Caution!!
簡単にいえば、アヴァロンコードの転生もの+現代ものです。
なんとなく妄想したら止まらなくなったので、思いつくまま書くシリーズです。
本日の天気――ゲリラ豪雨。
いつの間にか道から川へと姿を変えてしまった景色を前に、ティアは呆然と駅に立ち尽くしていた。周りには、同じように困り顔をした人々が溢れている。
友人たちと買い物にでかけ、帰ってきたらこの有様だ。数駅離れたところでは、こんな雨は降っていなかったというのに。
異常気象はこれだから困る。まだ明るい時間帯なのに、夕暮れのようにあたりは薄暗い。突如として町の上空に居座って泣き出した雨雲は、いつになったら立ち去ってくれるのか。
パパはお友達とゴルフだし、ママはお茶の稽古だっていってたし……――
迎えは期待できそうにない。それぞれに過ごす休日の日程を思い返し、うーん、とティアは眉を下げて空を見上げる。とはいえ、それで止んでくれるわけもない。しばらく待っていればおさまるかなぁ、と落ち着ける場所を探すためにあたりに目を向けるが、あいにくと考えることは皆一緒。見える範囲の喫茶店などは、雨宿りの人で混雑しているようだった。
タクシーでも、と思ったが今日はいろいろ買いすぎてお財布事情が厳しい。それにタクシー乗り場までいくだけでも濡れ鼠になるだろう。肩にかけた大きな紙袋が落ちないよう、かけなおす。
さてどうしようかと、きょろきょろと目を動かしていると。
「あ!」
また到着した電車から吐き出されてくる乗客たちの中、よく知った人影をめざとくみつけ、ティアは顔を輝かせた。
「ヒース!」
「ティア? おっと」
抱きつく勢いでかけよると、はっしと両肩をおさえつけられた。さすがに人目の多い公共交通機関の場所で抱擁はさせてくれないらしい。
いじわる、と唇を尖らせたのはわずかなこと。ティアは、もじもじとしながらヒースを上目遣いで見上げた。
「こんなところで会えるなんて、運命だよね……」
「……夢見る乙女だな、君は……」
感心したような呆れたようなヒースの声に、ティアは可愛らしく眉根を寄せる。
「もう! この年頃の女の子にその言い方はよくないと思うよ」
「そういうものか。すまなかった」
うっとりとしていた気分が台無しだと抗議すれば、ヒースはあっさりと謝ってくれた。
聡いヒースだけれど、微妙に乙女心を理解しないところがある。でもそういうところもぜんぶ好きだよと思いつつ、ティアはヒースに擦り寄る。
「それにしても凄い雨だな」
よしよしと、じゃれついてくるペットの相手をするように、ティアの頭をなでていたヒースが、町の様子をみていう。
「ねー。どうやって帰ったらいいのかなぁ……」
「しばらく待つしかあるまい。基本的に短時間なもののはずだからな」
「うん」
「小雨になったら家まで送ろう。ほら、とりあえず荷物をこっちへ」
「わ、ありがとう!」
肩に下げていた紙袋を、ヒースが当然のようにとりあげる。その厚意に素直に甘え、ティアは笑った。
さきほどまでの沈んでいた心など、もはや曇天をつきぬけ空の彼方だ。雨が降ってよかった、とまで思う始末だが、同じく足止めをくってしまっているヒースにはいえやしない。
そうして駅前から動けぬまま、町の景色を霞ませる雨を眺めつつ、ティアが今日買い物に行った雑貨屋の話をしていると、ふいに強い風が吹いた。
雨で濡れた町が太陽の熱を恋しがるような、冷たい吐息に似た風に、肌を撫でられてティアは寒気を覚えた。
ぶるり、と身震いした瞬間、鼻がむずがゆくなる。
「っ、ふぁ、くちゅっ」
我慢することなどできず、飛び出したくしゃみが恥しい。やだもう、と思っていると、隣に立つヒースが背を屈めて覗き込んできた。
「寒いのか?」
「んー、ちょっと……」
いい天気であったので、薄手のワンピース姿の自分が悪い。ボレロでも羽織ってくればよかった。
ティアはヒースから顔を背けてハンカチを取り出す。鼻水が垂れているところを好いた相手にみられようものなら、恋する乙女の心が抉れてしまう。
だが、心配するような事態にはなっていなかった。よかった、と安堵したとき。
