お味見はいかが

 麗らかな日、太陽が西に転がり落ち始める頃。
 荘厳で華麗な装飾がふんだんに施された城の片隅。さらさらと零れるような光を通す大きな窓の枠に腰掛けて、ヒースは一息ついていた。
 本国から派遣されている文官との会議を終えたヒースは、強張った肩をほぐし、乗りかかる疲れを落とすように、首を左右に傾ける。ごきりと鈍い音があたりに響いた。
 額にかかった髪をかきあげつつ、考える。
 さて、今日しなければならないものはこれで終わったことだし、ヴァルド皇子の様子でも見にいって、それから帰るとするか……――つらつらと様々なことを脳裏に過ぎらせ、すっかり住み着いてしまった、温かく包み込んでくれるような小さな家と、その家主のことを想いながら視線をあげて。
「ん?」
 謁見室方面からやってきた影に、ヒースは目をとめた。
 それは、今まさにヒースが脳裏に浮かべた、自分の同居人であり、大切な恋人のティアだった。
 いつの間にフランネル城へやってきていたのだろう。そんな予定があるともきいていなかったが。
 だが、幻などではない。両手に抱えた白い箱に配慮してか、やや抑えているものの、平素とは違うその軽やかな足取りにあわせて、赤いコートとスカートの裾がひらひらと揺れている。
 遠くから見ているというのに、その楽しそうというか、あまりにも嬉しそうな様子がありありと伝わってきて、ヒースは思わず噴出しそうになる。
 感情を素直に表に現すティアのことだ。よほどいいことがあったに違いない――ヒースは、窓枠から腰を上げた。
「ティア」
「あ、ヒースさん!」
 名を呼ぶと、ぱっと顔をあげてヒースの方へと振り返り、小走りに駆け寄ってくる。自分を見上げるその輝く瞳と、ほんのり紅に染まる頬の美しさに目を細めながら、ヒースもティアに近づいていく。
 いつもなら、ここでティアはヒースに飛びついてくるのだが、今日はあいにくと手が塞がっている。
 習慣になっていることができないティアは、もぞもぞと何かを我慢するような顔をみせている。その様子に、なんとなく察したヒースは、ティアの頭をぐいと撫でてやった。
 力強い手のひらの動きに髪と頭を揺らしながら、ティアは安堵を交えて微笑む。
「えへへ」
 まるで猫が喉を鳴らすように甘える様子が、なんとも可愛らしい。
「一体どうしたんだ? やけに嬉しそうだが」
「わかりますか?」
「まあな。今にも踊りだしそうにみえたぞ」
「むぅ、そんなことしませんよ」
 わずかに頬を膨らませたティアに、ヒースは声をあげて笑った後、「悪かった」といいながら、その頭をもうひとつ優しく撫でて手を離した。
 ヒースのあまりにも軽いその謝罪に、「ん、もう」と呟きつつ、ティアは諦めの表情で肩から力を抜いた。
「まあまあ、そう怒るな。で?」
 さらりと受け流し、ヒースはティアに問いの答えを促した。
「あ、えっとですね、ドロテア様に呼び出されて――いいことがあったっていうか、いいものをいただいたというか……」
 んー、と小さく首を傾けるティアの言葉に、ヒースは「ふむ」と頷いた。概ね、後生大事に抱えたその箱の中身に関わることなのだろう。
「つまり、それか」
 そう推測したヒースが、ティアの胸元にあるものを指差すと、こくこくと頷いて肯定される。
「みてみますか? すごいんですよ!」
 そう問いかけている割に、すでにティアの手は箱の蓋にかかっている。
 ヒースの返答など、この際関係ないということなのだろう。
「普段お世話になってるからって、くださったんです!」
 黙ってその様子を見守っていると、ティアがまるで宝箱をあける冒険者のように、わくわくとした表情で、ヒースをみつめる。
「じゃーん!」
 ぱか、と蓋が取り除かれる。
 そして、開かれた箱の中身を見たヒースは、目を見開き、「う」と小さく声を漏らした。
 確かな技術をもってして繊細に作り上げられたそれらは、ティアにとっては間違いなく「嬉しいもの」だろう。
 だが、ヒースにとっては「苦手なもの」だった。
 なんともいえず固まってしまった男を包むように、あまい香りがあたりにゆっくりと漂っていった――

