約束の時間までは少し早かったかもしれない。
 でも、一瞬でもはやく会いたい。一時でも長くそばにいたい。
 そんな恋心が、ティアを時間よりはやく行動させていた。
 とんとん、と軽やかに中央公園からの階段をのぼりきり、いつも彼がいる場所へと視線をやって、ティアはぴたりと動きを止めた。
 綺麗な人。
 ぼんやり、とティアはそんなことを思う。
 中央公園から続く道の先にある立派な城門の前、それは見慣れた景色のはずなのに、なんだか別世界のようだった。
 ティアの視線の先には、ふたつの人影がある。
 一方は、出るところはでて引っ込むべきところが引っ込んだ、いわゆる豊満な体をした女性。身に纏う服装から、城で働いている小間使いの一人だと思われた。
 そして、こちらが問題だ。
 見上げてくる女性をどこか困ったように見下ろしているのは帝国のヒース将軍。無実の罪で一緒に投獄されたり、そこからの脱獄や、倒れた際の介抱、素手の奥義伝授などなど、数え上げればきりがないほどの恩を受けた人。そして、今現在はティアの恋人でもある。
 背が高く逞しい体躯のヒースと、すらりと優雅に立つ女性は、並んで立っているだけなのにとてもお似合いにみえる。
 ころころと女性が品よく、それでいて色気を含んだ所作で笑う。それをみて、ヒースはどこか照れたように頭をかいて、笑った。
 そして、ヒースは手を差し出した。
 女性がまた笑って、綺麗な指をそえてその上に何かを乗せる。
 整えられた指先が離れる。ヒースの手が大きいせいか、それはやけに小さく見えた。綺麗に包装された箱にかけられた、赤いリボンが鮮やかだった。
 どうみても、女性からヒースへのプレゼント。
 こんなこともありえるということを、ティアはこれまで考えたことがなかった。
 自分以外も、ヒースに喜んで欲しいと思う者だっているだろう。そして、好きになっている人だっているだろう。あんなにも優しく強い人なのだから、心惹かれる人がいるに違いない。
 胸がきゅう、と締め付けられる。どこかにいってしまいそうな心を圧し留めるように、ティアは自分の胸元を押えた。
 そして、すべてを目にしたティアは、くるりときびすをかえして来た道を引き返す。
 なんだか、妙な気分だ。
 お似合いの二人に嫉妬したのか。自分以外からプレゼント受け取ったのが悔しいのか。自分の存在に気付いてもらえなかったことに腹が立つのか。
 どれも違うような気もするし、どれも当てはまるような気もする。
 街の商店のショーウインドウに自分の姿を映し、ティアは思う。
 低い背、細い手足、肉のない身体、子供らしい大きな眼。ふっくらとした曲線の顔。ヒースと並ぶと歳の離れた兄弟のように見えるだろう。大人の女性とはあまりにも違う。
 自分はまだまだ幼いという事実がもどかしい。
「はやく、大人になりたいな……」
 ぽつりと呟くと、ガラスに映った顔がせつなそうにゆがんだ。
 そうすれば、ヒースの傍らにあるに相応しい女性になれるかもしれない。
 そうしたら、ヒースをみてこんな気持ちになることもないに違いない。
 彼の隣にいるためには、どうしたらいいんだろう。

 ねえ。いつになったら、私はあなたにふさわしくなれる?

