Caution!!
簡単にいえば、アヴァロンコードの転生もの+現代ものです。
なんとなく妄想したら止まらなくなったので、思いつくまま書くシリーズです。
ぽかぽかとした陽光が、窓を覆うスクリーン越しに淡く差し込む図書館の窓辺。
穏やかな時間が流れる放課後を、恋に悩む少女はまんじりとすごしていた。
周囲に生徒の姿は、ほとんどない。
皆、今の時間帯は部活動や遊びに行くことに夢中で、静かな図書館で時間を過ごすのはごくごく小数派だ。いるのは、片手で数えられる程度の生徒と、貸出カウンターの中で仕事をしている図書教諭くらいである。
だからこそ、あまり大きな声でしたくない話をするには、もってこいの場所であった。
「どうしたらいいのかなあ~」
ティアは大きな机に身を伏せ、隣に座る少女にだけきこえるくらいの声量で囁いた。
そのまま、ぐりぐりと額をすりつける。が、いい考えなど思い浮かばない。
脳裏を過るのは、大きな身体と精悍な顔立ちの男だ。ティアが産まれる前からずっと、大好きな、大好きなひと。
相手はそのことをすっかり忘れているようだけれど――当のティアも、昨日のことのように鮮明覚えているわけではないけれど――、この胸にある焦がれるような感情は本当だ。紛れもない真実だ。
身体に宿る魂そのものが求めてやまないと思うくらいに、ヒースはティアの心の大部分を占領している。
はふ、とティアはせつなく息をつく。
その姿を思い描くだけで、胸がきゅんとする。
スーツがよく似合って、後ろに撫でつけた髪型が格好よくて、節ばった大きな手が男らしくて。運動神経はいいし、仕事もできる。剣をもたせれば現代によみがえった武士だとたたえられ、古武術で組手をさせれば敵うものはいない。そろそろ師範と呼ばれてもおかしくない。
とにかく、ヒースは格好いい――ああもう、だいすき!
きゃあああ、と内心悶えながら伏せた顔を熱く火照らせ、ティアはごろごろと頭を左右に勢いよく振った。
硬い机上でそれをやれば、いささか額や鼻先が痛んだが、そんなことはたいしたことではない。
「ほんとうに、ティアはヒースさんが好きなのね」
そんな様子がおかしくてたまらないというように、ティアの隣に座った幼馴染のファナが笑う。
こてん、と顔をそちらに向ければ、慣れた手つきで人形を作っているのがみえた。体の弱いファナは、普通の部活動をするには体力がたりない。だから、ボランティア活動をしている。施設に預けられた子供たちのために人形を作っているのだ。
机の上には、いつのまにか仕上げられた可愛らしい女の子の人形が、ちょこん、と座っている。
「……うん。ヒースがね、とっても好きなの……」
人形の丸い頬を突きながら、ティアはせつなく眉をひそめた。
どうやったら、この想いが伝わるのだろう?
物心ついたときから、いや、母親いわく生まれてすぐのころから、ティアはヒースばかり追いかけていたという。
それなのに、ヒースはいっこうになびいてくれないのだ。
大事にされているとはわかっている。マンションにくるなといいつつも、鍵は取り上げられないし、ご飯を作ればおいしそうに食べてくれる。我侭をいっても、たいていのことは「仕方がないな」と苦笑いしなが叶えてくれる。大きな手で、頭を撫でながら優しく青灰色の瞳を細めてくれるのに――どうあっても、「好き」という言葉をいってはくれない。
やっぱり可愛い妹としかみられていないのだろうか。それはいやだ。
ぼんやりとした記憶は白い靄がかかっているように判然としないが、生まれる前の頃に心通じ合わせていたかつての「ヒース」は、もっと、こう……ティアに対して積極的だった。
様々な記憶を蘇らせたティアは、ぼふっと音がたちそうな勢いで顔を赤くした。
たぶん、この年頃の女の子が興味をもちそうなことのすべての記憶があるティアは、友人達の間では飛びぬけてそういう知識が深いだろう。
だが、まだまだ少女と女の合間を行き来する年頃であるので、恥ずかしいものは恥ずかしい。そもそも、いまはそうした体験をしたことがない。過去はあくまで過去。つまり、スタート地点は皆とほぼ同じといっていい。今のティアは、耳年増のようなものだ。
でも、昔はあんなことしておいて、いまはそういうそぶりがないとかどういうことなの!
