「なんだト?! もう一回いってみろ、このウマ野郎ガ!」
「ふざけんな、このバカドワーフ!」
畑仕事、住民への挨拶、姫としての仕事。
その他諸々のやるべきことを終えたフレイが、ポコさんのおいしいスイーツでも食べようかな、と食堂の扉を開けた瞬間。
二人分の怒声が、扉をおしのけるような勢いで飛び出してきた。
フレイは、目を瞬かせながら思う――またやってる、と。
それは、半ば呆れ半ば感心するしかないほどに見慣れた、ディラスとダグの喧嘩であった。
はあ、と小さく息をこぼすフレイの視線の先、店内中央で二人は互いの胸倉をつかみあっている。
あれだけの身長差で一歩もひかぬダグがすごい。差を埋めるためなのか、爪先立ち気味なのはご愛嬌だ。
そんなダグに覆いかぶさるような勢いで迫るディラスもディラスである。普通に怖い。顔が怖い。このままでは、せっかく一緒に笑顔の練習をしたのに、もとにもどってしまいそうだ。
というか、自分に対しても、たまにはあれくらい迫ってくれればいいのにと、フレイは思ってしまう。恥しがりやで奥手な可愛い恋人であるディラスには、ちょっと難しいかもしれないけれど。
店内に置いてあるピアノのそばにいるマーガレットと視線があうが、やれやれといわんばかりに肩をすくめられた。
どうやら、彼女も匙を投げてしまったようだ。ポコリーヌは、自分で作ったまかない料理に夢中であるようだし……。フレイは、苦笑いするしかなかった。
みれば、ぎゃんぎゃんとやりあう二人からややはなれたテーブルで、いつもの男性陣が談笑しながらお茶を飲んでいる。
きっと、ディラスもダグも、最初はあの輪の中にいたのだろう。ところが、話が脱線していったあげく、あれよあれよという間に、ああして喧嘩になったに違いない。いつものパターンだ。
ほんと、こりない二人だなぁ、と、仲が悪いのか仲が良いのかいまいち判断のつかぬディラスとダグを遠巻きに眺めつつ、フレイはテーブルに近寄った。
「こんにちは」
「ああ、アンタか。こんにちは」
「こんにちは、姫!」
「フレイさん、こんにちは」
「こんにちは、フレイさん。よろしければ、一緒にお茶などいかがですか?」
レオン、ビシュナル、キール、アーサーが順々に挨拶を返してくれる。
アーサーに「ありがとうございます。いただきます」と伝えれば、優雅な仕草でティーポットから、カップにお茶を注いでくれる。たちのぼる湯気とともに広がった爽やかな香りが、フレイの小さな鼻の奥をくすぐった。今日のお茶はアールグレイのようだ。
ビシュナルに洗練された動作で椅子をひいてもらい、フレイはそこへと腰掛ける。どうぞ、とクッキーが乗った皿が、キールの手によって差し出された。
それをひとつ摘み、さくりとかじる。おいしさに、ついつい頬が緩む。しかし、すぐそこでは喧嘩の真っ最中。ゆっくりと味わうにはあまり適していない環境であった。
「えと、それで今日はどうしたんですか、あの二人」
それでも、クッキーをほおばりつつ、お茶を飲みつつ、フレイは訊ねる。
「ん? ディラスとダグか? ついさっきまで、この街で誰がいちばん足が速いか、という話をしていたはずなんだがな。気づけば、ああなっていた」
さして興味がない様子を装っているが、レオンの尾は楽しげに揺れている。いや、実際、おもしろがっているのだろうけど。
