西へと去った太陽に代わり、星の海を月の船がゆく穏やかな夜。
春も過ぎ去り、初夏から本格的な夏に向かうこの季節、風は昼の名残か暖かく、ふわりと吹いては梢を揺らして消えていく。
そんな風がゆくローアンの街入り口近くは、街中の繁華街とは違って、この時間ならばもう静かなものだ。町へと出入りする人たちの喧騒は、欠片も残ってはいない。
さて、そんなところに建つ質素な家の、質素な部屋の片隅で、世界と契約を結んだ炎の大精霊は、半眼になって寝台の上にいる少女を見下ろした。
二人の間に落ちている沈黙の居心地悪さもさることながら、ティアに言われた内容が理解できず、レンポは頬を引きつらせた。
「……ティア、今なんつった?」
いつもの快活なレンポからは考えられないような小さな声だが、ティアにはちゃんと聞こえていたようで。
「だからね……!」
ぐっとティアが目に力を込める。
寝巻き姿で寝台の上に座り込んだティアが、抱きしめている枕にさらに力を込めた。くしゃり、と複雑な皺が描かれる。
「今日はレンポと一緒に寝ない!」
がつん、と鈍器で頭を殴られたような気分に陥ったレンポが、唇を戦慄かせる。
「な、な、な……」
ぱくぱくとレンポは口を開け閉めし、そしてティアの言葉を徐々に理解して――かっと頭に血を上らせた。
「なんでだよっ! 昨日まで一緒に寝てたじゃねーかよっ」
「だ、だって……!」
「だってもなにもあるかっ!」
ぎゃあぎゃあとレンポがわめき散らすと、ティアがぎゅっと目をつぶった。
そんな二人の間に、すっとひとつの影がよぎる。
「まあまあ、落ち着いてください。そんなに怒鳴ったら、ティアが可愛そうじゃないですか」
宥めるように、ティアとレンポの間に割って入ったウルが、もっともらしいことをいう。しかし――その口元がにやりと歪むのを、レンポは見逃さなかった。
「ウル、てめー楽しそうだな、おい」
「そんなことはありません」
わずかに浮かんだ表情を瞬時に消して、ウルはティアを見た。その様子を伺うように、顔を覗き込む。
「さ、ティア、どうしてそんなことを言い出したのか、理由をおっしゃってください。そうすれば、レンポも納得します」
預言書に戻ろうとしていたミエリとネアキも、なんだなんだと集まってくる。
四人の精霊の視線を受けて、ティアがさらに縮こまる。
申し訳なさそうに眉をさげ、瞳を潤ませて。だが、それでもちゃんと自分の意見を言おうとしている。
じっと四対の瞳が見守る中、枕から顔をあげたティアはその小さな唇を動かす。
「あ、あのね……」
どんな理由があるのかと、レンポは息をのんだ。それ相応のものならば、致し方ないと思えるはず。
「暑いの」
だが、可憐な声が告げたのは、あれこれとレンポが予想をたてたものとはまったく違っていた。
「は?」
思わず、気の抜けた声がでても仕方がない。
その様子に、ティアはわかってもらえなかったと思ったのか、勢いよく顔をあげた。
「だからっ……!」
固まってしまったレンポを、ティアの必死な視線が射抜いた。
「レンポと一緒に寝ると暑くて寝苦しいのっ! ここ最近、暖かくなってきたでしょう? だから……!」
しーん、と沈黙が室内を満たした。じじっとランプの芯が燃える音が聞こえたような気がした。
なんといえばいいのか――ティアにかける言葉も反論する言葉もでないほど、レンポは真っ白な意識のまま石になったように動けない。
と。
ぷ、と堪えきれないように誰かが噴出した。そして、それが合図となったかのように、レンポを除く精霊たちが一斉に笑い出した。なんと普段は無口なネアキですら、口元に手を当てて肩を揺らしている。
のろのろとそんな仲間の様子を見回したレンポの視線の先、ミエリがお腹を抱えて空中で笑い転げている。
「な、な、なるほど! そういうことね! ……ふふっ……あははは!」
その笑いっぷりに、レンポの神経がピシッと音を立てた。そのおかげか、硬直からあっという間に回復したレンポは、背後に怒りの炎を滾らせながら叫ぶ。
「ミエリ! 笑ってんじゃねぇ!」
「だってぇ~!」
レンポに怒鳴りつけられてもまだ足りないらしく、ミエリは笑い声をあげながら足をばたつかせている。
「ミエリ、はしたないですよ……。レンポも……ま、まあ、まあ……そう、怒らないで……ふ、ふふっ、はははは!」
再び仲裁に入ってきたウルであったが、最後には笑い出す始末。
「お前はオレを宥めたいのか、笑いたいのかどっちだ!」
それはもちろん決まっているのだが、さすがのウルもはっきりと口にすることはできないらしく、どこか上品に笑い声を漏らしている。
