そうありたい

 朝起きたら、外の景色が一変していました。

 呼びかけに応え、扉を開けた瞬間、目に飛び込んできた景色に、ティアはぴくりとも動けなくなった。
 ローアンの下町らしい、質素かつ人々の生活感が滲む景色が、本来ならあるはずだった。
 だが、今は色とりどりに花々が咲き乱れ、家の前には豪華な馬車が一台。そのお供なのか、いくつもの馬車が少し離れた場所に控えている。
 しかし、よくよくみてみれば、花が咲いているわけではない。あたりを覆い尽くすような勢いで、籠にいけられた花が置かれているようだ。とはいえ、それを用意するだけでも、時間もお金も、相当かかったことは想像に難くない。
 まあ、なんというか、その――いろんな意味で、下町にそぐわない。
 扉をあけたらそこはおとぎの国で、あなたはそこに紛れ込んだのですよ、といわれても、納得してしまいそうだ。
 ティアが、混乱しきった頭で現状をなんとか理解しようと努めていると。
「おはよう、ティア。今日は素晴らしい日だね」
「お、お、お、皇子……?!」
 御者が、恭しく馬車の扉を開いた瞬間、優雅に姿を現した人物を、ティアはよく知っている。
 にこり、と上品な笑顔を浮かべているのは、ヴァイゼン帝国の皇子。ヴァルドだ。
「突然の訪問、失礼するよ。さ、準備してくれたまえ」
「え? じゅ、準備って……?」
 ティアの素直な疑問が発せられる前に、ヴァルドの発言を合図としたのか、他の馬車からぞろぞろと侍女があらわれる。大きな荷物もいくつかある。
 あっという間に取り囲まれ、ティアは流れに飲み込まれて家へと引きずり込まれてゆく。
「きゃ、きゃああっ?!」
「大丈夫だよ、ティア。彼女たちにすべてまかせるといい」
 思わずあげてしまった悲鳴にも、ヴァルドの笑みは崩れない。
「な、なにをー?! って、ひゃあああ?!」
 ティアの悲鳴が、あたりに木霊する。しかし、助けなどあらわれない。
 我が家へと、大挙した侍女たちに押し込まれ、ばたんと扉は無情な音を響かせる。
 閉じられる一瞬にみえたヴァルドの、やたらといい笑顔がティアの脳裏に焼きついた。

