結婚しようよ

 占い横丁でもっとも実力があるとされ、その的中率に恐れ慄かれる魔女ナナイの館は、普段はよほどのことがなければ誰も寄り付かず、静かなものだ。
 しかし、うららかな陽射し心地よい本日、明るく澄んだ笑い声が館から漏れ出していた。

 

 占い用の道具や魔術に用いる素材が積み上げられ、いかにも魔女が住んでいますといった風情の我が家が、こんな柔らかな空気に満たされるなんて思いもしなかったとナナイは心の内で呟いた。
 目の前には、ナナイがいれたお茶を手にティアがにこにこと笑っている。
 彼女は他愛もない日常生活での出来事や、預言書を携えていった先々での冒険談を、いろいろと楽しく話して聞かせてくれる。
 だから、ナナイも同じようにおしゃべりに興じる。この街ではじめてといっても過言ではない気の置けない大切な友人と、穏やかな時間を過ごしながら歳相応に笑顔を交えて語り合う。
 魔女と蔑むような言葉も怯えるような眼差しも気に留めず、孤独な一人暮らしに慣れているナナイではあるが、こんな会話をするのはやはり楽しい。
 そんな風に、きゃっきゃと街の噂話に花を咲かせていると、勢いよく扉が開かれた。
 吹き込んだ爽やかな風が、二人の頬を撫でて室内を空気を塗り替える。
「え?」
 驚いて振り向くと、入り口に誰かが立っている。逆光を背にその人物は一切の迷いなく館へと足を踏み入れ、一直線に二人に向かってくる。
「「アンワール?」」
 ナナイのいぶかしげな声と、ティアの喜びの声が重なる。ティアは会えたのが嬉しいのか、輝くような笑顔で手を振っている。
「どうしたの、急に。何か用?」
 ナナイの問いかけに答えることなく、アンワールはつかつかとティアによってくる。
 ああ、恋人しかみえていないのね。
 そう思いつつお茶に口をつけたナナイの目の前で、アンワールはそっとティアの手を取り、言った。