そんな中、冷たい風がレンポを嘲笑うように吹き付けた。振り返れば、その口元に笑みを刻んだネアキがいる。
「ふ……」
レンポと視線があうと、呆れたような馬鹿にしたような目をして、さっと顔を背けた。
どうやら必死に笑を堪えているらしく、我慢したぶん冷気が撒き散らされているようだ。
今すぐ声をあげて追いかけたいところだが、今はティアのほうが優先である。ぎりぎりと歯噛みして、レンポはティアに向き直った。
「暑いってどういうことだよ?!」
「だって、レンポったら体温高いんだもん。それに、私のこと力いっぱい抱きしめて離してくれないし……」
抱き枕でないと訴えている。そして、さらにごにょごにょと、ティアは続ける。
「まあ、寒い間はね、それでもよかったんだけど――ほら、もう夏も近くて気温高くなってきてるし、それに……」
苛々としつつも、ティアの言葉の続きをレンポは待った。
「寝不足はお肌に悪いってナナイもいってたし。目の下に隈でもできたら困るもん。レンポにそんな顔みせたくないんだもん……」
いじらしい少女の心配は、レンポの前ではいつでも綺麗でいたいという健気な願いでもあるようだ。
だが、レンポにしてみれば恋人と一緒に寝られないなんて冗談じゃない。死活問題とまではいかないかもしれないが、精神衛生上物凄く悪い。
「なにいってんだよ、ティアはいつだって可愛いじゃねーか!」
だから、そのような事態を避けたくて、いつも思っているいことを躊躇わずに口にする。素直という美徳の固まりでできているようなティアは、恋人の言葉に顔を輝かせた。
「え、ほんと……?!」
「おう! オレ様が嘘つくわけねーだろ?」
「……えへへ、ありがとう」
可愛いといってもらえて嬉しいのか、ティアが照れたように微笑んだ。ティアの笑顔に、レンポも自然と顔が緩みかける。
と。
「あの、話が脱線しているような気がするのですが」
ウルの突っ込みに、互いしか見えていなかった恋人たちは、はっと我に返った。
「と、とにかく!」
こほん、とわざとらしく咳払いをしたティアの頬が、ほんのりと色づいている。いつの間にかほんわかとした空気を撒き散らしていたことを、流石に恥ずかしいと思ったのか。
「今日はレンポと一緒に寝ないから!」
ティアの高らかな宣言に、レンポは拳を握り締めた。
「オレに一人で寝ろってのか……! 寂しいだろうがっ」
「そんなの、私だって寂しいもん!」
そのまま、また話が脱線していく一歩手前で、あ、とティアが声を漏らした。良いことを思いついたといわんばかりの表情で、ぽんと手を打ち合わせて言う。
「そうだよ、小さい姿のままなら大丈夫じゃない!」
「それじゃ一緒に寝る意味がねぇー!」
ぐあっとレンポが頭を抱えて叫んだ。ペットの類でもあるまいし、何が悲しくて手乗りサイズのままティアの傍らで眠らなければならないのか。
「ええー……」
いい妥協案だと思ったのに――そう言って、かくんと肩を落としたティアにレンポは詰め寄る。
「な、抱きしめたりしねぇし、ひっついたりもしねぇから! 隣で寝るだけだから! それならいいだろ?! な!」
レンポの提案に、ティアはうーんと口元に手をあてて悩んでいる。
必死に恋人の様子を伺うレンポを眺めながら、ウルは肩をすくめた。
「やれやれ、見苦しいですよ、レンポ。今日は諦めたらどうですか」
「そうそう。大体、いつもティアのこと独り占めしててずるいしー」
ここぞとばかりにミエリがウルの援護に回る。
「ふ……」
そんな二人の奥に控るように浮かんでいるネアキが、完全に馬鹿にしたような冷めた目でレンポを一瞥した。
沸点の低いレンポが、そんな視線を向けられて耐えられるはずがなく。
「お・ま・え・ら・なぁ~~!」
レンポは眦を吊り上げて、ウルとネアキを中心に追いかけ始める。怒りによって点された小さな炎の塊が、狭い室内を行き来する。
そんな精霊四人の追いかけっこの下で、ティアはうんうんと悩んだ後。
「……ん~、わかった。じゃあ、隣で寝るだけね? ぎゅ、は無しだよ? 約束だよ?」
ようやくの許可に、レンポは厳しい顔を消し去り、全身を喜びに染めた。
「おう! わかった!」
こくこくと幾度も頷くレンポと念入りに約束をさせるティアの二人を眺めながら、精霊三人はこそこそと顔を寄せ合い、囁きあう。
「……やれやれ、ティアも甘い」
「ほんと優しいよね、ティア」
「我慢、すること、ないのに……」
そういって、三人は一斉に寝台へと視線を流す。
