祝福は同じ日に

「そういえば、アンワールのお誕生日っていつなの?」
 とっぷりと夜も更け、もう寝なければ明日に差し支えるだろうという頃。ティアに問いかけられたアンワールは、ゆっくりと瞬きをした。
 寝台に寝転がりながら、天井をみつめつつ、記憶を繰る。だが、たいしたものは引き寄せられなかった。それも当然のことだ。
「わからない。オレは砂漠に捨てられていたところをオオリに拾われた。いつ生まれたのかなど、覚えてはいない」
 ティアに視線を向けつつ、事実を淡々と告げる。
 親がどこにいったのか、どういった人間だったのか。打ち捨てられていたアンワールには、あたたかな記憶などは砂一粒ほども残ってはない。
「そっかぁ。んしょ……っと」
 着替えをしているティアが、頭を出しつつそれに頷いた。
 そして。ぱ、と長い寝間着の裾を一度払い、ティアがてくてくと近寄ってくる。寝台に腰掛けたと思ったら、ひょいとアンワールの顔を覗き込んできた。
 その表情は、なにか悪戯を思いついた子供のような、わくわくとした輝きに彩られていた。
「じゃあ、一緒にお祝いしようよ!」
「どういうことだ?」
 ティアの言いたいことが、いまいちわからない。
 アンワールの問いかけに、ティアは己を指差して、はにかむように笑った。
「私のお誕生日、明日なの!」
「……」
 ぱちぱち、と目を再度瞬かせる。
 それは、知らなかった。というか、自分の生まれた日に執着のないアンワールは、他人のそういったことにも疎い。
 これまで誰かに祝ってもらったこともなかったし――いや、砂漠の宝剣の封印を解く前、心優しい砂漠の神官とその孫娘に、それらしきことをしてもらったことが、あったような気がする。その日だって、神殿の祭事にあわせていたような。
 だが心を失ってからは、そうしてくれた人たちは消えて、いつしかそれも忘れていた。
 ずい、と大きな実り色の瞳が近づいて、アンワールは遠くにいきかけていた意識を、はっと引き戻した。
「だからね、アンワールも明日お祝いしようよ」
 ティアが、にこりと笑う。嬉しい申し出だ。でも。
「だが、それは本当にオレが生まれた日ではないだろう」
 砂漠では、人の生まれた日は、その者のこれからの道筋を辿るために、重要視される要因だ。呪術でも、そうしたことを知っていると、術のかかりが格段に違うという。
 そういった点でも、アンワールはオオリにとって都合のよい手駒だったわけだ。
 カレイラにはそういうことはないのかもしれないが、真実というのは大切にされるもののはず。
 ふるふる、とアンワールの懸念を打ち払うように、ティアは頭を振った。
「お祝いするときは、日付をそこまで気にしなくてもいいよってきいたの」
 よいしょ、とアンワールのとなりにうつ伏せに寝転んで、ティアが頬杖をつく。
「自分が生まれた日にお祝いをするのは、自分が生まれたことを祝うため。生まれたこと、生きてきたこと、生きていくこと。それをみんなで喜ぶもの」
 まるで歌っているようなティアの言葉の羅列に、アンワールは瞳を細めた。
「だから、その心があるなら、日がちょっとくらい違っていても大丈夫なんだって。これって、ヘレンおばあちゃんの受け売りなんだけどね」
 そういって、ティアは恥ずかしそうに笑った。
「私もね、そう思う。だから、アンワールのお誕生日が私と一緒でもいいと思うの。それに、」
 ティアが、ほんのりと頬を染めて長い睫を伏せる。
「それに、私はそのほうが嬉しいし」
「嬉しいのか?」
 うん、とすぐに返ってくる肯定の言葉に続き。
「だってお揃いになるもの。一緒にお祝いしあえるのって、素敵だと思う」
 ほにゃり、ティアが頬を緩ませる。その愛らしさに、アンワールは自分の心の角が、丸くなるのを感じた。またひとつ、優しくなれる。ふわりと自然に笑みが浮かんだ。
「そうだな、ティアがそういうのなら。オレも、それがいいと思う」
「ほんとっ?! やったぁ!」
 勢いよく身を起こしたティアが、寝台に座り込み、胸元で手を握り締める。
「じゃあ、明日はお祝いしようね! お料理いっぱいつくるからね!」
 指折り数えながら、アンワールの好物の名前をあげていくティアに、笑みが止まらない。
 お菓子の名前をたくさん並べはじめたティアの言葉の合間に、かちり、夜更かししていることを咎めるような、小さな音が響いた。
 ふ、とつられて視線を動かせば、そこには時計の長針と短針が天を指し示したところだった。
 そうだ、とアンワールは思う。
 こんないじらしいティアに対して、せめて自分がいまできることをしよう。
「ティア」
 短く名前を呼びながら、身体を起こし、手を伸ばす。あっさりと小さな肩はアンワールの手に捕まった。そのまま、そっと押す。
「え? きゃうっ」
 ころり、ティアを寝台に転がして、その上に覆いかぶさる。
 急なことに、目を大きく瞬かせるティアに、笑いかける。

