新人担当の常識はことごとく打ち砕かれる

「えーっと、次は……」
 忙しなく職員が行き交う、とある国家機関のとある部署の片隅。
 配属されたばかりの新人は、目の下に隈が居座る疲れた顔をして、机の上を漁っていた。
 探しているのは、次に挨拶に伺う本丸の資料である。なかなかみつからない。これぞ、探しているときほどみつからない、の法則だ。
 整理整頓をしましょう、とはよくいわれることである。しかしそれも、多少の余裕があればこそ。今は引き継ぎ等々の仕事が山積みで、それどころではない。
 基本的にきっちりとした性格をしている新人は、一度手を止めて心を落ち着けることにした。焦りは碌な結果を生まない。
 あたりを見回せば、この部署に所属する職員が必死の形相をして仕事に励んでいる。その表情は鬼気迫るものがあり――なんというか、心身ともに余裕がなく、追い詰められている感じだ。

 なんでこんなとこ、くることになっちゃったんだ……。

 新人の足元からじわじわと這い上がってくる絶望が、意識を暗く塗りつぶしていく。
 公務員として働き始めた以上、お上の命に逆らえるわけがないのは重々承知していたが、なんでこんな畑違いのところに、出向という名目で飛ばされるはめになったのか。
 ああ、これから日本の美味い食事を下支えするべく農業研究に勤しむはずだったのに! さようなら憧れの我が故郷の農業試験場! 後世に名を残す小麦が作りたかった!
 と、まあ、このようにいくら嘆いたところで現実は非情なものである。
 歴史修正主義者という前代未聞のテロリストに対抗するため、政府がひそかに結成したこの部署は、はっきりいって人手が足りないのだ。
 なぜならば、審神者や付喪神や式神などというオカルト極まりないものに耐性がなければ、職員にすらなれないからである。
 新人は知らなかったが、どうやら遠いご先祖に霊能力者がいたらしい。そのせいか、カスッカスではあるものの、霊力があった。そして、この部署に引っ張られたのである。ご先祖様ガッデム。
 世の中、そんな人間そうそういない。ゆえにここは慢性的な人員不足に陥っている。
 なお、審神者は見た目は一般人と同じであるが、その能力においては次元の壁ほどの隔たりがある。ちなみに新人がもつ霊力をゾウリムシの大きさとするなら、審神者のそれはシロナガスクジラ。一般人は生命体に例えることすらできない。それくらいの違いがある。
 その力があるゆえに、ただの人にはどうやったって出来ないことを、審神者である彼らはやってのける。
 付喪神を呼び出すなんてそんなファンタジー要素満載な話を普通の人間にしたら、頭がおかしいか、厨二病を疑われて生暖かい目でみられるしかない。新人だって、ここにくるまではもちろんそうだった。
 だが、新人研修という名の現場にかり出された先で、新たに審神者となった少年が、初期刀と呼ばれる五口のうち加州清光を選び、刀から人の姿にさせたのをみた瞬間、これまで築いてきた常識はすべて吹っ飛んだ。
 日常生活ではありえない出来事に、人間らしく拒否反応が口から飛び出しかけたが、それはなんとか飲み込んだ。
 だって、出会えたことを素直に喜ぶ少年と、彼を守っていこうと瞳に強い力を宿した加州清光とのやりとりが、なんだかとても尊いものにみえたのだ。そこに水を差すなんて無粋極まりない。そう思ったからだった。
 後で知ったことだが、どうやらこの点でも、新人はここの職員として合格! と、太鼓判を押されたらしい。彼らを恐れることなく受け入れた姿勢が、評価されたのだ。
 盛大に騒いで逃げ出せばよかった。ちくしょう! だがすべては後の祭りである。
「なにをしているの? 転送門の準備がそろそろ整うから行きましょう」
「あっ、先輩!」
 ここに配属されるに至った経緯を歯軋りしながら思い出していると、涼やかな声がかかった。慌てて椅子から立ち上がる。
 気配なく横に立っていたのは、細い身体をきっちりとした黒いスーツに包んだ女性職員――自分の先輩にあたる人物だ。
 たおやかな風情であるが、なかなか強かな性格をしており、仕事に対する能力も高い。
 彼女が担当する本丸は、普通の職員の二倍ちかくあるのだから、周囲からの評価もいかばかりかわかるというものだ。
 そのうち半分を引き継ぐことになっているのだが、考えただけで気が遠くなってくる。
 なお、一見してまったくわからないが、彼女は現在おめでたいことに妊娠中である。つまり後々産休に入るから、後任が必要になったというわけで、不本意ながら、自分に白羽の矢がたったのだ。だけども少子高齢化の真っ只中、新たな命の誕生は、やはり喜ばしいものである。
「すみません、資料が見つからなくて」
「これじゃないの?」
 あ、と新人は間の抜けた声を漏らす。先輩が指差した先で、顔をのぞかせているのが、お目当ての資料だった。
 すみませんと詫びつつ、顔を赤らめつつ、ひっぱりだした紙面には、びっしりと該当本丸のことについて書かれている。目を通すのも嫌になるくらいだが、それはその本丸の優秀さと厄介さを現している。
 場所は、あいかわらず呪われし国と不名誉極まりない呼び方をされている、相模国。
 本丸が作られたときに自動的に割り振られる番号と、そこを預かる審神者名を確認する。もちろん、本名や顔写真などの記載はない。
 そういった詳細事項は、特殊な端末を介し、十重二十重のセキュリティチェックを受けなければ閲覧することはできなくなっている。歴史修正主義者に知れたら多大な被害を出すだろうからだ。
「ええっと、今からいくところは、ここで間違いないですか」
「そうよ。これまでのところと比べてことさら特色があるけれど、素晴らしい本丸よ」
「へ、へえ……?」

 特色があるってどういうこと?

 思わず、新人は心の中で突っ込んだ。
 新人にしてみれば、本丸とは日本の歴史をテロリストから守る最前線であり、静謐な空間に常に緊張感漂う場所である。事実、今日まで訪れた本丸は程度の差こそあれど、どこもそういった雰囲気をもっていた。
 しかしながら、この先輩をして『よい』と評される本丸とは――それはつまり、戦績がものすごくいいってことだろうか? じゃあ、ものすごく殺伐としている? 日々、戦に明け暮れる荒くれ共の巣なのだろうか?
「……なにか、気をつけることはありますか」
 いきなり敵と間違われて斬られたり、戦に長けた付喪神を従える審神者の不興を買いたくはない。新人は恐る恐る尋ねた。
「そうね。まず、自分の意思を強く持つことが重要よ。うっかり彼らの誘いに引きずられると――」
「ひきずられる、と……?」
 なんだろう、これまで出会った付喪神たちは比較的穏やかな存在だったというのに。今度の彼らは、こちらの魂を奪うような真似でもしてくるのだろうか。なにせ、彼らは人ではないのだ。そういったことだってありえないとは言い切れまい。
 嫌な妄想を脳裏にめぐらせながら、新人はごくりと喉を鳴らす。
 と。
「太るわ」
 しかしながら、先輩は真剣極まりない真面目な顔で言い切った。完全に想像の範疇外の回答だ。
「えっ」
 数拍の間をおいて、新人は間の抜けた声をあげた。
 こういう振る舞いをすると命に関わるとかそういうことを知りたかったんですけど?
 そんな新人の混乱した胸中などわかりもしない先輩は、何かを考え込むように眉を寄せ腕を組み、細い顎先に手を添えていう。
「今は米の収穫時期。新米の香りと本丸特製梅干や糠漬けのコンボに打ち勝たなければ、確実に太る。だけれども、日本人である以上、S勝利することは難しいだろうから気をつけて。せめてB勝利くらいはおさめたいところね」
 なーんだ、と新人は眉を下げて力なく笑った。それなら問題なさそうだ。
「ええっと、自分、パン派なんで大丈夫かなーなんて思います、はい……って、うわっ?!」
 次の瞬間、言葉を途切れさせるほど力強く二の腕を掴まれて、新人は思わず声をあげた。
 見れば、険しい表情の先輩が迫っていた。
 え、なんでここにそんなに食いつくんですか。
「そうなの?!」
「ひっ?!」
 ギリギリと爪を食い込ませながら、先輩が前後にゆする。新人は痛みに悲鳴をあげた。
「答えなさい! 君、パン派なの?!」
「はいぃっ! お、俺、米の独特のにおいがどうも苦手で! ごめんなさいぃぃぃっ!」
 半泣きで謝罪交じりに声をあげると、こめられていた力が抜けた。その場にへたりこみそうになった新人であったが、それを押しとどめたのは周囲からの視線であった。
 さきほどまで忙しそうにうごめいて、こちらに見向きもしなかった同僚たちの、信じられないものを見るような、それでいて哀れみたっぷりの目が怖い。
 なんなんだよ! と叫びたくなったところで、先輩がくるりと背を向けた。
「――いらっしゃい。あまり技術班を待たせるわけにはいかないわ」
「は、はひっ……!」
 振り返ることなくまっすぐ歩き出した先輩のあとを、資料を抱えつつ、ほうほうの体で追いかける。同僚たちの意味ありげな視線については、あとで訊ねよう。
 ヒールの音を規則正しく廊下に響かせながら、先輩はいう。
「さっき気をつけることはあるか、と聞いてきたけれど……。パン派であることを、いまからいく本丸では絶対に口にしちゃだめ。いいわね?」
「な、な、なんでですか?!」
 先輩の隣にようやく追いついた新人は、どもりながらも訊ねる。自分の食の好みについてが一番の禁句とかどういうことなのか。
「君、無事に帰ってこれなくなるわよ」
「なにそれこわい」
 幾人もの警備員のチェックを受けた後、エレベーターへと乗り込む先輩の言葉に、ぶるぶると指を震わせながら、新人はひとつしかない地下階へのボタンを押す。
 くん、と身体を引き下げるような感覚を味わいながら、新人は顔を青くしたまま考える。おかしい。どう考えてもおかしい。
 今からいくのは豊穣神のいる場所ではないはずだ。刀剣男士という刀の付喪神がいる場所のはずだ。それなのに、米がそれほど好きではないという事実が、自分の身の危険になるとか怖すぎる。
「ああ、そうそう。言い忘れていたけど」
 まだなにかあるの?! と、新人がぎょっと目を剥いて顔をあげると、先輩は相変わらずの真面目で落ち着いた表情のまま、別の爆弾発言をかました。
「あの本丸には様々な部活動があるから、覚えてちょうだい。部長と仲良くなっておくと、いろいろ融通してくれるわよ」
「どこの学校?!」
 新人の魂からの叫びが、狭いエレベーター内に木霊した。
「ちなみに、芋部、茶道部、園芸部、料理部、手芸部、彫金部、TOKIO部よ」
「刀剣が部活動してるっていうのも意味わかりませんけど、あからさまにおかしいの混ざってますよね?! とくに最初と! 最後!」
