物事は順番に

 本日も世は平穏。
 天気もよく、開け放たれた窓から吹き込む乾いた風が心地いい。
 ふわり、絹糸のような栗色の髪を遊ばせながら、ティアは預言書をぱらぱらとめくっていく。
 あらゆるものの設計図といっても過言ではないメタライズの項目と、にらめっこしながら傍らに置いたティーカップに手を伸ばす。
 冷めかけた紅茶をひとくち口にすれば、それはティアの喉を潤して、するりとお腹の底へ降りていく。
「うーん、これも作ったことなかったっけ……? どうだったかなぁ……?」
 冒険すればするほど溜まっていくメタライズは、パズル状に封印されているものもある。それらを解読するのはとても大変なのだが、それらを作成する作業もこれまた大変なのである。なにせ、数が多い。
 そして、パズルを解き終わった段階で、達成感に満たされてしまうティアは、ほとんどそれらをもとにしてアイテムを作ったことがなかった。だが、それでは預言書の価値は高まらない。
 よって、とくにこれといってすることのない今日は、「小さなことからこつこつと」ということを実践すべく、「メタライズはもっているが、いままで作っていないもの」を作る日にすることに決めたのである。
 とりあえず、今は作ったことのあるものと、作ったことのないものをより分けようとしているわけなのだが――ティアの記憶は、パズルを解明した段階で満足しきったものしかないわけで。
 いくら記憶の箱をかき回してみても、答えはみつからない。
 と。
「その魔力のメガネはつくったことはありませんよ」
 ティアの左斜め上から冷静な声が響く。小さな姿のまま、そこに浮かび上がったウルである。
「そっか。ありがとう、ウル」
 この作業をはじめるときに、助力を請うた精霊からの言葉に、ティアは素直に頷く。
 さすがはウルだ。ティアが覚えていないことも、きちんと記憶に留めている。助かる。
「いいえ。次の世界のために頑張りましょうね、ティア」
「はーい」
 教え子を励ますような言葉に、よい子そのものの返事を返せば、ウルがにこりと微笑んだ。そんな彼に笑顔を返して、ティアは預言書に向き直る。
 では、まずこれからつくっていこうと、ティアは魔力のメガネのメタライズを頭に叩き込み、必要なコードを探してページをめくり始めた。
 大まかに、それぞれのコードを集めておいてあるため、わりとすぐに集まっていく。
 そして、素体となるメガネのページを開く。メガネは人にプレゼントすることは多いのだが、自分でかけたことはほとんどないものだ。
 さあ、書き換えようかと揃えたコードを動かそうとして――ティアは、ふと手を止めた。

 そういえば、メガネって知的な人に似合うよね……。

 メガネをくれた耳の長い上品な壮年のエルフを思い出し、傍らに浮かぶ雷の精霊に、ちらりと視線を送った。
「どうかしましたか、ティア?」
 不思議そうな顔をするウルには、もう目元を覆う枷はない。信頼と恋心で結ばれた二人の間に、それは必要のないものとして、世界が消し去ってしまった。
 出会ったときには隠されていた、左右で色の違う切れ長の瞳。すっと通った鼻筋と薄い唇。人間だったら、きっと年頃の女の子どころか、年上まで魅了してやまないだろう、整ったその面を見つめて思う。

