恋する悪魔の大暴走 前編

「見合いだ、さくまさん」
「はぁ」
 出勤早々、雇い主である芥辺――暑い季節だというのに汗ひとつかかず、黒いスーツを着こなしている――が、発した言葉に、佐隈は曖昧に頷いた。
 ミアイ。
 なんか、カタカナにするとモアイの親戚っぽいな、とか、わりとどうでもいいことを考えてしまうのは、いわれたことが咄嗟に理解できなかったせいだろう。
 そんな佐隈に代わり、事務所内にいた悪魔が騒ぎ出した。
「な、な、な、なんやってぇぇー! アクタベはん、あんた、さくに見合いをさせるんでっか?!」
「そうだ」
 アザゼルに淡々と答える芥辺。いやいや、なにを当然のような顔をしているんですか。あなた私の父親ですか。
 そんなツッコミをいれる間もなく、小さな影が宙に舞った。
「どこの馬の骨ともわからん男にさくの処女が奪われるならいっそここで――!」
「なんでそういう方向になるんですかっ!」
「ギャァァァ!」
 目をギラギラさせて飛び掛ってきたアザゼルを、呪文一発、雷撃で退けた佐隈は黒コゲになった物体には見向きもせず、芥辺へと向き直った。ようやく事態を把握した。これは由々しきことだ。
「なんで私がお見合いをしなきゃいけないんですか!」
「せやせや! そうなる前に、ワシにイケニエとしてさくの処女を寄越せー!」
「アザゼルさんは黙っててください! 大体、私には――「なにか勘違いしているみたいだけど」
 まあ、まて。どうどう。暴れる馬を宥めるように、芥辺の片手が挙げられて、条件反射で佐隈もアザゼルも黙り込む。
「なにも本当に見合いをしろといっているわけじゃない。これは仕事だ」
「え? 仕事?」
「そうだ」
 そうして語られた、依頼内容に、佐隈はあからさまに顔をしかめた。
 芥辺曰く。
 依頼主は、古くから続く家柄とそれなりの資産を持っている名家であるが、景気の悪い昨今、その力を落とし気味。一方、目をつけた見合い相手は有力企業の成り上がり経営者の息子。女癖は悪いらしいが、湯水のようにあふれるその金は魅力的。金がほしい落ちぶれかけた名家と、金を積んででも家に箔をつけたい成金一家。利害は容易く一致した。
 そこで、依頼主は自分の娘のうちまだ独身である女子大生をあてがおうとしたらしいのだが――なんと、娘が家出してしまったのだという。全力で捜索しているが、一向に行方は知れないとのことで、芥辺に泣きついたらしい。
「なんだか、娘さんがかわいそうですね……」
 金のために自分の娘を差し出そうとする依頼主が、異世界の住人のような気がしてきた。佐隈にはわからない、金持ち同士の事情があるのだろうが、家を飛び出したという娘の気持ちは、わからなくはない。
「ま、それはそれなんだが、娘は絶対にみつからん」
「どうしてですか?」
「オレが逃がしたからだ」
「はい?」
「少し前に彼女から依頼を受けてな、国外逃亡の手助けをした。今は友人の別荘にいるが、そのあたりについては捜索しないよう、悪魔を使って今回の依頼主の意識を操作してある。だから見つからん」
「……そうですか」
 今回の依頼主も運が悪いというか、なんというか。先に娘のほうからの依頼をこなした上で、父親のほうの依頼も受けるとは芥辺もさすがである。
「あれ? でも、それならアクタベさんにも捜索のほうの依頼になるんじゃ……」
「最初はそのつもりできたらしいんだがな。先日事務所を訪れた際に、さくまさんをみて代役をたてることを思いついたらしい」
 なんて迷惑なことを。
 佐隈は心の中で舌打ちをしつつ、なんとかそんな面倒ごとを回避するべくさらに口を開く。
「いや、でも、普通お見合いって、最初につりがきとかと一緒に写真のやりとりするんですよね。私がいったら即バレますよ!」
「そりゃまあ、そうやろうな」
 アザゼルも、もっともだと思ったのだろう。佐隈の言葉に頷いてくれた。が、芥辺は動じることなく、一枚の写真を差し出した。
「これがその娘だ」
 思わず受け取った佐隈は、目を見開いた。
 一目見てわかるような仕立てのよい淡い桜色のワンピースを着て、ちょっと澄ました顔で椅子に腰掛けた女性が映っている。
 眼鏡はかけていないし、服に見覚えなんてこれっぽっちもないけれど、顔は見覚えありまくり。
「えええっ?!!」
 一瞬自分の写真かと思うくらい、そこに映し出された女性は、佐隈そっくりだった。
「うわ、さくみたいな地味な女が世の中二人もいるなんて、おわってるわ! ぶふぅっ」
 余計な一言をいって嗤ったアザゼルを、グリモアで黙らせつつ、写真にみいる。
 確かにこれなら、高価そうな服を着て、上品な化粧を施せば、上手く化けられるかもしれない。だが、中身まではそうはいくまい。
「じゃあ、頼むね」
「いやいやいや」
 なにを勝手に!
「いやですよ、めんどくさいし、もしバレちゃったらどうするんですか?!」
 バン、と写真を机に叩きつけるようにして、芥辺へと返す。
「ちなみに報酬は、百万だそうだ。うまくいけば、別途、さくまさんにも報酬がでるらしいけど」
「やります」
 光の速さをこえる気合でもって、佐隈は頷いた。嫌がった言葉など、すでに宇宙の彼方だ。
「はやっ、つーか、さすが守銭奴のさくやな!」
 グリモアの制裁で、体を爆ぜさせながらも、アザゼルがひゅーひゅーとはやし立ててくる。放っといてほしい。
 ゆっくりと再生をしながら、アザゼルが「あ」と声をあげた。
「ほんでも、ひとつ問題があるのとちゃいます?」
「……」
「……」
 三者三様の心模様ではあるけれど、今考えていることは同じだろうと、誰もが思った。
 ベルゼブブを、どうするか。
 佐隈は痛む頭をほぐすように、こめかみに指先をあてた。

