英知と喜び

「アラシガサキ、かあ」
 預言書のうち、花のページを開いているティアがぽつんと呟く。世界の片隅で咲く花々をこれまで数多くスキャンしてきた。預言書にあるその花のページの価値をあげるには、花言葉を知ることとその花がもつコードを外すことが必要だ。
 クレルヴォとの戦いに向かっていた頃は、怒涛の展開に流されて、そんなこと気にする余裕もなかった。
 ゆえにすべてが終わって落ち着いた今、ティアはすっかり忘れていたその花のページを手繰っている。あのとき探し回ったコードがこんなところに……! そう思ったのはご愛嬌。
 そんな作業中、ティアの目を引いたのはひとつの花だった。
 確か砂漠の牢屋で咲いていた。雷の属性をもち、英知という言葉を与えられている、黄色い花。その名に相応しい、鋭く天から落ちてくるような稲妻のような細長い花弁。
 それは、ティアにある精霊を思い起こさせる。それだけで、ぽっと心があたたかくなる。
「――ウル」
 無意識のうちに、吐息交じりに恋人の名を零すと。
「はい? 呼びましたか、ティア」
「っ!」
 するりと預言書にはさんだ栞から抜け出るように、ウルが姿を現した。椅子に腰掛けているティアの隣に、ふわりと浮かび上がる。
 なんとなく、口にしただけだったのに。特に用件もないのに律儀に応えてくれた精霊に、ティアはちょっと驚いたあと、曖昧に笑った。ちょっと体をずらして、ウルを見上げる。
「ごめんなさい。えっと、何があったってわけじゃないの」
「ではなぜ、私を呼んだのですか?」
「呼んだっていうか、名前を言ってみたかっただけというか……」
 小さく首を傾げるウルの瞳が戸惑う。どうしてそういうことをするのだろうか、と生真面目なウルは考えているのだろう。でも、よくわらかないらしい。眉を僅かに寄せて、唇を結んだ表情は、怒っているわけではなくて、困っているときのものだとティアは知っている。  そんな心情を読み取ったティアは、慌ててページを指差した。
「ええっとね、ほら、これ」
「花、ですね」
「うん、お花」
「ティアはこの花が好きなのですか?」
「これだけじゃなくて、お花はみんな好きだよ。ただね、これってウルだなーって思っちゃって」
「ふむ。だから私の名前を囁いた、と」
「そうそう」
 わかってくれたのか、とティアがほっと息をつくとウルがもっと困った顔をした。
「ですが私は精霊で、花であったことは一度もありませんが」
 わかっていなかった。
「ええっと、そうじゃなくてね……なんていったらいいのかな……」
 ティアは頭を抱えた。
 ネアキの言葉ではないが、ウルはどうにも頭でっかちで思考が硬いところがあると思う。頑固で一途なのはそのせいかもしれない。一途というのは彼女としては嬉しいのだが、頑固な分、乙女心というものに若干疎い。
 そんなウルに、花に恋しい人の面影を重ねるという乙女チックな行動をどう説明すれば理解してもらえるのだろう。
「この花、名前がアラシガサキっていうんだけど、夜の嵐に雷が走ったみたいな姿っていわれているからそういう風に呼ばれるの。でね、花言葉が英知っていうの」
 ふむふむと話に耳を傾けてくれるウルに、ティアは懸命に伝える。
「だから雷ってところで、私はまず雷の精霊って連想したの。ウルはいつも一緒にいてくれるから当然だよね。それに花びらも綺麗な稲妻みたいな形で、精霊魔法使って助けてくれる格好いいときのことを思い出すし。あと、英知っていわれたらやっぱり物知りで、いろんなことを教えてくれるウルを思い浮かべるもの」
 ティアは思うままに、花を目にしたときに考えたことを口にしていく。心情を素直に言葉にしたほうがいいと思ったからだ。
「ええっとつまりね、やっぱりアラシガサキってウルだなーってことに、なるんだけど……あれ……うーん……?」
 だが、結局言いたいことが伝わるような言葉を選べていない気がして、ティアは思わず腕を組んで唸った。だが、黙って聞いていたウルは承知したように頷く。
「なるほど、つまりティアはこの花をみて私を思い浮かべてくれたということですね」
「うん、そう!」
 通じた! とばかりに喜色満面になったティアの頬を、ウルが指先でそっと撫でた。
「だから、あんなに優しい声で名を呼んでくれたのですね? 嬉しくもありますが、ティアの中の自分に嫉妬してしまいそうです」
 にこ、と綺麗に笑うウルに、ティアは顔を赤らめた。
「し、嫉妬って。そんな、ウルのことじゃない」
「まあ、そうなのですが。できれば今度は私をみつめながら、あんな風にいってみてほしいところです」
 さらに笑みを深くして、ウルは言う。思わず口を噤んだティアを横目に、ウルは納得したように顎に指をかけて目を伏せた。
「しかし、人間たちの間で交わされる、花を贈るという行為の意味がようやくわかりました。想い人へ自分がふさわしいと思う花や、その花が持つ言葉に己の想いを託したりするのですね」
 なるほどなるほどと幾度も頷いた後、ウルは空中を滑り預言書前まで行くと、ぱちりと指を鳴らした。
 テーブルの上、ティアの目の前にあるそれが見えない指にめくられていく。精霊の力で何かを探し始めたウルのまなざしは真剣そのもの。
「?」
 なにをしたいのだろうかと、ティアはじっとその行動を眺めた。
 一度、手を止めたところがあったものの気に入らなかったのか、それとももっといいものがあるかと思ったのか、さらにページがめくられる。あっちにいったりこっちにいったり。そしてようやくこれだと思ったのか、その動きが止まった。
「ティア。私は、この花にあなたの姿を重ねます」
 そういって、ウルはそのページからふわりと花を抜き出した。
 花を手にすると同時に、ウルは人間の青年ほどの大きさに変じた。そして、ティアに向かって優雅な手つきで花を差し出す。
「どうぞ。モリノシズクです」
 小さな紅色の花弁がきゅっとあつまったそれを手に、ウルが優しく微笑む。落ち着いた緑と、可愛いらしい花は見る人の心に穏やかさを運んでくれる。
「えっと……どうしてそう思うのか、訊いてもいい?」
 思い当たる節がなくて、ティアは首を傾げた。ウルがもちろん、と頷いた。
「誰かを愛するという気持ちも、再び世界を見ることができる目も、呼ぶ声に応えてくれる人のいる幸せも、すべてティアが与えてくれました。だから、」