 芋とTOKIOって何?! それ部活動名称として成り立ってないじゃん! 新人は頭を抱えたのち、脱力した。考えるだけ無駄な気がしてきたのだ。
「芋部の作るものはほんとうに美味しいから、気をつけないと体重が戻らなくなるわ」
「何に気をつければいいんすか、もう……なんなんすか、もう……」
 力なく、揺れる壁に寄りかかって遠くをみつめる。この職場に配属になったときに、これまでの常識は打ち崩されたのに、これ以上まだ壊しにかかってくるとか、ファンタジーこわい。
 想像することさえできず、すでにぐったりと疲れ果てた新人の耳に、ポン、と軽やかな音が届いた。それは、目的地についたことを知らせるものだ。
「さ、いくわよ」
 音もなく、すべるようにして開いた扉の向こうには、地中深くに設置された、空間を越えるための人類の叡智と神秘が詰まった施設が荘厳に立ち並んでいる。
 新人は、まだまだ緊張するのだが、先輩は慣れた様子で、悠々とそこへ足を踏み出した。その先には、白衣に身を包んだ科学者と、狩衣を纏う神秘に携わる者がいる。
「え、えええっ! ちょ、ちょっと待ってください、まったくもって心の準備できませんでしたけれども?! っていうか! 行く前に芋部とTOKIO部についてくわしく!」
 新人の悲痛な叫びが、最重要国家機密に溢れた空間に響き渡った。

「広っ!」
 結局たいした説明を受ける間もなく転送門から送られた先。
 目の前に広がる光景に、新人はまたしても叫んでいた。
 そろそろ喉が痛い。でもついつい叫んじゃう。
 朱塗りの鳥居を模した転送門からでてすぐ右手側、本丸をぐるりと取り囲む白壁に設えられた重厚な門の向こう。
 短くはない石階段の上からみえるものは、田舎の田園風景そのものだった。
 豊かな実りを誇るように、日の光を受けてさざめく稲穂は、まるで黄金の海のよう。規則正しく張り巡らされた水路は水しぶきが煌き、遠くには水車小屋が見える。その穏やかな景色を渡ってくる風は、心の奥底に眠る郷愁を強く呼び起こすような、そんな香りを孕んでいる。
 本丸というものは政府が用意するものであり、大体同じつくりをしている。だが、外へと続く門の先は、審神者の裁量に任されることが多い。
 利便性を考え、万屋に繋がる門を設置する本丸もあれば、修行のために山野そのままにしているところもある。もちろん、畑にするところもある。あるのだが……それにしたって、ちょっと広すぎやしないだろうか。
「ちょ、なんですかこの田んぼ?!」
「畑も同じくらいあるわよ」
「どこの専業農家?!」
「なにいってるの。ここは政府が用意した本丸よ? いらっしゃるのは審神者様と刀剣男士様よ? 日々、命をかけて歴史修正主義者と戦ってくださっているのよ? 農家さんのわけないじゃない」
「嘘だー!」
 すっかり開墾されてしまった空間を前に新人が現実逃避をしていると、それを聞きつけたらしい者の足音が近づいてきた。
 ここにいるのは、審神者か付喪神しかいない。取り乱した姿をみられるわけにはいかないと、慌てて理性を働かせ、身なりを整えて振り返る。
 やってきたのは、新人もみたことのある付喪神であった。
 鮮やかな金の髪を靡かせ、引き締まった細い身体によく似合う黒のジャージ。ぱっと見た目は、ご近所のちょっとヤンキーはいった高校生。
 だがその実態は、かの鵺退治の逸話をもつ英雄に、時の帝が下賜した平安時代の太刀――獅子王である。明るく、面倒見がよい性格である。いや、刃格というべきなのだろうか。
「お、担当じゃねーか! いらっしゃい!」
「獅子王様、こんにちは」
「こ、こんにちは」
 見知った顔であったことに安堵したのか、整った面に人懐っこそうな笑顔を浮かべた獅子王に、先輩が丁寧にお辞儀する。新人も慌てて、それにならう。
「ところで、審神者様はいらっしゃいますか? 本日お伺いするお約束をしているのですが」
「あ、そうなのか? 庭にでもいるんじゃねぇかなぁ。探してくるからちょっと待っててくれよ!」
「はい。お手数おかけします」
 妖と神の狭間にある付喪神という存在にも、物怖じしない先輩はやっぱり凄いなと、手に汗握りつつ、新人はもう一度背後を見遣った。
 やはり間違いなく田んぼが広がっている。おかしいだろ。
 チベットスナギツネのような、どこか達観しつつも悲壮さを漂わせた目をしてしまうのは、新人のせいじゃないはずだ。このありえない光景が悪いのだ。
 そんな新人の目の前を、すいっと赤蜻蛉が横切った。それにつられるように、ゆっくりと視線をめぐらせる。
 綺麗に掃かれた石階段から本丸母屋まで続く石畳。花が咲き零れる素朴な玄関周りの庭。大きく開かれた広い玄関の上り框の片隅には、瑞々しい野菜が落ちるほどに盛られた藤籠がいくつか置かれている。
 丸窓の前にある棚のうえには、活き活きとした花がいけられていて、来訪者を優しく出迎えていた。ふわりと漂う花の香りが、この玄関を清めているようだ。
「なんか……本丸のイメージが崩れる……ここ、完全に田舎のおじーちゃんちとかおばーちゃんちだ……」
 都会で荒み固まった心がほぐされていくような、そんな懐かしさ。日本人の魂に刻まれた原風景。玄関にいるだけでそう思うのだから、中にはいったらどうなってしまうのだろう。
「すぐに慣れるわ」
「そうですかね……」
 ぼんやりとした口調で返しながら、目を細めて本丸を見回していると、先輩が「そうそう」となんてことないことを思い出したように言った。
「さきほどの獅子王様は芋部よ」
「ぶほっ」
 そうだ。景色に見蕩れてすっかり頭から吹っ飛んでいたが、そうだった。この本丸には部活動があるんだった! っていうか芋部について詳しく!
 先輩にそう詰め寄ろうとした瞬間、庭方面から全体的に桃色で統一された刀剣男士が現れた。そのしなやかな腕が抱えているのは、純白の秋明菊。朱鷺色との対比が美しい。
「おや、担当殿。身重のあなたがこんなところに立っていてどうしたんですか?」
 時の権力者の傍らに、天下とりの刀として側置かれていた打刀の付喪神。左右で色の違う瞳が、ゆっくりと細められた。ただそれだけで漂う色香に、新人は息をすることを忘れそうになる。
「こんにちは、宗三左文字様。お邪魔いたしております」
「こ、こんにちは」
 ところが先輩はまったく意に介していない。こういうところがベテラン担当者たるゆえんだろう。惑わされることなく、自分の仕事を貫く姿勢が凄い。
 深く丁寧に礼をする彼女に、また倣って頭を下げる。あれ、自分、同じ挨拶しかしてないな、なんてふと思った。
 獅子王のときにはきちんと名乗る暇もなかったが、今度こそはと、現担当の後任であること、引継ぎをするにあたり研修をしている旨を告げる。
 なるほど、と宗三が頷いた。
「主からきいてはいましたが……そうですか」
「今は獅子王様が審神者様を呼びにいってくださっているので、こちらで待たせていただいております」
 宗三が、「ああ」と吐息混じりに頷いた。だからその色っぽさはなんなんだよ! と、新人は軽く心の中で叫んだ。同じ男という形であるはずなのに、おかしいだろう。
 とはいえ、相手は人でないのだから、そういうものだと思えばまだ気が楽になる。オカルトちっくなものは、気にしたら負けなのだ。
「事情はわかりましたが、そんなところにいては身体に障ります。さあ、中へ。客間にいれば、獅子王も主も、わかるでしょう」
「ありがとうございます」
「失礼します」
 まるで花魁道中に引き寄せられる男集にでもなった気分で、しゃなりと歩く宗三の後に続き、本丸へと足を踏み入れる。
 通されたのは、玄関から程近い場所にある客間と思しき和室であった。
 二人を案内した宗三は、「花をいけてきます」と一言告げて、下がっていった。着物に焚き染めているのだろうかぐわしい香りだけが、彼の後を追う。
 新人は、あらかじめ用意されていた座布団に腰をおろし、ほう、と溜息をついた。
 そこから見えるのは、澄みきった水を湛えた池を優美に泳ぐ錦鯉、絶妙に配置された庭石、丁寧に剪定された木々、鮮やかな緑むす苔も美しい、日本庭園だ。その計算された美を損なわないように植えられた花々が、口元に柔らかな笑みを誘う。
「……綺麗だ……」
「そうでしょう? ここにくるとね、仕事の疲れが軽くなっていくのがわかるのよ」
 力なく新人は頷いた。これはもう、現世の庭師も真っ青になるくらいの出来だろう。しばらく、二人は静かに庭に魅入る。
 すると、いつの間にか丸盆を持ち、戻ってきた宗三に気づいた。慌てて座布団の上で背筋を伸ばすと、くすくすと笑われてしまった。
「ただ待っているのもあれですからね、どうぞ」
「お気遣い痛みります――えっ」
 てっきりお茶と菓子あたりかと思ったが、腰を下ろした宗三の持つお盆をみて、新人の思考が停止した。
 黒漆の丸盆に乗せられているのは、芋である。いわゆるサツマイモ。どこかで焼いていたのか、これ以上ない焼き芋である。
 この美しい刀剣と焼き芋があまりにも結びつかず、新人は二度三度と視線を泳がせた。
 宗三左文字が焼き芋。どういうことだってばよ。
 どういう反応をすればいいのか、ようやく血の回りはじめた頭で考えこむ新人をよそに、先輩はその目を少女のように輝かせた。
「これは……もしかして宗三左文字様がおつくりになった安納芋ですか?」
 ほんのりと頬まで染めている。こっちもどういうことだってばよ。
 先輩の反応が満足のいくものであったのか、宗三はにこにこと笑っている。
「ええ。今回も上々の仕上がりですよ。さあ、冷める前に食べてみてください」
「ありがとうございます、いただきます」
 見るからに浮き足立つ先輩が食べるといっているのに、自分が遠慮をするのもおかしい。いや、なんかもうこの本丸のほうがいろいろとおかしいんだけどね?
 そんなことを思いながら、皿を手に取る。
「い、いただきます……」
 というか、彼はこんなにも笑う刀だったろうか。新人の記憶が確かならば、宗三左文字という刀はどこか世の中を諦めているような、斜に構えた態度を崩さない性格だった気がする。
 頭の中で疑問符を行進させながら、新人は熱々の焼き芋を手にしてふたつにわる。
 ふわり、とよい食欲を刺激する香りを含んだ水蒸気が立ち上る。中は黄金といってもさしつかえないような色合いで、ほっくりとしているのが見ただけでもわかる。
 先輩が当たり前のように口をつけたのを横目で確認して、新人はおそるおそるかじりついた。
「!!!!!」
 頭のてっぺんから爪先まで、形容しがたい衝撃が走った。
 これまでの焼き芋ってなんだったの? というぐらいに美味しい! あれ、安納芋ってこんなだったっけ?!
