幸せな二人

「なるほどな、話は大体わかった」
ヴァイゼン帝国が誇る将軍、ヒースは重々しく頷いた。幾たびの戦場を駆け抜け、武勲を挙げてきた男の眼光は鋭く、新兵なら一睨みで震え上がることだろう。
ワーグリス砦の北にある帝国の前線を維持する陣営で、師団長はまさにそんな新兵の頃を思い出しながら唇をかんだ。
ヴァルド皇子からの書状を携えヒースが帝都に戻ったのが、二週間前のことだ。それと入れ替わるようにしてやってきた師団長は、出立の日にくれぐれも頼むといわれていた。
それなのに。
ようやく戻ってきた将軍に対して、こんな報告をすることになろうとは。
「ウェルド大河以北に、魔物の大群が出現、か。なんとも微妙な場所だな。カレイラ王国領土内ではあるが……さて、どうしたものか」
ぽつりとこれまでの内容を反復するように、ヒースは呟いた。
そして、武に長け、ヴァルド皇子の信も厚く、部下からも慕われるまさに将軍にふさわしい人物は、不敵に笑った。
「オレがちょっと留守にしている間に、こんなことになるとはな」
「申し訳ありません。将軍よりこの場をお預かりした身でありながら、警備隊の一団を失うなど……すべては私の責任であります」
思いつめたような師団長の言葉に、ヒースは顎を撫でた。
「魔物がでたのは、別にお前のせいではない。斥候からの情報では、これまでの比でない規模だとのことだろう? そもそも、予測できることならばオレは帝都に戻りはしなかった」
「ですが……!」
「少しでも報いたいと思うならば、行動でしめせ。カレイラ軍に事態を察知されるまえに、速やかに魔物を討伐する」
「……はっ」
まだ何か言い募ろうとする師団長言葉を遮りそう言うと、ヒースは歩き出した。
「まずは部隊の編成だな。今すぐ動かせる兵はどのくらいだ? それと、斥候から直に報告を受けたい。あとでオレのもとへよこせ。それから……」
次々と指示を出しながら陣営内を進むヒースの問いに答えつつ、師団長は内心で感嘆のため息をついた。
やはり、武人はこうであらねばならない。帝都で、ただ威張り散らすだけの貴族の将軍とは違う、と。同じ現場のたたき上げの軍人として、その在り様は目指すに値するものだった。
そんな理想の将軍像をヒースに見出した師団長の頭からは、すっぽりとある情報が抜け落ちていた。
それは、帝都からこちらへ向かうまでに聞いた噂話。
そしてそれが証明される時間が迫っていることを、師団長が知る由もなく。彼のもつヒース将軍像はもろくも崩れ去ることになる。

