開け放った窓から滑り込む涼やかな風が、繊細なレースのカーテンを揺らす。
綺麗に清掃された部屋は、女の子らしい可愛い調度品で品よくまとめられている。しかも、さりげなくシャール家の紋章が掘り込まれていたりする。どれも一流の職人が作り上げたものだろう。
よくみれば凝った造りの窓枠から差し込む陽光が、四角い陽だまりを床に描いている。そこで日向ぼっこでもすればさぞ気持ちいいだろう。
そんな、麗らかなとある日の午後。
「……で、お姫様はどうしてそんなところにおられるのですかね?」
ちゃっかりと自分の膝の上に座り込み、お菓子を頬張るエリーゼの旋毛を見下ろしながら、アルヴィンは問いかける。
いくらエリーゼの部屋とはいえ、好き放題するにもほどがある。
二人分の体重を支える椅子の前にあるテーブルには、アルヴィンが懐を痛めながら買いもとめたお菓子や果物の数々。カラハ・シャールの名物や高級菓子として名高い品ばかりだ。
もくもくとそれを食べていたエリーゼが、こくりとクッキーを嚥下して、アルヴィンを振り仰ぐ。
「アルヴィンが悪いんです」
きりり、としたオリーブ色の瞳は凛々しいが、口元にお菓子のかけらをつけていたら、台無しである。
「そのことなら謝っただろ」
ハンカチでそれを優しくとりながら、アルヴィンはため息をつく。
ふるる、と頭を振ったエリーゼが言う。
「いいえ、『せいい』というものがありません! みえません!」
誠意、ときたか。
やれやれ、これは相当ご立腹のようだと、肩を竦める。
「そういう小難しい言葉ばっかりおぼえちゃってまー……」
エリーゼが、憧れの学校に通えるようになったのは喜ばしい限りだが、知識が増えればそのぶん扱いが難しくなるのが困りものだ。
目に見えないものの存在を証明するのは容易なことではない。感情を伝えるのは、表情、仕草、言葉しかない。発する側がどれほどの想いをこめようとも、受け取る側がそれを素直に受け取ってくれるとは限らない。
アルヴィンがありったけの誠意をこめて謝罪しようとも、エリーゼがそれを認めなければ意味がないのだ。
だが、確かに今回は自分が悪い。
つくづく失敗したと、渋い顔をして、アルヴィンは頭を掻く。
カラハ・シャールを訪れた際には、必ずエリーゼに会いに来ること。
それは、『ともだち』であるエリーゼとの大切な約束だ。
まだ幼さを残し、ティポともお別れをしたエリーゼは、外の世界を一人で出歩くことはできない。
だからこそ、ジュードをはじめとした仲間達全員が、彼女とそう約束をした。
しかしながら、アルヴィンは此度の商談で訪れた昨日、それを破ろうとしたのだ。
というのも、急な商談でカラハ・シャールを訪れることとなり、連絡をせずエリーゼに会いに行ったら、同級生とおぼしき少年少女とエリーゼが一緒にいるところに出くわしてしまったのだ。
しばし考えた後、アルヴィンはその場を立ち去ったのだが――それがエリーゼは、いたく気に入らなかったらしい。
うっかり立ち去る後姿を目撃され、翌日の朝一番に大層不機嫌な顔で宿に突撃されて、シャール家へと連行されてる途中で、目に付いたお菓子を片っ端から強請られて、いまこの状況である。
「だって、連絡くれませんでした」
むー、と頬をわずかに膨らませたエリーゼは、不満を隠そうともしていない。
そういいつつ、今度は赤く熟れた小さな果実を口にいれている。
どうやら自棄食いで気を紛らわせようとしているようだ。