 

 なぜ、ベルゼブブが問題になるかというと――

 

「きたれ、暴露の悪魔――ベルゼブブ!」
 事務所での話がついてすぐ、佐隈は召喚部屋へと場所をうつしていた。
 そうして、床に描かれた魔法陣の前で、契約した悪魔のグリモアを携え、その悪魔を召喚する。
 人間の世界とは違う魔力が、魔法陣のうえで膨れ上がる。
 ゆっくりと滲むように姿を現したのは、飛べない鳥の代表格、ペンギンによくにた姿だが、中身は百八十度どころか、斜め上空三万キロメートル以上に位置する、悪魔ベルゼブブだった。
 眠たげな瞳が、瞬く。ほんの少しだけ、それが柔らかになる瞬間が、けっこう好きだと、佐隈はここ最近、気付いた。
「こんにちは、さくまさん」
「こんにちは、ベルゼブブさん」
 ブブブ、と翅の音を引きずりながら飛んだベルゼブブが、当然のように佐隈の胸へとおさまる。丸みを帯びたその体は、ふかふかとしていて抱き心地は最高だ。優しく抱きとめると、佐隈の足元で、アザゼルが唾を吐いた。
「ケッ、すーぐに女の胸に飛び込むとか、悪魔のくせして色ボケしすぎちゃうんか!?」
「おやおや、嫉妬とは見苦しい。さくまさんは、私の恋人なのですから、何も問題はないでしょう? スキンシップの一環です。関係のない女性にセクハラしまくる君とは違うんですよ」
 定位置におさまり、勝ち誇った様子でアザゼルを見下ろすベルゼブブの口調は、自分がそういわれているわけではないとしても、聞く者に苛立ちを覚えさせるものだった。
 案の定、アザゼルが怒る。
「なんやとぉぉ! おま、降りてこいやぁぁぁ!」
「まあまあ」
 佐隈は、アザゼルを宥めた。
 と、まあ、つまりこういうことなのである。これが、ベルゼブブが問題になる理由。
 悪魔ベルゼブブと、人間である佐隈りん子は、いわゆる「お付き合い」をしている関係なのだ。
 ここまでくるにはそれはもう、なんやらかんやら色々あったものだが、今はまあそれなりにおさまっている。
 互いの種の違いも理解しているし、流れる時間の差も理解しているが、それでもそばにいたいと双方思ってしまったのだから仕方ない。まあ、なるようになるだろうというのがいきついた結論だった。
 その際に、いろんなことを取り交わしたのだが、その多くは今回割愛することとして、そのうちのひとつを述べると。