「とかいって、レオンさんが焚きつけたんじゃないんですか?」
「さぁな?」
ハハン、とレオンがそらとぼけたように鼻を鳴らしながら目を細める。その表情に、間違いなくレオンがそれとなく煽ったのだろうことが読み取れる。
「まったくもう……」
互いに相手を気に入らないと思いつつ、本格的な殴り合いにまで発展しないディラスとダグだからいいけれど、あまりからかわないでほしい。ディラスはああなると、フレイの言葉にも気づいてくれなくなるときがあるのだ。
何度かあったそんなときのことを思い出し、むう、とフレイはわずかに眉を寄せる。
「なんだ、恋人が自分以外に夢中になってるのは気に食わんか?」
「え?! いえ、そ、そんな……こと、は……!」
レオンに心のうちを見透かされ、フレイは頬を赤らめる。
相手はダグだし、男の子だし、と慌てて否定しようとするものの、フレイの心は『さびしいものはさびしい』と懸命に訴える。
うぐぐ、と言葉につまったものの、フレイは観念することにした。
レオンはすぐにはぐらかすし、誤魔化すくせに、他人の心を暴くのが上手い。神官という職についていたせいだろうか。
「……そう、です。ちょっと、さびしいです……。いつも、ダグ、ダグって……」
さきほどの勢いはどこへやら。呆れられるだろうなと思いつつ、フレイは身体を小さくさせながら、素直に気持ちを口にした。
「おやおや、ディラス君は罪作りですね。フレイさんに、このように寂しいおもいをさせるなんて」
可愛い人ですね、と、うっとりするような優しい眼差しとともに、とろけるような甘い声でアーサーが囁くものだから、フレイは耳まで熱くした。本物の王子様にそんなことをいわれて、照れない人がいたらここに連れてきてほしい。
キールも、ビシュナルも、にこにこと微笑ましいものを見守るような顔をしている。いたたまれなくなってきた。フレイは誤魔化すように、クッキーをひとつ口の中へと放り込む。
「なに、ディラスの気持ちは、まっすぐアンタに向いてるよ」
「そうだったら、いいんですけど……」
むぐむぐと咀嚼しながら、無駄な心配をするなというレオンの言葉に、フレイは歯切れ悪く返した。
「ところで、姫は街のみんなの中で、誰が一番足が速いと思われますか?」
ビシュナルなりの気遣いなのだろう話題転換に、フレイは首をひねった。
「……そうだなぁ……」
きらきらとした瞳にみかえしながら、考えてみる。
冒険につきあってくれるみんなの身体能力は、おおむね把握している。
主に魔法を主体に戦うアーサーは論外だろう。というか、あの格好で全力疾走するアーサーとか、考えることすらできない。
キールも同じだ。片手剣を得意としているけれど、そんなに足は速くなかったように思う。どちらかといえば、魔法のほうが得意そうだ。
となると、レオン、ビシュナル、ダグ、ディラス――の、いずれかになるだろう。
背が高いということは、足も長いということだ。そう考えれば、ダグが除外されることになる。でも、ダグの戦闘時の動きを思い返せば、それくらいの差は補えそうでもある。
かといって、背の高いビシュナルやディラスは歩幅が大きい。レオンだって、ダンジョンを悠々と走っていく。普段は飄々としているけれど、本気をだせば、きっと速いに違いない。
あれ……、でも――?
