狼の国 兎の国 ~おおかみさんとうさぎさん物語~……愛惜

 狼の耳と尻尾をもった狼ヒースと、兎の耳と尻尾をもった兎ティアのお話です。
 まったくもってゲームとは関係ありません。いままで以上に関係ありません。

 

 ――ティア嬢の健康状態に著しい不調あり。このままでは長くはないものと思われる。そちらでの任務が済み次第、早急に戻られたし――

 そこまで読んで、ぐしゃりとヒースは手紙を握りつぶした。
 ぶるぶると手が震える。耳と尾の毛が、逆立つ。さー、と血の気がひいていく。
 どんな魔物に対峙しても、どんなに苦境な戦場にいても、こんな心地になったことなどない。全身から血の一滴までもが抜かれていくかのような虚脱感。
 いやいや、こんなところで呆けている場合ではない!
 ティアへの想いが、ヒースの身体に活力を呼び起こす。
 ヒースは、慌しく自テントから飛び出した。
「中隊長! 中隊長はどこだっ?!」
 肩をいからせ、険しい顔で大声を張り上げる。
 魔物の大量発生に対応するべく、ヒースが辺境まで引き連れてきた軍の兵士たちが、何事かと驚いた顔をしてヒースをみつめてくるが、知ったことではない。というかそれどころじゃない。
「は、はいっ?!! なんでありましょうか! ヒース将軍!」
 近くにいたらしい中隊長が、慌てて飛び出してくる。その尾がやや垂れ下がり気味であることに気付きつつも、ヒースは勢いよくその肩を掴んだ。
 ひぃ、と中隊長が顔を引き攣らせる。三角の耳が、しゅん、と恐怖のせいで倒れていく。ぺったりと頭にはりつくくらいになっているのが若干哀れだが、どうでもいい。
 ずい、とヒースは顔を近づけた。
「もう、オレがいずとも大丈夫だな?」
 そんなつもりはないのだが、ついつい声が低くなる。
「ひっ……な、なにが、で……あります、か……?」
 ヒースは瞳を細める。
「大丈夫、だな?」
 どうでもいいからとりあえず頷けと、視線にこめて威圧する。
「は、はひっ……?」
 その思いが伝わったのか、がくがくと中隊長がとりあえずという風に頷く。
「オレがいなくなっても大丈夫だな……?」
 涙目になっている中隊長に、さらに念押しする。ようやく合点がいったのか、壊れたぜんまい仕掛けの人形のように、さらにがくがくと中隊長が頭を上下に振った。
「しょ、将軍のご活躍でおおよその魔物は、討伐、できて……お、おりますれば……! あとは我々で事後処理を……いたしたく……」
 震える声での健気な申し出に、ヒースはわざとらしいくらい満面の笑みを浮かべた。
「うむ、よし」
 そういって、ぽんと肩を叩いた。そのせい、というわけではないだろうが、ずしゃりと中隊長が崩れ落ちた。ヒースから解放されて安心したのだろう。
「では、オレはカレイラへ行く」
 そういいながら、ヒースは身を翻す。
「!?! お待ちください! ヴァルド皇子の身になにかあったのですか?!」
 ヒースの言葉に中隊長が反応し、跳び上がった。
 ぎょっとあたりの兵士たちも顔色を変える。ヒースが慌てた様子でカレイラに行く、と言えばそれは当然の反応だろう。
 ヒースは、う、とわずかに息を飲んだ。
「いや、そういうわけじゃないが……」
 さすがに、惚れた少女の具合が悪いようなので側に行きたいとはいえず、ヒースは口ごもる。カレイラ王国のフランネル城に滞在しているヴァルドに何かあっても、自分は同じような対応をしたとは思うが。
「と、とにかく、オレはすぐに出立する。あとのことはまかせたぞ」
「はっ!」
 恐怖から抜け出した中隊長の気合に満ちた応えを背に受けながら、ヒースは荷物をまとめるべく己のテントへと駆け出した。

 

 

