幾千万の世界をこえて ~ いただきますごちそうさま ~

Caution!!
 簡単にいえば、アヴァロンコードの転生もの+現代ものです。
 なんとなく妄想したら止まらなくなったので、思いつくまま書くシリーズです。

 

 

 やわらかそうな白いコートを纏ったティアが、はー、と夜の世界に息を吹きかけている。
 小さな口から吐き出されたものは、大気をわずかに白濁に染めて、すぐに融けるように消えていく。冬になれば、もっと色濃くなるだろうが、まだそこまでには至っていない。
 なにが楽しいのか、ずっとそんなことを繰り返す姿は、どこか幼さが滲む。もうすでに高校生であるというのに。
 目の前の、頬が緩むような光景に、今は遠い子供の頃の穏やかな時間が重なる。あれは、いつの頃だったろう。
 変わらないなと、くつくつ喉の奥を震わせて笑いながら、ヒースは己の荷物を背負った。
「ティア。またせた」
「ヒース!」
 道場の玄関先で、ヒースをじっと待っていたティアが、ぱっと顔を輝かせる。
 それがまるで、待てをいいつけられて主人の帰りを待ち続けた健気な犬のようにみえて、ヒースは苦笑する。ティアはどちらかというと、小動物――兎や子猫といった風情だが、こういうところは犬っぽい。
 そんなことを思われているなんてわからないティアが、きょとんと大きな目を瞬かせて、首を傾げた。
「なぁに、どうかした?」
 可愛らしく訊ねてくるティアに、ヒースは緩やかに頭を振りながら、ティアが持つ荷物を優しく奪う。背にある己の荷物同様、汗を吸い込んだ白い道着がはいっているはずだが、さして重みを感じることもない。
「いいや、なんでもない。さあ、家まで送ろう」
「うん、ありがと!」
 二人分の荷物を、やすやすと運ぶヒースの、あいた腕にティアが張り付く。当たり前のように抱きついてきたティアの旋毛を見下ろしながら、ヒースは息をつく。それは、ティアがやっていたように、夜気に触れると一瞬だけ形をつくって、すぐに消えていった。
「ティア……。そんなにくっつかれると歩き辛い。いつもいっているだろう?」
「むぅ、」
 しょうのないやつだな、と呆れ混じりの声音でいえば、ティアが唇をわずかに尖らせ、不満そうな顔で見上げてくる。
 ついつい許してしまいそうになるくらい、そんな表情も愛くるしい。
 年頃の女の子という生き物は、得なようにできているものだと、ヒースはしみじみ思った。
「じゃあ、これで我慢する」
 そういって、ティアはヒースと指を絡ませるようにして、手を繋ぐ。これだけは絶対に譲れないと、その瞳がいっている。
 頑固というか、諦めが悪いというか……、ティアの意思の強さはどこで培われたのだろう?
 家庭環境も見た目も、どうみても普通の女の子であるというのに。
 恋が女を強くするという夜の不思議を理解していないヒースが、内心首を捻っていると。
「いやいや、相変わらず仲のよい……」
 ほのぼのとした、どこかこちらの気を抜かせるような穏やかな声が、背後から響いた。
 その声をよく知っている二人は、揃って振り向く。
 しっかりとした木造りの古めかしくも堂々とした道場の入り口に、いつの間にやってきていたのか、小柄な白髪の老人が一人、たっていた。
 その人物こそ、ティアとヒースが通うこの古武術道場を統率する師範代であり、二人の師匠である。
 一見すると、枯れ枝のような細さに侮る者もいるだろうが、少しでも武術の心得があるものならば、黒い道着を着こなした隙のない立ち姿に、その底知れない実力を感じとるだろう。
 ヒースは、ゆっくりと頭をたれた。
「いえ……。お恥ずかしい限りです。まだ兄離れしていないようなものでして」
「違うもん! ヒースはお兄ちゃんじゃないもん!」
「ほっほっほっ」
 兄妹じゃないと主張するティアの手を引き剥がそうとするヒースと、離されまいとするティアの攻防に、師範が楽しげに笑う。
 長く伸ばした顎鬚を撫で付けるその仕草もあいまって、どこか幽遠な郷に暮らす仙人のような雰囲気が漂う。実際、近所の子供達には仙人扱いされているのだが、それは余談である。