「ほら」
「え」
ティアへと押し付けるように差し出されたのは、ヒースが着ていたジャケットだった。思わず受け取れば、それはまだ持ち主の熱を宿していて、ほんのりと温かい。
「大きすぎるだろうが着ていたほうがいい」
「で、でも、荷物まで持ってもらってるのに」
「君に風邪などひいてほしくないんだ。着てくれるとありがたい」
「……ありがと」
そこまでいわれて断るのは、逆に申し訳ない。心遣いが嬉しくて微笑んだティアは、いそいそと袖に腕を通してみた。指先は隠れっぱなしだし、丈が長すぎる。
だけれど、ふわり、と包み込んでくれる温かさに、ティアはほうと息をこぼした。やはり冷えた空気に体温がいつの間にか奪われていたようだ。
持ち主の優しさに抱きしめてもらっているようで、幸福感に満たされる。
「……ヒースのにおいがする」
ふふふっと笑うと、ヒースが表情をゆがめた。なぜか妙にショックを受けているようなので、あれ? とティアは考え――とあることに思い至った。
「あ、加齢臭とかそういうんじゃないからね! ほんと、ほんとだから!」
「強調しないでくれ……」
大慌てで否定するものの、ヒースの青灰色の瞳は遥か遠くをみている。その妙に悟ったような、諦めきったような表情に、ティアは涙目になった。
「もー、大丈夫だよ! お父さんのにおいとぜんぜん違うから!」
「……」
「ヒースぅぅ!」
迂闊なことをいってしまった、魂をどこかにやってしまわないで、とティアがヒースを揺さぶりながら必死に呼びかけていると。
「――ヒース?」
アルトというにはいささか低い、落ち着いた心地よい声が、二人の耳に飛び込む。
振り返ればそこに、背の高いスレンダーな人物が立っていた。中性的な整った面立ちに、薄く施された化粧、ゆるく波をえがく栗色の長い髪。手に提げているのは、この駅周辺にある輸入食品を扱う店のもの。赤いハイヒールが色彩に欠ける雨の世界で、ひときわ鮮やかにみえた。
綺麗なひとだなぁ……、とティアが目を瞬かせていると、その人はにこにこと笑いながら近寄ってきた。ひらひらと、首もとを彩る綺麗なストールの裾が、ひらひらと舞う。
「きいたことある名前だと思ったら! なぁに、雨宿りしてるの?」
「まあな」
「そうね、このお天気じゃねぇ。さっき、アタシもお店からでてびっくりしたわぁ。すこし落ち着いたみたいだから移動してきたんだけどね……」
頬に手をあて、憂鬱そうにいう様子に、ヒースが苦笑いしている。
二人の間に漂う親密そうな雰囲気に、割ってはいるのもなんだか気が引ける。
どうしようかな、と思っていると、その人と目があった。反射的に、ティアは頭をさげた。
「こ、こんにちは」
「はい、こんにちは。礼儀正しいわねー。この子、ヒースの妹? って、あら……? 妹さんなんていたかしら?」
んんん? と首を捻って疑問を口にしている。ちがいます、とティアが訂正する前に、ヒースが頭を振った。
「いや、実家の近所に住んでいる子だ」
「あらやだ……、それじゃあ援助交さ「ちがう」
目を丸くし口元に手をあてて、とんでもないことを言おうとしたのを、憮然とした顔でヒースが遮る。そして、深く息をついて目を伏せた。なんだかどっと疲れたような、そんな感じだ。
「休日出勤したら、大雨に降られ、あげくにお前にでくわしてこんな不当な扱いをされるとは――今日は一体なんなんだ……」
「やっだ、それじゃあ、アタシに会ったのが最大の不幸みたいじゃない!」
「遠まわしにそういっているんだが?」
「ひっどーい!」
「おい、絡んでくるな」
腕と腕を絡め、身を寄せてこようとするのを、ヒースが露骨に嫌そうな顔で避けている。
きゃっきゃ、とまるでじゃれあうようなそのやりとりに、ティアは慌てた。
まるでヒースがとられてしまうような、そんな気がしたのだ。
「あの! お、お姉さんは、その、ヒースとどういう……」
無理やりに会話を分断すると、ぴたっと大人二人が固まった。そのまま、揃った動作でティアを同時にみてくる。