 ティアは、出口の見えない思考の迷路に入り込んだまま、とぼとぼと我が家への道を辿っていった。

 帰ってきた家で、どのくらいの間ティアはぼーっとしていたのか定かな記憶がない。
 脳裏をよぎるのはあの二人の親密そうな光景だ。思い出すだけで、ティアはなんだか泣きたい気分になる。
 机上の預言書はヒースのページが開かれている。それを見下ろして、ティアはくすんと鼻を鳴らした。
「おい、ティア? 大丈夫か? どこか痛いのか?」
 いつになく元気のない様子に、レンポが心配そうにその周囲を飛び回りながら声をかけてくる。
「ううん、へーき……」
「とてもそんな風にはみえないのですが」
 ウルがそっとティアの髪を労わるように撫でる。その感触に、ティアはわずかに目を伏せた。
 そんなティアの顔を覗きこみ、眉を下げたミエリが心配そうに問いかける。
「どうして帰ってきちゃったの?」
「邪魔しちゃ悪いと思って……」
 ティアのいうことももっともだ。確かにあの雰囲気では、割ってはいるのは勇気がいるかもしれない。
「でも、約束していたんじゃ、ないの……?」
「あ……!」
 ネアキの言葉に、がばっとティアは顔をあげた。
 しまったと口元に手を当てて、目を見開いている。
 がたーんと椅子を跳ね飛ばして、ティアは立ち上がる。
「うわ、なんだよ急に!」
 さきほどまでの意気消沈した様子からは考えられないような勢いのよさに、レンポが驚いて声をあげた。
 ティアは青くなったり赤くなったりと忙しく顔色を変え、おろおろと精霊たちを見回す。
「ど、ど、ど、どうしよう! 忘れてた……!」
「「「「……」」」」
 重症だ。
 精霊全員の心がいまひとつになった。
「めずらしいですね、ティアが人との約束を忘れるなど」
「あ、うん……ちょっと、その」
 ウルの言葉にはっきりとこたえられないまま、ティアは上着を手に取った。それほどショックだったんです、と言葉にするのはちょっと憚られる。
 だが確かにあんな光景を目にしたとはいえ、ヒースとの約束をすっぽかすなんてどうかしている。
 恥ずかしいやら情けないやら申し訳ないやらで、またもや思考を混乱させながらティアは扉に向かう。よほど慌てているのか、預言書はそのままだ。
「とりあえず、いかないと! ――ひゃっ?!」
 ぱたぱたと駆け寄った扉のノブに手を伸ばし、慣れた重さの木の扉を開け放つ。と、目の前に立ちはだかった大きな影にぶつかりそうになって、ティアは小さく声をあげた。
「おっと!」
 急に飛び出してこようとしたティアに、家の前にいた人物も同様に驚いている。
「!」
 聞きなれた声に、ティアは扉を全開にしたまま固まった。
 なんで、どうして。
 そんなことばかり、ぐるぐると頭の中を駆け巡る。
 今まさにノックをしようとしていたらしい手を伸ばしたまま、目を見開いていたヒースが、ティアを見下ろして、ほっとしたように笑う。
「よう、やっぱり家にいたか」
 にかっと人好きのするその笑顔と声に、ティアの思考が沸騰した。光が瞬くように、ティアの脳裏に昼間の光景が過ぎる。
 そして。

 バン!