「お、おいしい! おいしいですね! すごい! おいしいです宗三様!」
「そうでしょうそうでしょう。ふふふ」
 目を見開き、はくはくと焼き芋にがっつく人間二人の様子に、宗三左文字はこれ以上ないドヤ顔をしている。なんかやっぱり性格違う。
 半分にしたほうをぺろりと平らげ、勢い込んでさあもう片方も、と手を伸ばしたとき、喧しいといって差し支えない足音が急接近して客間の前で止まった。
 現れたのは玄関前で別れた獅子王。手には白磁に藍色で葡萄の柄が絵付けされた器がひとつ。
「あー! いたいた! やっぱここか! 主もうすぐくるって……、ああっ、宗三の焼き芋食ってる! なんだよ、せっかく俺の大学芋やろうと思ってたのに!」
 いい笑顔が、一転して不満げなものになる。唇を尖らせた獅子王を、宗三が鼻で笑った。
「あなたがぼやぼやしているからでしょう」
「なあなあ俺の芋も食べてくれよ!」
 すでに手放しの「美味しい」を引き出したことに優越感をのぞかせる宗三を押しのけ、獅子王が二人の前に器を突き出した。
 そこには、ころころとしたほどよい大きさの大学芋が、美しい飴色に光りながら、食べられるときを待っていた。自然と、新人の喉が鳴る。先輩が、にこりと微笑んだ。
「ありがとうございます。もちろんいただきます」
「いただきます!」
 食べやすいようにと刺してある楊枝をつまみ、黒ゴマが散らされた大学芋を持ち上げる。使われている芋は、なんという品種かまではわからない。だが、絶対に美味しいという確信があった。
 ぱく、と一口で食べきる。咀嚼しようとする歯をわずかに阻む、かりりとした食感。こぼれおちてくるのは、ほくほくとした身だ。甘じょっぱいタレがほどよく絡み、絶妙な調和を生み出している。
「あ、美味しい……めっちゃおいしい……!」
 なんという味だろうか。焼き芋に続き、大学芋に対する認識までも塗り替えられてしまった。新人は、おいしさのあまりなんだか泣きたくなってきた。生きててよかったとさえ思う始末だ。
「だろ! やっぱ芋は大学芋に限るよなー!」
「なにをいっているのです、焼き芋が至高に決まっているでしょう」
「えーっ、どうみても俺の大学芋のほうが気に入ってるだろ」
「やれやれ、なんという節穴な目をしているのか……哀れですね」
 感激に打ち震え、サツマイモという存在の素晴らしさをかみ締める新人の前で、焼き芋対大学芋の戦いの火蓋が切られそうになっている。
「どちらもとっても美味しいですよ」
「先輩のいうとおりです……! あ、あの、ところで、芋部ってどういう……? その、部活動? なんですよね……?」
 もむもむと、焼き芋を喉の奥に押し込みつつ、先輩のフォローに便乗する形で、大いなる疑問への回答を求める。
 宗三が、わずかに眉をひそめる。
「芋部、という呼称は、僕としては少々心外なのですが……まあ、いいでしょう」
「あのな、俺たち第一部隊に所属する隊員が部員もやってるんだ」
 獅子王の言葉に、ほうほうと新人は頷いた。それを補足するように、宗三が続ける。
「同田貫正国を隊長および部長に据えて、日々、戦と芋畑の世話をしています」
 フライドポテトは正義の御手杵。
 ポテトチップスは正義の鯰尾藤四郎。
 ポテトサラダは正義の蛍丸。
 肉じゃがは正義の山姥切国広。
 そこに、大学芋は正義の獅子王、焼き芋は正義の宗三左文字をくわえて、第一部隊および芋部は総勢七名。芋も好きだが戦も大好き。よって交代で合戦に赴き、非番は畑仕事をしているらしい。
「僕は茶道部にも籍をおいてますよ。他にも掛け持ちしている者もいますし」
「正直、宗三様はそちらのほうがしっくりきます……あっ」
 少しばかり失言だったろうかと、いってからひやりとした気持ちを覚えたが、宗三は気にした様子もなく笑った。
「ふふふ、よその僕ならそうかもしれません。でもね、安納芋は素晴らしいと思いませんか」
「もちろんです、すばらしいです、とってもおいしかったです!」
 力をこめて力説すると、嬉しそうに宗三の瞳が細くなる。その横で、獅子王が大学芋に爪楊枝を刺しながらいう。
「隊長の正国は、ジャガイモ専門なんだよなー。まあ、じゃがバターうまいけどな!」
「そういえば、長イモが作りたいと誰かいっていましたね」
 芋部は、イモという名がつけばわりとなんでもいけるらしい。ふむふむ、と新人は頷く。
「ああ、輪切りにして焼いて、ちょっと醤油かけて食べるのも、素材の味がよくわかって美味しいですよね」
「そうそう! あとは丸イモもいいよな! 摩り下ろしてさ、出汁でちょっとのばして丸く焼いたのとか美味いんだよなあ! それからもちろん、白いごはんにもあうしさ!」
「ああ、加賀の伝統野菜ですか……食べたことないなあ……美味しそう……」
 黙々と焼き芋と大学芋を食する先輩をよそに、芋談義に興じる。と。
「おー、なんか盛り上がってるね?」
 飄々とした女性の声が、会話の合間に滑り込んできた。
 視線を送れば、首にタオルをひっかけた、ジャージ姿の女性が一人。黒い髪に暗褐色の瞳をした、一般的な日本人女性。気の抜けた、愛嬌のある笑顔を浮かべている。
 あまりにも堂々とこの異空間に立っていて、かつあまりにも自然とこの場に馴染んでいるものだから、一瞬スルーしそうになる。だが、一般家庭ならいざ知らず、ここは政府管理の本丸である。誰だよ、と新人は思った。
「審神者様。お邪魔いたしております」
 すると、先輩が女性向かって深く頭を下げた。
「えっ」
 客間にはいってくる女性と、礼をしたままの先輩を交互に見遣る。
 まさかそんな。庭の草むしりをいましがた終えたばかりでして……、といわんばかりの女性が審神者。そんな馬鹿な。
 これまでに姿を見た女性の審神者といえば、白衣に緋袴の巫女装束だったり、着物だったり、そうでなければきちんとした洋装であった。
 目を白黒させる新人に、くすくすと獅子王と宗三が笑っている。
「ごめんねー。庭の手入れに夢中になってて」
「いえ、お気になさらず。それでは、審神者様にご紹介させていただきます。こちらが、私の後任となる者です。私が産休にはいるまでは行動をともにし、円滑に引き継ぎができるようにいたします」
「何卒よろしくお願いします!」
 畳に手をついて、頭をさげる。数秒経過の後、とくに返事をいただけぬまま頭をあげると、すぐそこにしゃがみこんだ審神者の真顔があった。そこに、さきほどのような笑みはない。
 ひぃ、と思わずでかけた小さな悲鳴を何とか飲み込む。
 心の奥底まで見通そうとするかのように、一心に視線をあわせてくる。空恐ろしくて、目を逸らしたいのにできない。強力な磁石がひきあったかのように、離れられない。
 するすると見えない手で記憶のページをめくられていくような、形容しがたい不快感。背中に、どっと汗が噴出した。
 これが歴戦の、本物の、審神者。
 みつめあっていたのは、わずかな時間のはずなのに、やけに長く感じられた。
 ふいに視線が途切れた。審神者が、にっこりと笑ったからだ。
「――なるほど。よろしくねー」
「は……い……」
 口の中が乾いている。瞬きを忘れていたのか、目が痛い。ひゅ、と引きつる喉を押さえる。
 もう一度、そっと審神者を見る。
 どこからどうみても、ぱっとしない審神者だ。さして目立つことのないだろうその容姿は、大勢の人の波間では埋もれてしまうに違いない。だが、彼女は普通の人とは絶対的に違うなにかを秘めているのだ。
 これからどうやって、こんな人物と付き合っていくべきなのかと考えただけで、胃痛を覚えた。
 そんなふうに新人を追い込んだにもかかわらず、審神者はなにもなかったように立ち上がる。
「じゃあ、せっかくだから本丸の案内でもしようか」
「は、はいっ! ありがとうございます!」
 これから担当していく本丸のことを知っておくにこしたことはない。本丸の維持は審神者の霊力によるものだが、管理となると政府の手がはいることも多々ある。そのときに、あそこはどうだったっけ? と思うようでは話にならない。大雑把でもいい、把握はしておきたかった。それにここで断ったらなんか後が怖そうだ。
 審神者の申し出を食い気味に受け入れて、先輩も一緒に、といいかけたところで、がっちりと手首が掴まれた。
 ぎゃっと情けない声をあげる新人を、軽々と立たせた審神者が、先輩に向かって手を振る。
「担当さんは休んでてね。身体大事にしなきゃ」
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて、少し休ませていただきます」
「えっ、俺――じゃなくて、私一人でいくんですか?!」
 味方である先輩から離れ、単身でこの本丸内を見て回るとか想定外だ。
 捨てられた子犬にでもなった気持ちで、顔を青くし小刻みに震えていると、審神者が歩き出した。前へとつんのめって転びそうになるが、なんとか堪える。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。誰もとってくったりしないって。ほらいくよー」
「ひーっ! やだこの人力強いっ!」
 半泣きになりつつ、最後の望みをかけて先輩へ助けを求めるように顔をむけたが、大学芋を幸せそうに食べながら、いってらっしゃいとばかりに手を振られた。
 新人よりか芋のほうが大事なんかい!
