狼の耳と尻尾をもった狼ヒースと、兎の耳と尻尾をもった兎ティアのお話です。
まったくもってゲームとは関係ありません。いままで以上に関係ありません。
ティアは、二度目の遭遇以来、ヒースと時折会うようになっていた。
ただなんとなく日と時間を決めて、顔をあわせて。ほんの少しだけ、会話をして別れる。
それは互いのことを話すばかりで、ヒースは軍のことを一切もらすことはなく、ティアもまた、王国の情勢などは喋らない――それは、街角で出会って世間話をするような、としかいいようがない奇妙な時間だった。ここは、緊張状態がいまだ続く、国境であるというのに。
ちなみに、話の内容が世間話程度であるのは、ヒースの意向である。仕事以外の場にそういう話を持ち込みたくないのかな、とティアは考えている。
やがて、季節がひとつ終わるくらいに時間が流れたころ、ティアは気付いた。
ヒースが、自分をとおして何かをみているような、そんな瞳をしていることに。
ときおり眩しそうにこちらをみたり、言葉を言いかけては飲み込んでいるのだ。さすがのティアもわかるというもの。
どうしてそんな顔をするのかわからなくて、ティアの胸にはもやもやとした気分だけが増えていった。ここにいる自分を、みてくれていないようで。
きいちゃいけないのかなとは思ったものの、気になるものは気になる。
先日、我慢できなくて、ティアが思い切って尋ねてみると、ヒースは静かに語ってくれた。
種族など関係なく、互いに笑いあって、話ができて、そうしてわかりあうことのできる「平和な未来」というものを、をティアに重ねている。誰しもがこうあることができたらといいと、思わずにはいられないのだ――と。
「こうした個人の交流ならば容易いのに、なぜ国と国はそういかないのだろうな」
と言ったヒースの少しだけ寂しそうな顔が、ひどく印象的だった。
この人は、すごくすごく強くて、ずっとずっと戦いの中で生きてきたのだろうけれど――なによりも平和を愛し、そして誰よりも平和に憧れている。
そう確信するにはあまりある、苦悩に満ちたその表情を、ティアはどうあっても忘れられそうにない。
ふわり、風が吹く。濃い緑の香りをまとって、ティアの髪をもてあそぶ。
ティアは、自分の中でいつのまにかひととなりを定めてしまったヒースを、じっと見上げる。こうして会うのは、もう何度目だろう。ティアは数えていないが、ヒースは覚えていそうだ。
今日も大きな体を鎧に包み、森の奥から吹く風に髪と尾の毛を揺らしているヒースは、時折り周囲を探るように、ぴくりと三角の耳が動かしつつティアに相槌をうっているが……どこか、ぼんやりしてみえる。
ただ、あのときのような苦しそうな表情ではないので、すこしだけほっとする。
気付けば区別できるようになっていたヒースの表情。そういう判断ができるくらいには、短くない時間を二人で過ごしているということの証。
でも、どうしてだろう。
ヒースの機微にそこまで敏感になっている自分の不思議に、ティアは首をかしげながら、ついさきほどまで幼馴染のことを話していた唇を、動かした。
「――ヒースさん、疲れているんですか?」
感じたままのことを問う。
「!」
いきなりの話題の方向転換に、ヒースがはっとする。やや下げていた顎が持ちあがる。自分では気付いていなかったのだろうか。
離れたところに立っているヒースが、わずかに目を見開いて、すぐに笑った。
でも、いつものような、晴れやかな今日の青空に似た広さを思わせるものじゃない。ちょっと、ばつが悪そうな、何かを誤魔化すような、そんな笑顔だ。
「いや、なんでもない。大丈夫だ」
誤魔化してる、と直感的に思うけれど、それはきっと仕事絡みのことだろうから、ティアは訊けない。そう、最初に約束した。
むう、とわずかに唇を尖らせる。
「……無理、しないでくださいね」
ヒースの立場を考えれば、無理なことだ。でもそれ以上に上手い言葉はみつからず、当たり障りのなく言えば、「ありがとう」とすぐに返事が返ってくる。
だが、そう言いながら笑うヒースに滲む疲れが、色濃いものになったような気がした。
助けてあげたい。なにができるかわからないけれど、せめてその側にいきたい――ティアの胸にこみ上げる想いは、ひどく熱く、強く。体を引きずる。
「っ、」
わずかに足を震わせる。でも、前に出すことは出来ない。だって、ヒースに「だめだ」と、きつく言われている。
国境を越えてはいけない、こちらにきてはいけないと、線をひかれている。目にみえるものは何もないのに、明確な壁があることが悔しい。
ティアは、すごくすごく、いきたいのに。
「むー……。私、そっちにいけたらよかったのに」
ぎゅっとスカートを握り締め、ティアは苦々しくそういった。
「は?」
出会ったころには考えもしなかったことだが、意外と表情豊かなヒースが、一瞬だけ、ぽかんとする。
「……それは、君が狼だったらよかったということだぞ?」
想像できないな、と低く笑いながらヒースが言う。確かに、自分じゃない自分は想像つかない。でも。
「だって、そうじゃなかったらヒースさんのところに、いけないじゃないですか……」
そうできないことが不満なのだと、ティアは目元を険しくした。声が、か細く力ないものに、自然となっていた。
自分が狼であれば、その側にいけただろう。
迷うことなく。とめられることもなく。そうしたら。
――そうしたら、どうなるだろう。
ティアは、ほんの少し考えてみようとするが、想像の限界を超えているのか、ごちゃごちゃと絵の具を無造作に出したパレットのように、まとまりはえられそうになかった。