むうう、ティアは唇を尖らせる。
ヒースのことを「忘れない」「探しだす」――大切な約束をちゃんと守った結果がこれである。
遠い昔の記憶があることをよろこばしく思うときもあるけれど、こうしてティアばかりややきもきするのでは、ないほうがましなのかもしれない。
とはいえ、ヒースのことを忘れるなんて絶対いやだ。
うう~ん、とティアは眉根を寄せる。
「あのね、ティア」
一人でせつなくなったり、赤くなったり、不満げな表情を浮かべたりしているティアに対し、あまった糸を切ったファナが、ふんわりと笑う。
「なあに?」
「こういうときは、一歩ひいてみるといいと思うの」
「……? どういうこと?」
まるで教壇にたつ先生のように、細い指先を振るファナの表情は、めずらしく悪戯っぽいものであった。
よいしょ、と上半身を起こしたティアが首を傾げると、ファナがティアへと体ごと向き直る。
「いつもね、ティアのほうから好きっていっているから、だめなのよ」
「えっ?!」
常日頃から、ヒースさん好き好きアピールをし続けてきたティアにとって、ファナの言葉は雷に撃たれるぐらい衝撃的なものだった。
ぶわっと大きな瞳を大波がおそう。ぷるぷると、思わず涙目になって震えていると、ファナが慌ててティアの肩に手を置いた。
「ああ、ティア。勘違いしないで。まずいことをしているってわけじゃないわ。ただね、ヒースさんにとっては、ティアがそばにいて、『好き』ってアピールするのは、慣れきった日常になってしまっている、ということをいいたかったの」
「日常……」
そういえば、ティアがヒースの傍にいるのはごくごく当たり前のことになってしまっている。
ティアが自分の行動を振り返れば、はっきりいってヒースが中心である。
朝起きればヒースの幸運を願い、昼の授業の合間にヒースへと思いを馳せ、夜眠る前にはヒースの姿を思い描く。メールや電話も頻繁にするし、週末になれば自宅にも顔をだす。
ふむふむ、とティアはファナの言葉に頷く。
ティアがそうなのだから、そうされる相手であるヒースにとっても、同じことだ。
「だからね、その日常をちょっとだけ崩してみるの」
ぱちん、と可愛らしく片目を閉じたファナのいったことを、ティアは脳内で繰り返し繰り返し――そして、ぱっと電球がつくように思い当たったことに、顔を青褪めさせた。
「ま、まさか……! わ、私無理だよ?! ヒースに『嫌い』なんていえないよ?!」
「やだもう、どうしてそうなるの?」
あまりにも必死な様子であったせいか、おかしくてたまらないというように、ファナが笑い転げる。
「そうじゃなくて、連絡をしない、くらいでいいのよ」
笑いすぎて浮かんできた涙の雫を指先ではらったファナの言葉に、ティアは目を瞬かせたあと、口元に手をあてて考え込む。
「ええっとー……、毎日のおはようとかおやすみなさいのメールとか、お昼休みとか帰った頃に電話とか、ご飯つくりにこっそり部屋にいくとか? そういうのをやめればいいの?」
「そ、そこまでしてたの……?」
うん。と素直に頷くと、ファナの笑顔がちょっとだけ引き攣った気がした。どうしてそんなふうな表情をされるのかわからなくて、ティアは首を傾げる。
「と、とにかくそれを控えてみて、いかにティアがヒースさんの日常の一部になっていたかをわかってもらうっていうのはどうかしら?」
人間は、常日頃から当たり前のようにあるものが、ぽっかりとなくなったとき、本人も驚くくらいの空虚さを覚える。
ティアにしてみても、ヒースと急に連絡をとれなくなれば、焦るし怖くなるだろう。
「なるほど……!」
おおお、とティアは顔を輝かせる。ファナが、にっこりと頷く。
これはもしかして世にいう――
「「押してダメなら、引いてみろ」」
まったく同じタイミングで声を重ねあった、ティアとファナは、顔を見合わせて微笑んだ。
「そうだよね! そういう手もあるよね!」
どうしていままで気づかなかったのだろう。まさに盲点。
遠い遠い昔には、常に前へ前へとヒースへの気持ちを押し出していたし、ヒースもまた同じようにしてくれていたから、そんなやりとりに思い至ることがなかった。
「ええ。ひとまず、それで頑張ってみたらどうかしら?」
「うん! ありがと! ファナ大好き!」
「私もティアが大好きよ」
感極まって、ぎゅっと細い身体を抱きしめれば、細い腕が抱きしめ返してくれる。
あったかいなぁ、ふわふわだなぁ、と抱き合いながら、きゃっきゃとはしゃいでいると――コホン! と、遠くから咳払いがきこえた。
慌ててそちらをみてみれば、図書教諭が険しい瞳でこちらをみていた。
きゃあ、と二人して首を竦めて離れる。
ごめんなさいの意味を込めて頭を下げれば、視線はすいっとそらされた。どうやら、これ以上の咎めはないようだ。
