「……?」
そろそろ眠ろうかと考えていた夜分、小さな物音がしたような気がして、フレイは手近なところにあるカーディガンを引き寄せて羽織った。
聞こえてきた方向は、城前の広場へ直結している玄関だ。なにやら人の話声もきこえる。
なんだろう、とフレイが小さく首をかしげ、確かめてみようと一歩踏み出した瞬間。
激しい、というほどではないけれど、大きく扉がノックされた。同時に、声が焦ったものになる。
思わず愛用の武器の位置を確かめてしまったフレイの耳に、今度は、もっとはっきりとした声が届いた。
「フレイー!」
「ディラスくん、お静かに!」
それは良く知っているものだった。特に何かない限り、物静かなはずの二人の大きな声に、フレイは目を丸くして玄関へと走り寄った。その間にも、扉はひたすら殴打されている。もたつく手で鍵をあける。
「ディラス?! アーサーさん?!」
聞き間違えようもない声に、何事かあったのかと慌てて扉を開けたら。
「フレイ!」
「っ?!」
大きな人影に抱きしめられた。やっとみつけたといわんばかりに、喜びいっぱい力いっぱいに、だ。
背骨が軋むほどではないが、しっかりとした胸板へと顔を押し付けられる格好となったフレイは、その力強さに思わずみじろぎする。
そうしてなんとか首をひねってみあげたそこに、ディラスの赤ら顔があった。そして、隠しようがないほどに酒の匂いを帯びた息が降ってくる。
「ディ、ディラス……?!」
「フレイ……」
名を呼べば、だたでさえゆるんでいたディラスの頬が、さらに緩んだ。珍しいどころの話ではない。こんなに笑っているディラスを、フレイは見たことがなかった。
「ど、どうしたの?」
「ん? ああ、フレイ……、フレイ、だよな? ……フレイ……」
フレイ、フレイ、とその言葉しかしらないように何度も繰り返しながら、擦り寄ってくる。
なんというか、久しぶりに主人に会えた大型犬になつかれているような錯覚に陥りそうになって、フレイは頭を振った。だめだ。このままでは話にならない。
フレイは、のろのろと視線を彷徨わせ、すぐそこで困った顔をして立ち尽くすアーサーをみた。
「アーサーさん! ディラス、どうしちゃったんですか?」
「すみません、フレイさん」
心底申し訳なさそうにしているアーサーも、頬がほんのりと赤い。
「次の交易の参考にと、さまざまばワインを一緒に飲んでいたのですが、急にフレイさんに会いにいくといいだしまして……。このような夜分では失礼だからと、止めようとしたのですが、なにぶん、私ではディラスくんを止めるには力不足で」
ほんとうにすみません、とまた謝るアーサーに「とんでもない!」とフレイは返した。
だって、それはそうだろう。
槍と拳を得手として戦う肉体派ディラスと、杖を操りさまざまな魔法を駆使して戦う頭脳派アーサー。どちらも頼もしい仲間ではあるけれど、腕っ節の強さだけをみればアーサーがディラスにかなうわけがない。
きっと、ディラスがこうなるまで酒を飲ませてしまったことに責任を感じ、ポコリーヌキッチンからここへ来るまでに何度も諌めてくれたに違いない。そんなアーサーを、きっとディラスは引きずってきたのだろう。
気にしないでくださいと、フレイはアーサーに向かって微笑んだ。
「とりあえず、少し休んでいってもらうことにします。アーサーさんは、明日も朝からはやいんでしょう? ディラスは、私がみていますから」
「そうですか? ――では、よろしくお願いします」
「はい!」
眉をさげ、わずかに逡巡したアーサーであったが、二人が恋人同士であることを考慮にいれたのか、すぐに頷いてくれた。
お酒には強いのか、ディラスのようにふらつくことなく優雅に会釈し、夜のセルフィアへと消えていくアーサーの後姿を見送って、フレイはまだくっついているディラスの背を、ひとつ叩いた。
「ディラス、ほら、家のなかにはいろう?」
