朝から、変わった一日だった。
まず、早朝の風を連れ、柔らかな栗色の髪の少女が訪れた。
「おめでとう、ティア」
「ありがとうファナ! わあ、おいしそうなお菓子!」
「おばあちゃんと一緒につくったの。よかったら食べてね」
「うん!」
バスケットのなかをみて、二人が楽しげに声をあげていた。
可愛らしく会話を交わしていた彼女が帰ってすぐ。
真っ白な花をいくつも束ねたものをもって、帽子を被った少年が訪れた。
「ティア! おめでとう!」
「きゃ、すごい……。ユウシャノハナ、こんなにいっぱい……!」
「朝に森へ行って、摘んできたんだ」
「いい匂い! ありがとう、デュラン!」
その後、彼はパトロールに行くと言って、爽やかに去っていった。
もうそろそろお昼だという頃。青髪の少年がふらりと訪れた。
「よお、ティア。これで、おまえもまたひとつ老けたってわけだな」
「もおお、レクスー!」
「ほらよ。おめでとう」
「あ、ありがとう!」
ぽかぽかと殴りかかられた少年はほんの少し意地悪そうに笑った後、ティアに紙袋をひとつ渡して去っていった。中にはティアの大好きなパンが、はいっていた。
昼食が終わり、ティアがゆっくりと読書していた頃、麗しいエルフが一人訪れた。
「ほら、あんた甘いもの好きでしょ?」
「えっと、蜂蜜かな……? すごく綺麗だね」
「そうよ、エルフの森の特別なものなんだから、心して食べなさいよ」
「ありがとう、シルフィ!」
「と、とにかく……お、おめでとう、ティア。私に祝ってもらえること、感謝しなさいよ!」
「うん!」
つん、とそっぽを向きながらそういったエルフに、ティアは笑って返していた。
昼寝にちょうどいい時間が過ぎた頃。夕陽を写し取ったような豊かな髪の、魔女が訪れた。
「はい、ティア。おめでとう」
「ナナイありがとう! これ、なあに?」
「私の魔力が篭った銀の護符よ。特製品なんだから。ちゃんと毎日身につけなさい」
「うん、わかった! 大事にするね!」
ティアの頭を撫でる魔女は、人々に恐れられる噂とは裏腹に、とても穏やかな顔をしていた。
その後も、ぞくぞくと訪れる、人、人、人。
ウルが知っている者もいれば、そうでない者もいた。
だが、皆、一様に同じことをティアにいう。
――おめでとう――と。
「……」
なんでしょう、これは。
朝からひっきりなしにティアのもとを訪れた人々を思い返し、腕組みをしながらウルは困惑しきりである。口々に飛び出す祝いの言葉、嬉しそうなティア。これは一体。
預言書から呼び出されることがなかったため、なんとなくの感覚でそれを見守っていたのだが。気になって仕方がない。
するり、勝手に栞から抜け出し、日記を書き記しているティアに近寄る。
「あの、ティア」
「ん? どうかした、ウル?」
ペンを持つ手をとめて、ティアがウルに向き直る。
「今日は、何かあったのですか?」
「?」
きょと、とティアが目を瞬かせる。
「その、随分と客人が多い日でしたので」
ああ、とティアは言葉を漏らした。そして、机に置いてある品々を眺めながら、ふわりと微笑む。
「えっとね、今日は、私が生まれた日なの」
生まれた、日。
ウルは、小さく、口の中でその言葉を転がす。
「だから皆、朝から来てくれたみたい。ふふ、きっとファナあたりに聞いたんだろうなあ。嬉しい」
特に食物や水分を必要としない身である精霊でありながら、ウルは己の口内が乾いていくような感覚を覚えた。
「嬉しい、のですか」
思った以上に、掠れた声が出た。
「うん」
柔らかな頬を美しい紅色に染め、ティアが頷く。その様子に、ぱちんと精神の一部がはじめた。
「なぜ、教えてくれなかったのですか!」
ずい、と詰め寄る。いつになく興奮したウルに、ティアが驚いて目を見開く。
「え、え?」