ほーっと、二人同時に息を吐き出し、そして再び顔を見合わせて。
少女達は声をださず、笑いあった。
そして。
「ファナ……。私、もう無理だよ……」
「ええっ?! まだ二日目よ?! 水曜日よ?!」
月曜日に立案された『押してだめなら引いてみろ作戦』をさっそく実行してみたものの、すでにティアは限界をむかえつつあった。
とぼとぼ、夕暮れに染まった通学路を歩きながら、ティアはかくりと頭をさげる。
だって、ヒースの顔がみれない。ヒースの声が聞こえない。ヒースが、いない。
人間は酸素を吸い込まねば生きていけない。苦しくて苦しくて、喘いで喘いで、喉を掻き毟っても得られずに死ぬ辛さ。
ティアは、まさにそれを味わっている気分であった。
「あいたいよ~!」
えぐえぐと、顔を覆って叫ぶと、ファナが頭を撫でてくれた。
「我慢よ、ティア。ヒースさんにティアがいないと寂しいって、思わせたいんでしょう? 好きっていわせたいんじゃなかったの?」
「……う、うんっ! そうだったよね、私、頑張る!」
がっしりと手を取り合ってみつめあい、さらなる忍耐を誓うティアとファナをみて、帰路をともにするシルフィが美しい面をしかめた。
「あんたたち、なにやってるのよ」
モデルもかくやという均整のとれた肢体から、いらいらとした空気がにじみ出ている。
二人の行動をせめているのではない。二人だけにしかわからない会話をされて、不機嫌なのだ。
その近寄りがたい美貌のせいか、プライドの高いせいか、なかなか理解されないものの、天邪鬼気質の寂しがり屋であるという性格を知れば、それは彼女の可愛いらしい点であった。だから、友達なのだ。
「ええとー……」
「なんていえばいいのかしら……恋の駆け引き?」
「なによそれ?」
そして、そのまま抱きしめあう勢いであったティアとファナは、苛立つシルフィに説明をはじめたのだった。
さらに数日。
メールも電話もやめて、マンションにいくこともやめた。明日は日曜日で心浮き立つ休日前であるはずなのに、いまのティアはどん底を這いずり回っていた。
「会いたいよ……。声がききたいよ……」
もはや幽鬼のように、ふらふらと揺れながらぶつぶつ呟くティアは、重度のヒース欠乏症患者であった。
今は掃除の時間であるが、まったくもって手が動かない。いや、動いてはいるのだが、ずーっとおなじところを掃いている。そこだけがやたらと綺麗だ。
その様子を後ろから眺めていたファナが、モップを動かす手を止めて、息をつく。
「うーん……。これは、思ったよりも重症だわ……」
「このままだと、あの男がなにかしてくる前にティアのほうがギブアップするわね」
困り顔のファナの言葉に続く、たんたんとしたシルフィの評価は、おおむねただしい。
ティアにしてみれば、いますぐにでも、携帯を手にとって電話をかけたいところである。
でもいまはまだヒースは仕事中だろう。さすがにそれはできない。
「とはいえ、そろそろあちらのほうも、なにか思うところがあってもよさそうなものではないかや?」
事情を知っているドロテアが、ゴミ箱を片手に持ちながら小首をかしげる。
「そうよね。私もそう思っているところなのだけれど……でも、」
ファナはドロテアと顔を見合わせ、次いでティアを見遣る。
「うううう~……!」
「ちょっとティア! ちゃんと前みなさいよ!」
ふらふらと壁に激突しそうになるティアの腕を、シルフィが慌てて掴んで引き寄せている。いつもからは考えられない光景だ。
ふう、とファナはため息をついた。
「さすがに、ティアが可哀相になってきたわ……」
じゃな、とドロテアが沈痛な面持ちで頷く。
「そろそろまずそうじゃ。このままではティアが壊れてしまう」
「もう、ヒースさんなにやってるのかしら……――朴念仁……」
困ったわね、と頬に手を当てて溜息をついたファナが、ぼそっと呟き舌打ちする。
「なにかいったかや?」
よく聞こえなかったらしいドロテアが、穢れをしらぬ無垢な瞳で首を傾げる。
「いいえ? なんでもないわ」
うふふ、とファナが笑った。
いっぽう、その頃。
ヒースは、じっと己の携帯を見つめていた。
会社から渡されているものとは違う、プライベート用の黒いスマートフォンは、ぴくりとも動かない。
たったひとり専用のメロディが鳴り響かなくなってはや数日。
仕事中は、マナーモードにしているのだからそれも当然なのだが、夜になって解除したあとも全くヒースの耳に届かないとは、これまでにない事態だ。
なにかあったのだろうか? まさか病気や怪我? いや、それならさすがに連絡がくるだろう。
理由がわからず、ヒースは眉間に深い皺を刻む。だが、いくら考えたところで思い当たる点などない。わからないものはわからないのだ。
俺はティアに対してなにかしてしまったのだろうか? だから怒って連絡をしてこないのだろうか?