「ティアちゃんは、ヒース坊が好きなんじゃろう?」
「はい、大好きです!」
「……いやいや」
 ティアのヒースへのアプローチぶりは、この道場でも有名である。同年代の少年たちからの好意を一顧だにせず、ヒースだけを追いかけていることは、師匠もよく知っているはずだ。
 なので、いちいち確認しないで欲しかった。ものすごくいたたまれなくなる。
「まあまあ、ヒース坊も実のところ、可愛い女の子に好かれて嬉しいじゃろ? 男冥利につきるじゃろ? ティアちゃんは見る目がある。頑張るんじゃぞ?」
「お師様……あまりからかわないでください。ティアがその気になってしまいます」
 高齢とは思えないはりを保つ肌を、興奮気味にわずかに赤くして、好々爺然とした様子でそんなことをいう老人に、ヒースは肩を落とした。
 ここにもティアファンがひとり。ヒースの味方は、この世界のどこにいるのだろう。
「大丈夫! お師匠さまにいわれなくても、私はちゃんとその気だよ!」
「……」
 そういうことをいってるんじゃない。
 真剣な顔をして訴えてくるティアに、思わずそんな言葉がでかけるが、余計に収拾がつかない事態になりそうなのでやめることにした。
「では、私たちはこれで失礼致します。本日のご指導、誠にありがとうございました」
「ありがとうございました!」
 ヒースが深く頭をさげると、ぺこん、とティアもあわせて頭をさげた。
「うむ。二人とも、気をつけて帰るように」
 顔をあげれば、指導しているときの厳しさは微塵もない優しい笑顔が、そこにあった。孫を見守るような慈しみの色が浮かぶ表情に、いささか照れくささを覚えながら、ヒースはティアの手をひいた。
 ばいばい、と手を振るティアとともに、門扉をくぐる。
 まるで江戸時代にでも時間旅行をしていたと錯覚をおこしそうな日本家屋から一歩でれば、そこは現代の町並みが広がっている。
 路地の奥まったところにあるため、人の通りは少ない。いくつかある街灯が、冷たくとも確かに闇を照らし出してくれている。
「いくぞ。忘れ物はないな?」
「うん、大丈夫!」
 なんだかんだと手を繋いだまま、ヒースとティアは帰路をたどる。
 住んでいるところからはさほど遠くないこの道場に、こうして二人で通うようになったのは、随分昔のことだ。
 先に指導を受けていたヒースの稽古を見学にきたティアが、自分も習う! と言い出したときには、ずいぶんと驚いた。
 当初は渋っていたティアの父親も、護身のためといえば、あっさりと了承したときいている。長く続けることはなくとも、なにかあったときのために身を守る術を知っておくのは悪いことではない、と。
 皆がそう思っていただろう。実際、ヒースもそう考えていた。
 しかし、ティアにはこの方面にも才能があったようで、今もきちんと稽古を受け、実力をつけていっている。体格や体力といった男女の差はあれど、才能だけみればヒースと同等もしくはそれ以上だ。それは、師範たちも認めているところである。
 まあ、もしかしたら、ティアはヒースと一緒にいたいがために、そんなことをいったのかもしれないが。
 ちらり、とヒースは隣を歩くティアを見下ろす。
 こんなに細い身体で、精一杯に自分への好意を伝えてくるティアが、可愛くないわけがない。師匠がいっていたとおり、男冥利に尽きるだろう。
 だけれど……。
 ううむ、とヒースは唸りながら眉間に皺を寄せる。
 ヒースは常識人である。その彼の常識に照らし合わせると――いささか、やはり、問題があるような気がしてならないのであった。
 悩むヒースと上機嫌なティアが、いくつか角を曲がり、大きめの道に出、道すがらにある小さな公園にさしかかったころ。
 くう、とせつない音がひびいた。
 深いところへ追いやっていた意識を現実へと引きもどし、ヒースがその音源へと顔を向けると、コートの上からお腹に手をあてたティアが、眉をさげて見上げてきた。
「ヒース……おなかへった……」
「……ぷ」
 その情けなくも可愛い姿に、ヒースが小さく噴出したことに、ティアが頬を赤らめる。むう、と一気にむくれたティアが、ぺしん、とヒースの腕を一度叩いた。
「なんで笑うの!」
