円形の縁はほどよく焼き目がつき、ころりとしたベーコンと、ふるりとした半熟卵を、とろけたチーズが優しく包み込んでいる。
ごくごく素朴な食材で作ったがゆえに、それ自体のおいしさが存分にいかされるピザだ。
なので、材料にはこだわった。ベーコンは自家製だし、卵は産みたてのものを今朝方調達してきたし、数種類使っているチーズだって友人の伝手でとりよせたものだ。
そのあたりと語ると長くなるので、それはさておき。
大きな皿に乗せられた、そんなピザを前にして、新緑色をした瞳が、うっとりと細くなるのをみて、ディラスは小さく微笑む。
ふわり、熱気とともにあがってくる香りが、作り手の胸の底まで満たしてくれる。視覚と嗅覚が刺激され、胃の奥が動いた気がした。
同じ空間にいるのだから、大切な恋人であるフレイにも、それは届いているだろう。おいしそうだと思ってくれていると、嬉しいのだが。
いまかいまかと瞳を期待に輝かせ、ピザと自分を交互に見やるフレイをこれ以上待たせるのは酷というもの。ディラスは、さっくりとピザを切り分け、皿ごとフレイの前へとだしてやる。
わくわくとした面持ちで、本日のたったひとりのお客様は、ピザを一切れ持ち上げた。
「熱いから気をつけろよ」
「うん! あっと、と……!」
とろりと引き離されることを惜しむように、あとを追ってきたチーズをなんとか乗せ、フレイは可愛い口を大きく開けて、はくり、とかじりついた。
そうして無言のまま、やわらかな頬を上下させ、フレイが幸せそうに表情を緩めて肩の力を抜いていく。
「どう、だ……?」
あっという間に一切れペロリとたいらげたフレイに、ディラスは訊ねる。
それなりに自信はあるが、食した本人の口から直接感想を聞きたいのが、料理人というものである。
「とってもおいしいよ!」
わずかに口の端にチーズをのせたまま、フレイが輝かんばかりの笑顔で断言してくれて、ほっとする。
「そ、そうか」
「うん! ベーコンにこのチーズがよくあってて、半熟卵がまろやかで……そうだ、今度ポコさんに味見してもらったら? もしかしたら新メニューになるかも」
「どうだろうな。もう少し試してみたいピザもあるし……なあ、また味見してくれるか?」
もちろんだよ、とフレイが笑顔のまま頷く。
「こんなに幸せなお手伝いって、そうそうないよ。いつでもいってね」
「ああ」
フレイの色よい返事にほっとしつつ、ディラスは手を伸ばして、フレイの口の端にあるチーズを掬い取る。
指先のチーズを舐めとると、わずかにもかかわらず味わい深い味が、口いっぱいに広がった。だがもう少し濃いものでもよかったかもしれない。
まだ改良の余地があるな、と舌先に神経を集中させていると、一瞬だけきょとんとしていたフレイが、わずかに頬を染めてはにかんだ。
「ありがとう、ディラス。それにしても、このチーズおいしいね。どこのなの?」
「ああ、これはアーサーに頼んで……」
フレイも料理好きであるため、二人の会話は自然と弾む。
このピザに使ったチーズの原産国や、自家製ベーコンを作る際の注意点など、食材の話に花を咲かせていると。
「お、なんだ、二人で昼飯カー?」
ポコリーヌキッチンの定休日を利用してピザの練習をしていたのだから、客の来店があるはずはないのだが――二人だけだった食堂に、第三者の声が響いた。
よく知ったその声に、反射的に身構える。振り返れば、アーサーの貿易事業用執務室に続く廊下に、一人の少年がたっている。夕焼け色の髪に鈍い銀色の瞳、少しとがった耳をもつドワーフの少年が、そこにいた。
「ダグ、こんにちは!」
フレイが呑気に挨拶がてら手を振るものだから、ひょこひょことダグが近寄ってきた。
特段何をされたわけでもないのだが、出会ったときから妙に張り合ってしまう少年の登場に、ディラスは思わず眉間に皺を寄せてしまった。
いやいや、まだなにも起こっていないのに、こういう顔をするのはよくない。少し前に、フレイと笑顔の練習までしたばかりなのに。かといって、にこやかに応対するのはまだできそうにない。ディラスは、努めて仏頂面をひっこめて、テーブルを覗き込むダグの動向に注意をはらうにとどめることにした。
対するフレイは、満面の笑みでテーブルにおかれたピザをダグにみせびらかしている。それはまるで、素晴らしい宝物を自慢する子供のようだった。
「ディラスがね、とってもおいしいピザを作ってくれたんだ」
「ふーン?」
米が最高! と普段から声高にいっているダグには、あまり興味をそそられる料理ではなかったらしい。どこか気の抜けた返事に、なぜだか苛立つ。いや、興味津々に話題にくいつかれて、オレにも作ってくレ、なんていわれるよりはいいのだが。
「で、なにしにきたんだよ」
刺々しが滲むディラスの問いかけだが、いつものことなので、ダグももう気にとめてたりしない。それにつっかかることもなく、ダグが肩を竦めた。
「アーサーに用事があったんダ。ちょっとでかけてるみてーだカラ、いいにおいするしこっちのぞいたらお前たちがいテ――お、そうダ!」
ダグが世話になっている雑貨屋の仕入れのことだろうか、と話を聞きながら推測していたら、ふいにダグの瞳が悪戯っぽく輝いた。
本能が嫌な気配を感じとる。思わず身を引きそうになるが、ダグ相手にそれをすることはすなわち敗北を意味しているので堪えた。
「なア、ディラス」
「……なんだよ」
男同士の、やや不穏さ漂うやりとりを横目に、フレイがもう一切れ、ピザに手を伸ばしている。幸せいっぱいの表情でピザを味わうフレイに目を奪われそうになっていると、ダグがにやにやと笑いながら言う。
「『ピザ』って10回いってみロ」
「はあ?」
意味がわからない。そんなことをいったところでなんになるのか。自然、眉間の皺が一段階深くなった。
「なんだヨ、いえねーのカ?」
どことなく小馬鹿にするように目を細め、ダグが口の端をもちあげるものだから、ディラスの頭に血が上った。
「いえるに決まってんだろ!」
馬鹿にすんなといわんばかりに、ディラスはその言葉を早口に並べ立てていく。
「ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ!」
これでどうだ!