しかし、ほんとうに心当たりがない。
ティアからのメールを迷惑に思ったことなどない。むしろ元気がありあまっているな、と感心するほどだった。だから、返信も億劫に思ったことなどないというのに。
ヒースは、いかんいかん、と頭を振る。手にしていたスマートフォンを机の上に置いた。
こんなことで仕事に支障をきたすなど、まだまだ未熟な証である。気持ちを切り替えて、目の前の書類とパソコンに向き直ることにした。
と。
「さきほどからどうしたんだい?」
「っ!」
背後からかけられた涼やかな声に、びくっとヒースは肩を跳ねさせた。
慌てて後ろを振り返れば、にっこりと笑った上司――いつも無理難題を麗しい笑顔とともに持ってくるヴァルドが、立っていた。
気配に気づかないほど思考に没頭していたことに内心驚きつつ、ヒースは「なんでもありません」とひきつった声で答えた。
その様子に、ヴァルドが顎に手を当てる。
「ふぅん……。とても、なんでもないようにはみえないけれどね」
「……」
さすが、大企業のトップを担うだけあって、ヴァルドの観察眼は鋭い。
沈黙は金なり、という古からの教えに従い、ヒースが黙秘を決め込んでいると、すうっとヴァルドが瞳を細めた。
夕焼けよりもなお赤いその瞳に、悪戯っぽい光がちらつく。
あ、まずい。
これまでの経験が、ヒースの直感を激しく揺さぶる。
ガタン! と、思わず席をたちかけたところで。
「まあいい。ところで、ティアは元気かな?」
「!」
やっぱり爆弾だった! と、ヒースは顔色を変えた。
どうしてこういうときに狙い済ましたかのような話題を提供してくるのだろう、この人は!
身構えてはいたものの、咄嗟に対応ができぬままヒースが固まっていると、向かい側の席に座っていた同僚が興味をしめした。
「ティアって、あれですか、ヒースの幼な妻の?」
「違う!」
さすがに声を荒げれば、けたけたと同僚が笑い転げた。
あまりに楽しそうなので、その机の上においてある数々のフィギュアをへし折ってやりたくなった。
「いやいや、私が結婚を申し込む予定だからそれは違うよ」
ヴァルドがにっこりと笑いながら胸に手をあて、爽やかにそんなことをのたまう。
「それも違うでしょう! 何言ってるんですか!」
突っ込みが追いつかない。ヒースの言葉もなんのその、ヴァルドと同僚はとても楽しそうに笑いあっている。
右隣に座っている同僚の女性が、ほわわ~、とした様子で手を叩く。
「ああ、あの可愛い女の子? ちょっと前に、ヒースくんが顔を拭いてあげてる写メがまわってたわね~……まったくとんだロリコンよね」
「……」
うふふふ、と可愛く笑いながら毒を吐かないで欲しい。やたらと可愛らしいマスコットたちに囲まれて仕事をしながら、いうことは毒と棘まみれとか勘弁してくれ。
会社の御曹司であるヴァルド直属のチームに、新しく入ってきたヒースは立場が弱い。抗うこともままならず、大きな体を丸めるようにして椅子に座り込む。頭を抱えて耳を塞ぎたい。
「で、どうしたのかな? ティアと喧嘩でもしたのかな?」
ひょい、とヒースのスマートフォンを机上から取ったヴァルドが、綺麗にな手のひらの中でくるくるとそれを弄ぶ。
「プライベートなことです」
隙をついてスマートフォンを取り返しながら、ヒースはいう。
自分がティアと喧嘩をしていたところで、はっきりいってヴァルドには何の関係もない。ヒースの与り知らぬところでティアと仲良くなったようだが、だからとって自分たちの関係に口を出す権利はないはずだ。
「おや! 私は君のことを家族のように思っているんだよ。心配なんだ」
その正体を知らぬ者がみたら、一目でほだされてしまうだろう、そのきらきらとした笑顔!