ヒースは驚いた様子、美人は心底嬉しそうな様子。真逆なその視線に、何か変なことでもいったかな、でも目をそらすのもおかしいかもしれないし、失礼だろうし、どうしたらいいのかな……などとティアが戸惑っていると、女性がティアに手を伸ばしてきた。
「やだこの子ってば……!」
「ふぇっ」
そのまま長い腕に絡めとられそうになった瞬間、背後からヒースがその動きを阻止するように、羽交い絞めにした。
「おいこらまて、抱きしめようとするな!」
「いいじゃないの、可愛い子は人類の宝よ、癒しよ! アタシ癒されたい!」
「ほかで癒されろ!」
「やぁだぁ! この子がいい!」
「気持ち悪い声をだすな!」
まるで痴情のもつれのように、いやいや、やめろやめろと繰り返していると、さすがに人の目が集中してきた。遠巻きに、なにやってるんだろう、喧嘩? などと小声で囁きあっている。
「こっちこい!」
「やぁん強引! 昔を思い出すわぁ!」
「馬鹿か!」
きゃーっと、なぜだか頬を染めて照れる美人にヒースが声を荒げる。
こんなヒースなんてめったにみられないと、ティアは若干瞳を輝かせてそのあとについていく。ヒースの交友関係を把握するにもちょうどよい機会だ。
そそくさと場所を移動した三人は、駅構内の隅で改めて顔を付き合わせた。ティアは視線で、「この人だぁれ?」とヒースに問いかける。
う、とわずかに言葉につまったヒースが、しぶしぶといった様子で語りだす。
「こいつはオレの大学時代の同級生でな……その、なんというか……友人……悪友……?」
「……?」
自分で自分の言葉に疑問をもっていれば世話はない。
ヒースの妙ないいように、ティアは首を傾げた。お友達ということには間違いないようだが、なぜそんなに紹介することに頭を悩ませなければいけないのだろう。
渋い顔で適切な言葉を探しているヒースから、ちらっと美人に視線をむければ、どうやらあちらもティアのことをみていたようで、視線が絡んだ。
にっこり、と上品な赤みを宿す唇が弧を描く。それはそれは、楽しそうに。
「アタシ、リンっていうの、よろしくね。ヒースがいってたとおり、大学時代からのオトモダチなのよ」
「は、はいっ、よろしくお願いします!」
自らいってくるということは、ほんとうなのだろう。
身元がおぼろげながらわかってきた。ティアが安堵に頬を緩ませると、リンが感心したように頷いた。ほう、と色っぽい溜息をつきながら、頬に手をあてて目を細めている。
「ほんと可愛いわぁ……」
「……おちつけ」
うずうずとなにかをこらえるリンの肩を、ヒースが力強く掴んだ。まるで、お預けをいいつけられた犬とその飼い主のようである。
ひらひらと、リンがおもしろくなさそうに手を振った。
「んもう、わかってるわよ。ねえ、とりあえず、もう少しやむまでウチで雨宿りしていきなさいよ。お茶くらいだすわ」
「……だが」
魅力的な提案だと思う反面、なにか思うところがあるのだろう。ヒースがティアを見遣りながら、口ごもる。
「この子、少し寒そうじゃない。あったかいものでも飲ませてあげなさいよ」
リンの言葉が決定打になったのか、ヒースがティアの顔をのぞきこんで問う。
「こいつはこの近所で店をもっているんだが……いくか?」
決定権をティアに委ねてくるあたり、ヒースは相当疲れているのだろう。こんなことを訊ねられたら、ティアがどんな返事をするかくらい、すぐわかるはずなのに。
「うん! いく! いく!」
「いいお返事ねー」
リンの長い指が、ティアの頭を優しくなでる。自分に姉がいたのなら、こんな感じなのかなと、ティアは思った。
「じゃあ、こっちよ」
「はーい!」
「……」
元気いっぱいなティアの返事とは正反対に、ヒースは頭が痛いとでもいうように、こめかみに指先をあてていた。
小雨になった町を早歩きしながらきいたところによると、リンは駅からほどちかいところでアイリッシュパブをひらいているとのことだった。週末には、リンの友人たちがケルト音楽のライブを開いたりもするらしい。