 

 ほんの小一時間ほど前、フランネル城内で繰り広げた、そんな出来事を思い出しながら。
 ヒースは、視線を落とす。
 テーブルの上に並べられているものは――生クリームたっぷりのイチゴショートケーキや、チョコレートの塊としか思えないガトーショコラ、果物がふんだんに盛り込まれたロールケーキ、その他焼き菓子等々の――お菓子たち。
 げんなりとした表情を隠すことなく、ヒースは次に恋人である少女をみつめた。
 ヒースとは真逆の感情をもってして、満面の笑みを浮かべるティアは、その小さな口でぱくぱくとケーキを頬張っている。その様子は「幸せそう」という意外に、表現のしようがなかった。
 あのあと、ヒースはヴァルド皇子に挨拶をして、ティアと一緒に家に帰ってきた。
 そして、家に着くなり「早めにお召し上がりください」というカードの指示に従い、ティアはケーキを味わいはじめたのである。
 まあ、単に早く食べたかったに違いない。
 テーブルを挟んで座っているティアが発する空気は、どこか浮かれている。自分といるときとはまた違う種類のその表情も愛らしく、ヒースの心はすこし癒されるが、お菓子独特の匂いが鼻につく。
 不快、というわけではないが、視覚・嗅覚から攻めたてられて、もともと菓子類が苦手なヒースは、口の中が甘ったるくなっていくような気がして、溜まった唾を飲み込み喉を鳴らした。
 ヒースがこの手のものを好まないことを知っているティアが、くすくすと笑いながら首を傾げて言う。
「ヒースさんも、食べますか?」
 そういって差し出されたフォークの上には、淡い黄色いスポンジに白い生クリームがたっぷりとのっている。他愛のない、小さなその意地悪に、ヒースは眉を下げた。
 その様子に、ティアがさらに声を転がす。
「遠慮しなくていいんですよ? たくさんありますから」
 すっかりからかわれてしまっている。むむむ、とヒースは唸った。
 確かに、ティアに食べさせてもらうのは、悪くはないのだが。
「すまん。謹んでご遠慮申し上げる」
 制止するように片手をあげたヒースからの即答に、ティアは「あは、やっぱりそうですよね」といって、また笑った。
 ティアは、差し出したフォークを引き戻し、生クリームをうっとりと眺めた。
「うーん、こんなにおいしそうなのに」
そして、ぱくりとそれを含んで、ティアは感極まったように瞳をきゅうと細めた。
「ふふっ、あまーい!」
「……それがだめなんだ」
 ひじを突いた手に顎を乗せて、ヒースは力なくそう呟いた。
 ふぅ、とため息をついた男の目の前、ぺろっと覗いたティアの小さな赤い舌が蠢く。しかし、可憐な花びらのような唇の端に残ったクリームすべては、上手くすくいきれず、口内へと戻っていく。
 未だ残る柔らかな紅と白のコントラストを、ぼんやりと眺める。
「んん~、おいしー」
 語尾にハートでもついているのではないかというティアの言葉を聴きつつ、ヒースはふと思う。

