Caution!!
那岐×千尋のif話です。那岐が葦船で流されることなく、風早が従者にならず、黒龍は現れず、中つ国は滅びず――もし、二人がそんな世界で王族として過ごしていたら一体どうなっていたかなという妄想です。風早真ED後の世界ではありません。念のため。
異形の姿を持って生まれた姫と、神をも凌ぐ霊力を持って生まれた王族ってことになりますから、通じるものがあるんじゃない? というお話です。それでもおkな人は、ずずいっとどうぞ。
これは、愛なのだろうか。
それとも、憐みだろうか。
長く伸ばした自分の髪に指を絡ませ、それほど柔らかさも無いだろう膝の上に頭を置き長い手足を投げ出して、すやすやと眠る那岐を見下ろしながらそんなことを考える。
手を取り合い、橿原から抜け出してやってきた、二人だけの秘密の場所。確か、畝傍山の近くだったと記憶している。ここにくるのはもう、幾度目だろう。
那岐の鬼道で作られたここにやってくる人はいない。むしろ、この結界を越えることのできる人なんていない。それこそ、神でもない限り術を破るには相当の時間がかかるはず。
緑濃いこの季節は、花が咲き乱れ蝶が軽やかに舞う。ここは千尋にとって、唯一心休まる場所だった。年を重ね周囲の人の反応が仕方ないものだと諦められるようになってからは、幾分か宮で過ごすことも苦にはならなくなったものの、やはり息苦しさは付きまとう。
この空間へ、ふらりと現れては自分を連れてきてくれる那岐に対して、千尋は自分でもよくわからない感情を抱いていた。ただ、これは姉に対するような親愛ではないといえる。
ではこれは、一体なんだろう。
そう考えれば、脳裏に過ぎるのはやはり「愛情」か「憐憫」、だった。
でも、どちらかといわれれば答えに窮する。そういえば、那岐はこの関係をどう思っているのだろう。
小さく息を吐きながら、自分と同じように色素の薄い髪を額から落とせば、整ったあどけない寝顔が顕わになる。いつもはこんな穏やかさなんてない。冷たく全てを拒絶するような、緑の瞳が閉じられているせいだろうか。
同い年の王族ならば、近しい間柄になってもおかしくなかったかもしれない。だが、互いに人に畏れられる存在であるゆえか、会わせて貰うことはなかった。
噂に聞いたことしかなかったその彼と、一緒にこうしているのは不思議なような気もしたが、とても当たり前のような気もする。
そんな二人の出会いは数年前の些細なことだった。
采女の口さがない言葉を凍らせた心の上で滑らせてかわし、宮の片隅の自室へ下がろうとしていたある日のこと。
狗奴の一団が対面する回廊を行くのが見えた。
そこに、彼がいた。
自分と同じような色素の薄い髪、緑の玉も霞むようなその瞳に、一瞬にして目を奪われた。
目で追いながら、ふと思い出す。
二ノ姫と同じ年に生まれた王族の男児は、姫と同じ異形の姿で高い霊力を秘めている。そして、四道将軍の一人にその霊力を活かすべく師事しており、後継者として目されている。しかし、本当は実の親にさえその力を恐れ疎まれ、乳飲み子の時に打ち捨てるようにして将軍に預けられたのだという、那岐という名の王族の噂話。
先頭を、静かに威厳を纏って歩く将軍の傍らで、興味なさそうな冷めた表情で歩くその人を凝視した。
はじめてだった。自分と同じひとをみるのは。
その視線に気付いたのか、ふと彼がこちらを向いた。
かちり、と音がなったような気がした。
絡み合ったのは、僅かな時間だけだったはずなのに、とても長く感じた。彼の瞳はとても綺麗で――そして、驚くほどに透明だった。
千尋は采女に、彼は狗奴の一人に呼ばれ、二人同時に視線を逸らした。
だけれど、彼と確かに繋がった。そんな気がした。
そうして、幾度か回廊越しの互いに声もかけぬ出会いがあった。
ただ、遠い距離ですれ違うのを見送るだけ。それが、少しずつ、自分たちが立つ回廊の交わるところへと近づいていく。