そうして足を踏み入れた店内は、小さいけれど独特のあたたかな雰囲気があり、ティアは一瞬で虜になった。憧れていた大人の世界の一端に足を踏み入れられて胸が高鳴る。
「開店するのは夜からなんだけど、今日は特別ね」
「わぁ……!」
丸テーブルの椅子に腰掛けたティアは、目の前にだされたものに、瞳を輝かせた。
ジャムにバター、そしてスコーンが盛られたお皿。ふんわりと優しい湯気をあげる紅茶が、そのあとを追うように置かれた。パブであるのに、こうしたものがあるのがちょっと不思議な気がする。でも、それはさておき、とってもおいしそう。
「いいんですか?!」
これだけでもそこいらのカフェなら、いい値段がするだろう。
魅力的なものを前に、視線を彷徨わせるティアを安心させるように、リンが笑う。
「いいのよ、グーズベリージャムの感想をきかせてくれれば。さあ召し上がれ」
「ありがとうございます!」
きゃー、とティアは歓声をあげてスコーンにジャムを塗ると、はく、と小さな口に頬張った。
少し酸味のあるジャムと、ほどよい甘みをもつしっとりとしたスコーンがとてもよくあう。
「おいひいれす」
もくもくと食べながら何度も頷けば、同じテーブルについたリンが「よかったわぁ」と笑った。ヒースと自分の前にも紅茶を置いて、喜んでいる。
「あの、えっと、ヒースとはいつからお友達なんですか?」
香り高い紅茶で喉を潤しつつ、ティアはリンに問う。ティアがお菓子に夢中になっているさまを微笑ましくみつめていたリンの瞳が、いたずらっぽく輝いた。
「あら、知りたい?」
「はい!」
「おいまて、余計なことはしゃべるな」
勢い込んで良い子のお返事をするティアと対照的に、ヒースが声を荒げた。
「やぁよ、ヒースのお願いとティアちゃんのお願いなら、ティアちゃんが優先されるに決まってるでしょ」
「おまえな……」
つーん、と顎をあげて拒否をしたリンが、ティアのほうへと身を乗り出す。
「ヒースと初めて会ったのは、新入生勧誘が盛んな日だったわー」
「勧誘?」
「大学にはたくさんのサークルがあるんだけど、自分たちのサークルにはいりませんか~って、お誘いをするのよ」
ほうほう、とティアが頷いたのをみてリンは続ける。
「でね、なんていうかタチの悪いのに声かけられちゃってねぇ、断ってるのにしつこくてしつこくて、どうしようって困っていたら、とおりかかったヒースが助けてくれたの」
「へえ~……」
きっと咄嗟に人助けをしてしまったのだろうと思う。まあ、もしかしたらリンが美人だったことが要因かもしれないけれど。
むむむ、と思わず眉間に力をこめてしまったティアをよそに、リンはうっとりと思い出に浸っている。
「さっきみたいに強引に手を引いてね、勧誘の男の人たちを振り切ってその場から連れ出してくれたのよ!」
きゃー! と、身をくねらせるリンを、ヒースが冷たい瞳で一瞥した。
「助けるんじゃなかった」
「んもう、またそんなこといって!」
「……」
バンバンとヒースの背中を叩くリンの、ふんわりと紅色に染まった頬が恋する少女のようで愛らしい。
「あのときの背中をみつめながら、もしかしてこれが運命なのかしらって思ったわー……」
うむむ、とティアは目元を険しくする。自分からきいたくせに、そんな思い出を語られると胸が嫌な気持ちに満たされるなんて、わがままだ。わかっているのに、機嫌は急降下していく。
「そうしてアタシ達は友達になったの。でもそのときのことが忘れられなくて、ずーっと好きっていってるんだけど、なかなか応えてくれないのよね~。でも、そういうつれないところも素敵よ」
「やめろ」
「うふふ」
同性であるはずのティアからみても、胸が高鳴るようなリンの流し目を、ヒースはあっさりと受け流して紅茶を飲んでいる。なんだか別世界だ。
一口飲んで、カップをおろしたヒースの右手に、するりとリンが指を這わせる。
「ほんとつれないわぁ――でも、す・き」
「……リン、からかうな」
「もう……」
そうしてみつめあう二人の姿は、とても絵になっていて、大人な世界で――自分にはまだまだ遠い場所のことのよう。
でも、でも。ヒースへの想いなら負けないもん!