時間との勝負ということで、現場で直に指揮をとっているヒースと師団長。そして幾人もの兵士たちは、聞こえてきた声に頭を巡らせた。つい先ほど出した斥候が新たな情報を持ち帰ったのかと思ったのだ。
だが、どうも様子がおかしい。
「こら、待てっ! 貴様どこからはいった?!」
「ヒースしょーぐーん!」
兵士の怒鳴り声の合間から、軽やかな澄んだ声が響く。
ヒースがぴくりと肩を揺らして、次の瞬間勢いよく振り返る。ヒースが聞き逃すはずもない、その声。
「ティア!」
手を振って、ぱたぱたと陣営を横断してくるその姿は、ヒースが見間違うことなど決してない。それはヒースの恋人、ティアだった。
満面の笑みで、スカートの裾を翻しながら一直線に駆けてくる。頭につけた赤いリボンが、優しく揺れている。
たった二週間だったというのに、何年も生き別れていた恋人同士が出会う感動の場面のように、手を広げて迎え入れるヒースのもとへ、ティアはためらいなく駆け寄ってゆく。
そんな様子に、ティアを追いかけていた兵の足が止まる。将軍の知り合いであることが、間違いないからだ。好意的に出迎えている様からも、少女には害がないと思われた。
しかし、十代半ばほどの少女と、無骨な武人の取り合わせは、はっきり言って奇妙だ。何事かという幾つもの視線に気付いているのか、そんなことはどうでもいいのか。
二人はお花畑全開で、ひしと抱き合った。
「「「!?!?!」」」
雷が落ちたように、師団長以下その場に居合わせた兵士たちの時間が停止する。
だが、ティアとヒースはそんな周囲には目もくれず、お互いだけをみつめている。
「なぜ、ここに?」
「えへへ、今日戻ってくるっていってたでしょう? だから、お迎えにきたんだよ」
「そうか……!」
でれでれとした表情でティアを抱き上げた将軍に、いつもの厳しさもなんてかけらもない。先ほどまでの、的確な指示をしていたときの雄雄しさもすっかり霧散してしまっている。
うわぁ……。
兵士たちの間に、先ほどの緊迫した空気とは対照的な微妙な空気が流れだす。
「しょ、将軍……その娘は……」
突然の闖入者に多少の動揺をみせつつ、師団長は尋ねる。さすが、軍事にたけた帝国の兵士を束ねる立場にある者だ。多少口ごもったのは仕方ない。
「ああ、赴任したばかりのお前は知らないか。ティアだ」
「はあ」
だから、誰。
そんな疑問がありありと顔にでていたのか。くつくつと喉の奥で声を転がし、ヒースはにやりと笑った。
「カレイラの英雄といえば、わかるだろう?」
「もう~、そんな風に呼ばないでっていってるのに……」
「ああ、すまんすまん」
軽く頬を膨らませ、ティアがぺちっと頬に手を当てる。だが、はたかれたというのに、ヒースは笑って軽く謝るだけだった。
「っ……、これが、あの!?」
師団長は息を詰まらせた。とてもそうは見えない。可憐な姿のこの少女が、戦争を終わらせた立役者とは誰も思うまい。
そんな反応に慣れているのか、ティアはちょっと困ったように眉を下げただけだった。その後はとくに何を言うでもなく、ヒースに笑いかける。
「まだお仕事中だった? 待ってたほうがいいかな?」
「いや。君がきたからちょうど終わった」
「?」
不思議そうな表情を浮かべたティアを抱えたまま、ヒースはすたすたと歩き出す。
ちょっと待て。
「ちょ、ヒース将軍!?」
「なんだ?」
思わず手を伸ばし、引き止めるように師団長は声を張り上げた。
振り返ったヒースの顔は穏やかだ。だけど、目がとてつもなく冷たい。邪魔するなと伝えてくる、無言の威圧に思わずひるむ。
「いえ、あの……」
再度、もごもごと口ごもる師団長を、一般兵士が必死な瞳で応援している。
頑張れ師団長! 負けるな師団長! ここで引いたら魔物討伐はどうするんですか!
目の前には将軍、後ろには部下。進退ここに極まった師団長は、だらだらと汗を流しながら、それでも一歩前に出た。
おお、とその勇気を讃えるように兵がどよめく。
「部隊の編成がまだ終わっておりません……! それから、魔物討伐の指揮はどうするのですか!」
ああ、とヒースは呟いて口の端を持ち上げた。
「それはもういい。必要なくなった」
「なにをおっしゃるのですか! このままでは、ローアンにもこちらの陣営にも押し寄せてくる危険があります! それに、放置してはカレイラ王国への侵略再開と捉えられかねません!」
そう。魔王に操られていたという理由があったにしろ、カレイラ王国への帝国が進軍したときに魔物を使っていたことは揺るぎない事実だ。せっかくヴァルド皇子が和平交渉を進めているというのに、このままでは水をさしてしまう可能性がある。帝国との和平を反対する王国側の人間に格好の理由を与えてしまうからだ。
そんな必死の訴えを軽く流して、ヒースは鍛え上げた左腕で楽々と抱えあげていたティアをおろした。
「なあ、ティア」
「?」
ヒースの呼びかけに、きょとん、と大きな目を瞬かせ、わずかに首を傾げる仕草は可愛いの一言に尽きる。
「君は、ここまでどうやってきたんだ?」
「お天気よかったから、ローアンから歩いてきたよ。ミスティックジュエルも必要だったし」
少女のあっさりとした答えに、ぎょっと兵の間に動揺が走った。
「馬鹿な……! 街道には魔物が……!」
「うん。いっぱいいたけど、ちょっと通るのに邪魔だったから」
にこ、とティアが笑う。
「どいてもらったよ」
しん、とあたりに静寂が落ちた。
確かに、邪魔であればどかせばいい。どかせばいいけど。
魔物が説得してどいてくれることなんてありえない。つまりは、実力で排除したということではないか。
確かにこの少女がここにいるということは、間違いなく街道をとおってきたということに他ならないけれど。
どうしてそれを信じられようか。
黙りこくった部下たちを見回して、ヒースは言う。
「ま、そういうことだ。これで討伐隊を出す必要もないだろう。残りが何匹かいるかもしれんが、それは警備体制を強化して、個別に対応してくれ。たいした魔物は残ってはいないはずだ。ローアンに戻りながらオレも注意を払っておく。それから、ヴァルド皇子への報告もオレがしておこう」
これでいいだろう、といわんばかりのヒース将軍の態度に。
師団長は呆然と頷くしかなかった。
それを満足げに見返した後、ヒースはティアの頭にぽんぽんと手を乗せた。
「ではいくか、ティア」
「うん!」
当たり前のように手を繋ぎ歩き出す二人の周囲に、飛び交うハートの幻がみえる。
きゃっきゃと笑うティアと会えなかった間のことを語り合うヒースの姿は、恋人同士そのものなのだが。その光景は、羨ましいような、ああいう風にだけはなりたくないような。そんな切ない気持ちにさせる。
今までの騒ぎってなんだったの?
そんな感情を如実に表した顔のまま、兵士の一人がぽつりと零す。
「さすが……カレイラの英雄ってことですかね……」
「もう、なにも信じられない……」
真っ白になった師団長は、精根尽き果てた面持ちで肩を落とした。
彼はここでようやく、噂話を思い出した。

