カレイラの首都、ローアンに雪が降る。
「……」
ナナイは裏通りに足を踏み入れたことを後悔した。
占い横丁の自分の家へと帰るのに、レクスという少年がつくった近道を利用しようと思ったのが、まずかったようだ。
ナナイの深く美しい緑の視線の先に、一組の少年少女がいる。
カレイラの英雄にして、預言書の担い手、そしてナナイが一方ならぬ恩を感じている少女ティアと。
その彼女の恋人にして、砂漠の魔女オオリのもとでともに暮らしたこともある少年のアンワール。ティアとかかわることで生来の清らかな心を取り戻した彼に、ナナイは救われたような気持ちになったものだ。
そんな二人だから、魔女と忌み嫌われるナナイでも、なんの気負いもなくちょっと挨拶してその横を通り過ぎることがいつもならばできるのに。今日は無理かもしれなかった。
思わず見間違えではないかと、じっとティアを見つめる。何度長い睫を上下させても、その手にあるものは変わりはしなかった。
猫の耳。
そうとしかいいようがないアクセサリーを手にして、にっこにっこと微笑むティアの顔をアンワールはじっとみつめている。
立ち去るべきかナナイが逡巡したその合間に、二人は会話をはじめた。
「これを……オレに?」
こくこくとティアは頷く。
やはりプレゼントのようだ。男の子に猫耳を渡すその度胸を褒めればいいのか、呆れればいいのか。
幾度か同じような光景をみたことはあるのだが、いつもはもっとましなものを渡していたような気がする。
「ありが、とう……」
戸惑いつつもアンワールはそれを受け取った。
どうすればいいのだろう。
そんな少年の心の声が聞こえてくるようで、ナナイは思わず額に手を当てた。
「アンワールにね、絶対似合うと思うんだ! つけてみて? ね?」
「そう、か? ティアが、そういうなら」
きゅ、と少年の手を握り締め満面の笑みを浮かべるティアは天使のようだが、いっていることは悪魔の囁きだ。問題は、彼女にこれっぽっちも悪意がないということだ。たちが悪いとはこういうことをいうのだろう。
幼い頃そのままの純粋な心をもつアンワールは、それをとり戻すきっかけとなったティアを心から慕っているせいか、その言葉に疑いをもつということを知らない。他人対してはそうでもなく、ナナイに対してもそれなりの警戒心も持っているようなのに、どうしてティアにだけはその守りも甘くなるのだろう。
「惚れた弱みっていうのかしらね」
なんとなく、微笑ましく思いつつ苦笑いするナナイの目の前で。
アンワールはいつも巻いている頭のバンダナをはずし、それを身につけた。
「これでいいのか」
ちょい、と耳をひっぱって具合を確かめるアンワールに、ティアは歓声をあげた。
「うん! わぁ、やっぱり似合うよ! 嬉しいな、これでおそろいだよ、アンワール!」
「おそろい?」
「私とアンワールが一緒ってことだよ」
そういって、ごそごそと取り出した猫耳をティアは身に着けた。
もうひとつあったの……!?
用意万端なティアに衝撃を受けるナナイの視界の中、アンワールがぱっと顔を輝かせた。
「そ、そうか、オレはティアと一緒か……!」
そこはうっとりするところではないと思う。
いくら心の内で突っ込んだところで、本人たちに聞こえなければ意味はない。
「ちょ、ちょっとあなたたち?」
関わるのはまずいような気もしたが、放っておくこともできない。もともと面倒見のいいナナイは、火中の栗を拾いにいく覚悟で声をかけた。
「あ、ナナイ。こんにちは」
ぺこり、と礼儀正しく頭をさげるティアと、目線だけで挨拶してくるアンワール。
「ええ、こんにちは。って、そうじゃなくて……」
猫耳のせいもあってか、人懐っこい子猫とそうでない子猫を相手にしているような気分になってくる。一瞬、ほんわかとした気分にとらわれたナナイは、ぱたぱたと手を振ってそれを振り払った。
「その、ちょっと話を聞かせてもらってたんだけど。ええっと、同じものをもっていると確かに恋人って感じするけど……。それは、ちょっとその、どうなの……?」
「これ?」
ティアが自分の猫耳を指差した。こくり、とナナイが頷くと、ティアが目を伏せて俯いた。子猫が怯え震えるようなその仕草に、うっとナナイは息をつまらせる。
正当なことをいっているつもりなのに、まるでこちらが悪いことをしたような気分になる。
「……アンワールに、似合ってない?」
ぽそっと零されたティアの力ない声に、アンワールが殺気立つ。
「……ティアがくれたものが、似合わないとでもいうのか」
がっし、と背負った大剣の柄を握り締めるアンワールに、ナナイは血の気が引いた。毛を逆立てて怒るようなその様子に、慌てて言い繕う。
「いえ、あのね。ものすごく似合っているわよ、うん。でもね、こういうときの定番は指輪とかじゃないのかなって思っただけなの。だって、恋人同士なんでしょう、あなたたち」
「指輪かぁ……」
ナナイの言葉に、ティアはうーんと悩みだす。ぶつぶつと、そういえば指輪ってスキャンしたことないなぁ、などといっている。
眉を下げて首をひねるティアを見かねたのか、その白い柔らかな手をとってアンワールが優しい笑みを浮かべた。
「ティア。それは今度オレが贈ろう。おまえにふさわしいものを必ず用意する。必ずだ」
「アンワール……!」
元気付けるようなアンワールの言葉に、ティアは感極まったように目を潤ませた。そしてそのまま、ティアとアンワールはじっと見詰め合う。互いしかみえてない。
見ているほうが恥ずかしい光景に、ナナイは魂さえも吐き出すようなため息をついた。
「いや、うん……あなたたちは、それでいいような気がしてきたわ……」
「そうなの?」
「そうか?」
ナナイをみあげ、同じ方向にそろって小さく首を傾げる二人に、ナナイはもうこれ以上何かいう気力がなくなった。
そうよ、と適当に相槌をうつと二人はよかったといわんばかりに笑いあう。
なによ、この可愛さ……。
くらくらと感じる眩暈はこの状況に対するものか。若干のうらやましさか。可愛さに当てられたのか。もうよくわからない。
ナナイの意識が遠くに行きかけたころ、ティアがふと思い出したように鞄から小さな包みを取り出した。
「そうだ、クッキーもってきたんだよ。アンワール、一緒にたべよう」
「ああ、いただこう」
「じゃあ、中央公園にいこう。日向ぼっこしながら食べたらきっとおいしいよ」
手を握り合ったまま軽い足取りで公園に行こうとする二人を呆然と眺めていると、ティアがあたりまえのようにナナイに手にした包みを差し出した。
「これナナイのぶんだよ」
「ありがとう……。いってらっしゃい……」
クッキーを包み分けた可愛らしい袋を受け取って、ナナイは二人を見送る。
手を繋いで歩く二人の頭には猫の耳。これで尻尾があったら完璧だ。
ああ、子猫が仲良くじゃれあいながら去っていく。
「ま、幸せならそれでいいのよね……」
乾いた笑いを浮かべ、ナナイは自宅に帰るべく柵の向こうに身を投げ出した。
その後。
カレイラの英雄とその恋人の幸せそうな姿をみたローアンのカップルの間で、猫耳を贈り合うのが流行。
独り身であるナナイは、そんな彼らを見るたび、猫耳を身につけた者たちからの占いの依頼を受けるたび、「あの時もっと強く止めればよかった」そう、思うのだった。