「だ、だめー!」
勢いよくたちあがったティアは、リンの指先からヒースの手を奪う。ぎゅうっと精一杯に両の手で握り締め、ティアはお腹に力をこめた。ずっとずーっと、それこそこの世界の誰よりも、ティアはヒースを追いかけてきた。生まれたときから、否、生まれる前から。だから。
「わ、私のほうが、ヒースのこと好きだもん!」
店内にティアの魂の叫びが響き渡る。空気の震えがおさまったあとに訪れたのは、沈黙と静寂。
あ、しまった……と、冷や水を浴びせられたように気づいたときにはもう遅い。
思わぬ告白をたたきつけられる格好となった大人二人が、まったく正反対の反応をみせた。
「ふ、ふふふ、あははははっ!」
「……」
爆笑する者が一人、頭を抱える者が一人。
かあぁぁぁっ、とティアは頬どころから耳やら首やら額までを赤く染め上げ、ヒースの手を慌てて離すと、そのままぺたりと椅子に座り込んだ。
やってしまった。であったばかりの人の前で!
ああもう、なんでこんな対抗心をもってしまったのだろうと、恥しさにティアが顔を伏せたとき。
お腹を抱えて笑っていたリンが、いきなり席から離れてティアに近づいた。
「なんてかわいいの!」
「きゃあっ?!」
「おい!」
そのまま、ひょいと持ち上げれてティアは小さな悲鳴をあげた。
一方のリンは、ティアの重さをまったく感じていないかのように、その場でくるくると回転する。
目が回りそうになって戸惑っていると、するりと長い指先がティアの頬に触れた。
すぐそこにあるリンの顔が、ゆっくりと笑みに彩られていく。その色っぽさに、はう、とティアは子犬のような声をもらした。やっぱり、美人である。だけれど。
「――いいね。ほんとうに可愛いよ」
……あれ、誰の声?
ティアは、くらくらとする意識で、目の前のリンをじっとみつめた。とっても素敵な声だけれど、なんていうかどうきいても男の人の声だった。
目を白黒させるティアを、リンが心底楽しそうに見上げている。
びっくりしたティアは、思わず手をつっぱる。そして、本来ならやわらかな感触があるはずのところに、そういったものがないことに気づく。成長途中のティアのほうがまだあるだろう。
思わず手を置いたリンの胸元を凝視すると、いやんえっち、などといわれた。思わず、ごめんなさい、と呆然としながらも謝った瞬間。
「やめんか!」
「いってぇ!」
がつん、とヒースがリンの足を蹴り上げた。さきほどの男の人の声が痛みを訴えている。その声は間違いなくリンの唇から飛び出してた。
いつにないそんな暴力的な様子に、ティアは硬直したままヒースをみつめる。ヒースはそんなティアをリンの腕から手早く奪い返し、背に庇った。
「いっててて……ちょっとぉ、かよわいアタシにあんまりじゃない?」
「男にかよわいもなにもあるか。いい加減にしろ」
「……」
あ、やっぱり男の人なんだ。
ティアは思わずさきほどまでリンの胸に触れていた手を凝視した。温かかったけれど、やわらかくはなかったそこ。
鷲づかみして失礼なことしちゃった……と、いまはわりとどうでもいいことを考えてしまうあたり、ティアの思考回路はまったくもって現実に追いついていない。
「ごめんねティアちゃん、びっくりしたでしょ? アタシ、ほんとうの名前はリンゼイっていうのよ――あらためていうけれど、オ・ト・コ!」
「……リンゼイ、おにいさん……」
おねえさんではなく、おにいさんでしたかと、そういった瞬間、がっし! と両肩を掴まれて、ティアはその細い体を跳ね上げた。
目の前にあるリンの瞳が、笑っていない。
「リンちゃんって呼んでね」