 ――浮気はしない――

 である。
 人間と悪魔という立場を考えずとも、恋人同士ならば基本的なことのひとつである。
 淫奔の悪魔であるアザゼルでは決して守れるはずのない約束は、意外と貞操観念が強く嫉妬深いベルゼブブや、はじめてのお付き合いで勝手のわからぬ佐隈には、当たり前の考えだった。
 で。
「――と、いうわけなんです」
 いつものようにイケニエのカレーをがっつくベルゼブブに対し、おそるおそる、でも、もう決まった仕事ですから、ということを言葉の端々に滲ませながら、佐隈は自分が見合いをするという内容を話した。
 ふーむ、とベルゼブブが息をつく。綺麗に平らげられたカレー皿に、ゆっくりとスプーンが置かれる。きゅう、と瞳が細くなる。
「なるほど、わかりました」
 思った以上にあっさりと、ベルゼブブは頷いてくれた。
「わかってくれたんですね!?」
 ぱあ、と佐隈は顔を輝かせ、胸元で手を組む。これで百万+αゲット! である。それには仕事を成功させなければいけないという大前提があるのだが、いまは考えないことにする。
 満面の笑みを浮かべる佐隈の前で、ベルゼブブが幾度も頷く。
「わかりました。仕事ということはわかりました。ですが、」
「?」
 くわっとベルゼブブが目を見開く。ぎちぎちと音を立てて歯をむき出す。愛くるしい顔が、悪魔らしい形相に一変した。
「納得できるわけねえだろうが、このビチグソ女がああああっ!」
 叫ぶその背後に、黒く立ち込める嵐の雲と、そこから降り注ぐ雷の幻が、みえるようだ。
「ああ~……」
「やっぱりなー……」
 ピギャーッス! と両手を掲げて叫ぶベルゼブブに、佐隈とアザゼルは同時に思った。
 予想通り、と。
 これなら芥辺がいったとおり、「黙ってやればわからんだろう」という言葉に従っておけばよかったかもしれない。
 嘘をつくのではなく、黙っていたということにすればいいと、あっさりといってのけた芥辺は、これを見越していたのだろう。
「さくまさんあなたね! この最強たる悪魔ベルゼブブに愛されているという自覚がたりませんよ!?! 仕事であろうと本気でなかろうと、結婚を前提とした男女の出会いの場に赴くというその考えに納得がいきません! 考え直すと同時に、謝罪を要求します! 私の恋人であるならば、心に決めた男がいると断るのが筋というものです!」
「いや、まあ……まさにいま、愛の重さは実感してますけどね……」
 ベルゼブブの愛も大切だ。しかし、お金も大切だ。だって、愛では借金が減らないではないか。
 テーブルを連打し、ピギャピギャとやかましく怒りを爆発させるベルゼブブを前に、佐隈は考える。
 その間、わずか三秒。
「わかりました」
「わかってくださいましたか!」
 さきほどとはまったく逆に、今度はベルゼブブが顔を輝かせた。
 佐隈は微笑みながら、その体に手を伸ばす。
 カレーだらけの口元を拭ってやるわけでもなく、ひょいとベルゼブブを持ち上げた佐隈は、笑みを貼り付けたまま魔法陣へ。
「あの、さくまさん?」
 何をされるのかわかっていないベルゼブブが、不思議そうな顔をする。
 佐隈はますます笑みを深くして――有無をいわせず、魔法陣へとベルゼブブを押し込んだ。
「っ、な、なにを?!」
 驚いたベルゼブブが暴れだす。だがここで負けては百万+αは夢のまた夢。
「ベルゼブブさんがいると、仕事がうまくいきそうにないんで、お帰りください。しばらく召喚しませんから、魔界でゆっくりしていてくださいね」
「な、なななな、なんですとー?! むぎゅ、うぐぐ……! やめんか、このバカ女がァ! ギャピッ!?」
 ぎゅむぅぅぅ、とベルゼブブの体が変形するくらいの力をこめる。痛い痛いと叫んでいるが、知ったことではない。
「じゃ、今日はお疲れ様でしたー」
「さくまさぁぁぁん?!!!」
 じたばたともがく手も、綺麗に魔界へと押しやって、佐隈は一息ついた。
 部屋に静けさがもどってくる。
 ふう、と額に浮かんだ汗を拭うと、一仕事したなあという、実に爽やかな気分になった。
「いや、まえから知っとったけど、ようしゃないな……」
 ベルゼブブを哀れむように、アザゼルが言う。
「だって、このぶんだとお見合いしてる最中もうるさくしそうじゃないですか」
 服についた埃を払いながら佐隈が応えれば、アザゼルが呆れた顔をした。
「いや、まあそうやけど。こないなことして、べーやんに嫌われたらどないすんの? 心配やないん?」
 そんなことはありえないと、佐隈は晴れやかに笑った。
「大丈夫ですよ。私は大好きですから。それにベルゼブブさんだって、私のこと大好きですしね」
 自信満々に言ってのけると、アザゼルがため息をついた。
「……女って怖い生きもんやわぁ」
「そうですか?」
 別におかしなことはなにもない。
 なんだかんだいってもベルゼブブは自分にぞっこんであるし、逆もまた然り。ならば上手くいかないわけがない。
「さてと、念のためもう一度、依頼内容と日程の確認しましょうか」
「せやね。アクタベはんは来られへんらしいし。ワシらだけで失敗したら、殺されてまうわ」
 まかり間違っても、見合い相手の男が偽の見合い相手である佐隈に惚れたり、手をだしたりなどしないよう、恋心を操ることが可能なアザゼルが、今回の仕事には選ばれている。
「……ま、大丈夫だよね」
 魔界から人間界にくるには、人間界側から召喚されなければいけない。
 いくらあのベルゼブブといえども、自分と芥辺がよびださなければ、こちらにくることはできまい。
 自分の不安を、そう結論付けて追い払い、佐隈はアザゼルと手を繋いで、事務所へと向かった。