 ドロテア王女と懇意にしているせいもあってか、倒れたティアはフランネル城にある一室で、療養させてもらえることになっているらしい。
 帝国辺境からカレイラまでほぼ休むことなく縦断してきたヒースは、手紙の内容を思い出しながら城の中を走っていた。
 他国で礼を失しているとは思うが、それよりもティアのことで頭の中がいっぱいだった。
 ようやくたどり着いたヒースは、大きな扉を前にして一度大きく呼吸した。
 ゆっくりと、重く大きな扉を開く。その奥に設えてある大きな天蓋つきの寝台に、気配を感じる。
 慌てて、だが驚かせることのないよう、負担になることのないように気をつけつつ、ヒースは足早に近づいた。
 はたしてそこには、顔色の悪いティアが、痛みを堪えるように縮こまって眠っていた。どこか生気のない頬と目尻には、薄っすらとした涙の跡がみてとれる。
「ティア?!」
 そんなにもひどい状態なのかと、ヒースは寝台に腰掛けてティアを覗き込んだ。
 触れようとするものの、触れていいものなのかもわからず、ヒースは手を彷徨わせる。
 一目みただけでは、大きな怪我や大病を患っているようにはみえないが、身体の内部まではわかろうはずもない。でも、無事であることを、触れて確かめたい。
 ヒースが葛藤しながらティアの名前を繰り返し呼んでいると、それに反応するように、長い睫が震えた。
 ごく、と息を飲む。ゆっくりと開いていく、瞼。わずかに身を起こしたティアが、ぼんやりとした視線を向けてくる。
「ヒース、さん……?」
「ティア、ティア……?」
 つらそうに、それでも名前を呼んでくるティアに、ヒースは泣きそうな気分に陥った。いや、実際泣きたい。このままティアが死んでしまったら、自分はどうしたらいい。
「具合が悪いと聞いたんだが、大丈夫か? どこが悪いんだ? ちゃんと医師にはみてもらったのか……?!」
 ついつい矢継ぎ早に問うてしまう。無事だ、平気だといってほしいという願いをこめて。
 ぼうっとしているティアから、返答はない。
 そんなに悪いのか、と内臓のすべてが冷え切る頃、ティアがくしゃりと顔を歪めた。そして、懸命に細い腕を伸ばしてくる。
「ヒースさん、ヒースさぁん……!」
 ぽろぽろと泣いて震えるティアが、ぎゅっとすがり付いてくる。
 反射的に、安心させるように抱きしめ返した瞬間――――わあぁぁあん! と、大きな泣き声があがって、ヒースは面食らった。
 痛みに泣く、というよりは迷子になっていた子供が親をみつけたときに泣いたというのがふさわしいような、そんな泣き方だったから。
 長い耳を垂れさせて、胸に縋ってわんわん泣くティアに、ヒースは困惑した。こんなに力いっぱい抱きついてきて、元気に泣く重病人っているのだろうか。
 そんなヒースの疑問に答える人物が、よいしょ、と扉をあけながら入ってきた。
 小柄なその人物は、年のせいで真っ白になった髪と髭、それに同化する垂れた白い耳を持ち、白衣を着込んでいる。そのせいで、真っ白な塊にしか見えない。
 ふわり、とその人物から漂ってくる薬草の香りが、鼻をつく。医者らしい、とヒースはあたりをつけた。
 その人物が、柔和に顔を崩した。子どもたちに好かれそうな、優しい笑みだ。
「ほっほっほ。お早いおつきですな、将軍」
「あなたは?」
「王家つきの医師ですじゃ」
 以後お見知りおきくだされ、と丁寧に頭をさげてくる。
 予想通りだ。
 そして医師と名乗った老人は、ヒースに縋って泣くティアをみて、うむうむと頷いた。
「どうやら、元気になったようですな」。
 にっこりと笑い、満足そうに白く長い髭を撫で付ける。
「よくわからんのだが……これは、どういうことか教えてもらえるだろうか?」
 ティアの背を撫でながら、ヒースは説明を求めた。
 うむ、と老人は重々しく、深々と頷いた。
「将軍はきいたことございませんかな?」
 なにを、と首を傾げる。老人が枯れ枝のような身体の胸を、精一杯に張る。