 心からの叫びをぐっと飲み込んだ新人は、審神者に引きずられるがまま、本丸探索を開始したのだった。

 審神者に案内されて、長い板張りの廊下を歩く。ここにくるまでの曲がり角の隅には可愛らしい手作りの花束が置かれていたり、小さな花瓶に花がこぼれるように活けられていた。
 日が差し込む綺麗に掃き清めれた廊下は、顔が映りこみそうなくらいに磨きこまれている。
 ちらり、視線を左へ向ける。そこには、さきほどの日本庭園とは違う作りの庭が悠々と広がっていた。
 背の高い花を奥に配置し、手前に背の低い草花。小さな花が咲き零れる薔薇が、棚に仕立てられている。緑と花の色あいも、ちゃんと考えられているようだ。
 綺麗に敷き詰めらた赤いレンガの道は、緩い曲線を優しく描き、合間にはアクセントに小柄な白い花が植え込まれていて、目に楽しい。
 日本庭園は心落ち着く静の庭。こちらは心浮き立つ動の庭。そんな感じである。そして、 そこに集うのは少年の姿をした付喪神たちであった。
 ざっとみたところ、粟田口の刀剣が多い。乱藤四郎、五虎退、博多藤四郎、秋田藤四郎、平野藤四郎。他には今剣、小夜左文字。そして、鯰尾藤四郎に鳴狐。
 どうやら皆で花を摘んでいるようだ。
 秋田藤四郎が、廊下を渡る審神者に気づいたようで、ぱっと顔を輝かせた。
「主君ー!」
「せいがでるねぇー、熱中症に気をつけるんだよー」
 きゃあきゃあと応えるように、短刀たちが手を振ってくる。新人は、ひとまず頭を下げておいた。
「ええっと、彼らは?」
 審神者に、こそっと訊ねてみる。
「うちの第四部隊員で園芸部員を兼ねてる子たちだよ。あ、鯰尾は第一部隊所属だけど、芋部と園芸部で掛け持ちしてるから。乱は手芸部。あとは骨喰がみえないなあ……どこいったかなあ」
「なるほど……」
「ちなみに第四部隊は夜戦に向けて短刀と脇差の育成が中心になってるから」
 ふんふん、と新人は頷く。
 確かに、歴史修正主義者の手はあらゆる時代におよび、特に京都では夜間に市街戦や屋内戦となる。自然と、夜目の効く短刀や脇差、夜戦もこなせる打刀に戦力は絞られる。
 この審神者もそのあたりを考えて、刀剣たちに経験を積ませるようにしているようだ。
「ちなみに第四部隊は、別名、一貫教育長谷部学園ともいう」
「はいっ?!」
「ここにはいないけど、第四部隊の隊長が長谷部なんだ」
 へし切り長谷部といえば、審神者によく仕え、どのような仕事でもそつなくこなす打刀である。そのような刀剣が部隊長を任せられているというのは理解できるが、学園ってなに。
「隊長がへし切り長谷部様なのはわかりましたが、学園?! 学園?!」
「短刀と脇差の指導をする長谷部が、なんとなく先生っぽいからか、皆そう呼ぶようになってねー」
「あ、ははは……こちらの本丸の皆様は、仲がよろしいのですね」
 これ以上どう言えと。
 新人は疲れきった表情を取り繕うこともできぬまま、棒読みでそう褒めた。
 それを知ってか知らずか、マイペースに審神者はおしゃべりを続ける。
「ああ、それからね、園芸部の部長なんだけど……あっ」
 途中で何かに気付いたように言葉をとめて、審神者が廊下の向こうに手を振った。
「おーい、一期!」
 審神者ごしに視線を送った新人は顔をひきつらせた。
 藤製のバスケットを手に提げて、綺麗な足取りで歩いてくるのは、青年の姿をした付喪神。かの戦乱の世を生き抜いた知略に長けた天下人、豊臣秀吉のもとにあったという粟田口の太刀が一振り。遠目で一度だけ見たことがある、希少度の高い太刀だ。かっちりと軍服を着こなし、上品な物腰で主たる審神者の傍らに控えていたのを覚えている。
 が。
「いやいやー、いいところにくるね」
「主殿、このようなところでどうされたのですか? おや、お客人ですかな」
 にっこりとこの上なく穏やかに微笑まれる。しかし、新人の目は一期一振の頭にくぎ付けである。
 麦藁帽子だ。あの一期一振がジャージに身を包んで麦藁帽子かぶってる。
 しかも、気付いていないのか、麗しい顔の頬に泥汚れをつけている。あの一期一振が。
 それだけでも衝撃だけれども、なんだかやたらと幸せそうなので、まあいいかという気持ちになってくる。
 ふわっふわのぽわっぽわな雰囲気をあたりにふりまくさまは、まるで陽だまりが意志を持って動いているようなものだ。
 短刀や脇差の保護者といわれるにふさわしい威厳は見受けられず、家族をこよなく愛する大家族の長兄のおおらかさしかみえない。こんな和む一期一振とか知らない。
 いろいろ突っ込みたいけれど、いい人オーラ全開なこの太刀の刀剣男士相手に叫ぶのはいかがなものか。言いたいことをぐっと胃の腑に押し込めて、新人は営業スマイルを完璧に浮かべて見せた。第一印象、大事。
「はじめまして、一期一振様。私は、次にこの本丸の担当となるものです。お見知りおきください」
「さようでしたか。こちらこそはじめまして。私は粟田口吉光が太刀、一期一振と申します。弟ともども、よろしくお願い申し上げまする」
 いえいえこちらこそ、こちらこそ、と頭をさげあっていると埒が明かないと思ったのか、審神者が間にはいってきた。
「あらためて私から紹介しとくね。我が本丸の中を日々彩ってくれている園芸部部長の一期一振。出陣は練度の関係で、第四部隊じゃなくて他の部隊に混じってもらってる。あと、うちでほしいお花あったら一期にきいてね」
「よろしいのですか?」
 審神者の言葉を信じていないわけではないが、念のため一期一振に尋ねてみると、にこ、と笑ってくれた。
「はい。弟たちが丹精込めて育てた花には加護の力が宿りますゆえ、新人殿のお仕事に役立つこともあろうかと思います。ご遠慮なくどうぞ」
 あ、と新人は声をもらした。ならば、玄関やここに来るまでに置いてあった花は、ただ美しいだけという理由から置かれているだけではないということになる。
「本丸の玄関に飾ってあった花も、廊下にあった花も、園芸部の方が?」
 そういえば、あの玄関も花の香りが満ちていて清々しかった。ここに来るまで通った廊下もそう。
「はい。穢れを遠ざける力がると担当殿が教えてくださってから、我らが育てて配置しております」
「とても綺麗だと思っていたのですが、そんなお力まであるのですか! 園芸部の皆様はすごいですね!」
 ほんとうにすごい。穢れを寄せ付けないのならば、妖と相対することもあるという自分の職業においては、このうえない守りになるだろう。
 それに、審神者が普段本丸に回す霊力も幾分か抑えたり、効率よく回すことが可能になるかもしれない。
「ありがとうございます」
 手放しで心から褒め称えると、一期一振が嬉しそうに笑った。ぶわっと幸せオーラが溢れだす。なんだか、まぶしい。サングラスほしい。
 照れくさそうな一期一振の傍らで、んふふふー、と審神者が微笑ましそうに目を細めていた。

 庭先で園芸部と別れたあと、広い本丸に再び歩を進める。
 そのうち、カラカラと乾いた音が、小さくか細く新人の耳に届いてくるようになった。いったい、どこから? 何の音だろう?
 だが、もうなにが起きても驚くまい。新人は達観した顔つきで、審神者のあとについていく。
 少しづつ音が大きくなってくる。もうその場所は近いようだ。それにしてもこの音、どこかできいたことあるような、ないような。
 なんだろうかと思いながらたどり着いたところは、障子が開け放たれた六畳間。この本丸の刀剣男士たちには、私室として六畳二間が与えられるらしいので、ここも誰かの部屋であるはず。一見すると誰も居ないのだが――いた。
 奥の部屋と手前の部屋を区切る襖に隠れるように、ふたつの影がある。新人は、きっちりと正座して相対する二口をみて、妙に納得した。
「なにしてるの? 大倶利伽羅、骨喰」
 基本的に無口な刀剣男士たちの、どこか緊張感漂う空間に、ずかずかとはいっていけるあたり、さすがこの本丸の主である。
「主」
 じっと、骨喰藤四郎が主である審神者をみつめる。銀の髪に縁どられた美少年の顔に表情の変化はないが、大きな紫色の瞳は真摯に何事か訴えている。
 沈黙を保ち見詰め合ってた二人の間を覗き込んだ審神者は、「ああ」と頷いた。みれば、一枚の紙が畳の上に置かれていた。
 そこを黒々とのたうつのは、現代人が読めない書体。書かれた何事かは、新人には一部しか読み取れない。目を走らせると、かろうじて「入部申込み」と読めた。
 ああ、これからこういったものも読めるようならなければいけないのだから、気が遠い――ん? 入部?
 文面がなにやらおかしいことに気づき、新人が眉をひそめた瞬間、審神者が手を打ち鳴らした。
「おお! 彫金部に再度の入部申し込み? 骨喰、ねばるねー。いいよいいよ、その根性!」
 どうやら何度も申込みをしているが、部長からはすげなく断られているらしいということが、その言葉から読み取れた。審神者は、くじけることのないその骨喰の姿勢が、いたく気に入った様子だ。
「ここまで頑張るんだからさ、そろそろ入部させてあげなよ」
「俺は、一人でいい」
 ぷいっと横をむく大倶利伽羅の姿は、ちょっと思春期こじらせて長引かせている男子高校生のようである。そんな感想、本人を前にしている今、恐ろしくて口にはできないが。
 すっかりおいてけぼりになっている新人は、そんなことを考えつつも、ちらりと視線を奥にある文机へと向ける。
 そこからは、カラカラとさきほど聞こえてきた音が鳴り響く。吹き出しそうになる口元を、ぷるぷると震えだした表情筋の全力をもっておさえる。
 懸命に耐える新人をよそに、審神者は肩をすくめたのち、大倶利伽羅の頭を撫でた。
「なにいってんの。意匠のこととか、相談できる仲間がいたほうがいいと思うよ。いろんな考えを知るのは楽しいもんだ」
 すげなく振り払うかと思ったが、大倶利伽羅は審神者の手を、素直に受け入れている。
 そんな大倶利伽羅を前に、骨喰藤四郎が膝に握り拳を添えたまま、頭をさげた。
「どうか俺に彫金を教えてもらいたい」
「……ほんとうに、やりたいのか」
「ああ。もちろんだ。中途半端に投げ出すつもりはない」
 凛とした骨喰藤四郎の受け答えに、大倶利伽羅が金色の眼を揺らした。
「園芸部は、どうする。粟田口のやつらと一緒のほうがいいだろう。俺と彫金作業をしていたら、その分、あいつらとの時間は減るだろう」
 小さな声で。どこか気遣わしそうにそんなことをいいだすものだから、審神者がぴたりと手を止めた。そして、にやりと笑う。
「なーんだ。大倶利伽羅、骨喰のこと心配してあげてたの?」
「くっ……! 違う、そういうわけじゃないっ……!」
 審神者の言葉に、はっと我に返ったような顔をした大倶利伽羅が、浅黒い肌に血を昇らせている。あわてて否定をしているが、その顔からみて図星で間違いないだろう。
「あー、うん。そうだねー。心配してなかったね、ごめんごめん。私の勘違いー」
「くそ、離せ……!」
 にやにやと人の悪い笑みを浮かべたままの審神者の手から、大倶利伽羅がとうとう逃げ出した。
 そんなやりとりを前にしても無表情を貫く骨喰藤四郎が、小さくひとつ頷いた。
「だいじょうぶだ。兄弟たちは皆、掛け持ちすることについて理解してくれているし、これまで俺がやっていたことは、兄弟たちが手伝ってくれることになっている。兄弟たちとは同室だし、時間がとれないということはない」
 すでにそこまで手回ししているといわれては、これ以上なにかいうことは難しいだろう。大倶利伽羅が、観念したように息を吐いた。
「本気、なんだな?」
「ああ」
「……そうか」
 と、まあ。
 目の前では結構真面目に、気難しい師匠とやる気のある弟子入り希望者との話が繰り広げられているのだが――新人は相変わらず顔を引き締めることで手一杯である。
 なんなんだよ、なんでこんなカラカラカラカラと音が鳴っている中で、誰も笑わずにこんな話ができるんだよ!