 大きな音をたてて、開けたときよりもっと素早く激しく、ティアは扉を閉めた。
「おい!?」
「ちょ、ちょっとティア?」
 そんなティアの行動に対し、レンポとミエリがぎょっと目を剥いた。
 きっとヒースはもっと驚いているだろうが、扉の向こうの様子は伺えない。
 ノブをしっかりと掴んだまま、ずるりとティアは座り込む。真っ赤な顔で今にも泣き出しそうなティアを見て、精霊たちはただ、おろおろとする。
「ティア、ヒース将軍がきてくれたのではないですか?」
「だいじょうぶ……?」
 ウルとネアキの言葉にも、ティアは力なく頭を振るしかできない。
「おい、ティア!? どうした!?」
「な、なんでもないの……!」
 少々力強すぎるノックとヒースの珍しく上擦った声に、ティアは叫ぶようにして答えた。
 だって、今は顔を合わせることができない。城門まで行く間に心の準備を整えようと思っていたのに、こんなのはあんまりだ。
「ティア、ここを開けてくれ」
「無理だよ……開けられないよ……だって……」
「ゆっくりでいいから、ノブから手を離すんだ。それだけでいい」
 ぎゅ、とノブを握り締めるティアに落ち着いたヒースの声が届く。諭すように、促すように、ティアに言い聞かせてくる。
 石のように固まった指をのろのろと外すと、ゆっくりと向こう側からノブが回され扉は開かれた。
 座り込んだままのティアのただならぬ様子に、一瞬だけぎょっとしたヒースではあったが、床に膝をつき視線をあわせて微笑んだ。
「どうした? なぜ泣いている?」
 ほろほろといつの間にか涙を零していたティアは、ヒースの言葉にくしゃりと顔をゆがめた。
「う~っ、っく、ふぇ……ひっく……」
 いろんなことがありすぎて感情の堰が壊れてしまったのか、ティアはぐちゃぐちゃの心をもてあまして声をあげた。
 言葉にすることもできないそんな様子に呆れることもなく、ヒースはひょいとティアを抱き上げる。
 その力強い腕と温かさに安堵して、ヒースの首にしっかりと腕をまわしてティアはさらにしゃくりあげた。
「すまんが、お前たちの主をちょっと借りるぞ」
 ヒースは精霊たちの向こうにある預言書に視線を送り、ティアを家から連れ出す。皆近くにいるのだが、認識できないヒースにはそちらを向くしかなかったのだろう。
 そして、再度扉は閉められて。
 二人はいずこかへと去っていった。
 何か言う間も、何かする間もなかった一連の出来事に、精霊たちは顔を見合わせる。
「大丈夫か、あれ?」
「う~ん、大丈夫じゃないかな」
「その根拠は?」
 レンポの言葉に、ミエリはのんきに笑う。ぱたぱたと小さな羽根を動かして預言書のもとへと戻る彼女に続きながら、ウルが問う。
「ティアが将軍のこと大好きで、将軍もティアのこと大好きだから?」
「なんだそりゃ!」
 ん~、と細い指を顎にあてて首を傾げたミエリの応えに、レンポは呆れた声をだした。
「レンポにはわかんないかもねー」
「ねー……」
 うんうん、とミエリとネアキが頷きあう。
「どうせオレにはわかんねぇよ」
 女二人の口調と仕草に、レンポはもはや理解することをあきらめたらしく、唇を尖らせぶつぶつ言いながら預言書へと戻っていった。
 残り三人がその後を追いながら口を開く。
「つまり人の恋には口を挟まず、本人同士にまかせるのが最良の結果を生む、ということですね」
「うんうん! そんな感じ!」
「きてくれた、から。きっと……大丈夫」
 そうして彼らが姿を消した後、ぱらぱらとページはひとりでにめくられて、重い表紙は静かに閉じられた。

「おお、さすがにいい景色だな」
 ヒースの言葉と、髪をくすぐり吹き抜けた風の心地よさに、泣くことにも一息ついたティアは顔をあげる。
 みはるかす先にはフランネル城とローアンの街並み、青い稜線を描く山々に深い森の緑。傾き始めた太陽がゆく空は青く、雲ひとつない。
 かつて預言書を手にした陽だまりの丘の上、お気に入りの景色を前にティアは穏やかな息をついた。
「どうだ? すこし落ち着いたか?」
 街の入り口からここまでティアを抱き上げたままつれてきたヒースは、まったく疲れも感じさせずに笑った。
 ティアが小さく頷くと、ヒースがその頬をひとつ撫でる。
「そうか」
 愛しげな色を隠さぬままに見つめてくるヒースの視線がくすぐったくて、ティアは居心地悪そうにわずかにもがいた。
「あの、おろして……?」
「ん、ああ」
 ティアの言葉に、ヒースはあっさりと解放してくれる。
「まあ、ちょっと座れ」
「うん」
 離されたと思ったら、今度はヒースの隣に座るよう促される。
 二人で大地に腰を下ろして、風に吹かれる。妙に緊張してしまったティアは、ヒースをまともにみることができない。
 ぎゅ、とスカートを握り締めてティアは俯いたまま口を開いた。
「今日は、ごめんなさい」
「それは、約束を破ったことか? それともオレをみていきなり泣いたことか?」
 対して、ヒースはティアから視線を逸らさない。じっとみつめられてティアはますます小さくなる。
「……両方」
 ヒースにしてみたらわけがわからないに違いない。恋人に待ちぼうけをくらい、会いにこれば目の前で扉が閉められた。そうした事実だけを並べるとティアが悪いようにしかみえない。
「あの、どうして私の家の前に?」
「時間をすぎても君がこなかったからだ」
 どれだけ、あの場所で待っていてくれたのだろう。その時間を思うと、ティアは消えてしまいたい気分になる。
「君が約束を破るなんてことはありえないし、たとえそうだとしても、何らかの理由が必ずあるはずだ」
 ヒースからの信頼の深さを表す言葉に、ティアは身体を震わせた。
 そんな風に思っていてくれるなんて考えたことがなかった。
「もしかしたら具合でも悪いんじゃないかと、心配になってな。まあ、ちょっと想像とは違ってはいたが、なにかあったのには間違いないんだろう? 一体どうしたんだ?」
 う、とティアは言葉に詰まる。昼すぎにみた光景をしゃべってもいいものか。もし、みたままに語って、それに感じたままを言葉にしたらヒースに嫌われやしないだろうか。
 ぐるぐるとそんなことを思いつつ、ちらりとヒースを見る。
 深い色の瞳はひたすら優しくて、すべて受け止めてくれそうな気がした。
「……あのね、その。実はね……」

