AVALONCODE3周年企画作品 きゅう様よりのリクエスト
気付けばそこに、酔っ払いがいた。
恋人になってからというもの、ティアは毎日のようにヒースに手料理を振舞ってくれる。
なので、おかえしにたまには外食をしようと、ヒースがティアを誘ったのが今日の昼頃のこと。
それから日が落ちるまで続いたヒースの仕事が終ってから、二人はローアンの本通りからわずかにはいった路地裏にある、あまり知られてはいないが、料理も酒も美味いという噂の店へと向かった。
男たちが集まる酒場のような荒っぽさはなく、かといって貴族が足を運ぶような気取ったところもない、どこか家庭的な雰囲気が心をおちつかせる店内は、ティアも気に入ってくれた。
そこで、たまたまでくわした非番の兵士――というかここを教えてくれた王国兵士とその妻――のテーブルへ、少しだけ言葉を交わしにいっただけなのに。離れていたのは、そんなに長い時間ではないはずなのに。
なぜだ!
一変しているティアの様子に、ヒースは理解しがたいと口元をひきつらせた。
ヒースとティアの席は、店のやや奥まったところ。そこでおとなしく待っているはずだったティアが、ひっく、と肩を震わせる。しゃっくりがでているのか、ティアは定期的に体を跳ねさせている。
とろん、と中ほどまでに落ちた上の瞼がゆっくりと瞬く。ちみちみとなめるようにして両手でもったグラスに口をつけつつ、ティアは、ゆらりと頼りなげに上半身を揺らす。
いつも健康そうなやわらかな赤味を帯びた頬は、いまや熟れた林檎のように赤い。
なんだこれは。完璧な酔っ払いじゃないか。
事態を把握できずに呆然としていたヒースは、慌ててティアに詰め寄った。
「ティア?!」
「……ふぇ? あ、ヒースさんおかえりなしゃ~い」
へらへらと、ティアが笑う。やけに楽しそうに嬉しそうに出迎えられたが、それに応えたら酔っ払いの思う壺だ。
「それは酒じゃないのか」
怒っても逆効果だろうと考えて、ヒースがゆっくりと問いかけると、ティアは「んー……?」と首を傾げた。
「わたひ……おさけ、なんて、たのんで……らいです……」
「いや、あからさまにろれつが回ってないぞ」
冷静に突っ込みを入れながら、ヒースはティアからグラスを奪う。
「あああ! わたひのじゅーすぅぅ! 飲んじゃだめー!」
「飲まないから安心しろ」
悲痛な叫びをあげるティアを無視して、鼻を近づけ、匂いを嗅ぐ。
濃い果実の香り、そしてそれにまぎれるアルコール。
「……やはり酒じゃないか!」
ヒースからしてみれば、それほど強いわけではないと判断できる範囲だが、こんなもの頼んだ覚えはない。ざっとテーブルを見回しても、あるのは料理とヒースが一杯だけ頼んだワイン、それにティアが最初に頼んだジュースがはいっていた空のグラス。
そういえば、ティアが飲んでいたのも、こんな果実の匂いがしなかっただろうか――?
「すみません!」
ヒースが思い出しながら眉を潜めたと同時に、慌てきった店員がテーブルへと駆け寄ってきた。
「こちらに、カクテルを間違えてお出ししてしまったようで、お取替えを……!」
「ああ、これだな。すまんが、口をつけてしまったようだ」
やや顔を青ざめていた店員だったが、ヒースが穏やかに応対したことに安心したのか、緊張した面持ちがやや緩む。
「いえ、こちらの配膳違いですので、お気になさらないでください。それでは、こちらがご注文いただいたものです」
「やはりこれか」
手渡されたものは、ティアが飲んでいたジュースとおぼしきもの。おかわりを頼んだところで、誤ってアルコールの入ったものが渡されて――見た目は良く似ているし、香りも同じだったため、ティアは疑うことなく飲んだのだろう。
「こっちはさげてくれ」
「はい――わっ?!」
ヒースが店員に渡そうとしたものを、横から奪い取る小さな手。
「ティア?!」
ヒースが制止する暇もなく、ティアがそれをぐーっとあおった。晒された細く白い喉が、力強く動く。
おお、いい飲みっぷり。と、はやしたてる時間もなく――カクテルを綺麗さっぱり飲み干して、ぷは、と息をついたティアが、へらりと店員に笑いかけた。
「これ、もひとつくらしゃ~い」
「駄目だ!」
何を言っているのかと、慌ててグラスを再度とりあげる。
