時遡り時辿り 時辿の薬編—–中編

 そのままティアはさきほど前を通ったカフェへと、ヒースとともにはいった。先ほど思ったことが、いきなり実現するなんて出来すぎた夢でもありえないだろう。
 テーブルについてティアが注文を終えると、ヒースが笑っていた。どうしたのかと思っていたら、なんでもないというように手を振られた。
「いや、失礼。オレの知っている女の子も、それをよく頼んでいるもので」
 ティアが頼んだのは、アールグレイ。柑橘系の香りが好みなのだ。それを、覚えていてくれたんだ――ティアは、嬉しく思う。
「……ふふ、好きなんです」
 コーヒーを頼んだヒースが、そうかと呟いた。さあっと風が吹いて、ティアは髪をそっと押さえながら、頭を下げた。
「さきほどは、ありがとうございました」
「いや、改めてそういわれるほどのことでは」
 当たり前のことだと謙遜するヒースに、ティアはにこっと笑った。
「もう、こうなったら力ずくでどうにかしなきゃ、と思ってたところで……」
「は?」
 何気なくいった一言に、ヒースの顔が険しくなる。まずい、と反射的に思った。この顔はお説教にはいる一歩手前の表情だ。よく知っている。気を抜いて、ついつい言ってしまった己の言葉を悔いるも、すでに遅い。
「あ、いえ……えーっと……」
 しかし、自分の発言は取り消せない。誤魔化すように目線を泳がせると、ヒースが深いため息をついた。
「君は、一体何をするつもりだったんだ? その細腕で、男二人に勝てると思ったのか。そもそも、あんな風に無防備に応対などするから相手がつけあがるんだ。もう少し、危機感を持つべきだろう。違うか?」
 スイッチがはいってしまった。そのとおりです……と、細々とティアが返事をすると、まだいい足りないことがあるらしく、ヒースが咳払いをした。
「ローアンは大きい街だ。だからこそ、いい人間もいれば、ああいう手合いが集まりもする。今回は相手が二人で、オレが通りかかったからよかったようなものの、徒党を組まれたら手も足もでないうちに、君はどこかにひきずりこまれていたかもしれないんだぞ?」
「で、でもそこまでの人たちにはみえませんでしたが……」
 ごにょごにょと口の中で言い訳のような言葉を漏らすと、ぎろっとヒースに睨まれて、ティアはぴゃっと肩を跳ねさせた。
「まったく……、自覚がないというのも困りものだな……」
「す、すみません……」
 気まずい沈黙が二人の間に落ちてくる。どうしよう。楽しくお話をして、それで種明かしをしたいのに。うう、とティアは小さく呻いた。
「おまたせいたしました」
 そんな二人の空気を読んだのか、読んでいないのか、注文した紅茶とコーヒーが運ばれてきた。
 爽やかな風にも吹き飛ばされなかった重々しさが、それぞれの香りの中へと溶けていく。ティアとヒースの前に頼んだものを丁寧に置いて、店員は一礼をして去っていった。
 緊張に乾いた喉を潤そうと、ティアはカップに手を伸ばす。
「君はどこの人間だ?」
「え?」
 ふと投げかけられた唐突な質問に、ティアは手をとめてヒースをみつめた。じっとこちらを探るような深さを秘めて、青灰色の瞳がティアを映し出す。
 バレたかなぁ、とほんの少しティアが焦っていると、ヒースは視線を斜め下に落とし、コーヒーに手を伸ばす。
「オレはここに住んで長いわけではないが――その、君のような美しい人は、見かけたことがない」
「……ふふ、ナンパですか?」
 ぶ、とヒースが口をつけていたコーヒーを噴出しかけた。その様子がおかしくて、ティアはころころと笑った。
「あ、いやいや……! そういうつもりで言ったわけでは、」
「ちょっといろいろあって、ローアンに今日一日だけいられるんです、私」
 慌てきった様子で、自分の発言に補足を加えようとするヒースの言葉を遮って、ティアは笑ってそういった。
「……そうなのか?」