 ――すごく、似合いそう。

 思い立ったらなんとやら、ティアはメガネを預言書から取り出した。
 細い金属と、二枚の透明なガラスからできたそれは、なんだかやや頼りない印象をあたえる、華奢なつくりをしている。
「おや、メンタルマップを書き換えて、魔力のメガネをつくるのでは……?」
 ますます不思議そうにするウルを、ティアはおずおずと見上げて。
「うん。それもするけど……その前に、あのね」
 ずいっと、ティアはウルにメガネを差し出した。
「これ、かけてみてくれない?」
「私が、ですか」
 僅かにウルの瞳が開かれる。
「うん! ね、お願い!」
 にこりと笑いながらおねだりしてみると、ウルがゆっくりと長い睫を上下させた。
「そうですね……ですが……」
「ね、いいでしょ? ウルがメガネをかけているところ、みてみたいなって思ったから!」
 顎に手をあてて考えるそぶりをするウルに向かって、ティアはもう一押しする。すると、ウルが小さく笑った。
「しょうがない人ですね。ティアがそこまでいうのなら、構いませんよ」
「やったぁ!」
 ティアは、ウルの承諾の言葉に、思わず大きな歓声をあげた。
 その喜色満面の表情に声を転がしながら、ウルは空中を移動する。そして、ティアの傍らで、その身の大きさを変じた。ティアを見下ろす、人と変わらぬ姿になったウルが、手を伸ばす。
「では、お借りします」
「うん!」
 手袋に包まれた長い指が、ティアの手の上にあるメガネをとりあげる。ウルはメガネのつるの部分を左右に開き、わずかに顔を下に傾ける。瞳を伏せて、そっと耳にかけた後、そのままゆっくりと顔をあげ、鼻筋にかける部分に中指を当てて押し上げた。
 顔を覆うような位置にあったウルの手がゆるりと下がり、ティアは思わず息をとめた。
「どうですか?」
 にこ、とウルが微笑む。
 メガネをかける仕草に見蕩れていたティアは、顔に血が集まるのを自覚した。きっと、頬は朱色に染まっていることだろう。
 そして、ティアはぶんぶんと勢いよく頭を上下させた。
「うん! うん! すごく良く似合うよ!」
 自分の見立ては間違っていなかったと、ティアは確信する。
 ウルは、ティアに手放しで褒められたことが満更でもないらしく、珍しく照れたように微笑んだ。
「そうですか。ありがとうございます」
 物腰穏やかに礼を言うウルは、どこかの有名な学院にいる将来有望な学生、もしくは歳若い先生といった風情だ。
 もともと端正な顔立ちなのだから、似合ってあたりまえなのかもしれないけれど。その落ち着いた雰囲気に、メガネという付属品が恐ろしいくらいにぴたりとはまっている。
 自分の恋人の思っていた以上の素敵な姿に、ティアは微笑みながら言う。
「ね、ウル。今日は、一日メガネかけたままでいて欲しいな」
 ティアにとって、それはなんてことはない他愛のないお願いだったのだが。
 ぱち、とウルは目を瞬かせた。
「私はかまいませんが……ティアがそう願うとは、正直思いませんでした」
「え?」
 ウルが何をいいたいのかわからず、ティアは首を傾げる。
 すると、そんな様子がおかしいのか。くす、と小さく微笑んだウルが、何気なく指を伸ばした。
それは、ティアの頬をかすめ、髪をかき分けて――ブラウスの下に隠された、なだらかな曲線を描く肩をそっと撫でた。
「っ……!」
 その瞬間。ぞく、と背筋を駆け下りた電流に似た感覚に、ティアは身を跳ねさせた。
 いつもウルがするなんでもない触れ合いのはずなのに、今感じたものは夜にウルから与えられる感覚に、とてもよく似ていて――ティアは焦って、撫でられた部分を押さえた。
「な、な、な……!」
 真っ赤な顔をして、言葉にならないことを繰り返すティアに、ウルはにこりと笑った。
「ティア、メガネの効果を覚えていますか?」
「メガネの……効果……」
 必死に記憶をたぐりよせる。つい先ほどみていたメガネのページにはなんと記されていた?
 確か、こんなことが書いてあったような――。