「誕生日おめでとうティア。いつも、いつも――お前に救われる。お前は、オレにとっての星だ」

 行くべき場所もわからない、砂漠のような生を彷徨っていた自分を導く、標のような君へ。君が生まれた日に、一番に祝福を。なにもできない自分からの、精一杯を。
 ティアを想えば、するりと祝福の言葉は口から零れた。
「……ふぇ?」
 ティアが、虚を突かれたのか、そんな言葉を零した。
 みてみるといい、というようにアンワールが視線で時計を示すと、ティアが「あ!」と、息を飲んだ。
 そして、ゆっくりとティアの顔がアンワールへ向き直る。へにゃりとさがっていく眉。
「……」
 はく、と小さな愛らしい唇が動く。ぎゅっと一度、なにかを耐えるように閉じられる眼。
 笑いたいのか、泣きたいのか、複雑な表情をしたティアの瞳に、じんわりと滲んだ涙が煌く。その雫は、宝石よりも美しい。砂漠の水のごとく、貴重なもの。
「ありがとうアンワール……。でもね、それは私のほうなんだよ?」
 泣きながら笑うという器用なことをしながら、ティアがその手をアンワールの頬にのばしてくる。
 受け入れないなどとは、塵ほどもおもわない。ふわりと押し当てられた手は、ただひたすらに心地いい。
 アンワールは瞳を閉じて、その柔らかな手のひらに、唇をおしつけた。何度も、何度も。
 くすぐったいのか、ティアが小さく笑い声を零す。
「アンワールがいるから、私、頑張れるの。知ってた?」
 閉じた瞳の暗闇に、響くもの。
 知っている。
 ティアが、いつも自分を想ってくれていること。
 言葉に、行動に、向けられる笑顔に、深く深く込められた気持ちを。
「ああ」
 もちろんだ、と。瞳を開いて、微笑んで返す。
「ティアも、わかっているか?」
 アンワールが抱く、ティアへの想い。すべて伝え切れているとはおもわない。ただ、少しでも知っていてくれればいいと願う。
「……うん。いつも大好きでいてくれて、ありがとう」
 ほう、とアンワールは安堵の息をついた。ティアも同じように息をついている。
 混じりあう吐息に、相手への恋しい気持ちが滲んでいる。
「明日――いや、もう今日だな。太陽が昇ったら、一緒に準備をしよう」
「……うん」
 ティアの瞳を覗き込み、アンワールは重ねて言う。
「ティアは、オレのために」
 こく、とティアが頷く。
「オレは、ティアのために」
 もうひとつ、ティアが頷く。
「うん! いい日にしようね!」
「ああ、ティアがいれば、そうならないわけがない」
 額を寄せ合い、約束を確かなものにする。
「ずっと、ずっと。そうしていこう」
 同じ日に、祝いの言葉を互いに贈ろう。
「私が、おばあちゃんになっても?」
 ふふふ、とからかうように、試すように、ティアがそう聞いてくる。
「ああ、そうだ」
 もちろん、と即答すれば、ティアの笑みが深くなっていく。
「アンワールが、おじいちゃんになっても?」
「そうだ」
 同じように笑いながらアンワールは、絶対の心をこめて頷いた。
「~~~っ、アンワール、だいすきっ」
 感極まったのか、感情が一定値を越えたのか。
 ぎゅううう、とティアが抱きついてきて、そう叫ぶ。
 その後も、痛いくらいに抱きしめながら、好き好きと繰り返すティアへ。
「オレも、ティアがだいすきだ」
 負けじと想いを口にしながら、アンワールもまた、ティアを強く抱きしめた。