丁寧に指折り数えてそうディラスが言い終えてすぐに、ダグがフレイの体の一部を指差した。ディラスは思わず、そこを注視してしまう。
ピザを食べるにために、グローブがはずされているから、いつもよりよく見える気がする剥き出しの、小さなそこ。
「ここハ?」
「ひざ」
さらっと訊ねられたことに、さらっとディラスは答える――フレイの、『ひじ』に目を向けたまま。
「「「……」」」
食堂に満ちる沈黙。
一瞬で、間違えたと理解したものの、それがなにであるかにすぐに思い至らない。誰しもの動きが静止した中で、ダグの表情だけがしてやったりといったように変わっていく。
そして、心底楽しそうな笑い声が、炸裂した。
「はははははッ! ここは『ひじ』だロ! こんな簡単にひかっかるなんテ、やっぱり馬だナ!」
よほど面白かったのか、ダグがお腹を抱えて笑っている。
その姿を呆然とみつめていたディラスだったが、ふつふつとしたものが足元から這い上がってくるのにあわせて、現状を理解した。
ひっかけられた!
目元が険しくなるのが自分でもよくわかる。それは、羞恥と怒りによるものだ。
ひっかかった自分が悪いとはわかっていても、ひっかけてきたダグへの感情は、そう容易くおさえられるものではない。
「~~~っ!!」
あまりにもあまりな事態に、顔が赤くなるのがわかる。
しかけられたのは、まるで子供の悪戯だ。だが、それにまんまと引っかかったことが悔しくてならない。しかも、その相手がダグだとは!
唇を震わせて、ディラスはダグを視線だけで射殺さんばかりに睨みつけ、息を吸い込んだ。
「ダグー!」
その名を叫びながらテーブルに手を叩きつけながら席を立つと、ダグはあっさりと身を翻した。ひらり、とその手が別れの挨拶を告げる。
「あっはっはっハ! じゃーナッ!」
そのまま、ダグは大笑いしながら、その俊足でポコリーヌキッチンから飛び出していく。
「もうくんな! バカドワーフ!」
せめてと、その背に追い討ちをかけたものの、遠くから響く笑い声の前には無力だ。ばたん、と無情にも扉は閉まり、食堂には再びディラスとフレイだけになった。
「……ほんとなにしにきたんだよ、あいつ……!」
ああ、きっと、ダグはこれから嬉々として、出会った町の人々に、さきほどの出来事をおもしろおかしくいってのけるのだろう。
奥歯をかみ締めていたディラスは、がくりと体の力を抜くと、弱弱しく椅子に腰掛けた。
終わった。
きっと明日あたりには、レオンがまず同じような悪戯をしてくるに違いない。人を食ったようなあの笑みで、それはそれは楽しそうにひっかけてくるに違いない。
燃え尽きた真っ白な灰の塊にでもなった心地で、ディラスはテーブルに肘を着いて組んだ手に、額を押し付けた。頭が痛い。
「なにもそんなに落ち込まなくても……」
「落ち込んでなんかねーよ……」
そうはいうものの、もちろん強がりである。
「そんな格好でいう台詞じゃないよ、もう」
がっくりと項垂れているディラスがなにをいっても説得力がないと、フレイは言いたいのだろうか。
もういろんなことを諦めて顔をあげれば、フレイが穏やかに笑っていた。
「ディラスは素直だから、反応が予想しやすいのかな? それが、ダグが思ったとおりのものだったから面白がられただけだと思うよ」
「くそ……! 次は絶対にひっかからねぇ……!」
フレイの言葉をきいた後、ディラスは自分の浅はかさを呪うように吐き捨てる。ダグのくだらない期待など、一蹴してやりたかったのに。
ぎしりと骨が軋むくらいの強さで、拳を握り締める。それをみていたフレイが、こて、と首を傾けた。
「そういえば昨日、ダグとキールくんが楽しそうにしてたから、ダグもひっかかったんじゃないかな」
「そうなのか?」
うん、とフレイが頷いた。なんでも、竜の湖のほとりで、ダグの盛大な悲鳴じみた声があがっていたらしい。
「だからディラスもひっかかって欲しかったのかもね」
「いい迷惑だ」
だが、ダグも同じような目にあっていたのなら、多少溜飲は下がるというもの。明日、ダグに何か言われたら、いまのフレイの目撃情報をいってやろう。お前だって同じだったんじゃないのかと、訊ねてやろう。
大嵐の荒野で、天から差し込む標をみつけたような気持ちでいると、フレイがディラスをテーブル越しに覗き込んできた。
「ねえ、ディラス」
「うん? どうした」
もうみっともないところをみせないように、平静を取り戻していることを装いながら、ディラスはフレイの言葉の続きを促す。
にこ、とフレイが可憐に微笑んだ。
「『好き』って10回いってみて?」
「……!」
ディラスは思わず身がまえた。
おそらく、フレイはディラスがまたこういうことにならないように、練習してくれるつもりなのだ。
よし、次こそはひっかからねぇ……!
