーと抗議してくるレンポに対して、なす術がない。
 ほんとに、もう。
「――やきもちやき」
「だからそうだっていってんじゃねーか」
 赤い顔で眉を下げるティアの表情が可愛らしいせいか、レンポはわずかに口元を緩めた。
 と、何か思いついたのか、レンポが顔を輝かせた。
「じゃあ、こうしようぜ! 一日十回好きだって言ってくれよ。それならオレ我慢できるぞ、きっと! な!」
「っ!」
 さも、名案! といわんばかりに明るく提示されたそれは、ティアにとっては恥ずかしいこと極まりない。
「む、無理っ」
「えー、なんでだよ! じゃあ、ティアからのキスでもいいぞ!」
「もっと無理だよっ」
「だめだ! どっちか選べ!」
 どんどんとエスカレートしてきた要求に、ティアは悲鳴をあげて逃げ出した。それをレンポが追いかける。だがこの家は、二人で追いかけっこするにはあまりにも狭すぎる。
 どたばたと走り回ったあげく、あっという間に壁に追い詰められたティアは、涙目でレンポをみつめた。
「ど、どっちか選らばないと、だめ?」
「おう!」
 正反対にきらきらと期待に満ちた目を向けるレンポに、ティアは覚悟を決めた。
「じゃ、じゃあね――……」
 ティアの返答に満足そうに笑ったレンポが、腕を伸ばす。
 ぎゅ、と抱きしめられてティアが息を詰まらせると、
「ああ、やっぱ大好きだぞ! ティア!」
 やたらと、嬉しそうにレンポがそういってくるから。
 恋人の背に腕を回して応えながら、しかたないなぁとティアも幸せそうに微笑んだ。

 

 翌日から、ものすごく機嫌のよいレンポが、誰かを火で驚かせることはなくなった。
 どちらを選んだにしろ、これからの日々が無事に過ぎていくのは、真っ赤な顔して彼の要求を実行するティアのおかげなのである。
 やきもちやきの彼をもった、少女の甘く蕩けるような苦悩はこれからも続く。