「それは忙しくて、つい……いや、すまん、言い訳でしかないよな」
これは嘘ではない。商談にいった先で、急遽、カラハ・シャールへ向かうようにいわれたのだ。手紙などで連絡する暇もなかった。
しかしそれもエリーゼには関係のないことだ。ようはアルヴィンの、誠意の問題である。
「それに、会いに来てくれませんでした!」
そこが一番の問題なのだろう。
「……それはなあ……」
ぷりぷりと怒るエリーゼに、アルヴィンは苦笑する。
言ったところで、わかってはくれないだろうと、そう思う。
商売に関係することであるから、身なりには気をつけていため、そこまで胡散臭くはないと自負しているが、自分のような男とエリーゼが親しげに言葉を交わせば、この年頃の少年少女にとっては興味の的になることは必至だ。
いや。
それよりも、自分ではない『ともだち』と、楽しげに話をして笑うエリーゼが、ひどく眩しくて、綺麗で、声をかけるのが躊躇われたのが、一番の理由だ。
結局のところ、意気地がないのだ。
もし、声をかけて、知らない人を見るような目を向けられたらと思うと、怖かった。
すぐ近くの『ともだち』を自分より優先されるかもしれない思うと、恐ろしかった。
伝えたら、もしかしたらわかってくれるかもしれない。でも、情けなくていえるわけがない。
ほんとうの『ともだち』なら、それくらいのことを言い合えるくらいがいいのだろうが、長年の経験が、時間だけを重ねた大人という事実が、アルヴィンの一歩を邪魔する。
「アルヴィンが声をかけてくれなかったの、ちゃんとわかってたんですからね」
「……すみませんでした」
今日何度目かの謝罪を口にするものの、エリーゼの怒りの炎はまだ消える様子がない。
「だから朝まで待ったのに、きてくれませんでした!」
目元を赤くして、子供っぽい高い声で非難してくる。
その言葉に、アルヴィンは目を軽く見開く。数度瞬きする間に、言われたことをよくかみ締める。
「なに、俺のこと、待っててくれたわけ?」
そういわれれば、アルヴィンが立ち去ったことに気づいたのなら、そのときに追いかけて問い詰めてくればよかったのだ。
だが、エリーゼはそれをしなかった。
ということは。
「そうです。だって、約束したじゃないですか……」
むううう、と再びむくれたエリーゼは、たまらなく可愛い生き物だ。
信じていてくれたのだ。『ともだち』のアルヴィンが、自分を訪ねてきてくれると。
よくよくみてみれば、エリーゼの滑らかな白い肌に覆われた目の下が、少し曇っているようにみえる。
「そうか」
へらり、とアルヴィンは笑う。
こうして純粋に自分というちっぽけな存在を待っていてくれたことが、ひどく嬉しかった。
同時に、ものすごく申し訳ない気持ちも湧き上がる。勇気をだせなかったことで、エリーゼを傷つけてしまった。
みっともなくあがいても、しがみつかなければいけない居場所だと思っているのだから、妙な遠慮などしなければよかった。
あの旅から一年。
たったそれだけの時間がすぎたくらいで、弱いところがぽろぽろ零れ落ちるとは、まだまだである。
ひとまず、自分の悩みはどうやら杞憂であったということを理解して、アルヴィンは頬を緩ませる。
こんなにも気にかけてもらえているとわかって、気分が高揚してくる。現金なものだと自分を笑う。
「もー、なんなんですか! 誤魔化されませんからね!」
「いやー、姫は可愛いなと思って」
もしも妹がいたならば、こんな感じだったのだろうか?