「うさぎは寂しいと死んでしまうのですぞ!」

 きっぱり。
 ヒースは、目を点にした。
「……はあ……」
 そうですか。
 これ以上の言葉は、今すぐには出てきそうになかった。
「可哀相に。将軍に恋焦がれるあまり、ティア嬢は体調を崩したのですじゃ」
 眉をさげ、ヨヨヨと涙を拭うわざとらしい仕草で、「なんともまあ痛々しい」と言う医師をぼんやりと眺めながら、言われた内容をヒースは心の中で繰り返す。ぐるぐると考える。
「つまり、ティアはその……オレと会えないことが寂しくて、病気になったと?」
 か、と全身が熱くなるのを感じながら、ヒースは結論づけたことを口にした。いや、それは嬉しいといえば嬉しいが、そこまで? と思わないでもない。
「そういうことですな。まあわかりやすく言えば、心の風邪が身体にも影響を及ぼしたということですじゃ」
 まったくもってその通り、と太鼓判を押されてしまった。
「だが、あの手紙には長くはないと――」
 そんな恐ろしい言葉まで書いてあったというのに。ヒースの言葉に、老人は「おお」と声をあげたあと、相好を崩した。
「なに、あれはおせっかいな老人の、可愛いくて罪のない嘘ですじゃ」
 あまりにも軽すぎる告白。
 このジジイ。
 ヒースはそんなことを思いつつ、頬を引き攣らせた。
「とはいっても、侮ってはいけませんぞ。この年頃の女の子は本当に恋焦がれて壊れてしまうこともあります。今回はこの程度ですんだからよろしかったものの、ゆめゆめ、寂しがらせることのないようにお願いしますぞ」
 念押ししてくる老人に、ヒースは頷いた。
「わかった」
 二度もこんなことがあってたまるか。
 そのあと、いくつかの注意事項を受けたヒースは、「ゆっくり休むように」と、言葉を残して部屋をでていった老人を見送ったあと。
 いつのまにか大声をとめていたティアの肩を、そっと揺すった。
「ティア、ティア」
 名を呼ぶが、ぎゅーっとヒースに抱きついたまま、ティアは離れようとしない。
「まいったな……」
 こんなにも好きでいてくれているという事実に、頬が緩む。
 いけないと、こんなになってしまったティアに悪いと思うのに。
 かすかに震えているティアを、抱きしめる。背を撫でる。愛おしいと、心から思った。
 しばらくそうしていると、頬を涙で濡らしたまま。ティアは、落ちるように眠ってしまった。
 寝かせてやらねばと思うのに、どういうふうになっているのかヒースの力をもってしてもティアは離れてくれない。
「しかたないか」
 ヒースもまた、ここまでくるのにほとんど休憩をとっていなかったので、疲れている。埃っぽいのが申し訳ないが、ティアが深刻な身体の病気でないとわかった以上、そこまで気にせずともいいはず。もうこの際、一緒に休もう。
 そうして、ヒースはティアとともに寝台に横になり、毛布を引き上げた。ティアをくるむようにして抱きしめて。柔らかな頬、に己の唇を寄せた。
 涙に濡れたそこは、冷たくて、すこしだけしょっぱい。
 こんなにも思ってくれていることが、やはり嬉しくて仕方がない。
「オレも変わったもんだな」
 前はこんな風に縋られることを、嫌だと思うことさえあったというのに。
 穏やかなティアの寝息につれられ、ヒースもまた、ゆっくりと瞼を閉じた。

 

 