むむむ、と可愛らしく眉間に皺を寄せているうちに、いつの間にかテーブルに集う男たち全員の視線が集中していた。それらを受け止めながら、フレイはにっこりと笑う。
そんな男たちをひきつれているのは、誰かと考えれば――結果はすぐにでるというもの。
「私、かな」
えへ、と自分を指差せば、一拍の後にレオンが小さく噴出した。くつくつと、ひどく楽しげに喉を震わせている。
「確かにそうかもな。俺たちをおいて、どんどん先に進むからな、アンタは」
「そうだね。僕、フレイさんにおいつけたことないや」
「ですね! よーし、姫に負けないように特訓だ!」
賛同しながら穏やかに笑うキールとは対照的に、ビシュナルが拳を握り締めて燃えている。
「私など、フレイさんにおいつくだけでも精一杯ですよ」
「でも、アーサーさんがサポートしてくれるから、私は前へ進めるんですよ?」
苦笑いしながら頬をかくアーサーに、いつもありがとうございますと伝える。
一緒に前へ前へと出るのもいいが、安心して後ろを任せられる人がいるというのも大事なことだと、フレイは思っている。
「ふふ、ありがとうございます。お茶のおかわりはいかがですか?」
「いただきます!」
アーサーの申し出に、フレイは満面の笑みで、すぐさま飛びつく。
「ほら、このケーキはどうだ? おごってやろう」
「ありがとうございます! わ、おいしそうですね……!」
そういいながらレオンが差し出したのは、ガトーショコラだ。ふりかけられた粉砂糖が、淡い雪のようで綺麗だ。添えられた生クリームがまた、おいしそう。
「フレイさん、これも食べてみて。とってもおいしいよ」
「姫! こちらもどうぞ!」
「ありがとう!」
そうして、ディラスとダグの喧嘩をききながら、楽しくおしゃべりしつつのんびりとしたティータイムを過ごし――ケーキひとつ、クッキーたくさん、お茶二杯をフレイがその胃におさめた頃。
「じゃあ、勝負ダ! 決着をつけようゼ!」
「のぞむところだ!」
ぎゃんぎゃんと、不毛な言い争いを繰り広げていた二人が、勢いよく振り返ると食堂出口へと足音荒く歩き出した。
いきなりの展開に、まったりとしていたフレイは慌てた。
「ちょ、ちょっと待って二人とも! どこにいくの?!」
さすがにこの状態で外にでられて、さらなる喧嘩に発展されては困る。
椅子を大きく揺らしながら立ち上がって声をかければ、まったく同じタイミングで振り返られた。やっぱり仲がいいのかもしれない。
くわ、と二人の口が大きくひらく。あまりにも必死の形相すぎて、さしものフレイもちょっとひいた。
「広場ダ!」
「広場だ!」
声をはもらせた二人が、どかどかばたばたと、周囲のことなど省みることなく、食堂を飛び出していく。
ああ、やっぱり仲いいんだこの二人……と、フレイは思った。なにもそんなに息ぴったり、行動までもあわせなくていいのに。
「おもしろそうだな。よし、いくか。ほら、アーサーもこい。審判でもしてやれよ」
レオンが嬉々として席をたち、アーサーの肩をひとつたたいて、二人のあとを追う。
「しかたありませんね」
「あ、ぼく、応援する!」
「どちらが勝つか、気になりますね」
いそいそと立ち上がるアーサーに続き、キールとビシュナルも、それぞれに思うところがあるらしく、移動を開始する。
「わ、私もいく!」
男たちにまぎれて、フレイもまた、城前の広場へと向かうことにする。結果はどうあれ、あの二人が周囲に迷惑をかけないか、それが心配だった。
騒がせてしまったポコリーヌとマーガレットに侘びをいれ、食堂をあとにする。
走り回ってうっかり街の人でも巻き込んで転んだりしたら、ダグを引き取って一緒に暮らしているブロッサムは心を痛めるだろう。もしディラスが怪我でもしたらと考えるだけで、フレイだって心配で心配で、たまらなくなる。
それぞれの思惑を抱きながら、ディラスとダグを追って広場へと到着すれば、二人はその片隅でまだ言い争いをしていた。
どうやら、最大限の長さを利用するために、広場を南東から北西へ斜めに横断するように走るつもりのようだが、どうやってはじめるかなどでさらに喧嘩しているようだ。不毛すぎる。準備が悪すぎる。売り言葉に買い言葉で、後先考えないからこうなるのだ。
