天鳥船の中を移動していた千尋は、聞きなれぬ鈍い音に立ち止まる。どうやら、すぐそこの部屋が発信源のようだ。
小さく首を傾げる。確か、そこは仲間たちに与えられた一室だ。那岐と布津彦と、そして遠夜が使っているはず。
勝手に入るのは気がひけるが、なんだか無性に気なってしまって仕方がない。確かめるだけ、と思いつつひょいとそこを覗き込んだ。
「わ……」
思わず、感嘆の声を漏らす。
そこには床を埋め尽くすような勢いで、様々な薬草とおぼしきものが並べられていた。……その中には、手足っぽいものがはえた焼け焦げた黒い物体やら、おどろおどろしい色合いのキノコまである。何に使われるのか予想できない、したくもないそれらについては、目を逸らした。そうして動かした視線の先には、大きめの二枚貝の殻が無造作に積まれている。もう、なにがなにやらわからない。
それに、なんとも言えない香りが部屋には漂っている。すっとするような清涼感もあれば、鼻につくようなかび臭さまでが渾然一体となっている。
そんな部屋の中央、円盤に棒を一本通した器具を細長い器の中で前後させているのは、遠夜だった。さきほどの音はその器具で薬を細かくする際に、発せられているもののようだ。
その周囲には学校の化学室でみたことがある乳鉢、使い込まれたふるいがいくつか転がっている。その他、薬が交じり合わないようにするためか、竹の筒に木の匙が一本一本挿されている。向こうにある石の固まりは石臼だろうか。小さな鉢にはできあがったとおぼしき小粒な丸薬が、山盛りになっていた。
なんだか、とんでもないことになっているな、と思う。
どれが何だか、部屋の主の一人である遠夜には全て分かっているのだろうが、千尋にはあまりにも混沌とした場所であった。
部屋を覗き込む千尋に気付いていない遠夜は、大きな身体を丸め、視線を向けることなく次から次へと薬を手に取り、器の中に放り込んでいる。そして、またごりごりと音を響かせはじめる。
あまりの手際のよさに、感心してしまう。でも種類とか量とか、大丈夫なのだろうか。それは、そう思ってしまうほどの調合の速さだ。
まあ、彼の作る薬に間違いがあったことは一度もない。土蜘蛛の医術関連の技術は随分と凄いんだなー、と感心することばかりなのだから、心配するだけ無駄な気もした。
一心不乱に製薬作業をする遠夜の姿に、彼がそんなに真剣になって作っている薬が何なのか興味が沸いてくる。
そーっと細心の注意を払って、置かれた薬草同士の隙間に見える床を辿って背後に近づく。流石に、背に目はついていないから彼の後ろは周囲に比べれば床の面積が多い。そこならば、一人ぐらいなら立つことも座ることもできそうだ。
器から別の皿へ、さらさらとした粉末となった薬を移し終わったところを見届けてから、その肩をつついた。
「遠夜」
『神子?』
声をかけるまでよほど集中していたらしく、背後を振り仰いで千尋の姿を見とめた遠夜は目を瞬かせた。そして、ふわりと嬉しそうに笑った。その柔らかな表情に、千尋もつられて微笑む。
『会えて、嬉しい。どうかしたのか?』
「部屋の前を通りかかったらね、不思議な音がしてきたらから。悪いかなって思ったんだけど、覗いてみたら遠夜がお薬作ってるところが見えて気になっちゃって」
えへへ、と照れたように眉を少し下げて笑いながら、遠夜の背後に空いている空間にしゃがみこむ。もちろん、長い服の裾や袖が、周りのものに触れないように注意を払う。
「ね、それは何のお薬なの?」
手元に目を落とした遠夜が、小さく首を傾げて不思議そうに目を瞬いた。聞かれるとは思ってもいなかったというところだろうか。だが、千尋に向き直ってその問いに答えるべく唇を動かす。
『これは血を戻す薬だ。傷より流れでた赤き命の巡りを補うためのもの。この、薬研――くすりおろしを用いて様々な薬草を調合した後に、あのような丸薬にする』
「へえー、じゃあこれは?」
千尋は好奇心のままに指をさす。その先には、濁った黄色の塊があった。
『それは、蜜蝋だ。血止めの軟膏をつくるために使う。材料は今煮詰めている。できあがったものは、あの貝の殻に詰めて封をする』
そういいながら送られた遠夜の視線の先には、部屋にはいったときにみた二枚貝があった。