ヒース将軍の恋人が、まだあどけなさを残した少女であること。
その少女へ、将軍がべた惚れであること。
そして少女は、魔物の群れを一人で蹴散らすカレイラの英雄であること。

目の当たりにした噂を裏付ける真実に、からからと理想が音を立てて崩れていく。正直、あんな将軍みたくなかった。
「噂には聞いていた。聞いてはいたが……まことであったとは……」
師団長の言葉は、いまこの場にいる兵士たちすべての心を代弁しているだろう。
帝国陣営になんともいえない空気を残して、仲睦まじく去っていく二人の姿を、兵士たちはいつまでも見送っていた。

 

衝撃と混乱を撒き散らしたにも関わらず、そんなことをしでかしたなど露ほどにも思っていない二人は、のんびりと道をゆく。天気もいいし、風も気持ちいい。ときおり飛び出してくる魔物も、この二人にとっては障害になりえない。まさしく絶好の行楽日和だった。
ふと、ティアが繋いだ手に力をこめる。
「あのね、えっとね……ヒース」
「うん?」
二人っきりのときにしか、呼ばれない名前。将軍という肩書きもない、自分の名前がティアに呼ばれただけなのに、ヒースはとても嬉しかった。
応えるように優しく握り返しながら、そのほのかなぬくもりを愛しく思い、ヒースは微笑む。
ヒースよりずっと下にあるティアの顔は、優しい紅色に色づいている。蕩けるような笑みを浮かべ、ティアはいう。
「おかえりなさい」
「……ああ、ただいま」
ヒースは帝国の将軍だ。だけれど、帰る場所は――帰りたい場所は、この少女のもとだけだ。
そんな彼女からの暖かい言葉を噛み締めて、ヒースは晴れやかに笑った。

カレイラの英雄と帝国の将軍。
いろいろといわれることもあるけれど。いつかは滅びゆく世界の片隅であるけれど。

彼らは今日も、幸せです。