 ぐぐっと眉間に力を込めて視線を送った先、大倶利伽羅の背後にある文机に乗せられた籠の中。
 キンクマハムスターが、一生懸命に小さな手足を動かして、回し車でおおはしゃぎしている。
 あまりにも高速回転しすぎて、回し車からたびたび吹っ飛ばされているんですけど、それはいいんですか?!
 キンクマハムスターもそれが楽しいのかなんなのか、再び回し車に乗り込み、また全力で遊びはじめて吹っ飛び、ふかふかの床材に突っ込んでいく。そうしてまた、回し車に一直線――そんなことを、飽くことなく繰り返している。カラカラ音の原因はこれだったのだ。
 新人は、己の腹筋と表情筋の限界を試されている気がした。
 なんで誰もなにもいわねーんだよ! あ、日常風景ですか、だからなにもいわないんですね!
 っていうか、かわいいですね?! 大倶利伽羅様のペットですか?! 触らせてくださいよ!
 新人は小動物が好きだった。
 ぷるぷると震えているうちに、審神者が優しく二人の頭を撫でていた。
「まあとにかく。二人とも、ちゃんと話し合うんだぞ?」
 結果は半ば決まってるみたいだけどな、とおおらかに笑った審神者が歩き出す。
「ん、んんっ、お話し中、申し訳ありませんでした。新しく本丸担当になるものですが、後日あらためてご挨拶に参ります……んんんっ」
 新人はわざとらしい咳払いをして誤魔化しつつ、付喪神たちに礼を失しない程度に挨拶し、審神者の後を追いかける。
 背後ではカラカラと軽快な音が、疲れ知らずに鳴り響いていた。
 新人の気力は、次の曲がり角までが限界であった。

 いきなり噴出したあげく廊下にうずくまったことで審神者をたいそう驚かせてしまったものの、なんとか持ち直した新人は、中庭の奥に設えられた茶室へとたどり着いていた。
「ここは、歌仙がほしいっていうから作った茶室だよ。月に一回、希望者を募ってお茶会を開いてる」
「はー……」
 新人は感嘆の溜息混じりに声を漏らした。
 目の前にある小さな茶室は、侘び寂びを感じさせる質素だが品の良い造りだ。ひっそりとした佇まいで、庭に溶け込んでいる。
 いや、そうなるように庭が作られているのだ。すべてをあわせてこその空間がそこにある。ここだけが、本丸の中でさらなる別世界ようだ。
 茶室の躙口は閉じられていて、中をうかがうことはできない。
 新人は茶道に明るくはないが、全体的に千利休の茶室を手本に作られているような気がする。
 そういえば、歌仙兼定の前の主は細川忠興公である。千利休の弟子であり、利休七哲にも名を連ねる文化人だ。いやまあ、苛烈な性格による逸話のほうが名高いかもしれないが。
 審神者はひょいひょいと苔に埋もれた飛び石をたどり、茶室の横手へと回り込んでいく。
 それを追いかけていくと、白い着物の袖を襷掛けにした歌仙兼定と、作業用の衣服に身を包んだ前田藤四郎がいた。色づき始めた紅葉を見上げている様は、やはり人ではない存在であるせいか、ひどく浮世離れした美しさである。
「歌仙と前田、みーつけた!」
 静寂を握り拳でぶち破っていくスタイルなのか、ここでも審神者は元気に声をかけた。
「どうしたんだい、主。おや、そちらは?」
「新しい担当者になる人だよ。現在、私との顔合わせののち、本丸案内中。初期刀の歌仙と、初鍛刀の前田を紹介しないわけにはいかないからね」
 簡素な経緯を聞いた後、ふむ、と頷いた歌仙兼定が優雅に微笑む。
「なるほどね。僕は、主の初期刀である歌仙兼定。この茶室を任されている。よろしく頼むよ」
「はい。こちらこそよろしくおねがいします、歌仙兼定様。皆様のお力になれるよう、精いっぱい努めさせていただく所存です」
 初期刀と審神者の関係性はこちらが思う以上に深いと聞く。丁寧に頭をさげる。そこへ、すっと近寄ってきたのは小さな影。
 顔をあげると、懐刀と呼ばれるにふさわしい思慮深く凛とした表情の前田藤四郎が立っていた。
「はじめまして新たな担当殿。主君の初鍛刀の誉れをいただきました、前田藤四郎と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます」
「はい。前田藤四郎様におかれましても、なにとぞよろしくお願い申し上げます」
 丁寧に挨拶を交わし、頭を下げあう。なんかようやくまともにご挨拶できたなぁ、と感慨に耽る。
「新人さん。歌仙は茶道部の部長で、前田は茶道部員兼園芸部員だからね」
「ほかには、どなたが所属しておられるのでしょうか? 宗三左文字様も、茶道部であるとはお伺いしましたが……」
「では、僕から説明しようか」
 顎に手を当てた歌仙兼定が、楽しそうに顔をほころばせる。
「茶道部は、現世で行われていることとさして変わりはない活動をしているよ。雅と風流を愛でるのが大前提だ。部長はさきほど主から紹介のあったとおり、この僕。副部長は、蜂須賀虎徹だ。今は部隊長として遠征に赴いているから不在だけれどね」
 どうやら、この本丸の何口かは遠征にいっているらしい。となると、今日会うことはできないの刀剣男士もいることになる。
 脳内に情報をかきつけるように頷き、続きを促す。
「部員は、君もいっていた宗三左文字、小夜左文字、鶯丸。そしてこの、前田藤四郎。五名が所属しているよ」
「前田は、一期がくるまで園芸部の部長をしていたからね、茶道部員になってからは日が浅いけど、お茶会の準備も率先してやってくれてね、すごく助かってる」
「あ、ありがとうございます主君……!」
 歌仙の言葉を補足するように審神者がそういって、照れる前田の頭を撫でくりまわす。見目の通りの、子供らしい歓声があがることはないが、はにかむその笑顔は幸せいっぱいだ。
「ちなみに、歌仙は第三部隊の隊長でもあるよ」
「第三部隊とは、どのような……?」
 戦事を好む第一部隊、夜戦特化の第四部隊とみてきたが、第三部隊にはなにか特色があるのだろうか。単純な疑問に、審神者はたいしたことはないよと笑う。
「基本的にこの本丸の初期にきてくれた刀剣たちが所属してるから、高練度ばかりがそろってる部隊になってる」
 そういえば資料には最高練度からその一歩手前の刀が一部隊分揃っていた。なるほど、彼らが実質的なこの本丸の主力。
「練度最高値の歌仙、前田。次が次郎太刀、あとは蜂須賀、吉行、骨喰が続く。まあ、本丸の古株たちだ」
 本丸を立ち上げて、軌道に乗るまで随分と世話になったと、なんてことないように審神者は笑っているが、簡単なことではなかっただろう。それを感じさせない快活さが、長く細く、しかし確実に審神者として付喪神を従えていくのには適しているのかもしれない。
「まったく、君には苦労させられたよ」
「いやいやまあまあ、その節には大変お世話になりまして。これからもよろしく!」
 やれやれと肩を竦める歌仙の背中をぺしぺしと叩いた審神者が、へらっと顔を緩ませる。
「そんなわけでね、初期刀の歌仙は怒らせると一番怖いから気を付けて」
「……は、ははっ」
 はい、とも、いいえ、とも言い難い助言は正直やめてほしい。若干冷や汗をかく新人が曖昧に笑って返すと、審神者の横手から綺麗であるが男らしい手が伸びてきた。それは、むにっと審神者の頬を遠慮なく摘みあげる。
「主、どういう意味かな?」
「うっひぃぇ、ぎょめんなひゃーい」
 頬を優しくつねられたまま、けらけらと審神者が声をあげた。怖い笑顔で顔を凍りつかせていた歌仙兼定は、それに毒気を抜かれたらしく、すぐに指を離した。そのまま、審神者の肌に指先を滑らせる。
「まったく、そういうのは雅じゃないからやめるようにいっているだろう?」
「うん」
「……しようがない主だね」
 交わされる言葉と行為には、審神者と初期刀らしい気安さがにじみ出ていて、生半可なことではこの間にはいっていけない気配がした。
 そんな彼らについていけるのは、彼しかいないだろう。この本丸で、はじめて審神者が資材を投じて鍛えた刀だ。
 くい、と審神者のジャージの裾をひっぱった前田藤四郎が、小首をかしげる。
「主君、まだ本丸をご案内されるのならば、お供致しましょうか?」
「ううん、大丈夫。前田には今度のお茶会の企画、お願いする。楽しみにしてるから!」
「はいっ! おまかせください!」
 ぎゅーっと抱きしめあう姿は歳の離れた姉と弟のようだ。頬を摺り寄せあう二人を微笑ましく見つめていた歌仙兼定が、「ああ」と声を漏らした。
「そういえば、そろそろ今日のお八つができあがると思うから、厨によっていくといい。今日は、彼の自信作らしいからね。第二部隊の隊長でもある光忠くんもいるだろうし」
「お、やったねー!」
 それは一石二鳥だ、と顔を輝かせた審神者が、前田を離して二人に手を振る。
「じゃ、またあとでご飯のときにね!」
「失礼します。歌仙兼定様、前田藤四郎様」」
 さようなら、という言葉を受けながら、審神者と新人は茶室をあとにする。
 これが本来あるべき審神者と刀剣男士と、彼らに対する挨拶回りだよな! と、心震わせる新人の足取りは軽かった。
 ここまでは。

 乾いた喉を唾液で湿らせて、新人は思う。
 そろそろ脳内に描いて記憶していた本丸の構造が、あやふやになってきた。どこをどう通ってここまでやってきたのだろう。
 今ならば、最初に通された客間までなんとか戻れる気がするが、これ以上経路を増やされるとやばいかもしれない。
 迷子になる可能性についての不安を表面にはいっさい出さぬまま、やや焦り始めた新人の前を、審神者は鼻歌混じりに歩いていく。
「大広間の横をまっすぐいくとー……――じゃーん、我が本丸の心臓部、厨だ!」
「いやいや、心臓部は審神者様の執務室では?!」
「はっはっは、この世の中、生き物にとって食べることが一番大事に決まってる!」
 随分な会話をしながら足を踏み入れた厨には、ふんわりと甘い香りが漂っていた。ざっと見回すが、これまでに訪れたよその本丸よりずっと立派だ。
 刀剣男士の顕現数がここよりも多い本丸であっても、もう少し小さかったように記憶している。
 現代式のキッチンに、さまざまな調理器具がきっちりと整理整頓され揃えられている様は、圧巻だ。
 なんというか……調理師学校の一室であるとか、ちょっとこじゃれたセレブだけが知る名店の厨房といったところだろうか。いや、行ったことはないから想像だけれども!