ティアがごそごそと寝台に潜り込んでいき、その傍らに、レンポはちゃんと一定の距離をとって身を横たえていた。
その様は、なんだか虚しく見えるし、ちゃんということを聞くレンポが涙ぐましくも思える。
もうこうなってしまっては、仕方がない。それに、ティアが許可したのならば、どうこういえることなどなにもない。
こそこそと再びそんなことを話したあと、ウルが手を叩いた。
「さて、では私たちも休みましょう」
「はーい。あ~、今日は最後の最後でとっても楽しかった~」
「……」
保護者のようなふるまいをするウルに促されて、ミエリとネアキが預言書へ集う。
「みんな、おやすみなさい」
ティアの挨拶にそれぞれ挨拶を返して、自分のページへと戻っていく。
それを見届けたあと、レンポは指をひとつ振る。そうすれば、部屋を照らし出していたランプの火が、ふっと掻き消える。炎の精霊の力をもってして、いとも簡単に火を消し去ったレンポにティアが笑う。
「おやすみなさい、レンポ」
「おう、おやすみ」
短いレンポの言葉を聞いて、ティアがゆっくりと目を閉じる。それを見届けてから、レンポも目を閉じた。
まあ、今夜くらいティアを抱きしめて眠ることができなくとも、どうってことはない。たぶん。
だが、レンポは甘くみていた。
やがて、くぅ、すぅ……と、ティアが寝息をたてはじめる。やけに耳にこびりついて離れない。
いままでは、自分の腕の中でそうやって眠ってくれていたというのに。目を開けて、横を向き、じっとティアの寝顔をみつめる。
「ったく……、人の気もしらねーでよ」
ああ、抱きしめたい。ティアのぬくもりを自分の熱に溶かしたい。
そんなことばかり考えてしまう。睡眠が果てしなく遠い。
しかし、約束は約束である。大体、レンポだって恋人である大切な少女の安眠を妨げてまで己の我を優先しようとは思わない。
しかし我慢すればするだけ、ちりちりと胸の奥が焦げていく。何かの拷問のようである。
まあ、一緒にいられるだけでよしとするかー……。
とほほ、とティアに背を向けて目を閉じる。ティアの寝顔をずっとみていたいけれど、触れないなら目の毒だ。
ころりと横を向いたまま。この際、眠りに旅立つためにヒツジでも数えるべきかと考えていれば、のろのろと時間が流れていく。
そして。
――もぞり、と背後のティアが動く気配に、レンポはぴくりと肩を震わせた。
もしかして、せっかく眠ったティアを起こしてしまったかと、レンポは焦った。極力静かにしていたというのに。
しかし、そんなことは杞憂だった。
「ん……」
レンポと同じように転がってきたティアが、ぺたりと背に張り付いてきたのである。
びく、とレンポは肩を跳ねさせた。どうするべきなのか判断に悩んだ数瞬のあと。
「れんぽ……」
名を呼び、続けてむにゅむにゅと何かいいながら、ティアが額を押し当ててくる。その柔らかな感触に、レンポはいつまにか強張っていた身体から力を抜いた。
なんだかなあ、と思う。
あれだけ暑いから一緒に寝るのは嫌だと渋っていたくせに、自分からひっついてきている。抱き枕じゃないとかも、いっていたくせに。
こんな、こんな……名前を呼んでひっついてきやがって……。
あああ、かわいいじゃねーかよ、ちくしょう!
緩む頬を抑える気にもなれないレンポは、肩にかかるティアの指先をそっと捕まえた。
すると、安心したようにティアが優しく息をつく。
ほんとうは起きているんじゃないかとか思いつつ、指を辿り小さな爪を引っかく。だが、ティアがそれ以上動く気配はない。眠りに落ちた無意識のまま、自分を求めてくれたのか。
きゅっとレンポは目を細め、小さく笑った。
ああ、なんて――ティアのぬくもりは心地よいのか。
自分はやはりこの少女の傍らに、いつでもいつまでも在り続けたい。ずっと一緒にいてやると、ティアにはいったけれど、ほんとうは自分がずっと一緒にいたいのだ。
「絶対、離れねぇかんな、ティア……」
小さく唇をつりあげて、そんなことを囁きながら。レンポはゆっくりと眠りに落ちていった。
翌朝。
今日という日のはじまりを告げるに相応しい明るい光をカーテン越しに浴びる寝台を、三つの影が覗き込む。
「う~ん、昨夜のやりとりは一体何の意味があったのか」
「あははっ、なんだかんだいって結局こうなっちゃうのよね」
「……暑そう」
なんだかんだで、一緒にいたほうが安眠になるのだろうか。
汗で前髪を額に張り付かせながらも、ぴったりと寄り添いすやすやと眠るティアとレンポを見下ろして、精霊たちは呆れたように――それでいて楽しそうに、笑いあった。