「きゃああああ!」
「っ! なんだ!」
 敵襲かと慌ててヒースが体を起こすと、悲鳴が途絶え、代わりに「うぎゅ……」とくぐもった声が聞こえた。
 慌ててついた手の先をみると、顔面をがっしりとつかまれたうえ、寝台に押し付けられた格好になっているティアが、苦しそうにじたばたと手を動かしていた。
 あ。
「す、すまん……! 大丈夫か、ティア!?」
 ヒースは、慌ててティアから手をはなした。
「うきゅ……」
 髪を乱し、痛みと驚きに涙を浮かべたティアが、眉を下げた。また先ほどのように泣き出されてはかなわない。
「いや、あのな、わざとじゃないんだ……」
 つい職業柄そういう反応をしてしまったのだといい訳をすると、ティアが小さく頷いた。
「……はい……。私こそ、いきなり悲鳴あげちゃって、すみませんでした……」
 びっくりしちゃって、と小さく付け加えたティアが、そっとヒースの頬に指先を伸ばしてくる。
「えっと、ヒースさん本物です、よね……?」
「ああ」
 ティアの指を、柔らかに手で包み込み、口元に引き寄せながらヒースは本物だと伝える。くしゃ、とティアの表情が崩れた。
「いつ帰ってきたんですか? まだかかるって思ってて、わ、わたし……」
 泣き出しそうなティアを宥めるように頭を撫でてやる。
「まあ、なんだ。オレがいずとも大丈夫なようにしてきて、ここに来たんだが」
「そ、そんなの駄目ですよ!」
 思ってもみなかったティアの台詞に、ヒースは目を見開いた。ティアを心配し、慌ててやってきた男に、それはないのではなかろうか。
「み、皆さんきっと困ってると、思いますから……!」
「――はやく戻れ、と。君はそういいたいのか?」
 ヒースのことを、皆が頼りにしていると思っているらしい。
「だ、だって……だって……」
 ぺしょ、と耳が下がっていく。
「私、の我侭とか、そういうのは、いけないから……」
 そう思って、こんなになるまでたった一人でティアは耐えていたのだろうか。
 ヒースの胸の奥が、ぎゅうと締め付けられる。ぴくぴくと、耳が動く。
「オレは、君に会いたかった」
 心のうちをそう告げれば、ぴん、とティアの長い耳が持ち上がった。
 言葉とは裏腹に、素直に反応を返してくるそれ。その様子に、本心は別にあると確信する。大体、そうでなければ、ティアがこんなふうに床に伏せることなんてないはずだ。
 まだ正直になれないティアに対して、ヒースの内でほんの少し悪戯心がもたげた。
「しかしティアがそういうなら、戻らせてもらうとしようか」
 そういった瞬間、ぺしょり、とまた下がってゆく耳。ぷるぷると震えながら、ティアがぎゅっと胸の前で手を重ねる。
「は、はい……。気をつけて……怪我、とか……絶対にしないでくださいね?」
 なんとか健気に笑うティアに、また胸がきゅうと鳴く。ふわり、と尾が勝手に動いてしまう。可愛い。
「ティア」
 ぐい、と顎をつかんで持ち上げる。じっとりとその瞳を見つめたあと、ヒースは明るく笑ってみせた。
「???」
 なんで、どうして笑うの? と、ティアの顔が言っている。
「君は、わかりやすいな」
 そういって、垂れた長い耳に唇をよせた。そっと触れると、ティアが体を震わせた。
「え、きゃ……! やっ」
 身体を大きく捩じらせるティアを、有無を言わせず引き寄せる。
「ほんとうに、可愛い」
「う、ん……! ヒースさん……!」
 ぎゅう、と力いっぱい抱きしめる。ぱたぱたと揺れるヒースの尾が、シーツを打つ。こんなに感情をあらわにするのはみっともないこととされるものだが、可愛いものはしょうがない。ティアの耳のことは言えないくらい、素直に感情を表現しながら、ヒースはティアの耳に唇を寄せた。
「ティア。仕事のほうは、本当に大丈夫だ。だから、君のそばにいさせてくれ」
 はっきりと、ティアにそう告げる。
「……ヒース、さ……」
 ぽろぽろとティアが、再び泣きだした。ヒースは、小さく苦笑する。
「君は、よく泣くな」
「ヒースさんが、ヒースさんの、せい、だも……」
「ああ、オレが原因だな。寂しがらせて、すまなかった」
 ぽんぽん、と背中を叩く。頬をすり寄せる。
「ふ……う、うえぇぇぇん!」
 わんわんと泣きながら、ティアが抱きついてくる。
「さっき、ゆ、夢かと思って、でも……ちが、ってて……ひっく、うれ、うれしい……!」
「夢じゃない」
 きっぱりと否定してやれば、うんうんとティアが頷いた。
「ごめ、ごめんなさい……! ほ、ひっく、ほんとっ、はっ、もどってほしく、うっく、なんか……ない、です……!」
 私、私、とティアが繰り返す。しゃくりあげながら、何かを伝えようとしている。ヒースはじっとそれを待つ。
「ずっとずっと……ヒースさんに、あいたかったです……!」
 その言葉に、蕩けるようにヒースは微笑む。
「オレもだ。会いたかった」
 みつめあい、ゆっくりと瞳を伏せて鼻先をこすり合わせる。
 そして、それ以上の泣き声はもう必要ないというように、ヒースはティアの唇をそっと塞いだ。
 ほんの少しだけれど、自分たちにとっては長きに渡った時間を、取り戻すように。

 

 

 この出来事以来、ヒースが一週間以上の長期の仕事を断るようになり、それがヴァルドの悩みの種のひとつになったそうな。