 はい、と肯定する。だって、別に嘘じゃない。ウルがいっていたように、この状態がいつまで続くかはわからないが、それでも半日か一日くらいはもつはずだ。概ね夕方ぐらいに家に帰れば大丈夫だろう。せっかくの機会だ、めいっぱいこの時間を楽しもう。正体がばれてもよし、ばれなくてもよし、だ。
「ふむ」
「あの、よろしければこうしてお会いできたのも何かの縁ですし、今日一日私にお付き合いくださいませんか?」
 何か考えるように顎に手をあてたヒースに、ティアはにっこりお願いする。
 む、とヒースの眉間に皺がよる。そういえば何か用事もあるといっていたし、無理なのかもしれない。だが、諦めきれない。
「……だめ、ですか?」
 悲しそうに瞳を伏せて、ティアはもう一押しする。その顔が、あまりにも心細そうな、寂しげなものに見えたのか、ヒースが苦笑した。しょうがないな、とでもいうような瞳をじっとみつめると、観念したようにヒースは口を開く。
「君がそういうのならば、今日は非番だし、オレは構わないが……いいのか?」
「はい、もちろんです! ありがとうございます!」
 わぁい、といつもの調子で喜びの声をあげると、ヒースが笑いを堪えるように大きな手で顔を覆った。くつくつと漏れる声、広い肩が小刻みに揺れる。
 その様子を意にも介さず、ティアはお茶を飲む。なんだかとってもいい気分だった。
 と。
「ああ、そうだ――君の名前は? 君ばかりオレのことを知っているのはずるいだろう?」
 なんとか笑いを抑えたヒースの言葉に、ティアは背筋に氷を詰められたような心地に急落した。
「え? ……ええっとー……」
 ティアは焦った。そこまで考えていなかった。だが、ここで素直に名乗ってしまってはすべてが水の泡だ。きょろ、と視線を走らせる。
「ひ……」
 うまく言葉がでてこない。ティアは引きつりそうな頬を懸命に動かして、にこりと最上級の笑みをヒースにみせた。口元にそっと指をあてる。
「ひみつ、です」
 ぱちり、とヒースが瞳を子供のように瞬かせる。そして、くしゃりと少年のように笑った。予想外のことが起きたせいか、楽しげな声が上がる。
「ふ、はははっ! 君は、変わっているな」
「ぁぅ……」
 馬鹿なことをいってしまったと、ティアは真っ赤になって俯く。
 く、と冷めてきたコーヒーを一息に飲み干して、ヒースがわずかに真面目な表情をみせる。
「まあ、とりあえず、そういうことにしておこうか」
「え」
 あっさりと引き下がられて、ティアは一瞬だけ固まった。もっと追求されてもおかしくない。名乗りもできない女を訝しく思うのは当然のことだ。
 そんな考えが顔に出ていたのか、ヒースが悪戯っぽく笑った。
「秘密、なんだろう?」
「あ、え……は、はいっ」
 ただ単に見逃してくれているのか、それともほかに考えがあるのかわからないが、ヒースはそれ以上何も訊ねようとはしそうにない。ティアは、ほ、と安心して息を吐き出した。
「店を出たら、どこにいきたい?」
 もとからのローアンの住人ではないから、満足いく案内はできないかもしれないが――そんな続きをききながら、ティアは小さく首をかしげた。ヒースと一緒にいられるのなら、どこだってかまわない。だけど、そういえるわけもなく、ティアは思いついたままを言葉にする。
「え、えっと、そうですね……街の中心街を回ってみたいです」
「そうか。そういえば、今日は帝国からの商人がくるときいている。いってみるか?」
「ぜひ!」
 帝国に所属しているものとしての情報網からか、ヒースはティアも知らぬことを時折きかせてくれる。そしてそれが間違っていたことは、一度もない。
 白いティーカップの底で、美しくたゆたう紅茶の色を楽しみ、ゆっくりとそれを喉に通して、ティアは微笑む。
 空になったカップをみて、ヒースが立ち上がる。
「では、いこうか」
「はい。あ、お茶代を……あ!」
 その前に、と。店員に声をかけたティアの目の前で、ヒースがさっさと代金を支払う。
 慌てるティアとは正反対に、ヒースがさも当たり前だろうという顔をしている。
「お誘いしたのは私なのに……」
「なかなかに楽しいひと時だったからな、その礼に。なあ、『秘密』さん?」