それを察したビシュナルとキールが、さりげなく通行人の誘導をはじめれば、アーサーが長いマントをさばきながらゆったりとディラスとダグに近づいて微笑んだ。
「僭越ながら、私が合図をいたしましょうか?」
「ああ、頼む」
「おウ。任せたゼ!」
それは、二人が望んでいたことでもあったのだろう。渡りに船とばかりに、あっさりと了承の意が返ってくる。
「じゃあ、俺とフレイがゴールで待つとするか」
「あ、はい!」
レオンに背を優しくひとつ叩かれ、フレイが北西へと歩こうとしたとき。
「フレイ」
「え?」
ディラスの声に反射的に振り返った先の視界が、黒いものに覆われた。
「わぷっ」
いきなり顔全体を覆ったあたたかなものを、フレイは慌てて引き剥がす。それは、ディラスの上着であった。ディラスが着ているときにはさほど思わないが、袖も着丈も長く、肩幅は広い。まさに、男の服。
きゅうん、と胸が締めつけられる。さきほど感じた不安や心配とはまったく違う。恋人の服を預けられただけのはずなのに、なぜかときめく。
「持っててくれ」
白いシャツの袖をまくり、襟元のボタンをはずしてさらに胸元を緩めながら、ディラスが強い意志をこめた瞳で、フレイを見据えた。いつになく真剣にみつめられて、フレイの鼓動がさらに速くなる。
「ぜったいに勝つ。ゴールで待ってろ」
「……!」
熱に浮かされたような無意識のうちに、フレイは何度も頷いた。ぎゅうと握り締めた上着から、ふわりとディラスの匂いがした。ますます、足元が浮つく。
「いい気合だ。これで勝負がもっと楽しみなってきたな。さあ、フレイ、いくぞ」
レオンに促されて、睨み合うディラスとダグ、そしてアーサーをその場に残し、フレイは広場の北西へと向かう。
ゴールの目印に、とレオンが頭のターバンをはずして、布の一方をフレイに握らせる。もう一方を掴んだレオンが、アーサーに手を振る。
準備ができたと確認したアーサーが、その手をふりあげた。広場の端と端では、彼らがなんといっているかまでは聞こえない。だけれど、アーサーが何かをいうと、ディラスとダグはそれまでの舌戦をとめ、まっすぐにゴールを見据えた。
ひとつ頷いたアーサーの手が、さらに高々と天を指す。高まる緊張が、遠い場所にいても伝わってくる。
こくり、とフレイは喉を鳴らした。
そして。
アーサーの手が、空を切り裂くように振り下ろされた。ひらり、旗のように衣装の袖が翻る。空気をはらんだ上質な布地がゆったりとあるべき位置にもどるよりはやく、ディラスとダグは、ほぼ同時に踏み込んでいた。弾けたように、二人が駆け出す。
速い――!
ぎゅっとディラスの服を握り締め、フレイは目を見開く。本気をだした二人が、こんなに速いなんて!
ぐんぐんと近づいてくる二人に、それほどの差はないようにみえる。フレイの体の奥底から、妙な焦燥感がこみあげてくる。
負けないで――!
そう、強くおもった。
「ディラス!」
フレイは、ぎゅっと胸にディラスの上着をおしつけて、ただ、叫ぶ。
「がんばって!!」
その声は、真剣勝負にいどむディラスの耳に届いたのだろうか。そんなこと、フレイにはわからない。だけれど――ぐん、とディラスの速さが増した。
まさに草原を自在に駆ける駿馬のように、ディラスが中盤から一気に伸びてくる。だが、ダグもまた速い。食らいついてくる。
そうして、息が詰まるような争いの果て、白い布に最初に触れたのは――ディラスであった。
風をうみだし供に連れ、青い髪を鬣のように靡かせて、ディラスはフレイの真横を駆け抜けていった。その瞬間に垣間見た、太陽の下でいつもよりなお輝く琥珀の瞳が、脳裏に焼きつく。
「~~~っ……!」
まるで、ディラスがそのすべてを捧げるように自分のもとへと飛び込んできたような、そんな錯覚に陥って、フレイはあやうくその場にへたりこみそうになった。自分はまったく走っていないのに、熱い血潮がフレイの全身を縦横無尽に駆け巡る。
「どうだ!」
胸元に絡むレオンのターバンを、するりと落としながらディラスが満面の笑みで振り返る。
その、めったにみることができない笑顔に、さらにフレイの胸がときめいた。
さっきまで、あんなに不機嫌そうで、真剣で、誰も寄せ付けないような怖い顔をしていたくせに、子供のように笑うなんてずるい。
でも、そんなところがたまらなくかわいくて――やっぱり、かっこういい!