 ……これならいけそうだな。

 思い立ったら即実行。うだうだ悩むのは性にあわないし、さっきの意地悪へのお返しだ。ヒースは内心笑いながら、口を開いた。
「――そうだな。せっかくだから、味見だけさせてもらおうか」
「え、珍しいですね。ヒースさんがそんなこというの。ええっと、どれにしますか?」
 ティアの視線が、まだいくつもあるお菓子の上を行き来する。だが、ヒースが口にしてもいいと思ったのはそちらじゃない。まだ、その唇と頬の境目に居座っているものがいい。
 ティアは、まだ気付いていないようだが。
「では、遠慮なく。これが一番うまそうだ」
 く、と小さく喉の奥で笑って、ヒースは立ち上がり手を伸ばす。薄い肩を掴むと、ティアが「え?」と目を瞬かせた。
 なにもわかっていない少女にむかって身を乗り出し――ヒースは唇を寄せていく。
 いつものように僅かに目を伏せると、いきなりのことにぎょっとしたティアだったが、それでも恥ずかしそうに睫毛を震わせ目を閉じていく。
 一瞬、その柔らかな唇の感触を思い出し、食らい付きたい気持ちが胸に込み上げるが、持ち前の精神力をもってヒースは当初の目的を手放しはしなかった。
 キスを待つティアの表情を目に焼き付けて。そっと、ティアの唇の端についていた生クリームをなめとる。
 ぴくり、ティアが肩を震わせる。だが、ヒースはそれ以上のことはしない。
 静かに距離をあけて、口付けを待つティアの姿を堪能する。それはなんとも愛らしく、心が満たされていく。ヒースは密やかに微笑んだ。
 こちらのほうが、テーブルの上に並べられたものより、どれだけおいしそうなことか。ティアは、きっと知らない。まあ、そんなことはこの世界で、自分だけが知っていればいいことだ。
 そんなことを考えながら、ヒースは残ったクリームを指先で掬いあげた。
「……?」
 どうもおかしいと思ったらしい少女の眉が下がる。とうとう堪えられず、小さく笑い声を零せば、もっと不思議そうな顔をする。

 ああ――かわいい。かわいくてしかたがない。

 そして、そろりと片目を開いて様子を伺うティアを置き去りにするように、ヒースは身を引く。
 口の中で今さっき拾い上げたものはすでに融けて消えてしまっているけれど、思い出して味わうように舌を動かし、わざとらしく眉を顰めた。
「やはり甘いな……だが、ありがとう。うまかったぞ?」
 なんだかんだいっても、言葉にしたとおりヒースには甘すぎた。じんわりと舌の上で広がるその感覚は、久しく味わっていなかったもの。
 だが、初めてだ。これもいいと思ったのは。
 それは、予想通り……いや、それ以上の表情をティアがみせてくれたから。
 姫には感謝しないといかんな。
 『味見』を楽しんだヒースとは違い、ティアは一瞬ぽかんとしたあと、少しずつ頬を染めていく。
「なっ……なっ……なっ……!」
 フォークを握り締めたまま、真っ赤な顔でぷるぷると震えるティアをあっさりと解放し、ヒースは席に再び座った。
 そして、筋肉のついた逞しい腕を組み、うむうむと頷く。
「だがやはり、酒とチーズ……あとは肉か。そのあたりが、オレの好みだな」
 そういいながら、ヒースは視線をあげる。真正面には、頭のてっぺんまで茹で上がった少女が一人。
「もう少ししたら――今日の礼に、オレの好きな酒の味を教えてやろう。なに、最初は味見からだから、心配するな」
 己の口元を、とんとんと指先でたたきながら、ヒースがにっこりと笑いかけてやると。
 ようやくヒースに意趣返しされたことを理解したティアの目つきが、一瞬にして険しくなった。
 それはティアにとっては精一杯の表情なのだろうけれど、もともと柔らかな面差しをしているのだから、さしたる威力など持ちえようはずもない。
 顎をなでさすり、ヒースがにやにやと笑えば。ティアは涙目のまま、その顔をくしゃりとゆがめた。
「ヒ、ヒ、ヒ……ヒースさんっ! ひどいっ、からかったんですね!!」
 ヒースに甘いものを勧めた自分のことは棚に上げ、乙女の純情をもてあそばれたティアが叫ぶ。
 家中に轟き響くその怒りに、鼓膜を貫かれることのないように。
 大きな手で耳を塞ぎ、やすやすと雷鳴を回避してみせた帝国の将軍は、はじけるように笑った。

 

 その後、すっかりむくれてしまった恋人の機嫌をとるために、ローアンの有名菓子店の限定商品を買う列にヒースは並ぶことになり。
 結果として、「将軍は甘いもの好き」という、事実とはまったく違う噂が立ち。
 ドロテア王女に仲間認定されたあげく、皇子からホールケーキを賜る羽目になり。
 ヒースの顔がひきつり青ざめるのは、そう遠くない未来のお話。