最初に異変に気づいたのは、サザキの隣を歩いていた遠夜だった。
はっと何かを感じ取ったのか、わずかに伏せていた顔を上げ、あたりを見回して――遠夜は走り出した。普段どこかおっとりとした雰囲気をもつ遠夜のいきなりの行動に、サザキは驚く。
「おい、遠夜どうした? おい!?」
いつにない厳しい表情で、殯宮を目指して駆けてゆくその後を、慌てて追いかける。
もうすこしで着くはずだったのだ。そんなに慌てる理由はないものを。
訝しがりながら回廊に飛び込むと、風早とアシュヴィンが向かい合うようにして立っていた。
いきなり現れた二人に、風早が僅かに目を見開く。
「サザキ! また空からはいってきたのですか?」
「あ、ああ、まあな!」
適当に言葉を返すあいだに、遠夜は二人の合間をすり抜けていく。
「おい、遠夜はどうしたんだ? あいつがあんなに慌てるなど……」
「いや、オレもよくわかんねぇ……!」
アシュヴィンにそう答えつつ、サザキは二人の横を駆け抜けて、遠夜をさらに追いかける。
前方には、女王の命を無視して様子を見にいこうとしていたのだろうか。那岐と布都彦がゆっくりと歩いていた。が、足音をたてて走りこんでくる遠夜とサザキに気づき、驚きの声をあげて素早く道を開ける。
「うわっ!」
「遠夜?!」
「ああ、悪い! ちょっと通させてくれ……、っ!?」
なんでオレ、謝ってるんだろうな、と思いつつ片手をあげて二人の横をすり抜けたその瞬間、発生した気の大きさにサザキは目を見開き、足を止めた。
「――なんだ、こりゃ!」
思わず振り返れば、すれ違った誰もが感じたのだろう。突如として現われた何かに身を固くしているのが傍目にもわかった。
「まさか!」
嫌な予感に、回廊にいた全員が殯宮へと走り出す。
重厚なつくりの扉が、わずかに開いている。遠夜がはいっていたからだ。
それをさらに押し開き駆け込んだ先、白い宮の奥に三つの影がある。遠夜と、柊と、そして千尋だ。
だが、なぜ千尋は柊の腕に抱かれて、ぴくりとも動いていないのだろう。そして、その胸にある輝くものは一体何だ。
何が起きたかわからずに思わず足を止めたサザキの横を、さきほどとは逆に風早とアシュヴィンが走り抜けていく。
「千尋っ」
切迫した那岐の声に、はっとどこかにいきかけた意識を取りもどす。
皆が口々に名を呼びながら、倒れた千尋のもとへと集まる。サザキも必死に足を動かして、その傍へと駆け寄った。
柊の腕の中、少し痩せた千尋の顔は、やけに青ざめていて生気がない。
まるでそう――死んでいる、ような。
こちらの血の気がひくようなその状態に、膝をついて千尋を覗き込む。
「千尋っ、千尋っ!」
滅多に声を荒げることのない那岐が、取り乱したように名を呼び続ける。
だが。
その黄金の睫に彩られた瞳が開くことはない。
ふと千尋に忍人の死の場面が重なり、サザキは眩暈を覚えた。
「どうなってんだ……?!」
ぎり、と歯軋りしながら千尋を見下ろす。あまりの事態に、頭が混乱してくる。
横たわる千尋の胸には太刀が深々と突き刺さっている。戦場で何度もみたことのある、忍人の太刀だ。なぜ、そんなものが千尋を貫いているのだろう。
さらにどうしてか、血は一滴さえも流れていない。刀身は千尋のその細い身体を串刺しにすることなく、その切っ先を隠している。まるで、千尋の体内に飲み込まれているようだ。
そんな不可解な現象と冷たくなっていく身体に、理由のわからぬ者たちは焦りを募らせる。
「姫! 姫! 柊殿、一体なにが起こったのですか!」
布都彦が懸命に千尋に呼びかけながら、柊に問いただす。
「おそらく龍神が現れたとものと……なぜ、このときに現れたのか、私にもわかりませんが」
「おそらくって何だよ!」
その曖昧な答えに、サザキは声をあげる。柊はそっと千尋の頬にかかった髪を払って、ひとつ撫でる。
「私にもわからないのです。ただ、白き光とともに現われたこの生太刀で、我が君は己の胸を貫いた」
それが嘘でないことは、この場にいる誰もが感じていることだった。この宮全体を覆った陽の気、厳重に保管されているはずの太刀がここにある不思議、すべて神の仕業だといわれたほうがまだ納得できる。
だが、もしそうであるとしても。何故、豊葦原の王である千尋を傷つけるようなことを、龍神はしたのだろうか。
眉を下げて千尋の手をとり何か探っていた遠夜が、ぱくぱくと唇を動かした。