「お、大将。どうした、茶か?」
 まず出迎えてくれたのは、白衣がこの上なく似合う少年、薬研藤四郎であった。
「お茶も欲しいけど、まずは紹介。今度、担当さんが産休にはいるから、その後任になる新人さん。仲良くしてね」
「お初にお目にかかります。付喪神様方。完全に業務を引き継ぐまではいくらか時間はありますが、なにとぞご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます」
 審神者に促され、ここにくるまでに考えていた挨拶を淀みなく口にして、深く一礼する。
 薬研藤四郎にだけでなく、その後ろから興味深そうに近づいてきていた、和泉守兼定と堀川国広にもあわせて、である。
「へえ、おまえがねぇ……こんな本丸の担当になるなんて、苦労するぜ」
 長く美しい髪を背中で束ねた和泉守兼定が、足先から頭まで値踏みするように視線を動かし、苦笑いした。だがそれはこちらを馬鹿にするようなそれではなく、気遣わしそうなもので、不愉快さは感じない。
「もう、兼さんってば、新人さんを怖がらせるようなこといっちゃだめだよ」
 見た目は年下の少年である堀川国広に注意されて、和泉守兼定は「へぇへぇ」と気のない返事を返している。いつものことなのだろう。
 というか、ここにくるまで驚きの苦労ならばもう嫌というほどしてきましたとも、ええ――そんな言葉が、新人の口から飛び出しそうになったが、にっこりとした笑みと気合で口元を引き締めて阻止した。
「なるほどな。大将は案内係か。俺っちに任せてくれてもよかったんだぜ?」
「そうはいっても、皆やることあるだろうし。庭の手入れも一段落ついたとこだったから問題ないよ」
「そうか。で、それだけじゃないんだろう?」
 やたらと薬研藤四郎の美少年然とした面が、にやりと男前な笑みを浮かべた。藤色の瞳が、ちらりと壁にかけられた丸時計を示した。どうやらお見通しのようである。
 ふへ、と審神者が気の抜けたように笑った。
「歌仙がそろそろおやつできるころじゃないかなっていってたからさ」
「ああ、そうですね。いい頃合いだと思います。今も、冷えたのを確認していたところでしたから」
「ほんじゃまあ、先に八つ時にすっか」
 堀川国広と和泉守兼定が、この厨にはいったときに立っていた位置へともどっていく。そこにあるのは、大きな業務用の白い冷蔵庫だ。ちなみに二台あったりするので、この本丸の食へのこだわり具合がわかるというものだ。
 新人さんこっち、と審神者に促され、六人掛けのテーブルの椅子に腰かける。このテーブルは、遠征がえりの隊の軽食を供したり、夜食を欲しがる刀剣男士たちが思い思いに使うものとのことだった。
 座ったまま、何かを取り出しているいる堀川国広と和泉守兼定、そしてお茶の準備をしている薬研を、交互に見遣る。
「ええっと、私もご相伴にあずかってもよろしいのですか」
「いいんじゃないかなあ? ね、いいよね?」
 すでに出てくるだろうお菓子に思いを馳せて涎を垂らしそうな審神者が、いまさらながらにそう確認すると、なぜか和泉守兼定が得意げな顔をして振り返った。
「おう、いいぜ。今日は多目に作ってあるからな!」
「たくさん作っておいてよかったね、兼さん! 先を見通せるなんてさすがだよ!」
「よせよ」
 すかさず褒め称える堀川国広。頬を染めて照れながら、でもどこか誇らしそうな和泉守兼定。
 ああ、この本丸でも土方組はこうらしい。何か安心した。よそと大して変わらない。
「主さん、はい、どうぞ召し上がってください」
 出されたのは、可愛らしい小さな牛乳瓶型をしたプリン、だった。
「おおー、これは! とろけるプリン!」
「あんまり揺らさないでくださいね。形がくずれやすいので」
 がしっと勢いよく器を掴む審神者に、堀川国広が笑いながら、やんわりと注意する。
 しかしあまり聞こえていないようで、審神者は銀のスプーンを素早く引き寄せ、大きな口をあけプリンを頬張った。幸せいっぱいに満たされた顔で、味わうように目を閉じている。
 それを横目にみつつ、プリンを差し出す堀川国広に「ありがとうございます」と礼をのべ、いただく。
 目の前におかれた小さなスプーンを手に取って、いざ。
「いただきます――くっ?!」
 おいしいおいいしい、とすっかり蕩けている審神者の横で、新人は三度目の食の感動に身を震わせた。そろそろ驚きの雷で、全身火傷してもおかしくはない。
 目の前に星が舞い散るような錯覚に陥る。こくりと嚥下して、ぱっと顔をあげた。
 堀川国広、和泉守兼定、薬研藤四郎の顔を順繰りにみつめながら、叫ぶ。
「このプリン! おいっしいですね!! うわぁ、うわぁ! これは売り物にできるほどですよ! すごいです!」
 ふわふわのとろっとろ。卵と生クリーム、そして牛乳の絶妙な割合が、奇跡のプリンとなって新人の前に出現している。天上の食べ物かと思った。
 瓶の底にたゆたう、美しい深い褐色をしたカラメル。小さく鼻を蠢かせれば、ふんわりと甘く香るバニラと、そこに混じるラム酒の控え目であるが芳醇な匂いが、嗅覚を優しく刺激する。
 再度さしいれたスプーンで掬えば、その姿をとろりと崩してしまうほどのやわらかさ。口に入れれば、すぐに舌先に馴染む滑らかさ。じんわりと口内を満たしていく甘味が、たまらない。
 きゅっと顔の中心に力が自然とこもる。笑顔を浮かべるなというほうが無理である。
 感想を巻き散らかすうちに、あっという間に食べ終わってしまった。至福のひとときだった。
 いつのまにやら淹れられていた緑茶をすすって一息つく。
 と。
「な、なんだよおまえ、いいやつじゃねーか!」
「えっ」
 それまで黙っていた和泉守兼定が、きらきらと目を輝かせて、テーブルの向こうから手を伸ばしてきた。
 へっ、えっ、と声を漏らしているうちに、手が取られて力強く握られた。子供がはしゃぐような無邪気な笑顔で、手を上下してくる和泉守兼定は上機嫌だ。
 どうしてこんなに喜んでいるのかわからず、思わず狼狽える新人の疑問に答えを提示してくれたのは、堀川国広だった。
「そのプリン、兼さんが作ったんですよ」
「!!?!?!」
 思わず悲鳴をあげなかった新人を、だれか褒め称えたまえ。だって、まさかカッコよくてつよーい刀を自称する彼がお菓子作りしてるとか思わないし。
 満足したのか、新人の手をようやくはなした和泉守兼定が、腕組みをして鼻を鳴らした。
「おうよ、この俺が作ったんだからうまいに決まってるだろ!」
「兼さん格好いい!」
 ぶれない土方組を呆然と眺めていた新人は、はっとひとつの可能性に思い至って、審神者に素早く向き直った。
「もしかして、生クリームとか牛乳とかも、この本丸で用意できる、とか……?!」
 しかしこの疑問は杞憂であったようで、けらけらと審神者は手を振って否定した。
「まさか! さすがに牛は飼ってないよ! ……いまはね」
「ですよね!」
 よかった。ほんとうによかった! まさか牧場経営まで手を出していたらどうしようかと思った!
 ほっと胸を撫で下ろした新人の耳には、審神者のごくごく小さな呟きは届いていない。
「うちにいるのは、軍馬と鶏と合鴨だぜ。安心したかい、新人の旦那」
 綺麗な所作でプリンを食べ終わった薬研藤四郎が、二人の会話にはいってくる。
「アイガモ……?」
 なぜに、と思ったが、まさか有機栽培の水田で除草させているのだろうか。いや、きっとそうだ。
 そういえば、と薬研藤四郎が審神者に顔を向ける。
「いまので思い出したが、そろそろ締めねぇとな。いつにする、大将?」
「そうだね。ミント駆除日と重なると大変だから、日程調整してまた連絡する。何羽ぶんかは冷凍保存して、鍋用にとっておこう」
「あっ、皆さん普通に締められるんですね……」
 淡々とこれまで水田で世話になっただろう合鴨を食する算段をたてているあたり、なんというかドライである。
「そりゃまあ、このメンツは料理部だからね。和泉はお菓子専門だけど、そのほかの面子は魚も鳥も捌けるし、鹿と猪あたりもいけると思う」
「あなた方どこのマタギ……って、料理部ですか」
 ここでも部活動かい、と一瞬思ったが、もはやここまでくると部活動というより生業である。
 新人は、中・高時代で培った部活動というものに対する認識を、遠いどこかへ放り投げることにより、この現状に順応する道を選んだ。懸命な判断を褒めて欲しい。
「ええっと、料理部は……」
 審神者の説明によると。
 部長は燭台切光忠。厨の頂点に立ち、和・洋・中なんでも格好良く作りたいよね! が口癖とのことである。
 副部長は、堀川国広。なんでもそつなくこなすがオールマイティさが重宝されており、和泉守兼定のお菓子作りの師でもあるという。
 部員は、三名。
 まずは和泉守兼定。さきに本丸に顕現していた堀川国広に勧誘されて入部し、お菓子作りの才能を開花させつつあるらしい。
 続いて次郎太刀。酒のつまみ作りと果実酒・カクテル作りに精をだし、そろそろ酒蔵の建設をもくろんでいるらしい。
 最後に鶯丸。茶道部とのかけもちで、備前のよしみで光忠が勧誘したものの、実際のところ味見係となっており料理部らしい活動はあまりしていないらしい。というか光忠が鶯丸を甘やかして、お茶のお菓子を作っては与えているというのが実態とのことである。
「思ったより少ないですね。料理に興味がありそうな刀剣男士様もおられそうなのに」
「まあ、実質五名だけど、皆なにかしら厨に集まってくるからね。歌仙は厨当番になること多いし、大倶利伽羅もふらっと料理しにくるし、乱もお菓子作りには熱心だし、薬研の男料理も美味しいし」
「なるほど。料理部は間口広く誰でも受け入れる懐の深さもある、と」
「おお、新人の旦那はそう思ってくれるのか」
 嬉しいねぇと笑う薬研藤四郎はやはり短刀というよりかは、太刀あたりの男前度である。
「ちなみに、第二部隊はこの料理部に加えて、俺っち、山伏国広、鶴丸国永、大倶利伽羅、加州清光、大和守安定、あとは鶯丸が所属してるぜ」
「ちなみに、僕と同じ新撰組に縁のある二人は、手芸部やってます」
「へえ……」
 堀川国広の言葉にも頷きながら、脳内で人数を数える。
「部隊として一番人員が多いですね」
「まあね、中練度~高練度手前あたりが揃ってるから、検非違使対策を主にしてもらってる」
「なるほど」
 こう考えるとうまく役割分担ができている本丸だ。それぞれの脅威に対して、いかにして対応していくか考えた結果なのだろう。
「ところで、隊長の光忠は? こっちにいると思ってきたんだけど」
「ああ米の様子をみにいったぜ。そろそろ新米が仕上がるころだって、そわそわしてたからな」
 審神者が最後の一滴を飲み干し、湯のみをテーブルの上に置く。
「そっかそっか。じゃあ、次は農機具庫にいこうか。そういえば乾燥機の調子悪いっていってたっけ」
「農機具庫?! 乾燥機?!」
 普通の本丸では終ぞ聞くことのないだろう単語に、新人は目を見開いた。
 畜産業には手を出していなくても、農業には惜しみなく手を出していることはなんとなく理解していたが、まさかそこまで?