「いや、可愛いと思ってな」
 頭の一つでもなでてやりたいところであるが、あいにくと両手は塞がってしまっているため、できない。
 ヒースに可愛いといってもらえて、嬉しそうに恥ずかしそうに瞳を伏せるティアの頭上を越える長身を活かして、ヒースはお目当てものを確かめると、そちらを顎をしゃくって示した。
「よっていくか? おごってやるぞ」
 すぐそこに、夜道を明るく照らし出すコンビニが一軒。煌々とした人工の明かりに、ティアは目を輝かせた。
「やった! おでんたべたいな、大根とたまご!」
「好きなものを選ぶといい」
「わぁい!」
 きゃっきゃ、とはしゃぐティアに手を引かれ、二人揃ってドアを押し開き――そして数分後、再び扉を通ったとき、ティアの手には温かな湯気といい匂いをあたりにふりまく、おでんいりの容器があった。
 さすがに立ち食いというのは行儀が悪い。すぐ近くの公園入り口付近にあるベンチまで移動した二人は、揃ってそこに腰掛けた。
 ひんやりとした晩秋の空気が、頬を冷たく撫でていく。冬の足音が、風のなかに聞こえるような気がした。
 それをどこかへ追いやるように、ぱき、と木が割れる音が響いた。
「えへへー、いただきまーす」
 割り箸を持ったティアが、手を合わせ、小さく頭をさげながらいう。
 そして、いい色になっている大根へ、いそいそと箸の先を向け、小さくわる。
 綺麗な持ち方と所作だと、いつみても思う。ヒースも社会人になった以上それなりに気をつけるが、誰の目もないところだと、さほど綺麗な食べ方はしないほうだ。なので、ティアの食事風景はいつも美しく、見ていて好ましいと思う。
 食べる前から幸せそうな顔をしていたティアが、はく、と湯気たつ大根を口にいれる。
「んー、おいしー!」
 もごもごと味わって、ティアがことさら幸せそうにそんなことをいうものだから、ヒースはまた噴出しそうになる。
「うまいか?」
「うん! はんぺんもおいしいよー」
 それなりに身体を動かしてエネルギーを消費したせいか、ティアは次から次へと頬張っていく。
 太るぞ、とつい言いかけたが、それはどう考えても地雷を踏み抜くような行為であろう。ヒースはそこまで愚かではない。
 それにこれだけ運動していれば、さほど問題もなさそうだし――ティアはもう少し、肉がついてもいいくらいだと、細い足や小さな手、コートに覆われていてもわかる薄い身体などを眺めてそう思い――はっと、ヒースは我に返った。何を考えているんだと己を責める。
 いやいや、決してそういう意味じゃ、変な意味じゃないんだ! と、誰にともなくいいわけをしながら、己の太ももに肘をついたヒースは、がっくりと項垂れて頭を抱えた。
「あ、ごめん。私ばっかり食べてるね」
 そんな行動をとったヒースに何を勘違いしたのか、ティアがそんなことをいう。
 いやいや、違うんだと、本日何度目かの否定をしようと顔をのろりとあげると、目の前にほかほかとしておいしそうな大根が突きつけられていた。
「はい、ヒースも!」
「……」
 満面の笑みのティアと、ティアがもつ箸の先にある大根を、ヒースは黙ったまま交互に見遣った。
 これは、このまま食べろと、そういうことだろうか。
「あれ、大根は嫌だった? じゃあ、たまごにする?」
「あ、いや、それでいい」
 なんの反応もしないことに、好みを間違ったとまた勘違いしたらしいティアが、箸を引っ込めようとするので、思わずヒースはそれを引き止めた。
「そう? じゃあはい、あーん」
「……いや、自分で食べる」
「でも、お箸はもうないし、おごってもらっちゃったし……、これくらいしないと!」
「……」
 年頃ならもうちょっと気にするところじゃないのかそこは。間接的な触れ合いになるが、いいのだろうか。それとも、友人達とはこうして食べ物を分け合っているのだろうか。
 困ったな、と思うと同時に、ティアなら別にいいか、とも思ってしまう。
 だが、考えてみれば、昔はまったく気にせずに、飲み物だってなんだって共有していたときがあった。ティアがほんとうに小さい頃、だったが。