「ティア、結婚しよう」

 ナナイは危うくお茶を噴出しかけた。
 咳き込みながら、何を言っているのかと慌ててアンワールをみてみるが、本人はいたって本気で言っているらしく真面目な顔でティアをみつめている。というか、アンワールは何事にも常に本気だ。
 対して、いきなりプロポーズを受けたティアはきょとんとしている。
 それはそうだろう。いくら恋人とはいえ、なんの前置きもなく結婚の申し込みをされても困るに決まって――
「うん、いいよ!」
「早っ!」
 何も迷うことなく微笑んで了承するティアに、ナナイは今度こそ突っ込みをいれた。
「ちょ、ちょっとアンワール! あなた誰に何をいわれたの!?」
 何か吹き込まれたに違いない。そう判断したナナイの問いに、ようやく振り向いたアンワールが応える。ちなみに、ティアの手は握ったままだ。
「街の北東にある家の爺さんに、恋人になったのなら次は結婚だ、といわれた」
 ビスか、ビスなのか。っていうか、こんなことをいう人物などやつしかいない。
 ヘーイ! というやけに明るい声が聞こえた気がした。
「……えっと、意味はわかって言っているのね?」
 ナナイの問いに、当たり前だといわんばかりにアンワールは頷いた。
「ずっと一緒にいることを皆の前で誓うのだろう?」
「……あー、うん、あってるっていえばあってるんだけど」
 もうちょっとこう、結婚に対する重みとか責任とか、二人の将来像とかそういったものをもつべきだ。
 だが、ティアのこととなると盲目的に突っ走るアンワールに、なんといったらいいものか。ヘタなことをいうと、またとんでもない方向へと飛んでいくに違いない。その習性を巧みに利用し焚きつけたビスを呪ってやりたい気分に陥りつつ、ナナイは綺麗に手入れしている指先をこめかみに当てた。
「あ!」
 口ごもるナナイをよそに、ティアが何か思い出したように声をあげる。
 そして、眉を下げ申し訳なさそうにアンワールを覗き込む。
「あのね、アンワール。プロポーズ、すごく嬉しいんだけど……。ごめんね、私たちまだ結婚できないんだよ」
「!」
 ティアの言葉に、アンワールがぴたっと動きを止めた。
 やがて、ゆっくりとその意味を噛み締め理解したのか、しょんぼりとした様子でティアに向き直る。
「……なぜだ。ティアは、オレと結婚したくないのか……?」
 焦ったような、困ったような――いうなら、大好きなご主人に置いてけぼりをくらった子犬のような眼差しで、アンワールは問いかける。
 そんな恋人を安心させるように、ティアが微笑む。
「ううん、したいよ? でもね、この国だともうちょっと大人にならないとできないことになってるんだよ」
 ぎゅ、と両手を握り締めあい視線をしっかりと重ね語り合う二人を眺めながら、ナナイも「ああ、そうか」と思う。結婚というものをあまり気にしたことがなかったから、忘れていた。
 ローアンに住み着いて数年経つナナイでさえこうなのだから、砂漠の民であるアンワールが知っているはずもない。
 不思議そうな色がアンワールの瞳に浮かぶ。
「大人とはどういうことだ?」
「えーっと、私はあと1年くらいで、アンワールだと3年くらい歳をとらないといけないの。そうしたら、結婚してもいいよって、大人だよって認めてもらえるんだよ」
 このカレイラ王国では、女子は満16歳、男子は満18歳にならねば婚姻はできないと法で定められているのだ。
 ちなみに、砂漠ではアンワールぐらいの年の頃ならすでに婚姻関係を結んでいるものも珍しくない。
「3年も待てというのか……」
 不愉快そうに眉をひそめ、アンワールは再度ティアに訊く。
「誰が決めたんだ、そんなこと」
「えーっと……国のえらいひと? 王様?」
 ぱっと思いつかなかったのか、ティアは法律を定める人=国の偉い人という安直な考えのもと、なんとも曖昧な答えを返した。
「……そうか、いってくる」
 殺気を纏いながらゆらりと去ろうとするアンワールに、ぎょっとナナイは目を見開いた。椅子を倒すような勢いで立つと、机を叩いて注意を引く。
「こらこら! 剣握り締めてどこ行くの!」
「城だ」
 引き止められて、僅かに眉をひそめたアンワールが冷たい目をしてそうのたまう。このままいかせるのは危険だと、ナナイの脳裏に警鐘が鳴り響く。
 大剣を手に、『結婚のことを決めたえらい人というのはどこにいる?』そういって城の兵士を睨みつけるアンワールがみえる。
 占い師としての力がみせる近未来の映像ではなく、アンワールの性質を知っているからこそ容易に想像できる未来に、ナナイはため息をついた。
 そんな事態になるなど思いつきはしないのか、ティアが笑って手を振る。
「そうなの? いってらっしゃい」
「止めなさいよ! ティア!」