「リ、リンちゃん……」
若干、頬も声もひきつりがちであることは許して欲しいと、ティアは思った。
「よくできましたー!」
よしよし、と頭をなでられて、ティアは首をすくめる。そして、はっと気づいた。
「あ、もしかして、ヒースも最初間違えて……?!」
「!」
ぎく、とヒースが体を強張らせるのがみえた。どうやら図星らしい。
でもまあ、リンをみれば誰しもが間違うだろうと、ティアは思う。
それにしても、困っている美人を助けてみれば男だったとか、よくできたドッキリかコントのようだ。ヒースにあったかどうかしらないが、これでお近づきにでもという下心でもあったなら、トラウマになりそうなものである。
そのときのことでも思い出しているのか、ヒースが頭を抱えている。若い日の思い出は、楽しい事もあれば、恥しい事もあるのだろう。やはり、今日は彼にとって厄日なのかもしれない。
「そう、そうなのよー! あのときは傑作だったわー!」
けらけらころころと、リンが陽気に笑う。ヒースがますます落ち込んでいく。
「アタシがオトコだと気づいたときのヒースの顔ってば……ぷっ、ふふ、あっはははははは! 今思い出しても笑っちゃうわー!」
「リン、おまえほんともう黙れ」
「あ、ちょ、いた、痛い、やめてやめて!」
笑い転げるリンの首に逞しいヒースの腕が絡まる。がっしりとロックされたリンが、涙目でギブギブと訴えた。
余計なことをこれ以上いわないと確約させたヒースが離れると、リンが乱れた髪を指先で梳いた。
「もー、乱暴なんだから」
「おまえが悪い」
なんだかとっても衝撃的なことばかりで、ちょっとついていけないけれど、三人は揃って席につきなおす。
ティアは、ひとまず落ち着くために紅茶を飲んだあと、おずおずと訊ねる。、
「あの、リンちゃんは、ヒースが男の人だけど好きなんですか……?」
ぶふぉ、とヒースが飲みかけの紅茶を噴出している。だがティアは真剣なのだ。
男の人が好きな男の人がいることくらいしっている。恋愛対象としてヒースが好きだというのなら、リンはライバルで間違いない。そのあたり、はっきりさせておきたかった。
ティアのまっすぐな瞳を受けて、わずかに目を丸くしたリンであったが、すぐに笑った。それは色恋沙汰というよりも、どこかさっぱりとした親愛のこもった笑顔だ。
「そうね、好きよ」
さらりといってのけたリンが、ぐっと拳を握り締める。
「だって格好イイじゃない!」
「ですよね!」
その勢いに鼓舞されたように、ティアもまた小さな拳を握り締めた。まったくもって同意である。
「なぜそこで意気投合する……?」
蚊帳の外で力なく呟くヒースをよそに、リンとティアは手をとってはしゃぎあう。
「アタシはね、綺麗なものが好きなの」
うふ、とリンが茶目っ気たっぷりに片目を閉じる。そして、ヒース、ティアの順に視線を送って微笑んだ。
「もちろん、格好いいものもだーいすき。でも可愛いものは、もっと好き」
すっと伸ばされた綺麗な指先が、ぷに、とティアの頬をつつく。なぜか、ティアは顔を真っ赤にしてしまった。別にそれ以上のことは、なにもされていないというのに。
きっと、リンが熱っぽくみつめてくるからだ。どきまぎとしつつも、魅力的なリンの瞳から目がそらせない。
「ティアちゃんのこと、ヒースよりも好きになっちゃいそうだわ」
「~~~!」
とんでもないことを言って、リンがティアの指先に口付けた。ちゅ、と軽い音とともに送られた柔らかさと熱に、ティアの頬が紅に染まる。
「だからやめろといっている!」
「もー、ヒースが独り占めとかずるくなーい?」