「……ん、ああ……」
わずかに身を離してくれたディラスを支えながら、フレイは扉をしめて中へと進む。
ソファでもあればよかったけれど、あいにくと一人暮らしであるため、家具はそこまでそろえていない。
ディラスと恋人になってからは、家でデートすることもあるため、増やそうと思ってはいたのだが、注文すらしていないのが現状だ。
しようがないよね、とフレイは寝台へとディラスを誘導する。横になれるのは、そこしかない。
「なあ、フレイ……」
「なに?」
力の抜けかけた大きな身体に肩を貸すというのも、なかなかに骨が折れるもの。身体の頑丈なアースマイトでよかったと思いつつ、フレイはディラスの言葉に返事をする。
と。
「すきだ……」
「……えっ?!」
ぽつり、と降ってきた言葉に、思わず足を止めてしまう。がくり、と前のめりになったディラスが、不思議そうな顔を向けてくる。
「ディ、ディラス、いま、なんて……」
どくどくと、急に勢いを増した血潮に耳元を叩かれながら、フレイは頬をゆっくりと朱に染めながら、ディラスをみつめた。
幻聴などではなく、ディラスは間違いなくその想いを口にしてくれた。だけど、もう一度言って欲しいと思うのが、乙女心というものだ。だって、照れ屋なディラスは、そんなことなかなかいってはくれないのだから!
フレイの期待の眼差しを受けたディラスが、小さく首を傾げる。そして、笑った。フレイは、思わず息を飲む。
「すき」
耳の奥をいつまでもくすぐるような甘い声と、そのとろけるようなその笑顔に、鼓動がさらに速くなる。
「……!」
全身が火照る。このまま座り込んでしまいたくなるくらい、フレイの足元もおぼつかなくなる。
でも、今ここで二人そろって床に倒れこむわけにはいかなかった。なけなしの力を振り絞って、フレイはディラスを寝台へおしこめる。
ごろり、と長い手足を投げ出して横になったディラスは、まだ笑っている。幸せそうなその笑顔に、きゅう、とフレイの胸がせつなく啼いた。
寝台のふちに腰掛けて、端正な顔をのぞきこむ。
ね、と声をかけると琥珀色の瞳が、ひたりとフレイを映した。まるで、水面にうつる満月を覗き込んだみたいだ。
「ディラスは、私のことが好き?」
「……すきだ」
まるで子供に問いかけるように穏やかに訊ねれば、ディラスがうっとりとしながら頷いた。
「愛してる?」
「あいしてる」
ふわぁぁ、とフレイはなんとも言えない声を漏らしながら、喜びに崩れる頬を覆った。いつもは少し冷たいはずの自分の手は、お風呂上りみたいにぽかぽかとして温かい。ディラスが、あんまりにも素直で可愛いせいだ。
こんなディラスがみられるのなら、多少のお酒は問題ないどころか、むしろ推奨しなきゃ!
素面のディラスがきいたなら悲鳴をあげそうなことを真剣に考えるフレイに、なにもわからぬ酔っ払いのディラスは続ける。
「フレイがいてくれて、うれしい……」
「……私もだよ。ディラスがいてくれて、とってもうれしい」
胸をときめかせながら、フレイは微笑みながらディラスの顔にかかった髪を優しくよけてやる。心からそう思っていると、精一杯の気持ちをこめた言葉に、ディラスがまた笑う。
「そ、か……」
「うん」
そうして、ふにゃふにゃと笑っていたディラスが、ふいにその表情を消した。
どうしたのかな、とフレイが訝しく思ったとき――きゅ、とせつなそうにディラスの眉根がよせられた。
「なあ、キスしていいか……?」
そんなこと、こちらの胸までも苦しくなるような顔をしながら、訊かずともいいのに。いつだって、ディラスから触れてくれるのを待っているのに。
ディラスと同じように、恋しい人へ恋焦がれる甘い苦しみに眉をさげながら、フレイは頷く。
しかし、大きな手はシーツの上をふらふらと彷徨っていて、なかなかフレイまでたどり着かない。