こめかみに青筋をたてながら言い放ったヒースを、ぼんやりと見上げたティアが、晴天が曇天になっていくようにみるみる顔を歪ませた。
「ふ、ふぇ……」
ぶわ、とティアの瞳に涙が浮かぶ。
「「?!?!」」
驚いたのは、ヒースと店員である。
「ヒース、しゃん、なんで、おこるの……?」
しゃくりあげるティアの頬に、ぼろぼろと大粒の雫が次から次へと落ちて弾ける。
「いや、だから、君に酒はまだはやいと……」
「だって、これ……じゅーす、だもん……どうして、いじわる、するの……?」
悲しげに睫を伏せたティアが、すんすんと鼻をならし、濡れた頬を小さな手で健気に拭う。
「だから、あれは酒だといっているだろう!」
聞き分けのない様子に対し、ヒースが声を荒げた瞬間、びくっとティアが哀れなほどに身を竦めた。
「ごめん、なさい、ごめんなさい……、お、おこらないでくださ、っ、ひっく……」
「……」
小刻みに震え、ヒースからの次の言葉に怯えるティアの涙は、とどまるところを知らず、相変わらず流れ続けている。
ざわざわと、聞こえていた周囲の客たちの会話が一瞬ぴたりととまり――店内の空気が一変した。
それまでおもしろおかしく自分たちの会話に興じていたくせに、興味津々といった瞳をちらちらと投げかけながら、こちらの噂話をしはじめるのがわかる。
さきほど挨拶したはずの兵士までもが似たような目をしていることを、視界の端にとらえたヒースは、冷や汗をかいた。
「ちょ、ちょっと待てティア! オレは怒ってなど……!」
「……ひぅっ! あ、ぁ……ごめんなさい……!」
手を伸ばして宥めようとしても、ティアは身を硬くするばかりで、ヒースをみようとしてくれない。ごめんなさい、と繰り返し、おこらないで、と懇願し続ける。
ああ、まずい。
だってこの状況は――どうみても、自分が泣かせているようにしかみえない!
ヒースは、口元をひきつらせながら、傍らに佇む店員を見遣った。事情をわかっているはずの人間に、助けを求める。
「――すまん、いま飲み干した酒代も含めて勘定をたのみたい」
「あ……いいえ、とんでもない! しょ、少々お待ちください! 店長と話をしてまいりますので!」
彫像のように固まっていた店員が、慌てて店の奥へと駆けていく。
「なるべくはやくな……」
その背に向かって、ヒースはため息交じりにそう付け加える。
さめざめと泣く少女。渋い顔をして黙り込んでいる男。
この取り合わせからは、いろんなことをが推測できるに違いない。少なくとも、ヒースに非があると考えるものが九割のはず。いやむしろ十割か。
悪い大人が純粋な少女を騙して酒を飲ませたか。
別れ話でもして泣かせたか。はてさて男の浮気が原因の痴情のもつれか。
眉を潜めつつも、どこかきらきらと期待に満ちた複数の瞳に、ヒースは金貨をテーブルに叩きつけ、ティアを小脇に抱え、店をあとにしたい衝動にかられる。
実際にやったら、逃げ出したといわれるのがオチだろうが。
しかし、勘定をきちんとすませ、堂々と店をでても同程度に話のネタにはされるだろう。
ああ、頭が痛い。
自分は、ワインをまったく飲んでいないというのに、めまいがする。どんなに酒を飲んだとて、こんな気分を味わったことはない。
店員がはやくもどってくることを切に願いながら、ティアの綺麗な涙と、客からの視線に、ヒースは無言で耐え続けた。
その後、酒代はいただけませんという店長の申し出をありがたく受け、料理代金のみを支払ったヒースは、ティアをつれて店を出た。
濃い藍色の夜空には大きな月が出ている。おかげで夜とはいえ、あたりはほのかに青く明るい。そんな月夜から吹く風は冷たい。肌を撫でていく感覚は、体が温まっているのなら心地よいだろうが、ヒースはむしろ体温が下がっているので少々寒かった。
「おい、ティア、大丈夫か」
「……ぁーぃ……、ふ、ふふっ……ね、ね」
ふらふらとおぼつかない足取りでヒースの手にほぼ支えられていたティアが、ぎゅうとヒースの腕に抱きついて顔をあげた。
そこにさきほどまでの悲痛な表情はない。むしろいい笑顔があった。むろん涙のあとは残っているが、ひどく楽しそうで――ヒースはまた頬を引きつらせた。
さきほどまでしくしく泣いていたのはなんだったんだ!