一歩踏み出したのはどちらが先だったか。しんと静まり返った回廊の真ん中で、その姿を間近に見上げたとき、互いに躊躇うことなく手を伸ばした。そこにいることが本当だと思えなかったのかもしれない。
千尋は目の前の人の胸に手をあてて、那岐は千尋の頬に手をあてて。
伝わるぬくもりに、驚くほど安堵した。本当に自分と同じ人がいるという事実がもたらすもの。深く息をついた那岐も、もしかしたらそうだったのだろうか。
ゆっくりと顔を覗き込んでくる瞳が揺れていた。あの、無に近い透明さはそこになく、ただひたすら千尋を見つめていた。
「千尋……?」
自分の名前はこんなにも美しい響きだったろうか。そのとき初めて、千尋は那岐の声を聞いた。
それから二人は、少しずつ時間を共有するようになっていった。だが、常に傍らにいるわけではない。ひとつの季節が終るまで会わないこともあった。それでも、僅かな時間でもともにあることを見咎めて、あらぬ噂をたてるものもいた。けれど、そんなことどうでもよかった。
自分はひとりではないのだと、知ったから。
さらり、さらり、と髪を撫でる手が掴まれる。やんわりとした戒めを施した那岐は、不機嫌そうに薄っすらと目を開けた。常人ならば怯む眼差しも、寝起きが悪いということを知っている千尋には効果がない。
「いつまで人の頭撫でてるの?」
「ごめんなさい。起こしちゃった?」
「別にいいけどさ……」
撫でられたことを嫌がらず、那岐はごろりと身を反転させる。その動きがくすぐったくて、千尋は小さく笑った。那岐の耳にさらさらとした髪をかけながら、ふと思い出したことを問う。
「そういえば、今日の祭事に那岐はいかなくてもよかったの?」
確か、東北地方平定のために常世の軍とともに出立する前の、戦勝祈願が行われる日だったはずだ。鬼道に長けた四道将軍の愛弟子たる彼は、参加しなくてもよかっただろうか。
「いいよ。おっさんがいれば何も問題ないんだから」
面倒くさそうにそういって、眉根を寄せる。いろいろと零される小言を思い出したのかもしれない。
「これまでの弟子の中で那岐が一番だって、将軍が褒めていたのに」
「当の本人がやる気がないんだからいいんだよ」
「ほんと面倒くさがりなんだから」
くすくすと呆れ混じりに笑い声を転がせば、那岐の手が伸びてきて頬を包んだ。
「僕は、千尋と一緒にいる方がいい」
縋るような色など微塵も無い、淡々とした言葉。それが当たり前なのだから、そうあるようにするべきだろうという断言に近いそれ。
那岐の手に己の手を重ねて、頬をすり寄せる。
「私も」
そう応えれば、那岐の瞳が少しだけ和らいだ。
「大体、平定っていってもさ、ちょっと中つ国の言うこと聞かなかっただけだろ。馬鹿馬鹿しい」
「できることなら戦にはなって欲しくなかったんだけど。姉様の言葉にも母様は耳を貸しては下さらなかったみたい」
姉が駄目ならば、自分の言葉などそよ風ほどにも母の心を揺らさないのだと、溜息をついた。
「ほんと面倒だよ、なにもかも。こうしているのが楽でいい」
「将軍のあとを継ぐんでしょう? そんなことばっかり言ってたら駄目だよ」
「嫌なこと思い出させるなよ」
那岐の道はすでに決まっている。四道将軍の後釜として、中つ国の鬼道使いの頂点に立ち、国のためにその力を尽くすこと。
本心は嫌に違いないだろうけれど、そのために預けられた彼が違う道を選べば、あの穏やかな瞳の狗奴の将軍の立場は悪くなるだろう。だから、選ばざるを得なかった道。それでも、あの将軍ならば那岐の好きなようにしろといっただろうに。
口では何と言っていても、那岐の師匠であり育ての親でもある将軍を慕っていることを千尋は知っている。将軍も、厳しく鬼道の指導をする傍ら、親として為すべきことを那岐に惜しげもなく与えている。
血は繋がっていなくとも、種が違っていても、そこには確かな絆がある。それがとても羨ましかった。
那岐が薄い唇を開く。
「千尋だって」