「っ!?」
 ぎょっとするティアとその表情に笑うヒースを、店員が不思議そうに交互にみる。恥ずかしくて、ティアが思わず席をたつと、すっとその目の前にたくましい腕が差し出された。
 その持ち主を見上げると、どうぞ、と穏やかに瞳が語っていた。ティアはわずかに動揺したものの、そっと腕を絡めた。それを確認したヒースが、ゆっくりと足をふみ出す。ティアの歩幅に合わせたその動き。
 大人って、こうなんだ。
 まるでいつもとは違う扱いが、とてもくすぐったい。ふわふわと夢心地になりながら、己をエスコートして歩く男の横顔を視界にうつし、ティアは蕩けていくように微笑んだ。
 そして店を後にした二人は、商人たちの自慢の品々を眺めながら、ローアンの街をのんびりと歩きだした。
 よく晴れた空の下、街の人々が手入れを施す花々が美しく咲き誇り、風に揺れている。見慣れたその景色さえ、今のティアには素晴らしい絶景のようだった。
 途中で本屋に入りたいと言えば、ヒースが重い扉を開けてティアを待ってくれた。人が多いところでは、さりげなくティアをかばうように動いてくれる。常にティアを気遣いながら、だがそれを嫌味に感じさせないヒースの立ち居振る舞いに、ぽーっとする。無骨な風貌からは想像できないが、さすがは帝国の将軍といったところだ。
 何回かヒースとお祭りや市にもいったことがあるけれど、それらとは全然違うこの空気に酔ってしまいそうだった。ティアを守ろうと自然に動いてくれるのは同じだが、自分を見下ろすヒースの顔が、保護者のそれじゃないのが大きな原因だ。それだけで、ヒースに恋するティアが舞い上がるには、十分すぎる。
「ああ、ここだな」
「ふぇ?」
 すっかり浸っていたティアは、ヒースの言葉にはっと意識を取り戻した。
 いつの間にか、こじんまりとした店の前に、立っていた。露店ではあるが、しっかりとしたつくりで、並ぶ商品が王国のものと違う。
「帝国からの商人がきているといっただろう?」
「あ、そ、そうでしたね」
 すっかり忘れていた。えへへ、とティアがほんのり頬を染めてそういうと、ヒースがつられたように口元を緩ませた。
「邪魔するぞ」
「はい、いらっしゃい――っと、ヒースじゃねぇか」
 ヒースが声をかけて近寄ると、店の奥で下を向いて商品を磨いていた男が愛想良く顔をあげ――、驚いたように目を丸くした。
「元気そうだな。帝都をたつと連絡が来てから随分とたっているから、魔物にでも襲われて渓谷の下の川を流れていったのかと思っていたが」
「はっはっは、そんなことになっても、海で真珠か珊瑚のひとつでも拾って戻ってきてやらぁ」
 軽口の応酬に、ぱちぱちと目を瞬かせていると、店主がそんなティアに気づいた。にやにやと人を食ったような笑みが浮かぶ。
「お、なんだ。こっちでもう恋人できたのか。やるなぁ!」
「おい、人聞きの悪いことをいうな。すまない、こいつのいうことは気にしないでくれ」
「は、はあ」
 ティアにそういったあと、ヒースがぎろりと視線を送ると店主は全く意に介していないように声をあげた。ヒースと同じ年頃らしきその男は、大口をあけて笑っている。
「まあそういうなって、すげぇ綺麗なお嬢さんじゃねぇか!」
「あのなあ……」
 もうどうにもできないと思ったのか、困ったように頭をかくヒースにティアは笑った。
「ふふ、お知り合いだったんですね」
 ティアの笑顔に気をよくしたのか、店主が身を乗り出してくる。
「おうよ! 帝都で随分とこいつの世話をしてやってなあ」
 びし、とヒースを指差しながらの言葉に、話題にされた当人の顔色が変わった。
「待て待て、世話してやったのはこっちだろう! むかし所場代が払えなくて追いかけられていたのを助けただろうが」
「は~ん、そんな昔のことは忘れたなあ」
「おまえな……」
 ひょい、と肩を竦め、いかにも「覚えているけれど忘れたぜ」というふりをする男に、ヒースが脱力する。ティアはくすくすと声を漏らした。なんだかんだで仲は良いらしい。それに、ちょっとだけティアの知らないヒースの過去が垣間みることができて嬉しい。