「すごいすごい!」
フレイは、ディラスに駆け寄ると、ぴょんと跳ねるようにして飛びついた。腕を懸命に伸ばして絡めた首へとかじりつくようにして、火照って汗ばむディラスを抱きしめる。
「みてたか、フレイ!」
「うん! みた! みてた! すごかったよディラス!」
額と額をこすり合わせるくらいの近くで、顔を見合わせ微笑みあう。ほんとうに格好良かったと伝えれば、ディラスが照れくさそうな表情をする。
なんだかそんなディラスにもっと触れたくなって、いまだほころんだままの顔を引き寄せながらその頬に唇を寄せようとした、そのとき。
「あー、ちっくしょゥ……! おめーら、いちゃいちゃすんナー!!」
ばったりと広場に倒れこんだダグが、街全体に響き渡るような大声で叫んだ。そのまま、ぜぇぜぇと全身を揺らすようにして呼吸している。
はっ、とフレイはここがどこで、どういう状況なのかを思い出した。恐る恐るみあげたディラスも、「しまった……!」というように目を見開いている。
「っ、わ、悪い……!」
「あ、ごめん……!」
大慌てで、飛びのくように離れる。膨れ上がったさまざまな感情に踊らされてしまったとはいえ、公衆の面前で抱き合うなど普段からは考えられない行為だ。
急にこみ上げた照れくささに、互いに互いの顔をみられない。
そんな二人のそばで、のんきにターバンを頭に巻きなおしていくレオンが、寝転がるダグを見下ろして笑った。
「敗者の雄たけび、か」
「うっセー!」
哀れ哀れと、わざとらしく同情してみせるレオンに向かって、手足をばたつかせながらダグが抗議する。
「おつかれさまです! いい勝負でしたね!」
「うん! 二人ともすごかったよ!」
興奮しきりといった様子で、ビシュナルとキールが駆け寄ってくる。確かに、側面から勝負をみていたほうが楽しかっただろう。
「どうやら、ディラス君の勝ちのようですね」
「わかってるっつーノ!」
おっとりがたなで最後に合流したアーサーの言葉に、改めていうな! と、ダグが掠れた声で叫んだ。よほど悔しいらしい。
「ちっくしょウ……!」
がば、と上半身を起こしたダグが、びしりとディラスを指差した。
「次は勝つからナ! 首を洗って待ってロ!」
「ああ、いつでも受けてたつ」
勝者の余裕をわずかに滲ませながら、ディラスがその挑戦にこたえて不敵に笑った次の瞬間。
「こらー! あなたたち、広場でなにを騒いでいるのですか!」
遠くから、神竜の女騎士たるフォルテの声がとどろいた。
その場にいた全員が、一斉に見遣ったのは南東――すなわち、この勝負のスタート地点だ。そこに立つフォルテは、わなわなと遠目にもわかるくらいに肩を震わせている。
誰かが連絡をしたのか、定期巡回の際にみかけたのかはわからないが、祭りの日でもないのに城前を騒がせていることに対し、どうやら立腹しているようだ。
「みなさん、そこから動かないでください! きちんと説明してもらいます!」
この距離でもはっきりと聞こえるくらいの通る声でそう宣言し、鎧の重量などものともせずに駆けだしたフォルテをみて、ざぁっと、当事者たちの顔から血の気がひいた。
きっと理由を話しても、真面目すぎるくらい真面目なフォルテには通用しない。耳が痛くなるほどに、お説教されるのは確実だ。
「っ、やべ……!」
「げげっ、まずイ……!」
「あわ、あわわ、ど、どうしましょう……!」
「私そろそろ商談の時間なので、これで失礼しますね」
「おねえちゃーん!」
顔を引きつらせるディラスの足元で、ダグがよろよろと立ち上がる。しかし、疲労からか、膝が笑っている。
