「うーん……」
ティアは我が家の机に向かい、目の前に置いた黒い小箱を見つめながら唸っていた。素材はよくわからないが、つるりとしていて見た目よりもずっと重いその箱には、細工は一切なく素っ気ない。先日、探索にでかけた遺跡でみつけてきたものだ。
昔々、砂漠の王であった者の墓ともいわれるその場所は、エエリから教えてもらった谷の奥深くにあった。その薄暗く黴臭い、古びた遺跡の奥深く、ころりとこれは転がっていたのだ。
もともと宝探しにいったわけではないが、そこはすっかり盗賊団に荒らされていて、黄金のひとかけらもなかったから、これが残されているのは稀有なことだったといえるだろう。
スキャンもできたので価値有るもので間違いはないはずだが、その使い方がさっぱりだった。ゆえに、こうしてティアは頭を悩ませているのである。道具は使ってこそ、さらにページの価値が高まる。だから、どうしても使いたい。でも使い方がわからない。もしかしたら盗賊たちも、使い方がわからないために放り出していったのではなかろうか。
「記憶の箱、っていわれても……どうやって使うのか、肝心なところがわかんないよ……」
預言書をいくら眺めてみても、「記憶の箱」という名称と、「古の王が美しい妻の声を永遠にとどめるために用いた」としか載っていない。
それから察するに、声、音を記憶するのだろうけれど……。遺跡に置いてきた本物があれば、何をどうしたらどんな機能がでてくるのか、参考にできただろうに。かといって、いまさら取りに行くつもりもない。あれは、あの墓で眠る王様のものだから。
「この石があやしいと思うんだけどなあ~」
ぱか、と箱の蓋をあけてみる。
そこには丸い石が、十字を描くように四つはめ込まれている。そーっと触れると、一番上は赤に、右は青、下が黄、左が緑に輝く。どれかひとつに色を灯せば、その前に輝かせた石の色が消える場合もあるし、そのまま輝いている場合もある。いくつかパターンがあるようだが、どれがなにを示しているのかわからない。
「ん、もう……」
そんなこんなでティアは四苦八苦しているのだが……。もう、どうにもならないことだけがわかった。
くるくると石を指先で転がすように撫でる。赤と青の光をともして、ティアはため息をついた。
「ヒースさん……はやく帰ってこないかなぁ……」
色々考えて疲れきった頭の中に、ふわりと浮かぶ愛しい人の面影。自分よりずっと高い位置にある顔が、自分をみてひどく嬉しげに綻ぶさまを思い出すだけで、胸が高鳴る。はふ、と切ないため息をついて、こてんと机に顔を伏せる。
いつも好きだと、愛しているといってくれるヒース。そういえば、自分はあまり言葉にしたことがない。ヒースからの告白を受け入れた、あの感極まったときの一度だけだ。
口にするのが恥ずかしい。伝えたいと思うのに、本人を前にすると口の中に張り付いてでてこなくなる。ヒースへの愛しい想いだけは、世界中の誰にも負けないくらい強いのに。
そっと瞳をとじて、暗い瞼の裏へとヒースの姿をひとつひとつ、記憶どおりに描き出す。
「愛してる……」
一度言葉にしてしまえば、次から次へと想いは溢れるように零れ落ちはじめる。
好き、愛してる、ヒースさん――大好きよ――
そんな単語を、そっと繰り返す。ここにその人がいないからこその素直な心の現われは、小さな家に響いて消える。
もし、この想いで家をいっぱいにできたなら、ヒースさんはいますぐ帰ってきてくれるかな?