にやり、と内心の動揺を悟られないように、不敵に笑ったディラスは、フレイを真正面からみつめて口を開いた。
「好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き――!」
どもったり、回数を間違えないように細心の注意を払い、ディラスは真剣にその単語を重ねる。
そして、さあこい! とばかりに気合をいれて、フレイのひっかけを待つ。
しかしながら、フレイは、にこにこと頬を薔薇色に染めて笑っているだけ。
「……?」
「ありがとう、ディラス」
「……あ、ああ……?」
「えへへへ」
なぜなにもいわないのかと、とディラスが不思議に思い始めたところで、フレイは礼をいうと、残ったピザに手を伸ばしたて頬張った。
もちもちと、さきほどよりなお幸せそうにピザを食べるフレイに、ディラスはかけるべき言葉がみつからない。
いまさらながら恋人を前にして臆面もなく『好き』と連呼した事実に対し、こみ上げてくる恥ずかしさから唇が勝手にわなないた。
「……おい!」
「なぁに?」
ピザを綺麗さっぱり平らげたフレイへと、ディラスは声を振り絞る。
「ひ、ひ、ひっかけるんじゃないのか?!」
「ひっかけ問題するなんていってないよ」
確かに、フレイはそんなこと一言たりともいってはいない。だけれど、あの流れならばそうだと思うだろう、普通は!
「じゃ、じゃあ、なんで……」
あんな恥ずかしい言葉をいわせたのか、と詰問したいけれど。いまさらながらに押し寄せている照れのため、ディラスは歯切れ悪く口ごもる。
睫を伏せて、視線をさ迷わせるディラスの様子を眺めながら、フレイがいう。
「言って欲しかっただけだよ」
うっと、ディラスは小さく呻いた。
そんなことをいいながら、フレイが蕩けるように笑うから、それ以上なにもいえなくなってしまう。ずるすぎる。そんな可愛い顔で、そんな可愛いことをいわれれば、許すしかない。
「……そうなのか……」
「うん、そうなんだー」
ごめんね、といいながらも悪びれることなくフレイが笑っているので、ディラスはとうとうテーブルに突っ伏した。首までもが熱いのだから、顔は相当赤いだろう。
これもまた、ある意味ひっかけだ。しかも、ダグのよりたちが悪い。でもさきほどのような怒りは沸いてこない。
だって、そういって欲しかったという、恋しい人の願いを、どうして無碍にできようか。フレイの手のひらの上で転がされている感いっぱいで、なんだがやるせないが!
うーあー、と、しばらく伏せたまま身悶えていたディラスだったが、ゆるゆると顔をあげた。
フレイを、じっとみつめる。可愛い可愛い、自分の恋人。なによりも大切な宝物。
どうしたの? と、テーブルに肘をつき手に顎を乗せたフレイが、瞳だけで問いかけてくる。
ごくりと緊張に喉を鳴らしたディラスは、二度三度を言葉を発しようと挑戦して失敗し―――五度目にしてようやく、それを告げた。
「……す、す……『好き』って10回いってみろ……」
風が吹けば掻き消えてしまいそうな小さな声を、フレイは聞き逃さないでくれたらしい。
大きな瞳をさらに大きくしたフレイが、やわらかに微笑む。
フレイはおのれの胸に繊細な指先をそえて、その奥に秘めた想いを紡ぐために、赤い飴細工でできたような、艶を帯びた唇を震わせる。
歌うように誘うように。この胸へと届く言葉を、あますところなくひろいあげるために、ディラスは聴覚を研ぎ澄ませる。
常人とは違う耳が、このときばかりはありがたい。ディラスは感謝しながら微笑んだ。