10.仲間ゆえ

 その経験と生来の気質ゆえか、大らかに構えつつもどこか老獪さを滲ませて飄々としている女将軍が、じろりと床に寝かせられた千尋をみつめる。
 かなりの速度でここまでやってきただろうに、息ひとつ切れていないのは流石の一言に尽きる。供を務めた兵たちのほうが、呼吸を乱しているありさまだ。
 岩長姫は、千尋の胸に突き刺さった太刀に顔を顰め、次いで己が弟子たちに目をやった。
「なにが起きた」
 簡潔な返答を求める瞳は、これまでのいくつもの戦を経たつわものだけがもつ、深く静かな色を湛えている。
「師君、千尋が黄泉へ下ったようなのです――おそらく、忍人のもとへ向かったのかと」
 低い岩長姫の言葉に、風早は千尋の現状を伝えた。
「……死んだのかい?」
 後を追ったのか、という問いに風早は頭を振った。
「いいえ。体と命はここに。魂のみでいったものと思われます」
「ふん……。とんでもないことをするもんだ」
 顎に手を当てた岩長姫は、もう一度、千尋を見下ろしながらにやりと口元をあげた。
「で、それは千尋が自分で望んだことなんだね?」
「はい、その通りです師君。王は己が手で、生太刀を胸に突き立てられましてございます」
 柊の答えに大きく頷いた岩長姫は、悲壮な表情を浮かべるものたちの顔をみた。
「それで、あんたたちは何をしようってんだい? それとも、なーんにもせずにただ指をくわえて待ってるだけかい?」
「いいえ。俺たちにできることを、成したいと思います」
 そうはっきりと言い切る風早の隣で、サザキは腰に片手を置き、もう片方の手で頭をかいた。ゆらゆらと炎のような髪が揺れ、伏せられていた顔が上がる。そこには、戸惑いという感情はない。
「よく、わかんねーけど。オレは姫さん死なせたくねえからな。風早の案に乗るぜ」
「……なにするかきいてもいないのに、よく言うね」
 那岐が深々とため息をつきながら立ち上がる。とても呆れた声でサザキに言う。でも、その緑の瞳は深く、迷うことなく静かに風早をみつめている。信じるとでも、いうかのように。
 そんな那岐を覗き込み、サザキは笑った。
「ああ? なにいってんだ。お前だって乗るんだろ?」
「……まあね、ほかにやることもないし。千尋に言いたいこともあるし」
 戻ってきたらただじゃおかない、とぶつぶつと呟く那岐にサザキは手を伸ばした。
「よっしゃ、そうこなくっちゃな!」
「うわっ! やめろ、この馬鹿!」
 サザキの長く逞しい腕が、那岐の首を捉える。ぐしゃぐしゃと髪を混ぜるように撫でられて、那岐が叫んだ。
「私も僭越ながらこの力すべてを捧げる覚悟! この身は、姫のためにあるのですから!」
「布都彦の言うとおりです。我が君のために、脆弱な存在である私に成せることが在るのなら、躊躇うことは何もない」
 きりりと顔を引き締めて、その決意のままに声をあげる布都彦に柊も続いた。
 風早はそんな彼らに頷くと、床に膝をついたまま千尋に寄り添う遠夜に言う。
「遠夜は……訊くまでも、ありませんか」
 千尋の冷たい手を握り、長いまつげをふせた遠夜は小さくひとつ頷いた。
『神子のために、オレは力を尽くす。もう、失いたくは、ないから』
 そんな音のない遠夜の言葉を読み取って、風早は眉を下げどこか悲しげに微笑んだ。
「さて、あとはアシュヴィンだけですが」
「ふん、ここまできて断る――というのはできんだろう」
 にっこりとどこか有無を言わせぬ笑顔を向けられて、アシュヴィンは鼻を鳴らした。
「常世の不始末が、この事態の一因でもあるしな。力を貸すのは構わん。だが、この貸しは大きいぞ」
 にやりと笑ってそう返すと、風早が苦笑した。
「そうですね。まあ、そのあたりは戻ってきた千尋に言ってください」
「ああ、常世に有利な貿易条約でも結ばせてもらおうか」
 くつくつと喉の奥で声を転がしながら、アシュヴィンは外套を払った。
「――わかった! あたしの名にかけて、ここには誰も通さないからお前らの好きにおし」
 そのやりとりを黙ってみていた岩長姫が、からからと豪快に笑う。そして、兵たちを連れて引き返していく。
「ありがとうございます、師よ」
 風早が深く頭を下げて感謝を述べると、ゆっくりと岩長姫は足をとめた。肩越しに振り返り、言う。
「千尋にとって、ここが最後の正念場ってことだろうさ。どんな結果になるかわからんが――あたしゃ、あんたたちに任せるよ。外のことは気にするんじゃない」
 そういって歩き出した女将軍の背は、ともに戦を駆け抜けた仲間ゆえにこの場を託すと、語っていた。

 

 

 夜の中、赤々と松明の火が揺れる。
 采女と私兵を引き連れて現れた狭井君に、岩長姫は小さく笑った。
「あんたにしては、ちょいと遅かったねえ」
「殯宮で何が起きたのです。陛下はご無事なのですか」
 その宮へと向かう回廊を、静々とそれでも最大限に急いできたのだろう狭井君は、挨拶もなく問いかけた。だが、岩長姫は応えない。人の手では動かぬ巌のように、回廊の中央で立ちふさがるだけだ。
 応えがないことに痺れを切らしたのか、狭井君がほんの僅かに眉を寄せた。
「あなたと話をしても埒が明かないようですね。通させていただきます」
「そいつはやめておくれでないかい」
 直接現場を見に行こうと歩き出す狭井君を、いつの間に鞘から開放したのかわからぬ剣の切っ先が圧し留めた。ひっ、と采女の口から小さな悲鳴が漏れた。
「なにをなさるのです」
「今、あいつらが戦っている。命をかけて、大切なものを護ろうとしてる。取り戻そうと必死になってる」
 ぱちり、と岩長姫が指を鳴らすと、その奥の闇から兵たちが姿を現した。戦の中で姫を慕い集った者たち。その数と、引かぬ覚悟を決めた顔に、狭井君は彼女にしては珍しく、苦々しい表情を浮かべた。
「できるだけ、手荒な真似はしたくないんでね。なに、しばらくおとなしくしていてさえくれればいい」
「……このようなことをして、ただで済むとお思いですか」
 どこか楽しげな声音で脅してくる女将軍に、自分の立場とこちらの立場をよく考えるべきだと言外に匂わせながら狭井君は低くつぶやく。
 だが、岩長姫はにやりと笑い、目を細めるだけだ。
「なぁに、もう隠居を決めた身だ。これ以上どうなることもないってもんだよ。それでも必要ならば――」
 ふと笑顔が消える。そうして現れた端然とした面が告げる。
「この老いぼれの首、差し出そう」
 だがそれも、瞬きひとつほどの間のこと。次の瞬間には、いつもの飄々とした顔で、岩長姫は続けた。
「だから悪いが、いかせるわけにはいかないねえ」
「――本当に、困った方ですこと」
 何をいっても無駄だと悟ったのか、狭井君が息をつく。だが、その瞳は諦めなど微塵も浮かぶことはない。
 ちりちりと大気を焼け焦がす視線の応酬は、互いの想いをぶつけ合いながら、終わりどころを知らぬようにいつまでも続いた。