そんなことをうつらうつらと考えながら。
ティアは箱の謎を解こうとしたための疲れもあって――すうっと眠りに落ちていった。
「――ティア、ティア……」
低く鼓膜を震わせる大好きな声が、自分を呼んでいる。遠いところから聞こえるように感じるのは、自分が別の場所にいるからだ。
ティアは、ぴくりと瞼を震わせた。
だって、この夢の世界は心地よいけれど、それよりもずっと、現実のあなたの側にいるのがいい。
「ん……んんー……」
優しく肩を揺さぶられて、目覚めかけていたティアは、ゆっくりと睫を持ち上げた。
「あれ……?」
ぱちぱちと目を瞬かせる。さきほどまで明るかったはずの室内は、すっかり薄暗くなってしまっている。もう、太陽は落ちてしまったのだろう。覗き込む大きな影に視線を送る。ティアの、ぼやけた焦点が結ばれる。そこにいたのは、苦笑したヒースだった。
「ヒースさんっ!」
一瞬で目が覚める。ぱあっと気持ちが明るく、暖かくなる。
「おかえりなさい!」
顔をあげ、その心のままに微笑めば、そっとヒースが頭を撫でてくれた。
「ああ、ただいま。ティア、こんなところで寝ていると風邪をひくぞ」
「えへへ、すみません。ちょっと預言書からとりだしたものをみていたら、眠くなっちゃって……」
「ほう。これのことか?」
ひょい、とヒースが黒い小箱をとった。ティアの両の手のひらにおさまるような大きさのそれは、ヒースの片手に丁度いいくらいだ。
「はい。使い方がよくわからなくて」
途中で投げ出してしまったことを恥ずかしく思いながら、ティアは小さく微笑んだ。ヒースがその言葉を受けて、顎を擦る。
「ふむ。君に分からないとなると、そうとうやっかいなものだな」
「明日また頑張ります!」
むしろ預言書に選ばれているのに、わからないことのほうが問題である。ぎゅ、と胸元で両の手を握り締めながらそう宣言すると、ヒースが笑った。応援するように、くしゃりと頭を乱暴にかき回される。
されるがままに、細い首を揺らされっぱなしにしていたティアは、そっとヒースの腕に指を添えた。
「ご飯つくりますね。ちょっとだけ、待っていてください」
「ああ、いつもありがとう」
ティアを見下ろしながら、ヒースが嬉しそうに目を細める。そういう表情をするなんて、こうして一緒にいるようになるまで、ティアは思いもしなかったのだが……。今はそんな顔をみせてくれることが、幸せだった。
「いいえ」
ティアはうっとりと笑いながら、椅子から立ち上がった。
不思議そうに、上から下から箱を眺め眇めつしているヒースを残し、ティアは部屋に明かりをともして、夕食の支度に取り掛かることにした。あらかたの下ごしらえは済ませてあるので、あとは簡単にスープでも作ればいいかな、と考えながらエプロンに手を伸ばしたとき。
『ん~、と。どうやって使うのかな、っと……』
少し幼さの残る甲高い声が、室内に響いた。
びっくりして振り返ると、顎に手を当てたヒースが片手の上に乗せた箱をまじまじと見つめている。蓋は開いており。緑と青の光がともっているのが見えた。
「え……あれ……? 今の……」
ティアが小さく首をかしげた次の瞬間。
『もう、ほんとわけわかんないよぅ……』
泣きそうな声で、情けないことをいう女の子の声。そのあとも、断片的に箱から漏れてくるその台詞に、覚えがある。ああ、自分の声ってこんな風なんだも――ぼんやりとそう思う。
と、いうか。
自分がいくらやってもうまくいかなかったくせに、どうして!
ぼっ、とティアは頬を染めた。
聞こえてくるものから察するに、適当にいじっていたときのものを覚えているようだが……。独り言を聞かれるなんて恥ずかしすぎる。
それに、もしも、もしも万が一にも――眠る直前に言葉にしていたのを記憶されていたら?
さーっと、今度は血の気が引いた。
「や、やだっ! ヒ、ヒースさん、返してくださいー!」
ティアは悲鳴じみた声をあげながら、慌ててヒースのもとへと駆け寄った。
「待て待て。おもしろいじゃないか、これは」
「だめぇぇぇ!」
ヒースはティアの手が届かないように、それを高々と掲げてしまう。ぴょんぴょんと飛びついて取りかえそうとすれば、そっと頭を押さえ込まれた。
じたばたともがく間にも、小箱はティアの独り言を響かせていく。
『ヒースさん……はやく帰ってこないかなぁ……』
ひっ、とティアは息を飲んだ。この次はもっとまずいのに!