ビシュナルが頬に手を当てて、うろたえている横を、爽やかに微笑んだアーサーが「失礼」と通り過ぎていった。
それを気に留めた様子もなく、キールが恐ろしい形相を浮かべて迫る姉に向かって暢気に手を振る。
「バカ! なに手なんか振ってるんだヨ!」
「え、だめなの?」
「ああっ?! レオンさんがいつの間にかいなくなってます!」
そういえば、ついさっきまでそこにいたはずのレオンが、綺麗さっぱりあとかたもなく消えていた。ビシュナルにいわれるまで気づかなかった。
どうやらいちはやくこの場を離脱したらしい。それに気づいたダグの顔色が、ますます悪くなった。
「なにィ!? ……に、逃げロー!」
ダグの叫びが合図となり、わぁぁぁ、と蜘蛛の子を散らすようにして当事者たちは逃げ出した。キールだけが、鬼ごっこでもはじまったような、楽しそうな顔をしているのが印象的だ。
逃げるほうがよほどあとから怒られるのに――とりあえず、私から説明をしておこう、と一歩前に出たフレイの体が、意思と重力に反して浮き上がった。
「きゃあっ!?」
軽々と抱き上げられて、突然のことに目を白黒させる。みあげたすぐそこにあるディラスの顔は、必死だった。
「いくぞ、フレイ!」
ディラスはそのまま、広場から街の西側へと続く道を駆け下りる。
ぐん、と景色が後ろへとひっぱられていく。いつもとは違う高さ、いつもとは違う速さに、逃亡をしていることを忘れてフレイは顔を輝かせる。
「っ、――あは、あははっ! すごい、はやい!」
「ばか、舌噛むぞ?! だまってろ!」
「うん!」
頷きながら、フレイはディラスの肩越しに後ろをみてみる。
が、フォルテは追ってきていない。どうやら、別の誰かを標的にしたようだ。できることなら、キールあたりからこうなった経緯を、落ち着いてきいてもらいたいものだ。
そうして、再びの全力疾走をみせたディラスは、竜の湖までくるとフレイを降ろし、ばったりと仰向けに倒れこんだ。さすがにフレイを抱えて走るのは、堪えたのだろう。
「ディラス、大丈夫?」
「……」
フレイは真横に腰をおろして、大きく胸を上下させるディラスを上から覗き込む。目をうっすらとあけたディラスが、無言のまま小さく頷く。体力のあるディラスなのだから、少し休めば問題なさそうだ。
湖の水面を渡ってくる風が心地よい。さきほどまでの騒がしさなど微塵も感じられない静けさのなか、瞳を閉じて呼吸を整えるディラスをみつめる。身体が急激に冷えるのもよくないだろうと、預かっていた上着をそっと腹あたりにかけるようにして返した。
汗で額にはりついた髪を指先で梳きながら、フレイは笑う。
「あのね、ディラスとっても格好良かったよ」
「……」
言葉で応えることはまだできないらしく、ディラスの眉がわずかに寄った。恥しいのだろう。
くすくすと声を転がしながら、フレイはゆっくりとディラスへと顔を寄せる。
「いつも、あんな風に私だけをみていてね」
そう囁いて、さきほどしたくてもできなかった口づけを頬に贈れば、ぎしっと音がきこえてきそうなくらいに、ディラスの身体が強張った。
これくらいで驚くディラスがほんとうに可愛い。
そんなことを思いながらゆっくりと顔をあげれば、つらいはずなのに呼吸さえも忘れて目を見開いたディラスと視線が絡む。
さきほど、あんなにも男らしく見惚れるほどの姿をみせていたとは思えないくらいの幼げな表情に、また愛しい気持ちが湧き上がる。
「……ほら、ちゃんと息しないとだめだよ?」
「~~~っ、」
そういって、フレイはひどく楽しい気持ちで微笑みながら、指先でディラスの唇にそっと触れ――覆いかぶさって、キスをした。