綺麗に整備された街道をゆっくりと辿りながら、ティアはエエリとのやりとりが忘れられずに、「むむむ……」と唸り続けていた。
そんなティアをからかうように吹いた涼やかな風が、梢を揺らし青い空へと舞い上がる。
熟れた果実のような赤い頬に、その冷たさを心地よく受けながら、ティアは独り言のように呟いた。
「う~、顔の火照りがおさまらないよ……」
熟れ落ちそうな頬に指先をあて、そう呟く。
それは、ここに戻るまでに何匹も魔物を倒したから、とか。砂漠の強い日差しのせいだ、とか。そんな理由じゃない。
「エエリさんが、あんなこというから……」
ぶつぶつとそんなことを言ってみるものの、熱が治まる様子は微塵もない。
風を送るように手で扇ぎながら、ティアは砂漠の宮殿でのことが本当は幻じゃないのかと疑いたくなってきた。
しかし、エエリが本気だったのは、よくわかっている。なかったことにはならない。
かといってティアが「はいそうですか、わかりました、結婚します」と頷けるはずもないではないか。
そもそも、アンワールの気持ちはどうなのだろう。
けれど、それを本人に聞けるわけなんてない。そんなの、「自分のことが好きですか?」という、とんでもなく恥ずかしい問い掛けにしかならなではないか。あげく、彼が自分を選んでくれるとは限らないわけで。
「どうしよう……」
それに、自分の心はどうなのだろう。
そんなことを考えながら、ティアはローアンの街への橋手前で下町方向へと曲がる。
アンワールのことが嫌いかと訊かれれば、すぐに「そんなことはない」と答えられる。
では、逆は?
んー、とティアは口元に手を当てる。
かつて、カレイラの英雄と称えられたことから一転、反逆者として罵られ牢にいれられ街を追われたときも、アンワールはあの森までやってきてくれた。真摯に励まし、いろんな情報も与えてくれた。
その後も、さまざまなやりとりを経て、良好な友人関係を築けている。
エエリのいうように、アンワールは多くを語ることは無いけれど、優しくて誠実な人だから、大切に思う友達になれたのだ。
でも、彼に向けているものは、それだけだろうか。
ひとつひとつ、アンワールのことを、考えてみる。
静かな表情が一瞬にして優しく綻ぶと、とても嬉しい。
そうして微笑みながら、駆け寄ってきてくれる姿が、脳裏に焼きついている。その情景を幾度繰り返しても、自分の心がそのたびに弾むことを、知っている。
そっと胸を押さえる。そんなわずかな記憶を呼び覚ますだけで、その奥がほんのり暖かくなっていく。
幼馴染のファナ、親友のレクスと過ごす時間に感じるものとはまた違う、それ。
優劣をつけるなんておかしいとは思う。だけれど、素直に心のままにいうならば、アンワールと過ごす時間が最も楽しいし、幸せな気分になる。
どきどきする心、穏やかになる心、相反しているようで同じところから溢れ出るもの。
うん、つまり――「アンワールが一番好き」ってことだよね。
ふむ、とティアは自分の答えに頷いた。
「……ぁ!」
そして、はっと我に返る。
ふいにそんなところへと達した己の結論に、口元を覆ったティアは赤い頬をさらに深い色に染めた。
なんだかすっきりしたようでもあり、もっと胸の中がもやもやとしてしまったような複雑な気持ちに、お腹の底がむず痒い。
その感覚を追い払うように、ぷるぷると首を振り振り、ティアはようやくたどり着いた我が家の扉へと手を伸ばす。
ドアノブを掴むと、安堵からか、身体から力が抜けていく。
ゆっくりと休んで――それから、ちゃんと考えてみよう。
エエリの言葉がきっかけではあるけれど、これは大切なことなのだから、きちんともう一度整理してみよう。
「うん、そうしよう! まずはお茶でも淹れて、ゆっくりして――」
もんもんとした悩みを無理やりふりきり、ティアが笑顔でドアノブをまわそうとした瞬間。
「……ティア」
「!!」
背後からかけられた声に。びくり、とティアは肩を跳ねさせた。後方から吹いてくる風が、どこか乾いている。
時間の流れが遅くなったような錯覚に陥りながら、ティアはゆっくりと振り返る。
梢を揺らす風を纏った、紫の髪と褐色の肌をもつ少年が立っている。
まるで初めて、ここで出会ったときのよう。
ただ、あの頃と決定的に違うのは、その身に灯った気持ち。
「アン、ワール……」
その気配に、まったく気付いていなかった。思考に没頭していたせいだろうか。一体、いつからそこにいたのだろう。
ついさきほどまで己の意識の大半を占めていた人物の登場に、ティアは真っ白に燃え尽きていきそうだった。
アンワールが、近づいてくる。
どうしよう、どうしよう。
エエリのあの言葉をアンワールが知るはずもないのだから、冷静になれと心の中で幾度も自分へと言いきかせる。
知らぬうちに扉に背を寄せたティアを囲うように、アンワールの腕が伸びてくる。
ティアの背後の扉に手をついて、アンワールがティアを覗き込んでくる。その近さに、ティアは息を飲む。
何か、言わなければ。
「あ、あの……!」
どうかしたの? そう尋ねるより早く、アンワールが口を開く。
「ティアは、オレのことが嫌いか?」
反射的にティアは頭を振った。それはほんの少し前に考えていた答えだ。
だが、なぜアンワールがそんなことを聞いてくるのかわからない。ますます混乱してきたティアは、瞳を揺らしながら真正面の少年を見つめることしかできなくなる。
言葉はないが、ティアがとった否定の行動にアンワールがほっと息をつく。そして。
「では、オレのことが好きか?」
「!」
次に、自分が考えていた問い掛けを逆にしかけられて、ティアは石のように固まった。自分ではできないと、恥ずかしさゆえに却下したもの。
どうして、そんなことを訊くの?