リンの手を叩き落としたヒースが、ティアの腕を掴んだ。珍しく不機嫌極まりない表情を隠しもせずに浮かべている。
「帰るぞティア」
「えっ、もう?」
「あらら、保護者が怒っちゃった。残念~」
さっさと身支度を整え、荷物を手にしたヒースが、これ以上話すことはないといわんばかりに、店の出入り口へと向かう。
有無をいわせぬその様子に、リンが肩をすくめた。呆れ顔で、軽く頭を振っている。
「もー、大人げないんだから……」
余裕のない男ってやーねぇ、といってすぐに、リンは輝くような笑顔をティアに向けた。
「またいらっしゃいね。ティアちゃんならいつもでも歓迎するわ。それから、」
「?」
ちょいちょいと手招きされて、ティアはリンに近寄った。こそこそと耳打ちされる。
「アタシ、ヒースのことは好きだけど、恋愛対象とはまた違うから」
「……!」
うふふ、と笑ったリンに頬を撫でられる。くすぐったくて、ついつい笑う。
「だから、ヒースについては安心して? ……ヒースについては、ね?」
「は、はい」
なんだか妙にひっかかりを覚える物言いだが、ヒースをそういう意味で狙っていないのなら一安心である。
ほーっと胸を撫で下ろすティアを、ぎゅう、とリンが抱きしめる。思わず抱きしめ返すと、店の扉付近でヒースがなにかいっているのが聞こえた。
「じゃあ、これで失礼します。今日はありがとうございました」
「ええ、気を付けて帰るのよ。ばいばい」
ばいばい、とティアは手を振って前を向く。扉をおさえてこちらをみているヒースが、あまりおもしろくなさそうな顔をしている。
どうしたのかな、と思いながら駆け寄ると、ヒースとリンは二言三言別れの挨拶を交わした。
店の外にでると、雨はすっかりやんでいた。
「よかったねー、濡れなくてすみそう」
色が変わるくらいに水浸しになった町へ、ティアとヒースは並んで歩き出す。
「リンちゃんておもしろい人だね」
「あれは、おもしろいというかなんというか……まあ、悪いやつじゃないんだが」
ペースを崩され疲れ切っているヒースに、ティアは小さく笑う。
「とりあえず、もしもあの店にいくなら、オレに一声かけるんだぞ、いいな?」
「えー……」
むう、とティアは唇を尖らせる。まさかそんな反応をされると思わなかったのか、ヒースが眉間に皺を寄せた。
「なぜそんなに不満げなんだ」
会社でのヒースのことは、メル友でもあるヴァルドからこっそりきけるけれど、大学時代ともなるとそうはいかない。
リンからは、もっとたくさん楽しいお話がきけそうな、そんな予感がするのだ。あと、とっても仲良くなれそうな気がする。
でもまあ、これ以上、ヒースを悲しませるのはひとまずよそう。
「うーん、わかった。リンちゃんに会いたくなったら、ヒースにいえばいいんだよね?」
「そうしてくれ」
素直にいうことをきけば、ヒースがほっと息を吐いた。
これはなにかまだいろいろと大学時代の秘密がありそう――いつかそれらをきいてみたい。
わくわくとした心の内を悟られぬよう前を向いたティアは、あっと声をあげた。足をとめて、遥か彼方を指差す。
「ヒースみて、虹がでてる!」
「お、すごいな」
通りの向こうに広がる空に、大きな虹がくっきりとかかっている。七色の橋に、二人は肩を並べてしばし魅入った。
高い空の青、雨の名残として漂う雲、吹く風の涼しさ。
ああ、秋が近いな、とヒースが呟く。
そうだねとそれに囁き返して、ティアはヒースの手を握りしめる。
次の秋もこうして二人で迎えられたらいいねと、そんな小さな願いは、指に込める力に託して。