「まあ、そんな話はおいといて。うちのは帝都で仕入れてきたものばかりだ。ゆっくりみていってくれよ、お嬢さん」
「はい、ありがとうございます」
 自慢するように手を品物の上でひらめかせる男にいわれるまま、ティアは視線を落とした。帝国では大振りな石を用いた装飾品がはやっているのか、カレイラ王国の繊細な細工物とはまた違い、ティアの目を惹き付ける。その中で、とくに印象的なものがあった。
「――あの髪飾り、とっても綺麗」
 淡水真珠や色とりどりの半貴石を上手く使っていくつもの小花を表現した、小さなブーケを上から見たような、そんな髪飾り。
「どれだ? ああ、そうだな……君の髪によく映えそうだ」
 そういってヒースが笑う。何気ない賛辞に、かあ、とティアは頬を染めた。
 店主の顔が、一層にやにやとしたものになる。
「へぇ、へぇ、へええええ~」
「気持ちの悪い声をだして気持ちの悪い顔をするな」
 ぴしゃりとヒースにいわれても、店主はひたすらに生ぬるい視線を二人に注ぎ続ける。
「いいじゃねえか。ほら、手にとって見てごらん、お嬢さん」
 そういいながら、店主はティアにその髪飾りを手渡してくれる。光をあらゆる角度から浴びせるように、手の中で動かしながら間近でみると、その細かさといい、石の色合いといい、実にティア好みの品だった。
 だが。
「うわあ……」
 値札をみて、ティアは諦めとも感嘆ともつかぬ声を漏らした。欲しいとは思うけれど、今のティアにはちょっと手の届かないお値段だった。
「みせてくださってありがとうございます。本当に、素敵ですね」
 あはは、と笑ってティアはそっと元にあった場所にそれを戻した。
「ああ、いいっていいって。お代なら、こいつが払うから」
「なっ……!」
 びしっと再び指差されたヒースが鼻白む。そんなヒースに耳打ちするように、悪巧みを伝えるように、わずかに声を落として店主が言う。
「なあ、ヒース、ここはひとつ男の甲斐性をみせるべきじゃねえか? これ買って贈れば彼女の気持ちもばっちり掴めるぜ」
「いや、だからな……」
 はああ、とヒースが深く息を吐く。もはや何を言っても無駄だと思ったのか。
「――まあ、いい。いくらだ?」
「ヒースさんっ!?」
 口を挟む隙がなく、呆然としていたティアであったが、これにはさすがに反応をせざるをえなかった。
 店主のほうは、よしきた! と髪飾りを手にとって包もうとしている。
「だ、だめです! そんな、買ってもらいたくてお店に案内してもらったわけじゃ……!」
 悲鳴に近い声で制止すると、店主とヒースが顔を見合わせた。
「いや、せっかくこいつが買ってくれるっていってるんだし……」
 それでもだめだ、と。ぶんぶん、ティアは頭を振る。助けてもらって、お茶代まで払ってもらって、一緒に街を歩いてくれるだけでも嬉しいというのに、ここでさらにこの髪飾りを買ってもらうなんて、だめだ。だめだ!
 知らず、ぎゅううと縋るように絡めあったヒースの腕を締め上げるティアの様子に、男二人は再び顔を見合わせた。
「……まあ、本人もこういってることだしな」
 あっけにとられていたヒースが、く、と喉の奥を鳴らした。
「ちぇ、ヒースにならふっかけられると思ったのに」
「そんなことだろうと思った」
 互いにそういって、男二人はげらげらと笑いを交わした。
「じゃあ、またくる。ちゃんと商売しろよ」
「ああ、そっちも彼女と仲良くな」
 もう誤解を解くつもりもなくなったのか、ひらりとヒースは手を振るだけだった。ヒースがもういいかと尋ねるように顔を覗き込んできたので、ティアは小さく店主に会釈した。
「ありがとうございました。お邪魔してしまって、ごめんなさい」
 そういって、にこりと笑うと、店主が言葉に詰まった。そして、うーんと腕組みをする。
「……やっぱりヒースにゃ、もったいない」
 感心したように店主がそう呟いたのは、ティアの耳には届かなかった。