『魂が、ここにいない』
「魂がない、だと。どういうことだ」
遠夜の唇を読んだアシュヴィンが、眉を潜めた。
『魂だけが、いずこかへといってしまっている』
「だが、どこへいくというんだ。こいつの魂は、あの男のように壊れたわけではないだろう。なれば、死してもいない体から離れてゆくはずがない」
魂とは、本来不滅のもの。命と魂の器たる体が朽ちても、器に満たされる命が尽きても、魂は失われることはない。それは巡り巡ってやがてまた、世界に生れ落ちてくる。
ただ、例外はある。自身の力とするべくその輝きをすり減らしたならば、魂は傷つき砕けることもある。そして、身体に留まる力を失えば、黄泉へと下る。忍人の場合はそれにあたる。
「姫さん、どこにいっちまったんだ!?」
ともすれば一方だけが語っているように聞こえる遠夜とアシュヴィンの会話に、サザキは割り込む。
そういった知識が深くない己に苛立ったゆえの、発言だった。
「うるさい! 黙れよサザキ!」
それをぴしゃりと叱りつけた那岐が、千尋の両手首に、符で作ったこよりを結びながら叫けぶ。
「千尋の魂の緒が追えないだろ!」
思わず激昂しかけたものの那岐が懸命に鬼道を操るのをみて、さしものサザキも口を噤んだ。手首に施した魂を肉体に留めるまじないをもとに、今にも消えてしまいそうな輝きを追いかけている。その必死な様子に、何を言えよう。
「これは……黄泉? この馬鹿! なにしにそんなとこへ……!」
行き先がわかったらしく、那岐は吐き捨てるようにそう言って、端正な顔をしかめた。
その言葉に、遠夜を除く全員がぎょっと目を見開いた。
「なるほど。真なる黄泉路に生きたまま下った、か」
驚きからすぐに立ち直ったアシュヴィンが、顎に手を当てて呟く。
それは常世へと向かう比良坂からも通じる路だ。サザキも聞いたことがある。それは、死人がたどりゆく根の国への下り坂。
ぞっと背筋が寒くなった。
『神子はひとりでいった……おそらく、忍人を取り戻すためだ』
遠夜はそう告げて、千尋の手をぎゅっと握り締める。それを見下ろしながら、アシュヴィンは眉をひそめた。
「あの男を連れ戻しにいったと? 創世神話の伊邪那岐でもあるまいし、一体何を考えているんだ」
「連れ戻しにって……あ、危なくないのかっ? 姫さん、大丈夫なのか!?」
魂がないやら、黄泉やら、連れ戻すやら、なにやら不穏な単語の羅列に耐えられない。
「危ないに決まっている」
がーっと頭をかきむしらんばかりのサザキに対し、アシュヴィンは冷静に、呆れたように応えた。
「かの世界は人の理が通じぬ異界ときく。龍神の神子といえども無事ではすまんだろう」
こちらの不安を助長するような、でも確かな真実であろう内容に、布都彦はぐっと拳を握り締めた。戦で敵に相対するときのような厳しい瞳をして、俯かせていた顔を上げる。
「では、我らはどうすればよいのですか! ただ、黙って姫のそばについているしかできないのですか!?」
どうしていいのかわからないのは、誰もが一緒だ。こうすればいいなどと、明確な答えは誰も持たない。
しかし、力強くそれに応えるものが一人、いた。
「――あります」
白い石床に散らばった玉を、ゆっくりと拾い上げながら風早が言う。
「俺たちが――俺たちだけが、できることがある」
そう言い切る風早に、全員の視線が注がれる。
最後に拾い上げられた地の玄武の玉が、風早の手の内で七つの宝玉とともに静かに輝く。
「風早、一体なにをするつもりなのですか」
柊が、片目を細める。
いくら風早とて、黄泉にいった千尋を追いかけることなどできはしない。
「俺たちの力を、黄泉へと送ります」
「はっ……! 俺たちというのは、ここにいるもの全員か? そも、俺の言葉を聴いていなかったのか? かの地は人の力なぞ及ばぬ場所だ。どうやってそれを成すつもりだ」
「そうだよ。そんな神業を、僕たちだけでできるわけない」
アシュヴィンと那岐が口々に発した言葉はもっともだ。
「それは、」
風早がその疑問に答えようと口をひらきかけたとき、ばたばたとせわしない複数の足音が聞こえてきて、全員が宮の入り口に視線を送った。
兵が女王のこの姿をみれば、ただではすまない。千尋のためにまだなにもできていないというのに、邪魔をされては……!
だれもがそう思ったに違いない。
だが、先頭を切って走りこんできた彼女は、彼らに味方することとなる。