怒りとは違う感情をもってして、淡く色づいていく丸い頬なんて、ほんとうに可愛い。
よーしよしよしと、滑らかな金の髪を乱すように頭を撫でる。さらさらと、まるで今日の陽の光が目の前で躍るように、髪が舞う。
「そんなことばっかり! やっぱりアルヴィンは嘘つきです! これは罰なんですよ?!」
そこのところを理解しているのかと、眦を吊り上げながらエリーゼがいう。でも、頭を撫でる手を咎めてくることはない。そういうところも、ほんとうに可愛い。
「わかってるって。いくらでもいうこときくから、もうそろそろ機嫌なおしてくれよ」
ぺちぺちと腕を叩かれつつ、アルヴィンは苦笑しながら白旗を振り続ける。
じゃあ、とエリーゼがアルヴィンを見上げながらいう。
「……帰るまで一緒にいてくれるなら、いいです」
それくらいならば容易いことだ。だが、次の仕事へと向かうべき時間が差し迫っていることも事実。ここまで乗ってきたワイバーンが待っていてくれるにも、限界がある。
ちらり、と部屋にある時計に目をやる。
次いで、膝の上のエリーゼをみる。
ふ、とアルヴィンは笑った。
そんな期待に満ちた瞳に、かすかな不安の光を揺らめかせられれば、エリーゼの願いをどこまででもかなえたくなる。
まあ、街の外にいるワイバーンの機嫌も、まだ悪くなる頃合いではないだろう。
あと、もう少し。もう少しだけ。
この年下の可愛い『ともだち』と、一緒にいたい。
「了解」
そんな子供じみた願いを秘めた、たったその一言で空気が一変した。
「……!」
ぱあ、と堅い蕾が花開くように機嫌を一気に直していくエリーゼに、アルヴィンは笑いが止まらない。ここまでわかりやすいと、駆け引きも何もあったものではないが、その素直さが羨ましいと思う。
どうか、いつまでもその素直さをなくさないでいてくれよ――そう思いながら、アルヴィンは少しだけ前へと身体を倒す。
ふわふわとした髪が、頬にあたってくすぐったい。綿あめのようだ。
ああ、エリーゼはきっとお菓子でできているに違いない。だから、こんなにもお菓子を求めるのだ、などと沸いたとしか思えないことまで考える自分に笑いながら、手をのばす。
「これうまそうだな。ほら、食べてみろって」
美しい色をしたジャムが乗せられた焼き菓子を摘み上げ、エリーゼの口元へと持っていけば、あむ、とそれにエリーゼが噛り付く。
んくんくと、小動物が食事をするように小さな口を動かして、エリーゼが蕩けるように笑った。
「おいしい、です!」
旅の最中も垣間見ていたくいしんぼうさをいかんなく発揮するエリーゼをみていると、なんだか 餌付けしているみたいだと思う。
そんな、口にすると怒らせそうな感想は飲み込んで、幸せそうにお菓子を噛みしめるエリーゼの髪にそっと唇を寄せる。
「な、エリーゼ」
「なんですか?」
さきほどが嘘であったかのように、柔らかな口調の返事が返ってくる。
それに気を良くして、アルヴィンは肉づきの薄い腹へと腕を回して引き寄せる。とん、と、小さな肩に顎を乗せる。
「ずっと『ともだち』でいてくれよな」
眉を下げて囁くように、普通の人からしてみたらささやかな、だがアルヴィンにとってはとても大きな願い。
まだ怖い部分はあるけれど、エリーゼが信じてくれたように、アルヴィンも心を曝け出して信じたい。
だから、確かめたい。
ふふっ、とエリーゼが愛くるしく微笑む。柔らかな白い頬に、ふんわりと乗る紅色は、泣きたくなるくらいに温かいものにみえた。
「しょうがないですから、ずっと『ともだち』でいてあげます」
しょうがないという言葉をもちいたくせに、エリーゼもそうでありたいと願っていることがよくわかるような、声だった。
どうにもこうにも、エリーゼのほうがいつのまにかアルヴィンより立場が上になっていることが解せないが、それでもいい。
得られたくても得られなかった、穏やかな生き方、素直に言葉を告げられる立場、そして、信じあえる『ともだち』という存在。
それがあればもう、なんでもいい。
ああ、俺ってば人生の中で今が一番幸せなんじゃね?
くしゃり、顔を子供のように崩したアルヴィンは、きつくエリーゼを抱きしめる。
きゃっきゃと可愛らしい声をあげるエリーゼに囁く。
「ありがとな――エリーゼ」
「はい」
えへへ、へらり、と笑いあいながら、二人はのんびりと午後の時間を楽しんだ。
数年後。
アルヴィンは自分の言葉を後悔することになる。
新芽が天に向かって伸び、淡く色づいた蕾がひらくように美しくなっていくエリーゼに、心惹かれる自分をとめられなくなっていくにつれ――なぜにあんなことをいってしまったのか、と。
やがてエリーゼの瞳の奥に、恋の甘い光が宿り、熱っぽい視線を向けられるようになっても、アルヴィンは友情と恋情の間で禿げるほどに悩み続けるのであった。
友情の土から恋の芽が顔をだすことは、それほど不思議なことでも、ないというのに。