 ――その後、何があったかと問われれば、ティアは嵐に巻き込まれたと、言葉少なに語るだろう。

 よろよろと、ティアは侍女たちに送り出されるように見守られつつ、家の扉をあけた。
 見える景色は相変わらずの花が彩る異空間。その中心にいるヴァルドには、しっくりくる景色だが。
 ティアが出てきたことに気付いたヴァルドが、出迎えるようにその腕を広げた。
「やあ、素敵だよ。ティア」
「お、皇子……これは、どういうことなんですか……」
 ティアは、力尽きかける直前のような調子で、そう尋ねた。
 ドレスを着せられたことも、ティアの家の周囲をこんな風にしたことも。
 ちゃんと答えて欲しい。
 だが。
「うん、とてもよく似合っている。可愛いよ、ティア」
 頭からつま先まで、ティアを満足げに見回したヴァルドがいう。
 褒められたティアは、ぽ、と頬を赤らめつつ、こっそりとため息をついた。
 だめだ。会話が妙にかみ合わない。
 いつもはこんなことはないのだけれど……。なんだが、ヴァルドがうきうきとしているが原因だろうか。
 ティアは、二度目のため息をつきながら、自分の身体を見下ろした。
 侍女によって手際よく身につけさせられたのは、淡い紅色のドレス。幾重にも薄絹を重ねられたそれは、肌触りよく、まるで花びらを重ね合わせたような繊細さをもち、かつ可愛らしいものだった。しかもティアの身体にぴったりとあっていた。手にはレースの白い手袋、足先を包むのは華奢な靴。薄く化粧を施され、髪には貴石の髪飾りがつけられた。動くたびに、さらさらと小川のせせらぎのような音がする。
 お姫様にでもなった気分だ。ティアとて女の子なのだから、悪い気はしない。
 そんなティアの目の前に、す、と恭しく差し出される手。
「いこう、ティア」
 ヴァルドの綺麗かつ有無を言わさぬ笑顔に、逆らえそうにない。
 ティアは、ゆっくりとヴァルドの指先に、自分のそれを重ねた。
「あの、いくって、どこへですか?」
 ヴァルドは答えるつもりがないのか、そっとティアを馬車へと促しただけ。
「まだ秘密だよ。じゃあ、いこうか」
「……」
 もう好きにして。
 最初は、ヴァルドにこんな強引さがあるとは思っていなかったけど、それもこれも自分に気を許してくれているからだと思えば……。いやでも行き過ぎでは。
 そんなことをもやもやと考えているうちに、ティアは馬車へと押し込まれ、ヴァルドの隣に腰掛けさせられた。
 ひどく楽しそうにしているヴァルドの顔に、怒ることができないのは、惚れた弱みというもの。
 そうして、ティアがつれてこられたのは、陽だまりの丘だった。
 が、こちらも景色が一変していた。
「うわぁ……」
 あたりには、ぐるりと陣幕とおぼしきものがはられていて、隔離されている。フランネル城やローアンの街を一望できる場所には、高そうな敷物がひろげられている。
 いいのかなぁ、これ……。
 丘の上は、すっかり貸し切り状態である。ローアンの誰にも、親しまれる場所であるはずなのに。
 不安げに、きょろきょろとしていると、ヴァルドの手が差し出される。
「さあ、ティア、どうぞ」
 手を引かれ、足首まで埋まってしまいそうなほどにふかふかな敷物の上に座り込む。二人並んで座り、遠い街並みをぼんやりと眺める。草原を撫でる風が、心地よい。
「それで、あの、今日はなぜ、ここに連れてきてくださったんですか?」
 もてあそばれる髪を押さえながら、ティアはヴァルドに顔を向けた。
「まだ気付かないのかい?」
「えっと……」
 んー、とティアは口元に手を当てて考える。その様子に、さらにヴァルドが笑みを深くした。
「君は、他人のことには敏いのに、自分のことになるとまったくなんだね」
 本当に、優しい女の子だ――うっとりと囁かれ、ティアは頬を染めた。
 答えを求めるように視線を送ると、ヴァルドがティアの手をとった。
「今日は、君の誕生日だろう?」
 顔を覗き込まれ、そう告げられて。ティアは「あ!」と声をあげた。
 そうだ。すっかり忘れていた。ここ最近、魔物討伐やら、探検やらで忙しくしていて、記憶から抜け落ちていた。だがしかし。
「私、皇子に言ったこと、ありましたっけ……?」
「いいや、教えてもらったことはないよ」
 じゃあどうやって私の誕生日を知ったんだろう……。
 ティアは考えることをすぐにやめた。それは皇子だから、でなんだか納得できそうだし。
「えっと、とういうことはつまり、その……」
「そう。そのドレスも、花も、この場所も、君へのプレゼントだよ。驚いてくれたかい?」
 ええ、ええ。それはもう。
 ティアがこくこくと頷くと、あどけない少年のようにヴァルドが笑った。してやった、と喜ぶ姿は普段からは想像できない。一体、世界のどれくらいの人が、ヴァルドのこんなところを知っているのだろう。
 きっと、自分がその一番なんだろう、と。ティアは穏やかな気持ちで、そんなことを思った。くすぐったさに、自然と笑みが浮かぶ。
「私、こんな風にお祝いしてもらったの、はじめてです」
「そうかい? 少しは、君の記憶に残ったかな」
「はい!」
 迎えに来てくれたヴァルドの笑顔、ティアを驚かすことができて嬉しいと綻ぶ笑顔、心に残る思い出になったならよかったとほっと、安堵するその笑顔も。
 生涯忘れることはないと、自信をもっていえる。
 ティアの手をとり、その指先に口付けながら、ヴァルドが長い睫を伏せる。

「お誕生日おめでとう、ティア。これからの君の時間すべては、私とともにあってほしいと思うのは――我侭すぎるだろうか」

「……いいえ」
 ふるり、とティアは頭を振って、微笑みながらヴァルドにそっと身を寄せた。
「私も、そうありたいと思います」
 大事な人と、ずっと遠い未来まで、ともに歩いていきたい。ヴァルドの言葉は、ティアにとっては願ったりかなったりだ。
 ありがとう、とヴァルドの声が聞こえて、肩に手が回される。
 恋人同士特有のしっとりと甘い空気に包まれる。
 だがそれを切り裂く、くう、と響く腹の音ひとつ。
 ヴァルドの赤い瞳が、おや、と見開かれた。ティアは、顔を真っ赤にする。
「あ、あのっ、これは……そのっ」
 考えてみれば朝食をとる前に連れ出されてしまったのだ。慌ててお腹を押さえたものの、正直すぎる自分の身体に、ティアは恥ずかしさで死にたくなった。
 くすくす、とヴァルドが笑う。
「ティア、君は本当に楽しませてくれる」
「……はう」
「じゃあ、朝食にしようか。ティアのために、腕をふるわせたよ」
「!?」
 そう言ったヴァルドに応えるように陣幕の一部が開き、その向こうから料理が運ばれてくる。
 てきぱきと準備されていくさまに、ティアは小さくうめきながら思う。
 皇子は朝食っていっていたけれど……――、ちょっと豪華すぎやしませんか。
 だが、きらきらとした笑顔でティアを見つめてくるヴァルドに、何かいえるわけもなく。
 食事とはまた別に、何人分あるかわからぬ大きなケーキが運ばれてくるのを。
 ティアは、呆然と眺めていた。