ティアの移り変わりの様子が激しくて戸惑う。かといって、あの場でこんな状況になってもなお困るだけなので、店からでてきたのは正解だろう。
ヒースのことなとおかまいなし、気分よさそうに、ティアは腕に頬を摺り寄せ甘えてくる。
「だーいすき……ヒースさんは~?」
えへへと、可愛らしくそう言われれば悪い気はしないが、これは酔っ払いである。まごうことなき酔っ払い。
ああ、しらふのときに言ったり訊いたりしてくれればいいものを。
そっと、寄り添うティアの頭を撫でて、ヒースは言う。
「ああ、オレも好きだ」
いったとたん、きゃーっと歓声をあげたティアが、恥ずかしげにヒースの腕に顔を埋めるように額を押し付ける。
ほんとうに、さきほど店内での涙はなんだったのだろう……。
酒に振り回されているのは、飲酒が初めてだったからという理由だけではなさそうだ。
きっとティアは、酒の類には弱いのだ。それも人に迷惑をかける方向の意味で、弱い。めんどうくさいほうの、酔っ払い。
もし、ティアが酒を嗜むようになったとしても、何かしらの監視の目がないと……とんでもない事態になりそうである。
思ってみなかった事実に頭を悩ませるものの、年齢的にそうなるのはまだ先であり、猶予がある。それはまた後日、考えればいいことだ。
今回ばかりは不運だったと思って諦めるしかない。
ヒースは、ティアの肩に大きな手を乗せた。
「ほら、帰るぞ」
帰宅を促すと、ぴたっとティアの動きがとまった。その様子は、まるで石のごとく。
「どうした?」
まったくもって動かないことを不審に思い、ヒースが顔を覗き込もうとした瞬間。
「いーやー!」
「?!」
素早く離れたティアが、真っ赤な顔で「べーっだ!」と可愛らしく舌を出したあと――けたけたと笑いながら駆け出した。
「おい、ティア、こらまて! どこにいく?!」
「あはははははっ! まだあそびましょ~よ~!」
ふらついていたとはとても思えない脚力で、ティアは噴水公園方面へと疾走していく。
慌てて追いかけるヒースと、おにごっこでもしているつもりなのか、ティアの機嫌はひどくいい。
ヒースはもちろん脚力に自信はある。しかしながらティアの脚力もなかなかのものである。出遅れた分の距離をつめるべく、ヒースは力いっぱいに、つま先で石畳を蹴った。
「っとに、なんてやつだ……!」
きゃらきゃらと笑っているティアの細い手首へ、ヒースは手を伸ばす。
容易く折ることができそうなそれを、やわらかに掴み引き寄せながら、ティアの腰あたりを空いた腕でさらう。
「やー! あは、あははっ、くすぐったい~! きゃ~~!」
それがくすぐったい箇所に触れたのか、ティアが眉を下げて身をよじる。いつものように恥じらいに身を硬くすることなく、ティアは打ち揚げられた魚のように、ヒースの腕の中で跳ねる。それに加え、見上げてくる顔に拒絶の色はなく、むしろうっとりとしたまなざしを向けてくる。たちが悪い。
「えへへ~、つかまっちゃった~」
「こら、ティア! いい加減にしないか……! っ、」
はっ、とヒースは周囲を見回す。
いつのまにやらたどり着いていた噴水が設えられた公園には、夜の逢瀬を楽しむ大勢の男女の姿があり、彼らは皆一様に、騒々しくやってきた新たな客へと、何事が起きたのかさぐるような視線を向けている。
しん、とした空気に、ひそやかに、しかし確かに混じりはじめる囁き声。
「あれって痴漢……? 変質者?」
「いやまて、あれ、ヒース将軍じゃないのか?」
「でも、路地裏から女の子追いかけてきたじゃないの。将軍がそんなこと……」
「あの子、ほら、英雄っていわれてる……?」
「ぇぇー、ああいうことする趣味とか……?」
こそこそ。ひそひそ。
身体能力が常人のそれより優れているヒースの耳に、居た堪れなくなって当然の言葉が、無慈悲に突き刺さる。
ひとりひとりに違う、誤解だと訂正してまわりたい気分に駆られたとき、ぺいっとティアの手首を掴んでいた手が振り払われた。さすが徒手流派を受け継いだ、選ばれしもの。我が弟子。などと、感心している場合ではない。
また逃げられてはかなわないと慌ててティアを見遣ると、ひょいひょいとティアはヒースの背後にまわる。そしてそのまま、ぺったりとヒースの背にはりついた。