《つけると、敵の弱点がぼんやりと感じ取れるようになり――クリティカルが出やすくなる》

 そう思い出したティアの顔から、血の気がひいていく。
 弱点――その言葉どおり、相手の弱いところがわかるという、特殊効果がメガネにはついている。
 それは戦闘の場合は効果的だろう。強い敵を相手にするときに、なにもわからぬよりはいいというもの。それに、もしかしたら、それによって発生したクリティカルが、勝敗をわけるかもしれないのだから。
 しかし。
 ただでさえ自分のことを知り尽くしているウルが、すでにわかっている弱点を、メガネをつけて攻めた場合どうなるのか。
 そんな恐ろしい自分の想像に青くなったティアは、慌てて席を立つとウルに向かって手を伸ばした。すでに泣きたい気分であるせいか、自然と瞳に涙が滲んだ。
「きゃー! ウル! メ、メ、メガネ返してっ!」
「ははは、大丈夫ですよ。ティア」
 きゃあきゃあと騒ぐティアに、胡散臭いほど爽やかに笑いつつ、ウルは必死なその手をひらひらと避ける。それにどちらにしろ、身長に差がありすぎてティアの指先は、そこまで届かない。
「な、なにがっ――ひゃあっ!」
 混乱したティアの背後をとることくらい、ウルには造作もないことだったらしく。
 大丈夫というウルの言葉の根拠を尋ねようとしていたティアは、後ろから抱きすくめられて声をあげた。
 そっと腕の中に囲われただけだというのに、ティアはまったく動けなくなって哀れに身体を震わせる。
 ちゅ、とウルの唇が頬に触れて。ティアは小さく声をあげて首をすくめた。
「ちゃんと、ティアの弱いところは避けて触れることにしますから」
 その方が、ティアの反応が楽しそうですしね――と、そんなとんでもないことをいう恋人に、もしかしてメガネを返してくれるのかな、と淡い期待を抱いていたティアは、全身を強張らせた。
 そして。
「……ウルの、意地悪っ……!」
 う~っと、肩越しにひどく楽しげなウルを見上げて恨み言のように呟けば。
「う、ひゃっ!」
 するりと腰のあたりを撫でられる。身体がさらに密着するように引き寄せられて、耳に唇が押し当てられた感覚に、ティアはぎゅっと目を閉じた。
「ティア、あまり可愛いことばかりしていると――夜が、待てなくなります」
「っ!」
 今までのどこにウルをそんな気分にさせるようなことがあったのか、そう問いただしたいところだけれど、どうせ恥ずかしい答えを真顔でウルは返してくるに決まっている。
 ティアはこれまでの経験をもとにそう考えて、青かった顔を今度は真逆の鮮やかな赤に染めて黙り込んだ。
 そんなティアを宥めるように、ウルはそっと髪越しにもうひとつ口付けを落として囁く。
「私は預言書の精霊ですから、主であるティアの願いはどんなことをしてでも叶えます。お願いされた順番に、きちんとね」
 順番に、の部分がやけに強調される。
 ティアは、まず「一日メガネをかけていて欲しい」と願った。その後に、「メガネを返して欲しい」と願った。
 つまり。
「メガネを返してほしいという願いは、また明日に」
 几帳面にもほどがある。というか、ウルは絶対にこの状況を楽しんでいるし、めいいっぱい楽しむつもりだ。
 涼やかな声に、若干滲みでたその心を、ティアは敏感に感じ取っていた。

 ああ、私――なんであんなこといっちゃったんだろ……。

 自分の迂闊な言動が、明日まで繰り返されるであろう、恋人との攻防の引き金となったことを悔やみながら、ティアはかくりと肩を落とした。
 ぎゅう、と味わうように一度強く抱きしめて、ウルは悲壮感漂わせる獲物をそっと解放した。ティアの小さな背に手を添えて、机に向かうように促す。
「さて、ティア。アイテム作成に戻りましょう。まだ途中ですしね」
「うう……」
 しかも、やると決めたことは最後までやらせようとするこの厳しい教師っぷり。有無を言わさぬウルの手に引かれつつ、ティアは心の中で密かに泣いた。
 そして。
 ウルの指先が、ふとした瞬間にするりと動き、そこからもどかしく全身に伝わる感覚に、溺れてしまわないように必死に抗いながら。
 ティアは今日という日を、懸命に過ごしてゆくのであった。

 

 

「もう、ウルはメガネ禁止っ!」
「おや、それは残念です」