「あの貝殻ってそう使うんだ。てっきり何かの材料かと思ってた」
『貝が薬になる場合もあるが、それは種類が異なる』
ふむふむと頷きながら解説を聞いていた千尋が、遠夜の顔を覗き込んで笑う。
「すごいね」
『?』
感心しきったその声に、遠夜はさきほどよりなお不思議そうな表情を浮かべた。
「だってこれだけのものを、それが何でどんな効果があって、どう使うべきなのか全部わかっているんでしょう? すごいよ」
『……ありがとう』
千尋の言葉を素直に受け取って、遠夜がはにかむ。まるで、母に褒められた幼子のように無邪気で嬉しそうなその笑みに、千尋は目を細めた。
「でも、こんなにたくさん作るのも大変だよね」
『そんなことはない』
ふるふる、と頭を振って遠夜は言葉を続ける。
『オレは、神子が悲しむのをみたくはないから』
「え?」
思いもかけない言葉に、今度は千尋が目を瞬かせた。遠夜は、長い睫を伏せて手をもじもじと擦り合わせている。
『神子は、優しい。誰かが血を流せば、その心がその傷よりもなお深く傷つく。だから、少しでもそうならないように、オレはオレのできることをしたいと思う。だから……』
「私のために、頑張ってくれていたの?」
『ああ。それに、薬を作れば皆も喜んでくれる。土蜘蛛であるオレに、温かな言の葉が届けられる。それもすべては、神子のおかげだ』
だから、自分の苦労などなんでもないのだというように、遠夜は笑う。
ほやん、としたその笑顔と彼が発する優しい空気に、千尋の胸がきゅっと鳴った。思わず力いっぱい抱き締めて、そのふんわりとした髪が覆う頭を撫で回したい衝動に駆られる。あまりにもいじらしい。なんだろう、この可愛さは。
だが、流石にそれはできかねる。いい年をした青年にそんなことをしても戸惑うだけ……いや、遠夜なら喜んでくれそうな気もしたが、正気に返ったらきっと恥ずかしすぎてこちらが死ねる。
伸ばしかけた指先をぐっと押し留め、千尋は誤魔化すように、こほんとわざとらしい咳をした。
本格的に床に腰を下ろして、遠夜の袖を引っ張る。
「よし、私も手伝うよ! なにかできることないかな?」
『神子が?』
伏せていた目が大きく開かれる。暁色の瞳に、千尋が写り込む。うん、と大きく頷けば、遠夜が目を細めた。
『ありがとう。では、これを』
そういって差し出されたのは、板に何かの革らしきものを丁寧にはりつけたものだった。
「これ、なあに?」
使い方がわからずにいる千尋に対し、遠夜は近くに置いてあった皿を引き寄せた。そこには手のひらよりもやや大きい角らしきものが、いくつか乗っている。そのうちのひとつを手にとって、先端をざらつく面に押し当てる。
『これは、鮫の皮を貼り付けたものだ。これで、こうすれば……』
「わ、すごい」
遠夜が角をその上で押し付けながら滑らせれば、角は細かな粉末となっていく。
「これは、全部粉にしてもいいのかな?」
『ああ』
「わかった。任せてね!」
うきうきと千尋は遠夜から渡された角をごりごりと小さな音を立てて、削り始める。慣れない手つきが不安を誘うが、その懸命さは誰がみてもわかる。
その姿に優しく微笑んだ遠夜は、くすりおろしに向き直ってまた薬草に手を伸ばす。
背中合わせに座り込み、互いのぬくもりを感じあいながら他愛もないおしゃべりを交わす。
いつもはきっと黙々とこなされる作業だろうけれど、二人でやればこんなにも楽しい。今度からまめにお手伝いしようかな、と千尋が思うほど。
顔は見えないけれど、遠夜が微笑んでいることを確信しながら、千尋はせっせと手を動かし続けた。
その少しあと。
背中合わせで薬作りに没頭する二人は、部屋の入り口からその光景を目撃した那岐と布都彦が、深い溜息をついて去っていったことを知らない。
部屋の共同利用者である彼らは思った。
遠夜の薬はもはや軍にはかかせないものだ。それでどれだけの兵が救われたかしれない。
だがしかし。
今日もあやしげな薬剤が無造作に置かれ、それらが発する匂いに塗れ、かつ足の踏み場もないあの部屋で休むことになる自分たちはどうすればいいのか、と。
そろそろ、遠夜専用の調合部屋を確保して欲しいと願いでるべき時がきているのかもしれない――。
二人の溜息は受け取る者なく、むなしく回廊に消えた。