どうやら身体を起こすことも、腕をあげることも、ままならくなっているらしい、うんうんと頑張るディラスが、可愛くてたまらない。
「キス、したい……」
酒のせいか、キスができないことへの不満なのか、やがてその琥珀色の瞳が潤んでいく。そうまでして求めてくれることに、フレイの胸が愛しさでいっぱいになる。
「うん……じゃあ私が、してあげる」
ゆっくりと背を丸め、フレイはディラスの熱い唇へと、己の唇を重ねた。キスできたことに満足したのか、ディラスの大きな身体からさらに力が抜けていく。
まるで、ディラスを襲ってるみたい――そんな考えが、余計にフレイの鼓動を煽る。
わずかに声を漏らしながら、動作の緩慢なディラスの舌を追いかけ、絡めあう。ディラスの熱い口内は、ほのかにワイン味がした。
それをすべて舐めとるように深いキスを繰り返し、息が上がった頃に、ゆっくりと離れる。
ディラスは、ぼんやりとフレイを見上げている。なんだかあどけないその顔をみていると、自分が止まれなくなっていくのを感じていた。
「ねえ、ディラスのこと、なでてもいい?」
「……ああ」
許可を得たと同時に、その長く艶やかな髪に指をもぐりこませる。指の腹で髪の根元を撫でて、するすると先端までを梳く。何度もそれを繰り返すと、うっとりとディラスが目を閉じた。
ふかふかな耳を付け根をそっと擽ってみれば、ぴるっとディラスの耳がくすぐったいと訴えるように跳ねた。それもまた可愛くて、フレイは笑みを深くする。
「ふふ、気持ちいいんだ?」
「……ん、すげえ……きもちいい。フレイの手、好きだ……」
ゆっくりと手を滑らせて、ディラスの両頬を包み込む。鼻先が触れ合うような、吐息は確実に溶けあうような位置で、囁く。
「ね、ディラスは、私のどこが好き?」
いまならきっと、素直な言葉をくれるはず。どきどきと、フレイはディラスの想いを待つ。
ゆっくりと長い睫毛が上下する。そのむこうでゆれる瞳から、目が離せない。ゆらゆらと揺れているその底には、まごうことなき恋情が息づいている。
もともと口下手なディラスは、少しだけ考えるように間を置いて、薄い唇を動かしはじめた。
「フレイ、は、やさしくて……あったかくて……だれよりも、おれを、みてくれて」
まるで子供のようにたどたどしく、おぼつかない感じで、それでもディラスは懸命にフレイに応えようとしてくれている。
フレイがすでに愛しさで胸をいっぱいにしながら小さく頷けば、ディラスの瞳がなごんだ。
「それに、すげえかわいい、し……。おまえを、好きにならない理由が、ねえよ……」
へにゃりと、ちょっとだけ恥しそうに顔をほころばせ、幸せそうにディラスがそんなことをいうから。フレイは無言のまま、さらに顔を赤くするしかできない。
自分から訊いておいてあれだけれども――常日頃、なかなか伝えてくれないディラスの想いを届けてもらえて、どうしようもなく嬉しい。
酒精がもたらした、一時だけの甘く溺れそうな時間。醒めてしまえば、なにもなかったことになるかもしれない。でも今は、酔いしれたっていいはず。愛しい人の、秘めた想いの熱に心と身を焦がしたって、誰も咎めやしない。
零れてしまいそうなこの想いを分けあいたくて、フレイは目頭を熱くしながら、ディラスの額にキスをする。
首をすくめて笑ったディラスが、フレイの手のひらに頬を摺り寄せてくる。
「フレイはおれのこと、すきか……?」
ちょっとだけ不安そうに、でもフレイの気持ちをわかっていて確かめてくるような言葉。フレイは、ディラスを安心させたくて、すぐさま頷いた。
「大好き。私は、ディラスがいちばん好きだよ――きゃっ、」
にへら、と笑ったディラスが、フレイを引き寄せて、そのまま胸元に顔をうずめてくる。ぐりぐりと額をおしつけられて、寝間着というやや無防備な格好であるフレイは、焦った。
「ちょ、ちょっと、ディラス……?!」