「私とて、ティアに喜んで欲しいと、つねに思っているというのに……!」
人間たちばかりがずるいではないか。そんな思いは口にはできないが、代わりにぎゅっと小さな手を握り締めて、そう訴える。
「で、でも。誕生日っていう概念、精霊にはないし、そういうの、よくわからないっていったの、ウルだよ……?」
おろおろし、そう申し訳なさそうに伝えてくるティアを見下ろして、そういえば、とウルは我に返った。
それは、出会ったばかりの頃。あれこれとティアに預言書の使い方や、冒険の指導をし、時には質問をされていた頃の、他愛のない話のひとつ。
確かに、そんなことをいった覚えがある。ティアも、ちゃんと覚えていたらしい。
ああ、あの時の自分を呪いたい。ティアを、預言書の担い手としかみていなかった頃の自分を呪いたい。
がっくりと項垂れたウルをみて、ティアがあせったように手を振った。
「ええっとね、でもね、何も贈り物を用意するだけが、お祝いってわけじゃないし!」
「……どういう、ことですか?」
皆、ティアのために様々なものを持ち寄り、ティアを喜ばせていた。だが、自分はその用意はない。
のろのろと顔を上げると、ティアが、ほんのりとした微笑を浮かべていた。なにか期待するような、潤んだ瞳に魅入られる。
「……みんなが、なんて言ってくれていたのか、ウルなら覚えているよね?」
あ、とウルは声を漏らし、記憶をめぐらせた。
訪れた誰しもが、必ず言っていたもの。ティアは、そのたびに満面の笑みを浮かべていなかっただろうか。その顔を、自分にも向けてもらいたいと、思ったのではなかったか。
ウルは、ティアの手を優しく握りなおす。
は、とティアへの恋しい想いを吐き出した。
「お誕生日、おめでとうございます――ティア。長い時間を経て、あなたにめぐり合えた幸運に、心から感謝しています」
一息で、心からの言葉を口にする。
ティアの表情が、夜明けを迎えた世界のように、美しく変化していく。それは、すぐに笑みを形作った。
「ウル、ありがとう!」
簡単な言葉だったはずなのに、ティアはそこに込められたものをすべて掬い上げてくれた。
そのことをウルに示すように、ティアのとびっきりの笑顔が花開く。
じんわりと、人とは異なる精霊の身体の内を、満たす感情。これまで過ごした長い時の中、初めて抱く愛しさに突き動かされ、ウルはティアを抱きしめた。
きゃあ、とあがる小さな悲鳴は、喜悦の色を帯びていて、心地よくウルの聴覚をくすぐった。
ひとしきり笑った後、そっと寄り添ってくれる小さなティアに、まだ何かできることはないのだろうか。
ウルはそんな思いで胸がいっぱいになる。こんなに、誰かを想うことがあるなんて、少し前の自分は想像したことすらなかったのに。
「ティアに喜んでいただけて、私も嬉しいです。でも……、やはり、私もなにか贈りたいのですが……」
そっと、ティアの可愛らしい顔を覗き込む。
「んーとね、じゃあね……」
うーん、とティアが首を傾げる。わずかに眉根が寄る。だがそれも、すぐに変わった。何かを思いついたらしく、「そうだ!」と、ティアが声をあげる。
「ねえ、キスして? ウル」
どこか恥ずかしそうな、くすぐったそうな顔をして。そのくせそんなことを可愛らしくねだられて。ウルは、眩暈を覚えた。
ティアがウルの首もとへ腕を伸ばしてくる。裏切られることなどないと、信じきった清らかな手だ。
するり、ティアの手が頬を掠めた瞬間ウルは、相好を甘く蕩けるように崩した。
そこに、普段のような澄ましたものは、欠片もない。
ただの人間のように、ひたすら目の前の少女を恋い慕う青年らしい表情を浮かべ、ウルもまたティアに手を伸ばした。
もう一度引き寄せて抱きしめて。花びらのような唇に、おのれの唇を寄せる。
ティアが望むものを、たくさんの気持ちをこめて、贈るために。