ヒースが驚いたように箱に視線を送る。まずいまずい。でも、どんなに指先を伸ばしても、届かない。自分とヒースの体格差が悔しい。
そして、わずかな沈黙の後。
『愛してる……』
終わった。
あうう、とティアは呻いた。差し向けていた腕の力が抜けて、ティアは胸元で手を握った。もう、青くなればいいのか赤くなればいいのか。どうしたらいいのかわからない。
そのあとも、ぺらぺらと『好き』だの、『大好き』だの、『愛してる』だの――あのときの自分はどうかしていたのだといい訳したくなるくらいに、ティアの台詞が紡がれる。
やがて、箱が沈黙した頃。耳と首まで真っ赤にしたティアは、俯いたままでぷるぷると震えた。顔が、上げられない。
「――なあ、ティア」
「っ!」
どうしようどうしようと、それだけを心の中で繰り返していると、ヒースに名を呼ばれた。びくっと小さく飛び跳ねる。
「これを、オレにくれないか」
「!!!」
そして、しみじみと感心したようにそう願われて、ティアは声にならない悲鳴をあげた。
「だ、だ、だめですー!」
再び箱を取りかえそうと暴れだしたティアをうまくあしらいながら、ヒースが笑う。
「なぜだ、これをもっていればいつでも君の声が聞けるだろう。嬉しいこともいってくれていることだし、な」
だから困るのではないか!
「いやいやいやー!」
こんな恥ずかしいものを持ち歩かれるなんて、どんな拷問だろう。ティアが涙目でそう訴えても、ヒースは全く取り合ってくれない。こんなの、自分が恥ずかしいだけだ。しかし、箱は高い位置で左右に動かされて取り返すことはできそうにない。このままでは持っていかれてしまう。
むむむ、とティアは口を引き結んだ。零れ落ちそうな涙を堪えて、ヒースを精一杯に睨み付ける。なぜか愛しげに目を細めるヒースには、どうやってもかなわないのだろうかと思いつつ。ティアは、思考回路を精一杯に動かした。
「えっと、ええと……! じゃあ……ヒースさんも、同じことしてくれたら、いいです……!」
苦し紛れの言葉に、ヒースが笑みを深くした。
「それでいいのか。わかった」
「ふぇ?」
おやすい御用だと、あっさりと頷かれたことに拍子抜けする。断るだろうと思ったのに!
だが、常日頃からそういう言葉を口にするヒースには、あまり効果はなかったのかもしれない。
ティアの前に、ヒースの大きな手が差し出される。それ用の箱をくれ、と言外にいわれていると察したティアは、あわてて呼び出した預言書から「記憶の箱」を取り出し、そっと乗せた。
「じゃ、じゃあ、これを……」
「ああ、ありがとう。ところで、これはどうやって使うものなんだ?」
「え、ええっと、たぶんですね。これじゃないかなぁって」
どうやったかはわからないが、ヒースは声を再生させる術しかわからないらしい。ティアは蓋を開ければみえる石に触れ、赤い輝きをともした。
「押しながら喋ればいいのか?」
「え、あれ……どうだったかな? たぶん、上の石を赤くして喋れば大丈夫だと思いますけど……」
そういえば、どうやったときにこの箱は自分の声を覚えたのだろう。あれこれとやりすぎたせいで、どれが正解だったのかさっぱりわからない。たぶん、という方法をティアは伝えてみる。
ひとつ頷いたヒースが、ひょいと椅子に腰かける。左手に持っていたティアの声を覚えた箱を机の上に置き、新しい箱の蓋を開ける。それを口元まで持ち上げる。
「あーあー」
そのまま、やたらといい声を響かせて、言葉ともつかぬものを口にする。そして、ぱたりと蓋を閉じて。ぱかっと勢いよくあける。ティアの声を再生させたときのように操作して。ん? と首をかしげた。
「ティア。どうも覚えてないようだが……」
「え? あ、あれ……おかしいなぁ?」
ちょっとこい、というヒースに従い、ティアは近寄った。そのまま当たり前のように、ひょいとヒースの膝の上にあげられる。ヒースが、ティアの肩越しに小箱を覗く。長い指が、ちょいちょいと石をつついては色を変えていく。