 なんだか、今日は昔のことばかり思い出す。ふ、とヒースが小さく笑う目の前で、はやくー、とティアが笑って促してくる。
 まあ、いいか。
 あたりを見回し、人目がないことを確認して、ヒースはすこしだけ上半身をティア側へと乗り出し、口を開いた。
 含んだ大根は温かく、ほどよく味がしみこんでいて、ヒースの舌を楽しませると、熱を残しながら胃へと落ちていった。
「おいしい?」
「ん、ああ。そうだな。うまい」
 素直に感想をのべれば、自分が作ったものでもないにティアが顔を綻ばせる。
「だよね、おいしいよね! はい、はんぺんもたべて」
「ん」
 また器用に取り分けたティアに、ひとくち食べさせてもらったあと、ヒースは笑った。
「子供の頃にもどったみたいだな」
「え?」
 次はたまごに狙いを定めていたらしいティアが、ぴたりと動きをとめた。
「ティアがこんなに小さい頃には、食べ物や飲み物をわけあうのが当然だったろう? 懐かしいと思ってな」
 ヒースが地面からさほど高くない位置に手のひらをかざすと、ああ、とティアが声を漏らした。
「そんなこともあったね」
 そして、えへへっ、とはにかみながら笑う。照れたようなそぶりから、ティアもまたそのときのことを思い出しているのだろうことが読み取れた。
「ヒースの持ってるもの、なんでもおいしそうに見えてたんだよ。はい、たまご」
「ああ、ありがとう」
 綺麗に割られた半分のたまごを、ヒースは頬張った。熱いが、耐えられないほどではない。
「でも、」
 箸をひいたティアが、自分もというように、たまごを箸で危なげなくとりあげる。そうして、にこっと笑った。
「いまは、食べ物よりもヒースのほうがおいしそうにみえるよ」
「ぶっ!」
 飲み込みかけていたたまごをあやうく逆流させるようなことを、ティアはさらりといってのけた。
 げほごほっ、と咳き込みながら、涙目で隣をみればティアは澄ました顔をして、たまごを大きく口をあげて飲み込んだところであった。
「ティア……!」
「ふぁに?」
 小さな口いっぱいに卵半分をおさめたティアが、ほお袋をいっぱいにしたハムスターのように、もごもごと口を動かす。
 自分がいったことの危うさを、理解しているのだろうか。ヒースは片手で顔を覆い、瞳ひとつでティアをじっとりと見つめた。
「おいしそうって……。どういう表現だ」
 半ば睨まれている状況にも関わらず、ティアは動じる様子がない。
 ティアは小さく首を傾げて空をみあげるような仕草をし、そして、にぱっと笑った。小悪魔じみたその姿に、背筋に冷たい風が吹きつけたがごとく、ヒースの背中がぞくりと粟立った。
「そのままだよ。今思えば、あの頃もヒースが欲しかったのかも!」
 そう返されて、ヒースはどんな顔をすればいいのか。
「はい、もうひとくち大根ね。あとなにか食べる?」
「……」
 口元まで運ばれたおでんを、ヒースは無言のまま口に含み、もういいと頭を振った。美味しかったはずの味も、もうわからない。これ以上、食べる気がしなかった。
 味のしない大根を噛み砕いて飲み込もうと努力するヒースの横で、「そっか」とヒースの言葉に頷いたティアが、容器に残ったおでんをすべて平らげていく。
 最後に少しだけ、おでん出汁をいただいたティアが、にこりと笑ってヒースをみた。思わず、のろのろと動かしていた口の中に残っていた大根を、ヒースはすべて飲み込んでしまった。
 喉元を無意識のうちにおさえたヒースに、ティアがいう。
「いつかちゃんといただくから、覚悟しててね?」
 まるい頬を赤くして、可愛らしくそう宣言されたものの、内容が内容であるため、ヒースが頷けるわけもない。
 天を仰ぐようにベンチの背もたれへと身をまかせる。星ひとつみえぬ空が、年下の少女に翻弄される男を嘲笑っているようにみえて物悲しさを覚えた。
 そんなヒースの隣で、ティアが律儀にお行儀よく手を合わせる。
「はー、おいしかった! ――ごちそうさまでした!」
 夜の公園の片隅に、ティアの声が響き渡った。
 ずるずると、ヒースは少しずつ身体を落としながら、いつの日か、自分に対してティアがそんなことをいう日がきそうで怖いな、と乾いた笑いを浮かべたのだった。