「ヒースさぁん、おんぶー」
「……」
おんぶー、おんぶーと連呼しながら、ティアが頬を摺り寄せてくる。どうやら、おいかけっこには飽きてしまったらしい。
ヒースは無言のままそっと背を屈めた。
「んふふ~、ヒースさんすきー」
上がり気味な語尾にあわせ、ティアがおぶさってくる。反抗して逃げられてもあれなので、ヒースはさっさとティアを背負うと、なんでもないという顔をして公園に背を向ける。
相変わらずこそこそとした囁きは聞こえてくるが、全部にとりあうわけにはいかない。
こういう場合は、何事もなかったように振る舞うのが一番だ。
公園の階段を下りながら、ぶつぶつと念じるようにヒースは自分にそう言い聞かせる。
そんなヒースの気持ちや現状などに、酔っ払いが気づくわけもない。誰の評価がさがろうが、誰のどんな悪評がたとうが、しったことではないのが酔っ払いである。
ぷらぷらと、ブーツに包まれた小さな足先が動く。
「ヒースさぁーん」
「なんだ酔っ払い」
む、としたのが気配でわかる。ぺちぺちと後ろ頭をはたかれたことが、それを裏付ける。
「だからぁ、酔ってないっていってるのにぃ~」
「で、なんだ?」
もう咎める気も起きない。要求をきこうと耳を傾ける。
「のど、かわきました!」
「……それはまあ、あれだけ泣いて、叫んで、走ればな」
もっともだろうと、乾いた笑いを浮かべる。
「あのジュース、のみたい、です」
「だからあれはジュースじゃないと……」
どうにもあの味が忘れられないらしい。どんなに果実の味がしても、おいしかったとしても、あれは立派な酒である。だがそれを、ティアはわかっていない。
「じゅーすぅぅう!」
「暴れるな!」
じたばたと足をばたつかせて暴れるティアを、今一度、落とさぬように背負いなおしつつ、ヒースはため息をついた。
「ばーかばーか、ヒースさんのばーか。……でもすきー!」
可愛らしく罵倒した口で、同時に告白してくるとかどうなっているんだ。というか、酔っ払いに論理的な行動を求めてはいけない。
ぎゅう、と首に回されたティアの腕に力がこもる。疲れてきたヒースは「わかっている」と応えるのが精一杯。
「泣き上戸で、絡み上戸か……。どうなってるんだ、君は」
さすがのヒースもこれだけ素養のある酔っ払いは初めてだ。たいていどれかひとつに突出するもんじゃないのか。
これまでヒースの周りには幸か不幸か、酒豪ぞろいであったため、こんな目にあったことはほとんどない。
それとも、自分の環境が特殊なだけだったのだろうか。
これまでそれがあたりまえだと信じていたことの幸福をかみ締めながら、ヒースはようやくティアの家へと到着した。
ここまでの道のりがとんでもなく長かった。妙な達成感を覚えつつ、扉を開く。
「ほら、着いたぞ」
「ただいま~――おかえりはぁぁぁ?!」
明かりのともってない真っ暗な室内に、ティアの声が響き、ぐいぐいと髪がひっぱられる。出迎えの言葉を要求していると察したヒースは、小さくため息をついた。
「オレも今、帰ったばかりなんだがな……。――おかえり、ティア」
するり、ティアを背から降ろし、その体を支えるべく、ヒースが腕を伸ばせば、ティアは当然のようにそこへ身を預けてくる。
「うっふふ~」
満足したのか、ただいまの挨拶のつもりなのか。伸び上ったティアから、ちゅ、と頬に落とされる小さな口付け。そうしたのは自分のくせに、恥ずかしげに顔を覆う。きゃあきゃあと照れるティアは可愛いのだが――もう、勝手にしてくれ。
何が楽しいのかヒースにはわからないが、笑い転げるティアを寝台へとつれていって座らせる。窓から差し込む月光を頼りにしながら手際よく明かりをつけて、水差しから水を汲み、コップをティアへと差し出す。
「ほら、水だ」
「……や。じゅーすじゃなきゃ、や」
ぷい、とティアがそっぽを向く。
「おい、これ以上……」
我儘をいうな、と口調がきつくなりかけた瞬間。
でも、とティアが瞳を伏せて、恥ずかしげにしながら言う。
「ヒースさんが、のませてくれるなら、いいです……」
そ、とコップをもつヒースに指にティアの指が添えられる。潤んだ眼は、酒のせいかそれとも。
「だめ……?」
泣いて喚いて暴れたあげくの甘え上戸ときたか。