 意を決し、ティアが城門の前でのことを話すと、ヒースの表情があからさまに変わった。

「あー、あれか」
 まいった、というようにヒースは首筋に手を当てて笑った。
「誤解させたか」
「……」
 誤解もなにもない。ティアはみたままを語っただけだ。
 なんだか、ヒースの余裕のある態度にさえも腹が立ってくるようだ。
「別にオレと彼女はなんでもないぞ?」
「でも、すごく仲良さそうだったし……。すごく、綺麗な人だったし」
 自分とは違って。
 そう飛び出しかけた言葉を飲み込む。もやもやした心を抱えて、口をつぐんだティアにヒースは笑った。
「なんというか……不謹慎だか嬉しいものだな。君が嫉妬してくれるとは、思わなかった」
「ち、違うもん!」
 自分の混沌とした感情を嫉妬と名づけられたことに、ティアが慌てて否定しながらヒースを見ると、やけに嬉しそうな顔にでくわした。
「違うのか?」
「う~……」
 にやりと笑われ、それ以上何も言うことができずに黙り込むティアに小さくひとつ笑って、ヒースは何かを取り出した。
「だが、みっともないところをみられたな」
「?」
 それはどういうことかと目を瞬かせたティアの目の前に、ずいっと差し出されたもの。
「これ……」
 それは、ティアがみたあの小箱だった。赤いリボンも同じ。
 だがこれは、女性からのプレゼントではなかったか。
 差し出された箱とヒースの顔を交互に見比べていると、それはティアの膝の上にそっと置かれた。
「あの、これ、ヒース将軍があの人からもらったものじゃ?」
「いや、これはもともと君のものだ」
 わけがわからず、どうしたらいいのかもわからずティアは戸惑う。だが、開けてみるように促されて、ティアはおぼつかない手つきで包みを丁寧に剥がし、出てきた小箱の蓋を開けた。
「わぁ……!」
 詰め込まれた美しい色彩に、ティアは目を輝かせた。
 中に入っていたのは、色とりどりのリボンだった。細かなレースがついたものや、艶やかな表面のもの、しっとりした手触りのもの、さまざまなものが溢れんばかりに納められている。
「いつも君からもらってばかりいるだろう? だから、今度はオレから君に何かプレゼントしたいと思ってな。しかし、オレはあいにくとそういったことには疎い。だから、ドロテア王女から詳しそうな人物を紹介してもらった」
 それがあの小間使いの女性なのだとヒースはティアに語る。
「君はいつもリボンを髪に結んでいるからな。これなら普段でも使ってくれるだろう?」
 今日も、ティアの髪につけられた赤いリボンに、ヒースは視線を送った。
「選ぶのに四苦八苦したあげくに、店でかけてもらった包みのリボンがほどけてしまって、彼女に結びなおしてもらったりもしてな……。迷惑をかけたと思う」
 しみじみとしたヒースの言葉に、ティアは息を飲む。
「じゃあ、あれは」
 ヒースへのプレゼントじゃなくて、リボンを結びなおした箱を渡しただけ?
「わかってもらえたか?」
 かーっと、ティアの身体に火がついた。
 勝手に誤解して、勝手に嫉妬して、勝手に約束をすっぽかした挙句、勝手に泣き出した今日の自分があまりにも恥ずかしい。
 ヒースがとなりにいなかったら、顔を覆って大地の上を転がっていたところだ。
「すまなかったな。驚かせようとしたのが、まずかったか」