 にこやかに見送ろうとするティアにナナイは叫んだ。
 テーブルをもう一度叩き、なんで? と首を傾げるティアの頭越しに、じっとアンワールの目をみつめる。
「いいからとりあえず座って。せっかく来たんだし、お茶でも飲んでいきなさい。今、淹れるから」
「……」
 ちょうど空になっていた自分とティアのカップを手にしつつそういうと、渋々といった様子だが、アンワールは席についた。ちゃっかりティアの隣の椅子に腰掛けた彼に、ティアがお茶請けのお菓子をすすめている。
 意外に甘い物好きのアンワールが、差し出されたクッキーに手を伸ばし頬張るのを横目で確認しつつ、ナナイはちょっとほっとした。飛び出して何をしでかすのか楽しみでもあるが、砂漠の民の評判がこれ以上悪くなっても困る。
 しょうがない子達だと苦笑いしつつ、お茶を淹れる。気持ちを落ち着かせる効能がある茶葉を選び、三人分用意する。
 色と香りがもっともよい頃合になるまで待ちながら、ナナイは豊かな赤髪を手でかきあげた。
 アンワールは砂漠の知識はあるが、このカレイラ王国のことはあまり知らない。まあ、たとえあったとしても、それを活用するための経験値が足りない。
 砂漠の魔女のもとで、人とのかかわりがほとんどもつことがなかった彼のことだ。それはそれで仕方ないのかもしれない。
 しかも、恋した相手が普通の子ならいろいろと教えてもらうこともあったろうが、天然まっしぐらでアンワールと同じように純粋なティアのことだ。正直、あまりあてにならない。
 お似合いだけれど、ちょっと不安を感じる二人をこれからどうやって導いていくべきか。
 年長者として、友人として、頭が痛い。ほうっておいてもいいのだが、やはり心配だ。それに。
 香りよい湯気を吸い込み、振り返る。カップをトレイに乗せつつ思う。
 楽しそうに微笑みあい語り合うあの二人は、このお茶よりもナナイに安らぎを与えてくれる。それはとても心地よくて、愛おしいものだ。
 ならば、こんなにも大切な子達が大きな騒ぎを起こさぬように。アンワールの暴走に注意を払い、それを助長するようなティアの天然ぶりがもたらす行動を少しずつ軌道修正していこう。
 人の話に必ず耳を傾けてくれるいい子たちなのだから、大丈夫だろう。
 うんうん、とそう自分を納得させて、ナナイは二人の待つテーブルへ向かう。
「はい、どうぞ。熱いわよ」
 そんな風に思われているなど考えもしないだろう。ティアとアンワールは素直にお茶を受け取る。
「ありがとう!」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
 ティアの前に腰掛けてナナイが礼の言葉に微笑むと、ほんのりとアンワールも笑ってくれた。それをみて、ティアが一層笑みを深くする。
 二人一緒にいることで、こんな風にいい影響だってちゃんとある。ティアのおかげで昔のように、アンワールが感情のままに様々な表情を浮かべる日も近いだろう。
「ねえ、ナナイもきてくれるでしょ?」
 砂塵の向こうに霞む故郷での遠い記憶に浸っていたナナイを、ティアが現実へと引き戻す。はっとして、慌てて取り繕うように笑う。
「あら、ごめんなさい。聞いていなかったわ。何のお話?」
「私たちの結婚式だよ。まだずっと先になるけど」
 その話続いてたの?!
 しかし、そう思うと同時にそれをかき消すほどの嬉しさをナナイは感じた。目を見開いてティアを凝視する。
「……私が、いってもいいの?」
「?」
 魔女である自分が祝福などしにいってもいいのかとの意味合いをこめた言葉に、ティアはわずかに首を傾げたが、そのあとすぐ笑顔で頷く。
「もちろんだよ! ね、アンワール」
「ああ」
 当たり前のように受け入れてくれる二人に、ナナイは満面の笑みを浮かべた。
「……そう。ありがとう。その日がきたら、めいっぱいお祝いさせてもらうわね」
 色よい返事に、ティアは嬉しそうに隣のアンワールに笑いかけ、それをみた少年の口元がわずかに弧を描く。
 二人を中心にして満ちてゆく和やかな空気は、魔女の館にはふさわしいものとはいえないだろう。
 だけど、まあ……たまには、こんな日があってもいいわよね。
 あれこれと結婚のことを語る少年少女たちは、可愛らしくて微笑ましい。幼さが紡ぐ夢は美しいが儚い。
 だけど、この二人なら大丈夫だろう。向かう方向さえ間違えなければ!
 机に肘をつき、手のひらに頬を預けたナナイはゆっくりと瞳を閉じる。そして闇の中、ちらちらと星が瞬くような未来を視る。

 その幸せな光景は、はたして――

 

 

 

「あ、でも、結婚年齢は王様でもどうにもできないと思うから、城にいくのはやめなさいね? ティアに迷惑かけたくはないでしょ?」
「……」
「え、なあに、どういうこと?」