 審神者はそれはなんてことないことでしょ、といわんばかりの不思議そうな顔をしている。
「はさがけしたほうがもちろん美味しいけど、たくさんとれるから思いきって乾燥機買ったところなんだ。お得意さんも楽しみにしてるし……待たせたら申し訳ないし」
「出荷してるんですか?!」
「出荷っていうか、うちの本丸独自のノルマだよ。ほら、政府の食堂でご飯でるでしょ? あれうちのお米だよ」
「ええええ?!」
 慌てて、自分の端末を取り出し、情報を確認する。
 どのような本丸にも課せられる日課任務に紛れ、「米の出荷」「葉物野菜の出荷」「根菜類の出荷」云々とありえないものがある。
 なにしてるんだよ政府ゥゥゥ!
 思わず端末を握りつぶしそうになったが、頑丈に作られているので出来るわけなかった。力をこめた新人の手のほうが痛む始末である。
 ひょいひょい、と空になったプリンの器と湯のみを片づけながら、審神者が付け加える。
「あとは知り合いの本丸に融通してる。野菜もね。結構好評だよー。よくわからないけど、力が湧いてくるっていうんでね。おかげでうちも資材増えるし、おいしいっていってもらえるしで、いいことづくめ!」
「物々交換してるんですか?!」
 まあそんなところだね、と審神者はあっさりと認めて頷いた。
 新人はテーブルに肘をついて、組んだ手で口元を覆った。ふわとろプリンによる幸福効果がもう消えた。
 広い畑と水田から収穫されるものをいかにして消費しているかまで気が回っていなかったが、よくよく考えればすぐにわかることだ。現在確認されている刀剣男士がすべて揃っていないこの本丸で、食べつくせるわけがない。
 だからといって、政府やらよその本丸に出荷しているとか、誰が思うだろうか!
 ぎりぎりと奥歯をかみしめ、またしてもこちらの常識を破壊してくる事実に耐える。
 新人が心労で胃痛を覚え始めたことなど露知らず、審神者が立ち上がった。
「じゃあ、田んぼにいこうか。和泉、プリンごちそうさま! また、美味しいお菓子食べさせてね」
「おう! まかせな!」
「今度も頑張ろうね、兼さん。明日はなにをつくろうか?」
 ことさらいい笑顔で応える和泉守兼定の傍らで、にこにこと笑っている堀川国広が次に挑戦するお菓子を考え始める。
 そんな彼らを、微笑ましいと思う余裕もない。全身を苛む倦怠感を払拭できない新人は、のろのろと審神者を見遣った。
 ん? と首を傾げられた。新人は悟られぬ程度のため息をついて、立ち上がる。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです……」
「お前のぶんもまた作ってやるからな」
「はい、ありがとうございます」
 和泉守兼定様が優しく気のいい付喪神でよかったと、心から思った。なんか癒される。
 そっと目頭を押さえて歩き出した新人のとなりに、小さな影が躍り出た。
「大将、俺っちもいくぜ。今日できた米とってこねぇといけねえんだ。夕餉の米がどうにも足りなさそうでな」
「そっか。じゃあいっしょにいこう」
 じゃあねと手を振る審神者に続き、新人は土方組の付喪神たちに改めて一礼をし、ふらりと重い足取りで厨をあとにした。

「うわああぁぁ……!」
 新人の悲鳴とも感嘆とも断じがたい声が、審神者に案内された建物の、高い天井にこだまする。
 本丸の玄関からはみえなかったが、水田の片隅に立派な鉄骨作りの農機具庫兼乾燥調整施設がドーンと建っていたのだ。声ぐらい出る。
 一応、本丸の雰囲気にあわせるためか、若干外装が日本家屋風になっていたけれど、中にはいれば異様としか感じられない。
 誰が、乾燥機や色彩選別機、精米機、フォークリフトに玄米保冷器といったものが本丸にあると思うだろうか。だがこれが、この本丸の当たり前の姿なのだ。受け入れるしかない。
「ここ本丸の敷地内ですよね……?」
「もちろんだよ?」
 いまさらなにいってんの、という顔で見られるが、解せぬ。新人からしてみれば、あんたらなにしてんの、である。
 そのとき、新人の背後になにかみつけたらしく、審神者が大きく手を振った。視線がある方向は、新人と審神者がはいってきたところとは逆である。
「おーい! おつかれー、正国!」
「おー」
 ブロロロロ、とエンジンが動く音の中、審神者の声に応えがある。新人は慌てて振り返った。そして叫んだ。
「打刀が軽トラ運転してるー?!」
 白い軽トラックの荷台に、収穫した米をいれるコンテナを乗せ、危なげなく運転する同田貫正国が、審神者に手を振っていた。
 助手席には長い手足を窮屈そうに縮めた御手杵がいる。なんかもう、どうみても稲刈りのアルバイトか家の手伝いに借り出された男子高校生である。
「えっ、っていうか、免許とりにいったんですか?! 刀剣男士が?!」
 慌てふためくうちにも、同田貫正国は車を運転し、乾燥機へとバックでつけていた。助手席から降りた御手杵が、ぐぐっと伸びをするのが見える。
 審神者はそちらへ向かって歩きながら、新人の叫びに律儀に回答してくれる。
「ここ全体が私有地みたいなものだし、一般人が行き交う道路もないんだから免許いらないでしょ。トラクターにもナンバープレートつけてないよ」
「いやいや……! あ、でも、たしかに、公道とか公園じゃないから……いいのか……? いやいやでもでも……」
「なあ、新人の旦那。よかったら、政府に聞いてくれるか。もしだめなら大将に運転してもらわなきゃいけなくなっちまうし」
 新人の一挙手一投足が楽しかったのか、にんまりとして今まで黙っていた薬研藤四郎がそんなことをいうものだから、また驚く。
「審神者様大型特殊免許持ってるんですか?!」
「当たり前だよ。淑女の嗜みだよ」
「そんな嗜み、きいたことありませんけど?!」
 始終落ち着いた様子の審神者と声をひっくり返らせて突っ込む新人のやりとりに気付いたらしく、乾燥機の後ろからひょこりと顔をのぞかせたものがいた。
「おー、主、どうしたき?」
 にぱっと人懐っこい笑みを浮かべ、審神者を出迎えたのは陸奥守吉行だった。たしか、高練度の第三部に所属している刀剣男士である。
「みんなの様子をみにきたよー」
 呑気な様子で審神者がそうこたえると、ぞろぞろと乾燥機の後ろから刀剣男士たちが姿を現した。
 赤いジャージに身を包んだ山伏国広が、審神者の姿をみて顔を綻ばせる。
「おお、主殿! よいところにおこしくださった! 心苦しいのであるが、ベアリングの交換をしたいので、こんのすけ殿に注文をお願いできませぬか」
「わかった。他に必要なものある?」
 どうせ頼むなら一度ですませたいのだろう。審神者の問いかけに、山伏の後ろからひょこりと白い青年が現れた。
 希少度の高い太刀のひとつ、鶴丸国永だ。白い着物をあちこち汚しているようだが大丈夫だろうか。
「潤滑剤も頼んでもらえるかい? どうも変な音がするからな、チェーンにさしたい」
 了解、と審神者がいうと金色の瞳が悪戯っぽく細まった。そんな瞳をちらりとむけられて、新人は反射的に肩を跳ねさせる。
「鶴丸、その手の汚さで主に触れるなよ。……主、こちらは?」
「そうじゃそうじゃ、おんしゃー誰なんなが?」
 やや遅れて近づいてきたのは、へし切長谷部と陸奥守吉行だった。軽トラックのほうにいた、御手杵と同田貫正国もこちらへと寄ってきて、全員の瞳が一斉に新人を映しだす。
「今度、担当さんの後釜になる新人さん。お世話になる人だから、仲良くするように」
「お忙しい中、失礼いたしました。後日、この本丸の担当なるものです。何卒よろしくお願い申し上げます」
 注目される中、深々と頭を下げると、主命とあらば、こちらこそ、よろしく、と受け入れてくれるような言葉が次々とかけられて、ほっとする。
 恐る恐ると顔をあげ、新人は問う。
「えーと、皆様はこちらで何を……?」
「乾燥機の調子が悪いということだったのでな。皆で調整していたところだ」
 軍手をはずしたへし切長谷部にそう返答されて、新人は笑顔が引きつるのが分かった。
「刀剣男士が乾燥機の調整ができるってどいうこと……?!」
「だってここに業者を呼ぶわけにはいかないでしょ」
「そうですけれども!」
 声をあげる新人に、審神者はただ笑っている。
「うちのTOKIO部に任せておけばたいていのことは大丈夫!」
「あ、彼らがTOKIO部なんですか!?」
 そういえば、いろいろなことがあって忘れかけていたが、TOKIO部なんていうものがあるんだった!
 ここに来る前に先輩がいっていたことをようやく思いだし、ぱっと顔をあげると、審神者がニヤリと笑って腕を組んだ。
「おうとも! わが本丸が誇るTOKIO部を紹介しよう!」
 ばばっと細い腕が宙にやたらと格好よく翻った。
「設計、木工、左官、とにかくなんでもござれのTOKIO部 部長! 陸奥守吉行!
 修行、サバイバル、山のことならとにかく任せろ、山菜ソムリエ! 山伏国広!
 本丸の食器のことならこの人! 陶芸のために釜を作りました! へし切り長谷部!
 器用さはピカイチ! 本丸を使ってピタゴラスイッチをやりたい野望を公言してはばからない! 鶴丸国永!