 ふるふると頭を振って、ティアはプレゼントの箱を抱きしめた。
「あ、ありがとう……! すごく、嬉しい」
 真っ赤な顔のまま、ひどく幸せそうな笑みを浮かべるティアに、ヒースは満足げに笑った。
「ごめんなさい、私、ひどいことしちゃって、あの……」
「いいや、構わない。君がそんな風に思うほど、オレのことを想っていてくれるということだろう?」
 何も気にしていないとヒースは言う。
 ためらうことなく伸ばされた指先が、ティアの頬を掠めて髪を梳いていく。
「オレとて、君が同い年くらいの少年と一緒にいるのをみると、不安になる」
 どこか弱弱しい色を含んだ声に、ティアは目を瞬かせた。
 いつも堂々としていて、帝国の将軍然としたヒースからの思ってもみなかった告白に聞き入る。
「本当にオレでいいのかと思う。君を守りたいというこの心に偽りはない。だが、君の幸せを考えたとき、もっと他に君が幸せになる道があるのではないかと、考える。こんな風に君に誤解されたしな」
 思った以上に、歳の差というのは互いの不安材料になっていたらしい。
 ティアの頬に手の平をあてて、ヒースは笑う。
「しかし、それでもオレは君と一緒にいたい。オレといることが幸せなのだといってほしい」
 ヒースが身を乗り出す。滑らかに近づかれて、ティアは自然と瞳を閉じる。
 二度、三度と重ねるだけの口付けを落とされて、ティアはくすぐったさに睫を震わせた。
「なあ、ティア。君は今、幸せか?」
 はなれていくぬくもりを追いかけるように、ゆっくりと視界をあけるとヒースが問いかけてくる。
 ふわふわとした心地に酔いそうになりながらも、ティアはしっかりと頷いた。
「ヒースは……幸せ?」
 ヒースの唇から漏れる安堵の吐息を感じながら、同じように尋ねる。それは、ティアも確かめたい大切なことだからだ。
 さん付けもせず、将軍ともつけられず呼ばれた名に、わずかに眉を動かしたあと、屈託のない笑顔でヒースは言う。
「ああ、もちろん。君が隣にいてくれるからな」
 その答えに、ティアの顔がゆっくりと変化していく。
 泣きそうになって。ゆっくりと頬を染めて。潤んだ瞳をぎゅっと閉じる。
 そうして、その可愛い面にとても幸せそうな笑みが刻まれる。
「私、はやく大人になりたいって思った。あの人みたいに、ヒースの隣にいてもおかしくないようにって。でも、やっぱり私は私でしかいられないから。今すぐには、あんな風になれないから。だから、」

少しだけ待っていてくれる?

 ティアの願いを受け止めて、ヒースは首をたてに振った。当たり前だと、その瞳は言っている。
「なに、たいした時間じゃないさ。一緒に手でも繋いで歩いていれば、あっという間だ」
「……うんっ」
 えへへ、と笑うティアの瞳からぽろぽろと宝石のような涙が零れる。
 その滴を指先で拭いながら、ヒースは笑った。
「今日は、よく泣く日だな」
「これは嬉し涙だからいいんだもん」
「そうか」
「そうだよ!」
 二人の笑い声が響きあい、風がそれを高い空へと運んでいく。
 手をとって、握り締めて。
 大切な人と想いを交し、これからも肩を並べてゆっくりと歩むことを誓い合い。
 ティアとヒースはすべての始まりにして終わりへと続く丘の上、日が沈むまで互いに寄り添っていた。