だがあいにくとヒースはそうではない。ひょんなことからヴァルドと関わりをもち、ヴァルドのチームに引き抜かれて以降、さまざまな厄介ごとを押し付けられ――もとい、やりがいのある仕事を与えられてきたのだ。
見た目どおりの麗しさに隠された、大企業を率いていくに必要なしたたかさ。
それを、ヴァルドは生まれながらにしてもっている。
そんな人物に、心配だといわれても額面通りに受け取れないのは、仕方がないことだと思う。社会人になってから素直さというものを失ってしまったせいもあるだろうが。
はあ、とヒースが溜息をつく傍らで。
「えええ~、ヒースくんが家族なら、私たちはどうなんですか?」
「もちろん君たちだって、私の大切な家族だよ」
「お~! さすが、我らが皇子さま! ずっとついていきますよ!」
「はははっ、素晴らしい家族に囲まれていい仕事ができるなんて、私は幸せ者だ。さあ、お父さんと呼んでもいいのだよ?」
「きゃーっ、おとーさーん!」
上司と同僚たちによって繰り広げられる下手な漫才のようなやりとりに、ヒースは自然と刻んでいた眉間の皺をのばすように指先をおしあてた。
こういうときばっかり、なんでこうアットホームというか、一致団結するんだこの職場。
普段から好き勝手に動かないで、この組織力で仕事にあたってくれれば……と、思わずにはいられなかった。
とはいえ、それでもしっかりとした結果をだすのだから、このチームはこれでいいということなのだろう。世の中わからないものである。
「さて、冗談はこれくらいにして」
う~む……、と世界の謎を相手にしている気分でヒースが頭を痛めていると、ヴァルドがさっぱりとした顔でヒースに向き直る。
「ヒース、実際のところどうなんだい? 実は、ティアのメールが妙に元気がないような気がしてね」
「……!」
ぐ、とヒースは押し黙る。自分にはメールをしないくせに、ヴァルドにはするのかと思えば、胸の奥がざわついた。
それがなにであるのかを薄々察しながらも、正面きって認められないヒースは、瞳を伏せた。
「――申し訳ありません。ここ数日、ティアからは連絡がないので。私には、わかりかねます」
きょとん、とヴァルドをはじめ、同僚たちが目を瞬かせる。
「いや……ティアからメールがなくとも、君からすることはあるだろう?」
「……」
ありません――そんなことを馬鹿正直にいえる雰囲気ではない。いったが最後、袋叩きにあいそうな予感がした。
唇を引き結んだヒースをみて、前の席から同僚が勢いよく立ち上がった。
「おいおい! ヒース、お前自分からメールしないタイプ?! っていうか、あんなに可愛い女の子に連絡しないのかよ?!」
「……」
用事がなければ、メールも電話もしないのがヒースである。
もちろん、相手からメールがあればきちんと対応する。仕事のことであれば、連絡は密にとる。
だけれど、自ら「いまなにしてる?」というレベルの連絡はあまりしない。用件を告げるでもなく、なにかに誘うでもない、相手の状況を逐一確かめるだけの行為に、意義を見出せない。
それがあまり女性受けしないどころか、同性からも呆れられる行為であることは、薄々勘付いていたが、正面から責められるとなかなかどうして、ものすごく悪いことをしている気分になってくる。
「うわぁ……。慕ってくれている子が、なにもいわずに連絡してこなくなったら、気にならないの? メールのひとつくらいいれるもんでしょ?」
「……」
ひょう、と極寒の地に裸で立たされているのではないかと錯覚するくらい、周囲の視線の温度が下がっていく。痛い。寒い。なんだこの針の筵状態。
認めたくはないが、これは全面的に自分が悪いのだろう。っていうか、なぜに皆、会ったこともないティアの味方なんだ。ヴァルドはわかるが……。
たらり、嫌な汗がヒースの背中を滑っていく。
視線と沈黙と、なんとも形容しがたい居心地の悪い空気。ヒースが、はくりと息を噛むと、ヴァルドがそれらすべてを振り払うように微笑んだ。
「まあ、君にそんなことをいってもなかなか難しいことはわかっているよ。こればかりは性格もあるからね。ただ、もう少し柔軟になるといい」