 ティアは、私にとっての「喜び」そのものなのです――

 うっとりとするようないい声でそう告げられて、ティアは頬を薔薇色に染めた。
「精霊としての自分に不満などありませんでしたが、もっと豊かで色づいた生があると教えてくれたティアに出会えた喜び、という意味もありますね」
 そんな言葉を聴きながら、ゆっくりとティアは手を伸ばしてモリノシズクを受け取った。そっと花を包むティアの小さな手を、さらに覆いかぶさるようしてウルの大きな手が包み込む。
 きゅ、と手が握り締められて、ティアは顔をさらに赤くして顔を伏せた。
「なんだか、照れちゃうよ……」
「さきほどティアも同じようなことをいっていたでしょう」
 くすくす、とウルが楽しそうに笑うせいで、なんだか余計に恥ずかしくなってくる。
「それは、そうだけど」
 ごにょごにょと口ごもっていると、ウルがほう、と熱い吐息をついた。
「ねえ、ティア。私はなんて幸福なのでしょうね」
 あんまりにもしみじみとウルがそんなことをいうから。
 ティアは思わず噴出した。そして、満面の笑みを浮かべて言い返す。
「ううん! 私のほうがずーっと幸せだよ!」
「いえいえ、私のほうが幸せです」
 負けじとウルがそう言えば、ティアももう一度言い返す。
「ううん、私だよ」
「いえいえ、私です」
「私だよ」
「私です」
 額をそっとあわせた恋人たちは、楽しそうに自分の幸せ自慢を繰り返す。
 この時間こそがなにものにも変えがたい幸福だということをかみ締めて、いつまでもいつまでも飽きることなどないように、二人は言葉を交わし続ける。
 そうして、いくばくかの時間が流れ。

「二人ともいい加減にしたほうがいいんじゃないかなー」
「のろけあうんならどっかいけ! 暑っ苦しい!」
「レンポに言われたら、おしまい……」
「「……ごめんなさい」」

 仲間の精霊たちから口々にそう言われた二人は、素直に謝罪したのだった。