らちがあかないことをやめて、ヒースをみつめる。
ただ、そばにいきたい気持ちは心からのもの。ほんとう、だ。
「そんなに、こちらに……オレのところに、きたいのか……?」
少しだけ、ヒースの声が震えているような気がしたが、まさかと自分の耳を疑いつつ、ティアは「はい」と頷いた。
そのとたん、ヒースの顔が、変なふうにゆがんだ。
怒りたいのか、泣きたいのか、嘆きたいのか。どれもあてはまるような気がして、でも全然違うような気もして、ティアはまた、首をかしげる。
じっと何も言わずに視線を重ねる続けると、ヒースはもごもごと口元を動かして、顔を大きな手で覆うようにしてそっぽを向いた。
三角の耳が、わずかに寝る。でも尾は、それとは反対に、嬉しそうにふわりと揺れた。
そこで、ようやく気付く。
ヒースさん、笑いたいんだ――
だったら、そんなふうに我慢せず、素直に笑ってくれればいいのに。
その頬をつまんだら、一気に崩れたりしないだろうか。
そうしてやりたいという、わけのわからない衝動に、またしても体が反応しそうになる。余計に、そのそばにいきたいと思ってしまう。だって、どんなふうにヒースがそこから笑うのか気になる。
ぴく、とティアの我慢を伝え、長い耳が跳ねる。
「あ、あの、そっちにいったら――! ……やっぱりだめ、ですよね」
「駄目だ」
間髪入れぬ鋭い声に、ティアはしゅんと耳をさげた。
もっと近くにいけたなら、もっとたくさんのことを知れて、もっと仲良くなれるような気がするのに。そうしたいと思うこの気持ちの意味も、わかりそうなのに。
「あまり困らせないでくれ」
本当にどう対処したらいいのかわからず、途方にくれたような言い方をされて、ティアは唇を尖らせた。そんなつもりないのに。俯いて、ぎゅっとスカートを握り締める。
「君には、そのままでいてほしい。こっちにきたら君が……――いや、なんでもない」
なにか言いかけたヒースが、深く息をついて眉を下げた。
あ、これは本当に困っている。
直感的にそう理解したティアは俯いた。ヒースに嫌われたくはない。
「あの、その……こ、困らせちゃって……ごめんなさい」
「いや、気遣いが不愉快だとかそういっているわけではなくてだな……なんといえばいいのか……」
「!」
ヒースの言葉に、ティアははじかれたように面をあげた。
ちゃんと受け止めましたといわんばかりに、胸元で手を重ね、ティアは眦をさげる。
「じゃあ、心配してもいいんですね?」
「……ぅ、」
ティアの確認に、ヒースが小さく唸り。右……左……と視線をうろつかせたあと、むっつりと腕を組んで頷く。
「まあ、そうなる、な……」
「よかったぁ!」
ほーっとティアは肩から力を抜いた。顔がもっと緩むのがわかる。
そんなティアを遠くから眺め、ヒースが「やれやれ」と言いながら、後頭部を掻く。
「オレも、似たようなことを思っているのだが……そこのところは、わかっているのか?」
「?」
ティアは、思ってもみない言葉に、わずかに驚く。
こういってはなんだが、自分には預言書がある。大精霊たちもいる。ティアをどうこうできるような不埒な輩は、そうそういないだろう。
だが、ヒースはそのことを知らない。ティアも、そのことを伝えるつもりは、いまのところない。だってそうしたら、預言書との出会いから何から、ずーっと話さなければいけなくなる。ヒースとの貴重な時間を多大に消費することになる。
楽しく、面白く、普通の女の子として、ヒースに会いたい。教えることに抵抗はないが、もっとほかのことをきいてほしいし、話してほしい。
どうにも考えが至らぬティアに、しょうがないやつだ、とヒースの瞳がいう。
「ここにくるまで怪我でもしやしないかとか、兵士に見咎められたりしているんじゃないか、とか、転んで怪我でもしていないかとか……いろいろ、な。気づけば、考えてしまうことが多くなった。オレなりに、心配しているんだぞ?」
青灰色の瞳に宿る優しい光に、胸の奥が、ふるりと怯えたように揺れた。急に息が苦しくなる。じんわりと、ティアの全身が火照っていく。
なんだろう。すごく、嬉しいというか、恥ずかしいというか。
自分は大丈夫だとわかっていても、そう改めて言われれば感じるものはあるわけで。
ヒースも、さっきこんな気持ちを抱えていたのだろうか。
「は、はい……! 気をつけ、ます……!」
「ああ、そうしてくれ」
わずかにひっくりかえった声音で紡いだ言葉に、ヒースがわかってくれてよかったと、重々しく頷いた。
「……ふふ」
心配してもらえていることの嬉しさに、どうしようもなくティアの顔が蕩けていく。心が、とろりとした甘さを帯びる。
幼馴染や友人にそうされるのとは、全然違う自分の反応に戸惑いながらも、笑みはこぼれてとまらない。
「えへ、えへへ……」
「なんだ、にやにやして」
「だって、嬉しいんですもん」
「……そうか」
く、とヒースが笑う。口元をおさえ、くつくつと。その顔に、さきほど見え隠れしていた疲労の影はない。
ティアは、緩む頬に指先をあてた。くふくふと笑いを抑えようとするせいで、変な声が漏れる。
さっきのヒースも、もっと笑わせたのならば、自分のようになったのだろうか。
いつかあの表情の、その先のものが見られるといい。
ヒースとの逢瀬に胸を甘く高鳴らせたまま、ティアは二人の間に生まれた空気に酔ってしまったかのように、ぼんやりと意識を霞ませる。
それが、特別な感情からくるものであることには気づかぬまま――――大きな狼と小さな兎の時間は、今日も和やかに過ぎてゆく。
静かに忍び寄る嵐の気配は、いまだ遠い。