「……は」
「仕事をするにあたっても、自分を貫き通すというのもいいけれど、相手をみて対応することは必要だよ」
ごもっともです、とヒースが頷くと、なにかを思いついたようにヴァルドの瞳が一瞬輝いた。
「ヒース、いまから君に仕事をひとつ、頼みたい」
「はい」
資料作成だろうか、と脳裏に現在進めているプロジェクトをすべて並べ、どれのことだろうかと考えるヒースの前に、ピッ、と突き付けられたのは一枚の小さな紙だった。名刺サイズのそれには地図らしきものがみえる。
「この店は知っているね?」
ヴァルドの言葉を聞きながら、ヒースはそれを受け取る。中身に目を走らせる。どうやら、どこかの店の案内図であるようだ。ひっくりかえせば、そこに店の名前が印字されていた。
「はい。何度かお供させていただいてますので」
そこは、老舗和菓子店だ。凛々しい貴公子然としたヴァルドは、その見た目に反して和菓子を好む。もちろんと洋菓子だって好きだけれど、ここはとくに贔屓にしているはずだ。
だが、この店となにか仕事をしていただろうか?
ヒースが内心で首を傾げた瞬間。にこり、とヴァルドが微笑んだ。
「じゃあ、そこで栗羊羹を買ってきて」
「……はいっ?!」
用意していた「お任せください」の言葉は、素っ頓狂な声に押しのけられて消えていく。
驚くヒースをよそに、ヴァルドが演劇の舞台にでも立っているかのように、両手を優雅に広げた。
「いつもいい仕事をしてくれている子供たちに、お父さんからのプレゼントだ」
「うおおお! 太っ腹!」
「やだ! ここのってすごく手に入りづらいやつじゃないですかー! おいしいって評判の!」
まだ続いていたんですか、その設定。
ヒースはどうせスルーさせるとわかっているので、心の中でだけ突っ込みをいれておいた。
「ああ、ちゃんと予約してあるからね。とってくるだけでいいよ」
「……」
結局パシリか。
はあ、と小さく息をつく。こういうことに慣れつつある自分が怖い。
用意周到、準備万端。ヴァルドは最初からヒースに栗羊羹をとりにいかせるつもりだったのだろう。
就業時間中にそんなことしてていいのか? という疑問はあるが、ヴァルドのいうことは絶対である。
よろよろと席をたち、「では、いってまいります」と力なく声をかけつつ、その横を通り過ぎたとき。
ああ、とヴァルドが今思い出したといわんばかりに、わざとらしく手を打った。
「そういえば、この店の近くにティアが通う学校があるね」
「……!」
うく、とヒースは息を飲む。
気づいてたけれど、考えないようにしていた事実だった。
おそるおそる振り返る。この人物は、どこまで見通し、どれほどの予測をたてているのだろうか。底知れぬヴァルドの思考の一端を、垣間見た気がした。
疑問を口にすることを許さぬような美麗な笑みを浮かべたヴァルドが、言う。
「帰り道、もしもティアをみかけたら、よろしく伝えておいてくれ。ああ、すこしくらいなら遅くなってもいいからね。ゆっくりしておいで」
「「いってらっしゃーい!」」
「……」
ヴァルドと同僚たちに見送られ、ヒースはスーツの襟を正して一礼すると、部屋の出口へと向かった。
そよ、と吹く風が髪を弄ぶ。
むしろ、自分の作戦に弄ばれて瀕死になりつつあるティアは、深くため息をついた。
「も、ほんと、無理かも……」
足を一歩前に出すのも辛い。なにをするのも億劫だ。空気を吸うことをやめたらなら、ある意味楽になれるだろう。
そんなことを、青白い顔で意味もなく考えるティアの横を歩くファナが、優しげなその面を曇らせた。
「ティア。もう諦めてメールか電話、したらどう?」
「でも……、ファナがせっかく、考えてくれたのに」
ふるふると震えつつ、救いの手を差し伸べてくれる天使を見上げるような気分で、ファナをみつめた。
「じゃが、ティアが体調を崩しては意味がなかろう!」
「そうよ。大体、あんな男にティアがこんなに頑張る必要なんてないわ」
ともに帰路についているドロテアとシルフィの言葉に、ティアは苦笑する。