急になにをするのかと、慌てて様子をうかがうものの――ディラスは、すでに夢の世界に旅立ってしまったらしく、動きをとめて穏やかな寝息を繰り返していた。
「もう……」
上着を脱がせなければと思っていたのに。それに、とってもお酒くさい。でも、まあ、いっか。
ふふふ、とフレイは胸いっぱいの幸せを抱えて、ディラスの頭を抱きしめる。掛け布を引き上げることはできそうにないけれど、二人が寄り添えば寒いなんてことはない。
「おやすみ、ディラス」
返事はない。かわりに、規則正しい穏やかな吐息が、フレイの胸元をくすぐった。
おおきな子供みたいと笑いながら、重なる鼓動といつになく高い体温の心地よさに導かれ、フレイはすとんと眠り落ちていった。
「うおああぁぁああ?!」
「ひゃああっ?!」
突如として耳元で響き渡った大きな声に、フレイは問答無用でたたき起こされた。なに、なに?! と慌てて体を起こす。睡眠の余韻などあったものではない。
きょろきょろと寝起きで霞む目をこすりながらあたりを見回し――これでもかと目を見開いたディラスと視線が絡んだ。
フレイの寝台は左側が壁にぴったりとつけられている。その壁に標本よろしく背中から張りついたディラスが、ぱくぱくと口を開け閉めしている。
「な、なななな、なん、なんでフレイ……!? おまえ、な、なんで俺のベッドにいるんだ?!」
寝癖で乱れきった髪。昨晩心配していたとおり皺だらけになった服。首まで真っ赤になったディラスをみて、フレイはなんとなく事態を察した。
おそらく、先に目覚めたディラスが、隣で眠る自分をみて驚いたのだろう。
まだ耳の奥で、ディラスの悲鳴が木霊している気がする。強制的に目覚めさせられたせいか、微妙なけだるさからくる欠伸をひとつ漏らして、フレイはもう一度目をこすった。
「なにいってるの? ここ、私の家だよ?」
あふあふと、もうひとつでてきた欠伸をかみ殺しながらそういえば、ディラスがあたりを高速で見回した。
「……な、ななな、なんっ……っ、いてて……?!」
「もしかして、覚えてないの?」
頭を抱えるようにして背を丸めるディラスの様子に、二日酔いなのかもと察しつつ、フレイは寝台のうえに改めて腰をおちつけた。
そうっと覗き込むように顔を近づければ、ディラスが真っ青な顔で、ゆっくりと頭を上下させる。
「そっか……」
「!?」
フレイは、わざとらしい吐息を漏らした。それに、びくぅっとディラスの肩が跳ねる。ゆるゆると持ち上げられた顔は、途方にくれている。
どうやらほんとうに、なにも覚えていないらしい。おどおどとしているディラスの姿が、フレイの悪戯心に火をつけた。
視線を逸らし、頬に手をあて、悲しげな仕草をしてみせる。
「……いっぱい、いってくれたのに」
「な、なにを、だ……?」
ひくっとディラスの頬が引きつった。内心、笑い出したくてたまらないのを堪えながら、フレイは続ける
「……あんなに、情熱的だったのに」
「だからなにがだ?!」
大いにあせり、とうとう涙目になって自分の衣服を確かめはじめたディラスをちらりと見遣り――フレイはとうとう声をあげて笑った。
それをみて、ディラスがぽかんとした顔をする。そんなディラスに向かって、フレイは唇の前に指をたてて悪戯っぽく笑った。
「ふふふ、ひみつ、だよ」
「?!?!」
何も思い出せず、ありとあらゆる可能性を思い巡らせているのだろうディラスを横目に、笑いながら寝台を降りる。
昨晩の素直なディラスとのやりとりは、自分だけの甘い思い出。いつか、ディラスがお酒の力がなくても、あんなことをいってくれるようになるまでは、教えてあげない。
追いすがる手をかわし、フレイはくるりと振り返った。
「ディラス、朝ごはん食べていく?」
「……とりあえず、水をくれ……」
「はーい」
よろよろと寝台に再び横になりながら、弱々しく懇願してくるディラスのために、フレイは笑いながらキッチンへと向かった。