 薬の知識ならだれにも負けない、怪我と病気は俺っちにまかせな! 男前短刀! 薬研藤四郎!」
 以上! と、審神者が声高らかに紹介した。
 なんだろう。後ろに控える五人の背後で、ドーンと効果花火があがってもおかしくない感じである。
「アッハイ……よろしくお願いします……」
 勢いに流された感が半端ないが、新人にはそれに逆らって泳ぎきる自信もなかった。とりあえず頷いておこう、うん。
 かくり、と力なく頷いた新人を満足気に見遣ったあと、審神者はきょろりとあたりを見回した。
「そういや、光忠は? こっちだっていわれたんだけど。一応、部隊長には顔合わせしておきたいんだよね」
「あいつなら、調整終わったコンバインの様子をみるっていって、稲刈りしてっぞ」
「!?」
 同田貫正国に指差されたほうをみれば、全開になったオーバースライダーシャッターの向こうにみえる水田で、なにやら大型機械が動いている。
 それは最新型のコンバインだった。それを格好良く乗りこなすのは、燭台切光忠である。男なら誰もが羨む均整のとれた逆三角形の身体をぴったりと包むお洒落ジャージ。
 新人は目元を手で覆った。なにあれ眩しい。ものすごい様になってて、なんかむかつく。
 幻かなにかだと思いたくて、しばらくそうした後、意を決して手をどけた、みえる景色は変わらなかった。
 ふう、とばかりに額にかかった前髪をはらう仕草をしただけで、なんかキラキラしたものが舞っている。イケメンは何をしていても絵になるようにできているらしい。
 新人は、世の不条理を感じた。
「ああ、邪魔しちゃ悪いね。あとにしよっか」
「いえ主をお待たせするなどあってはいけません。俺が光忠を連れてまいります」
「え」
 ひゅん、と残像を引きずり、へし切長谷部が駆けだした。審神者の返事も待たないあたりそれでいいのか主命の男。
 それなりの距離を速度を落とすことなく駆け抜けて、あっという間にコンバインから燭台切光忠を引きずり出し、へし切長谷部が意気揚々と帰ってくる。
 それは、飼い主にボールや枝を投げられて、とってこーいされている犬を彷彿とさせる光景であった。
 ただし、とってきたもの――今回は燭台切光忠である――の悲鳴が、徐々に近づいてくるというのはなかなか怖いものがある。
 靴裏を鳴らせて急停止したへし切長谷部が、胸に手をあて満面の笑みを浮かべた。褒めて、褒めて! といわんばかりだ。
「お待たせいたしました主! 主命を果たしてまいりました!」
「あ、うん。主命じゃなかったけどありがとう、長谷部」
「このぐらい容易いことです!」
「うん。ほんとうにたすかったよ。だからな、光忠を離してあげよう? 長谷部の全力疾走に、太刀の光忠がついてこれるわけないよね?」
 みれば、半ば引きずられるようにしてやってきた燭台切光忠は思いっきり肩で息をしている。よく転ばなかったなあと感心しつつ、へし切長谷部の暴走具合を間近でみてしまった新人は背を震わせた。
「ええっと……ごめん、ね……ハァ……で、えっと、どうしたんだい……?」
「落ち着いてからでいいよ。こっちこそごめんね」
 息切れをしつつも、穏やかな様子で尋ねてくる燭台切光忠の背中を、よしよしと審神者が撫でる。
「飲むか? 麦茶だけど」
「ありがとう、御手杵くん……」
 ひょいひょいと近づいてきた御手杵から差し出された水筒を受け取り、ゆっくりとお茶を飲んだ燭台切光忠は、ようやく落ち着いたようだ。
 御手杵に礼をいって水筒を返したあと、さらりと前髪を撫でつけて微笑んだ。
「みっともないところをおみせしたね――おや、もしかして君は新しい担当者くんかい?」
「そうだよ。今の担当さんが、産休にはいってから、ほんとうに引き継ぐことになるからね」
「えーと、はい、審神者様のいうとおりでして……宜しくお願いします燭台切光忠様。それで、ですね……」
「なんだい?」
 腰を直角にまげて挨拶をしたところで、そろりと新人は顔をあげる。視界には、同じ不思議そうな顔をした審神者と燭台切光忠が映る。
 性別も種族もなにもかも違うのに、どことなく似ている雰囲気があるのは縁を結んだもの同士だからだろうか。
「あ、あの一応確認したいことがありまして……」
「うん?」
 審神者が反対側に顔を傾けて、続きを促す。
「案内していただいて、よくしていただいて、受け入れていただいて、こんなことをお尋ねするのは失礼かとは思うのですが」
 ごく、と新人は喉を鳴らして間をとり、審神者の目を真正面からみつめた。
「あなたがたはなんのために、この本丸にいるんですか?」
 これで農業を思いっきりやって、米や野菜を出荷をするのが目的です! とかいわれたらどうしよう。そんな一抹の不安が、胸中をよぎる。
 いやだがしかし、ここではっきりさせておかなければならない。余所の本丸で、歴史修正主義者と命がけで戦っている本丸と、本質は同じだと理解しなければ、担当者としてやっていけそうにない。
 ただちょっとばかり変わった本丸だけど、戦う確固たる意志があるのだと! 示して! 欲しい!
 新人の懸命な想いに気付いてくれたのかは知らないが、審神者は顔の傾きをもとにもどすと、至極真面目な表情を浮かべた。
「歴史修正主義者と戦うためだ。あるべき尊い歴史を、守るためだ。懸命に生きた人々の証を消さないためだ」
 そうだよ、と隣に立つ光忠が頷く。柔和な笑みのなかで、金色の片目が刀らしく光っている。
「無辜の民が、憂いなく生きていけるよう、戦い続けることを選んだ彼女に、僕たちは最後までついていくって決めている――この身が、砕けるまで」
 ご回答、どうもありがとうございます!
 ああああ、と新人はコロンビアポーズを決めた。
「そこはわかってるんですね?! てっきり忘れてるのかと思ってましたよ!!」
 これでは自分ばかりが馬鹿のようだ。でもよかったああああ!
 仰け反り喜ぶ新人に、やだなー、と審神者が苦笑した。
「ちゃんと公私の区別はつけてるから安心してほしい。私たちは、自分たちのお役目を、忘れたことはないから」
「ですよね!」
 そういって辺りを見回す。審神者の背後に控えるどの刀剣たちの目も、今は戦うもののそれだ。全員もれなくジャージもしくは作業着姿で、ここは農機具庫だけどね!
「でもほら、戦うことと楽しむことは別でしょ? 生きているなら何事も全力で、がこの本丸のモットーだから、ぜひ慣れてね!」
「は、はははは……そうですね。わかりました! 万全にサポートできるよう先輩から学んでおきます」
 改めてよろしくお願いしますね、と笑いあう。
 なんだかんだとあって、新人の中にあった審神者や刀剣男士、本丸に対する考え方がいろいろと大幅に変わってしまったけれど、まあ、いいだろう。戦果さえあがればそれでいいのだ。美味しいもので士気があがるのならいいじゃないか。
 うんうん、と一人納得しているところに燭台切光忠が近づいてくる。
「ところで君はどんなご飯が好きかな? いろんなお米あるから、たいていの要望にはこたえられると思うんだ。それにあう、君が好きなおかずを作るよ」
 やけにキラッキラとした笑顔で言い寄られて、新人は後退した。まぶしい。
「あ、俺は……いや、私はパン派でして、米はあまり食べない――あ」
 いった瞬間、しまった! と思った。回りの温度が急激に下がった気がした。ぱっと口を押えるが時すでに遅し。先輩にも言われていたというのに。
 目の前に迫っていた燭台切光忠の雰囲気が、反転した。恐怖にかられながら視線を向けると、笑っているのに笑っているように見えない、イケメンがいた。
「……お米の美味しさがわからないなんて……いけない子だね……?」
 あーあーあー、と審神者が嘆いている。周囲の刀剣男士たちも、憐憫混じりのあきれた目を向けてくる。ただ、そのどれもが「お前終わったな」と、いっている。
 くるっと燭台切光忠が振り返る。
「吉行くん! もう水分調整終わってるよね?!」
「ばっちしじゃ! あとは精米すれば食べられるきに!」
 振り返った燭台切光忠の確認に、陸奥守吉行が、いい笑顔でサムズアップしてこたえた。
「薬研くん、今日のメイン料理の予定は?!」
「ああー、豚の生姜焼きだぜ。他は決まってないから、旦那の好きにするといいさ」
 自分が思った通りの回答に、にこりと燭台切光忠が楽しそう笑った。怖い。なんでこんないい笑顔なのに怖いの。誰か助けて! ここには神さまばかりのはずなのに、新人の切実な願いは届かなかった。
 じり、と大きな身体が迫ってくる。
「ねえ、君。今日は、うちでご飯食べていきなよ」
「えっ、えっ……」
 じり、じり、と一歩寄られて、一歩さがるということを繰り返すうちに、新人の背中は農機具庫の柱と接触していた。
 前にも後ろにも逃げられないのなら、逃げ道は左右しかない。とっさに右へと身体を傾けた瞬間、ドカン! とまるでなにか爆発したかのような音が耳元で鳴り響き、新人は身を竦ませた。
 ひいぃ、と悲鳴をあげながら視線をあげれば、新人を取り囲むようにして、燭台切光忠の手が柱へと伸びていた。こんなイケメンからまさかの壁ドン。にこにこと、さきほどからまったく変わらぬ笑顔がほんと怖い。
「食べて……いきなよ……?」
「……はい……」
 この誘いを断れるものがいるだろうか。世の女性であれば一発で恋に落ちるだろう低音の麗しい声にやられたとか、そういうのではない。自分の命の危険を感じたからこその、本能的な承諾であった。
「そうか。夕食をともにするか。ならば先日作った茶碗をやろう」
「ならば拙僧は箸をしんぜようぞ! 山桜でつくったものがまだあるのでな!」
「おおー、よかったね、新人さん! じゃあ、今日は宴だ!」
 わー! と労働後の思わぬ朗報に集っていた刀剣男士たちが沸き立つ。
 米を精米機に移すもの、一足先に厨に向かうもの、食べたいものをリクエストしようというもの、思い思いに行動を開始する。
 審神者のほうも、端末を取り出して何事か連絡している。内容から察するに、先輩にお誘いをかけているようである。
「あの、しょ、燭台切光忠様……そろそろ、どいてください……」
「おっと、ごめんね」
 恐る恐る解放を願い出れば、あっさりと叶えられた。そして、ぽんと肩を叩かれる。
「お米のおいしさ、僕が教えてあげる」
「……アリガトゴザイマス……」
 長谷部が作った茶碗、山伏が作った箸を用意されることとなり、燭台切光忠には目を付けらて、まったくもって逃げ場がなくなった新人であった。

 彼が無事に現世へと帰れたのか。
 そしてパン派は米派へと劇的な変貌を遂げたのか。
 それは、この本丸に住まう神と審神者のみが知る未来である――