ここまで心配されてなお、意地をはれるほどティアに元気はなかった。
「――そうだね、夜まで待ってみて、なにもなかったらメールしてみる」
ほんとうなら、ヒースからの連絡が欲しい。どうしている? 元気か? 君がいなくて寂しい――そう、言って欲しい。
でも、それももう、難しいのかもしれない。
「……そう。ティアがそういうのなら、もう何も言わないわ。でも、無理はしないでね」
眉をさげながら、微笑むファナにティアは頷いた。
「うん、ありがとね、ファナ。ドロテアも、シルフィも」
友人の優しさにようやく心と身体を温められた。ほんわり、とティアが笑うと、三人は顔を見合わせ溜息をついた。
「まったく、なぜにあの男はこんなにも健気なティアをほうっておけるのじゃ……?」
「同感ね。どこかおかしいんじゃないの?」
「まあ、ヒースさんにもいろいろあるんでしょうけど……一度痛い目にあえばいいのに」
「え? え?」
話の流れからしてヒースに対する三者三様の言葉の意味がよくわからなくて、ティアが困惑していると。
なんでもないのよ、とファナが微笑みながらティアの肩をそっと押した。
「そうじゃ! 今日は、駅の近くのカフェにいかぬか?」
「ああ、この前みつけたところね。いいんじゃないの?」
「そうね、そうしましょ。いいでしょ、ティア」
「うんっ! 私まだいったことないから楽しみ!」
きゃっきゃ、と他愛のない女の子同士の会話に花を咲かせながら、四人は歩いていく。
公園の近くに差し掛かったとき。
「――ティア!」
幻聴が、聞こえたのかと思った。一瞬、身を固め、そして鼓膜がまだその音を忘れないうちに、振り返る。
「ヒース……?」
すぐそこに店を構えている老舗和菓子店のほどちかい路上に、黒塗りの車が停まっていた。その傍らに、会いたくて会いたくてたまらなかった男がたっている。
今度は、幻をみているのかと思った。でも、違う。ティアが、ヒースを見間違えることなんて絶対にありえない。
「ど、どうしたの?!」
だめだとわかっているのに、頬が緩む。作戦のこともあるからと、懸命におさえようとしているのに、顔全体が笑顔になる。足が、自然とそちらへと駆けだした。
「あ、いや……」
飛ぶような勢いで近づいてきて、満面の笑顔を向けてくるティアに面食らったらしく、ヒースがくちごもる。
「たまたま、みかけたから、その……なんだ……声をかけたというか……」
めずらしい。
どきどきと、ティアはヒースをみあげる。
こんなにもしどろもどろなヒースは滅多にみられるものではない。いつもは格好いいヒースだけれど、ときおりみせるこんな姿は可愛くてたまらない。
はう、と息を吐きながら熱をもった頬に指先をあてる。
その熱視線に晒されて居心地が悪いのか、ヒースがわずかに視線をそらす。
「いまから帰るなら、家まで送るが……。どうする?」
ぱあっとティアは顔を輝かせた。いままで身体に感じていた重みがあっという間に消えていく。
「う、うんっ! お願い! あ、でも……」
ティアはここでようやく、一緒に道を歩いていた彼女たちのことを思い出した。慌てて振り返れば、さきほどまで励ましてくれていた友人達は、くすくす笑って手を振っている。
ちょっと待っていて、とヒースに一言断ると、ティアは彼女達のもとへと駆け寄った。
「あ、あの、私……!」
さっきまで優しくしてもらっていて、カフェにいく約束もしていたというのに、すっかり舞い上がって頭の中がヒース一色になってしまったことが、たまらなく申し訳ない。
だが、泣きそうになったティアに対して、彼女たちはどこまでも好意的であった。
「いいのよ。私達のことは気にしないで」
「そうよ。送ってもらいなさいよ」
「がんばるのじゃぞ!」
ティアは、ひぅ、と息を飲んだ。
恥ずかしくて顔を真っ赤にしながら、ごめんねと頭をさげて謝って、ティアはすぐにヒースのもとへともどった。
もどってきたティアにわずかに微笑んだヒースが、流れるような滑らかな仕草で、助手席のドアをあけてくれる。やっぱり何をしても格好いいと茹った頭で考えながら、ティアが車に乗った瞬間。