「こっちは……触ると赤色が消えてしまうのか……。どうするのが正しいんだろうな?」
「んーと……。いろいろといじってましたから、どれが正しいのかちょっと……」
あやふやな言い方ですみませんと小さくなっていうと、ヒースがくすくすと笑った。
「なに、気にするな。ほう、こっちのは青くなるのか」
そうしているうちに、赤と青の石が響きあうように煌く。小箱の中身が、ほのかに紫の光を帯びた。
「ほら、ティアも試しに何かいってみろ」
「ええ?」
急にそんなことをいわれても。
「んーと、んーと、今日はとってもいい天気で、青空も綺麗でした!」
ティアは、今日一日のことを思い出しつつ、日記の冒頭を記すような感じでそういってみる。それに、ヒースが頷いた。
「ああ、いい天気だったな。風も気持ちよかった」
「はい、明日もいいお天気だと嬉しいですね」
それにヒースが応えてくれたものだから、ティアは機嫌よく笑った。ヒースが、さきほどのように、そっと髪を撫でてくれるのが心地よくて頬を緩める。
「そういえば今日な、ドロテア王女が久しぶりに我侭を発揮されたのか、小間使いたちがずっと城の中を駆けずり回っていて凄かったぞ」
思い出した光景がよほどおかしかったのか。くつくつと、ヒースが喉を震わせる。
「なにがあったんですか?」
「なんでも、ドロテアーンとかいうお菓子を筆頭に、たくさんのケーキを揃えてパーティを開きたいやら、それに皇子を招待したいやらいいだしたとかで……」
「ふふ、ドロテア王女ってば、お菓子のことになると相変わらずなんですね。あ、そうそう、お昼にですね、ファナのおばあちゃんのヘレンさんにお料理ならってきたんです。今日はそれ作ろうと思ってるんです」
「それは楽しみなことだな」
「はいっ」
ヒースとティアは今日の出来事を互いに報告しあい、笑いあう。こんな他愛のないことができることが、とっても幸せだった。そのまま、こてっとティアはヒースの逞しい胸に頭を預けるように、身を寄せた。
きゅ、と腰に回されていた逞しい腕に力がこめられる。ティアは振り仰いだ先にあるヒースをみつめる。
ヒースが、将軍としての職を全うするときとは違う、ひどく穏やかな顔をしている。その瞳に溢れる光に胸が高鳴る。どきどきと脈打つ心臓が、この人が好きなのだとティアに改めて教えてくれる。
「ティア、」
「は……い……」
ぽーっと、その青灰色の深さに見惚れていると。
ヒースが、ほんの少しだけ――からかうような色を含ませて、笑った。
「愛してるぞ」
「っ!」
そして、その薄い唇が、ティアをもっとも幸せにする言葉を刻んだ。かあ、とティアは頬を染める。
自分のたったひとつの台詞で、口も利けなくなってしまうほどになってしまったティアをみて、ヒースが噴出した。
「ふ、ふい、ふいうちじゃないですかっ、卑怯ですよ!」
ティアは、熱くなった頬に指先を当てて抗議する。
「なんだ、君が言えといったんだろう?」
この、小箱を譲り受ける代わりに。
そういいながら、からからと笑ったヒースが、ティアの声を覚えている小箱を指先で弾いた。
「もぉ……」
「なんならもっといってもかまわないが?」
ちゅ、と髪越しに頭へと口付けられながら、ティアは「ぅ、」と声を漏らした。こんなことされ続けたら頭だけでなく、全身が茹だってしまいそうだ。
でも、もっと。
もっと、ほしい。
さらりと明るい色の髪を頬に流しながら、ティアは震える唇を懸命に動かした。
「……お、お願いします……」
ティアが恥ずかしさで壊れそうになりながら必死に伝えたお願いは、にっこりと笑ったヒースによっていとも容易く叶えられ――そしてそんな会話をあますところなく覚えるために、小箱は赤と青の光を放ち続けていた。
数日後。
家の中で一人、小箱に向き合いティアは真っ赤に顔を染めていた頃。執務室で一人、小箱が紡ぐ言葉を聴きながら、ヒースはひどく上機嫌に仕事をこなしていたという。