思わぬ展開に固まるヒースの手をコップごと引き寄せ、ちゅ、とティアが口づけてくる。
「……やめないか」
「や」
ちゅ、ちゅ、と、あどけなく何度も口づけられて、理性が揺らぐ。こんなにも脆い精神をしていただろうか自分は。
「ほら、水を飲ませてやるから」
「ふふっ、じゃー、やめます」
あっさりと離れられれば、それはそれで寂しい。自分も大概我儘だと苦笑しながら、ヒースはティアの隣に腰掛ける。二人分の重みに寝台がわずかに悲鳴をあげる。
背後の窓から差し込む月光に包まれたティアの頬に、手のひらをあてると、気持ちよさそうに摺り寄ってくる。
ティアがほんのりと微笑んで、誘うように顎をほんの少し持ち上げる。
それを横目に眺めながら、ヒースは水をひとくち含む。そのままティアの顔をあげさせ、唇を重ね――ゆっくりと流し込む。
「ん、ん……」
こくり、と流し込んだ水が、ティアの細い喉を通っていく。うまく移れなかった水が、ティアの口もとを濡らし、顎から喉まで滴る。
「もっと……」
請われるがままに、ヒースは口付け、水を与えていく。
数度繰り返すと、ティアは頭を振って「もういい」と態度で示した。満足したか、とヒースがその顔を覗きこめば、潤んだ瞳がそこにあった。わずかに開いた唇が、年頃には似つかわしくないほどの色気を帯びている。
「きす、して」
愛しい者に、そうねだられて断る男はいないだろう。ヒースは、ゆっくりと寝台の傍らに置いていある小さなテーブルにコップを置く。
「……しょうがないやつだ」
あの果実の匂いが絡みついた髪に指を差し入れて、ティアの頭を固定する。顔を傾け、自分にそんな優しさがあったのかと驚くほどの丁寧さで、ティアに触れる。濡れて冷たい唇と、甘く熱い舌先の温度差に、意識が溶けていく。
いつもは、恥ずかしがって逃げるくせに、酒の勢いもあってかティアはヒースを懸命に求めてくれる。
だがさすがにこれ以上は、というところでヒースが唇を離せば。
「っ、ぷ……ぅん……、……すぅ……すぅ……」
すぅ、はぁ、と。深く呼吸をしたティアが、ぱたりとシーツの上に手を落とした。
瞼はぴたりと閉じられて、胸が規則正しく上下の動きを繰り返す。
繊細な硝子細工を扱うよりも慎重に、寝入ったティアを寝台へと横たえる。
そして本当に寝ていることを確認して――がくりとヒースは項垂れた。ああ、疲れた。
己の体全体で華奢なティア押しつぶしそうになるのを腕をついて避け、ヒースは深く深く息をつく。
そんな努力など露知らず、すぴすぴと幸せそうに口もとを緩ませて、ティアは眠いっている。
赤らんだ頬をつつきながら、ティアに酒を飲ませるには細心の注意が必要だと、ヒースはその頭に大きく深く刻みこむ。
とてもじゃないが、外でなどでは絶対に飲ませられない。少なくとも、家で飲むことから始めさせよう。
自分がいれば、まだ大丈夫なはずだ――そうしたら。
「……馬鹿か、オレは」
一瞬、自分の脳裏をかすめた考えに、ばつが悪くなって口元を手で覆う。
ティアが、いつもはみせてはくれない顔を自分だけにみせるのなら、それもいいと思ってしまった。
まったくどうかしていると、ヒースは小さく唸る。ティアを健やかな成長へ導くのも自分の務めだと思っているというのに。
どうにもこうにも、ティアの泣き顔、ティアの笑顔、ティアの甘える姿が、頭の中こびりついてはなれないのだ。素直に言えば、そうされるのは疲れるが、悪い気はしなかった。むしろ心地よい部分さえあったのだ。役得、とでもいえばいいのだろうか。
そんなこと、弱みにつけこむようでよくないとわかっているが、またの機会があればいいなどとついつい考える。
惚れた相手が相手だと、これまでの価値観や考え方がいとも容易くひっくり返されることを、ヒースはこの歳になってはじめて知った。
つまり、自分も酔っているのだ。ティアという、この世界でひとつきりの、何よりも得がたい美酒に。
困ったものだと思いつつ、ごろりとティアの隣に身を横たえれば、小さな窓のガラスの向こうに真円の月がみえた。
自己の欲に苦悩する大人と眠る酔っ払いの少女を、遥か高い中空から見下ろしながら、月はころりと夜空を転がっていく。
それが、呆れながらも優しく微笑みかけてくれているような気がして、ヒースは小さく笑って、瞳を閉じた。