きゃあああ! と、黄色い悲鳴が聞こえた。
なにが彼女たちのツボにはいったのか知らないが、恥ずかしくてもうそちらをみることはできなかった。
ヒースといえば、道の向こうにいる友人達に軽く会釈をしている。そのまま運転席に乗り込んだヒースが、車をゆっくりと発進させた。
すう、と流れる景色は、見慣れたもののはずなのに、はじめてみたもののようにティアの脳裏をくすぐる。
「ええと、えっと……め、めずらしいね。お昼の間に、ヒースがこんなところにいるなんて……。なんだか、ふしぎ」
くすくすと笑う。ヒースが、困ったように照れたように頭を掻いた。
「そう、だな、用事で近くまできていてな。それで、その……」
ん? と、ティアはヒースのほうへと顔を向ける。よそ見をすることなく、まっすぐに前をみたままのヒースの横顔は、やはり格好よかった。その唇が、わずかに震えたようにみえた。
「どうしていた?」
数秒もない間に、すっかり見惚れていたティアは、ヒースのそんな言葉に反応が遅れた。
「え?」
そうして、ティアが漏らしたのは、ただ短く問い返すかのようなものだけ。
「だから、どうしていたんだ? メールも、電話もないから――君が、元気にしているのかと」
心配だった、と小さな声で続けられて、ティアは真っ赤になった。
「……!」
どうしよう、今、すごくヒースに抱きつきたい。でも運転中にそんなことできない。
そんな衝動をなんとか堪えたティアは、わたわたと意味もなく手を動かしたあと、ふとももの上で、ぎゅっと小さな手を握りしめた。
「あ、あの、課題がね、いっぱいでたから、その、皆でやってて……!」
あらかじめ、ヒースが連絡をしてきたときのために考えていた言葉を口にする。ほんとうに使うことになるとは思っていなかった。
ちくちくと良心が痛まないわけではないが、やきもきさせたのだからこれくらいの嘘は可愛いものだと許してほしい。
ほっとヒースの空気が、緩んだような気がした。
「そうか。今日はもういいのか?」
どことなく、声も穏やかなものになっている。
「う、うん! 今日でね、おわったの! だから、大丈夫!」
「頑張ったんだな。えらいぞ、ティア」
「……えへ、えへへ」
その一言で、すべてが報われたと思う。褒められて、嬉しくなる。それが、ヒースを試すようないけないことであったとしても、ティアも頑張ったのだから認められたようで嬉しかった。
ふいに、車内が静かになる。流れる景色が、いっそう緩やかになっていく。妙に心地よい。二人だけの空間に、意識が高揚してくる。どきどきが止まらない。
ティアは俯いて、その鼓動に促されるように「ね、」とヒースに呼びかけた。
「ヒース、私にあいたかった……?」
私は、すごく会いたかったよ、と心の中で付け加える。
泣き叫ぶように収縮と拡大を繰り返す心臓が痛い。胸の奥が、甘くて熱い。意識が、ぼうっとしてくる。
できれば、ヒースがそう思っていてくれたらいいのに。
淡い期待と、大きな不安に、目頭が勝手に熱くなってくる。
と。
「!?」
ふいに、あたたかなものがティアの手を包み込んだ。ぎゅう、と握り締められて、ティアは弾かれたように顔をあげる。
横顔が、違っていた。ほんのりと、ヒースの頬が赤い。不機嫌そうに口元は引き結ばれているけれど、眉根やわずかに寄せられているけれど――長い付き合いであるティアには、それだけで、すべてがわかる。
それは、ヒースが素直にいえない言葉を、口の中にとどめているときの表情だ。
ティアは泣きそうになりながら、ああ、と熱い吐息を零した。
次の曲がり角がこなければいいのにと願いながら、大きくて温かな手に、ティアは震える自分の左手を重ねる。
だいすき、と透明な音を、震える唇で紡いだ。
――結局、『好きだ』といってもらっていないことにティアが気づいたのは、幸せいっぱいにぐっすり眠って起きた翌日朝のこと。
作戦は成功したのか否か、それすらもよくわからず。
でも、あんなヒースがみられたのならいいよね、と一人納得したティアは、いつもの週末のようにヒースのマンションへと元気にでかけていったのだった。