ほんのり、と千尋は笑った。無表情に近い顔をした、那岐の言いたいことがわかる。きっとあのことをいうのだろう。
「常世の皇子に嫁ぐんだろう」
「うん」
やはり、思ったとおりの話だ。いつの間に、こんなに通じ合っていたのだろう。
内密ではあるが先日決まった、常世の皇子との婚約。確か、第一皇子か第二皇子になるといっていた。相手すらまだはっきりと決まっていないところが、自分は所詮国の政略の道具なのだといわれているようだった。だが、それが国のためになるのなら、それでもいいと思う。それは王族としての果たすべき責務だ。
「まだ、先のことだよ」
「そう」
沈黙が、ふわりと羽根のように軽やかに落ちた。生を謳歌する小鳥の歌声が、耳に届く。こんな静寂さえも二人の間に横たわるものならば、とても心地よい。
緑と青の視線は絡み合ったまま、そらされることは無い。するすると那岐の指が千尋の頬を滑っていく。
やがて触れた、唇をくすぐる綺麗な爪の感触に思わず笑いを零す。
このまどろみの奥にあるような、覚める事無い夢であったらと願うほどの幸福な時間が、千尋の心に浮かび上がった言葉を押し出した。
「ねえ、那岐」
そっと那岐の髪を愛しげに撫でて、言う。これまで、決して口にしなかった浅はかな願い。
「世界に私たち二人だけだったなら、よかったのにね」
大きく見開かれた彼の瞳に、情けなく眉を下げて笑っている自分が見えた。数度の瞬きの後、瞼が静かに閉じられてしまえば、それは見えなくなった。
「……それもいいね」
那岐がゆっくりと身を起こす。肯定されるとは思ってもみなかった。しかし、嬉しいと思う。
しゃらり、と装身具の触れ合う音とともに那岐の長い指が千尋の髪にもぐりこむ。後頭部に手が添えられる。
「僕と千尋の二人だけだったら、髪の色も目の色も――すべて、何もかも気にしなくていい」
そうだったなら、どんなによかっただろう。
誰にも疎まれることもなく。誰からも恐れられることもない。課せられた責務の重さに喘ぐことも無い。二人だけの、優しい世界。
「でも、無理だね。那岐は優しいから」
「まあ、無理だろうね。千尋は頑固だから」
そう言いあって、二人同時に噴出した。
那岐は、将軍を裏切れない。
千尋は、責務を放棄しない。
なれば叶うことはない夢だ。
「離れ離れになるけど、この世界に那岐がいるって知っているもの。だから大丈夫。ただ、将軍になって戦にでても、絶対に死なないで。私の知らないうちに知らない場所でいなくならないで」
「そっちこそ。豊葦原でも常世でもどこでもいいよ。千尋が生きて幸せでいてくれたら、僕はそれでいいから」
くすくすと笑いあい、当たり前のように顔を寄せあう。
小鳥同士が嘴を啄ばみあうような、児戯に等しい口付けを交わしあいながら、ふと思う。
この感情を名付けるのはやめよう。心の奥からとめどなく湧き上がるものをひとつの言葉に押し込められるほど、この想いは小さくはない。
もし、求めあう愛情ならば、背を向け合う道を歩むことを嘆くだろう。一時の憐憫ならば、こんなにも相手の存在を肯定することなんてないだろう。
答えのある学問でもあるまいし、きっと考えるだけ無駄だ。だから、悩んだ少し前の自分にそっとさよならを言った。
那岐とは、ただ心地よいから一緒にいる。それでよいではないか。互いを決して否定しない、ぬるま湯のような関係。
これが、他者から認められぬ異形者同士の傷の舐めあいだと、眉を潜める者がいたとしても別に構わない。
いつか二人は異なる運命のとおりに生を歩むけれど、その後ろには初めて出会ったあの回廊のように交わる場所がある。そこで、自分たちは繋がっている。
それだけで、いい。
「ま、どうしても嫌になったら、呼んでよ。攫ってあげるからさ」
「うん」
もつれあうようにゆっくりと二人で大地に転がる。倒れた瞬間に、ふわりと身を包んだ草の匂いを胸いっぱいに吸い込む。
そして、互いを互いの温度で暖めるように抱き締めあい、声をあげて笑った。