ぱくぱくと口を動かし吐息だけを漏らすしかできないティアに、アンワールは切なげに言葉を重ねてゆく。
「――誰か……一緒になりたいものがいるのか?」
矢継早な三連続の問いに、目を見開いたティアの脳裏に、一瞬光が煌いた。
「あ……アンワール、もしかして……!」
急にそんなことを聞いてくるなんて、どうしてだろうと思うけれど、いまふと脳裏を過ぎったものが正しいならば、納得がいく。
もしかして、もしかして。アンワールは、エエリと交わした話の内容を知っている?
そんな思いが顔にでていたのか、アンワールが眉を下げ、瞳を伏せた。
「すまない、ティアとエエリ様の話を聞いていた」
「!?!?」
ティアは限界まで大きく瞳を見開いた。身体が小刻みに震える。手と足の先から血の気がひいて、そのすべてが頭に集中していくような感覚。
そして、それは爆弾の導火線のように、激しく感情を揺さぶりながら近づいきて、ティアの意識を弾けさせた。
「ティア!」
無意識のうちに逃げ出そうとたティアは、勢い良くアンワールに背を向けて、ドアノブに手をかけた。
しかし、扉をあけようとするものの、ティアを囲うように伸ばされたアンワールの腕が、その声が――「待ってくれ」と、ティアの手に添えられた褐色の手が、それを阻む。
やがて、どうしようもないと悟ったティアは、もう片方の手を胸の前で握り締め、ぎゅうと目を閉じた。
あんまりだ、こんなのはあんまりだ。
じんわりと涙が滲んでくる。
唐突なこの展開に、ようやくみえかけた気持ちが、どこかに飛んでいってしまいそうだ。どきどきと高鳴る胸の鼓動が苦しい。
それを少しでも癒すかのように、ふわりとひどく優しく羽根のような軽やかさで、褐色の腕が回される。ひきよせられるままに、ティアはアンワールの胸に背を預けた。
「サミアドからローアンに向かうお前の後姿を追いかけながら、ずっと考えていた。ティアも、考えていたんだろう?」
ん、とティアは小さく頷いた。その通りだ。ずっと、ずっとアンワールのことだけ考えていた。
ようやく手にしかけていたものが、ちりちりとアンワールの体温と混ざり合ってティアの心に刻まれていく。
そっと髪に触れる柔らかい何か。キスを落とされたと、ティアはすぐに理解した。そして、熱く掠れた吐息と一緒に、静かに言葉が紡がれる。
「オレと、一緒になってほしい」
ぴく、とティアは肩が自然と跳ねる。口の中が、からからに乾いていく。本人から言われたせいか、心臓が軋みをあげるぐらい、ティアの胸がきゅうと締まった。
だけど、それは本当に、アンワールの心からの言葉なのだろうか。
柔らかな肉に爪が食い込むくらいに握り締めた手の白さを、薄く開いた視界にとらえながら、ティアは口を開いた。
「……エエリさんがああいったから、そんなこというの?」
「違う」
アンワールはきっぱりと否定する。その声の響きが、ティアの胸に喜びの波紋を広げていく。
「オレは、ティアの側にずっといたい。ティアにも、オレの側にいて欲しい……ずっと、ずっとだ」
そう願うのはどうしてか。
それをエエリに尋ねにいっていたのだと、アンワールは続ける。そして、自分は答えを得たのだと。
「ティアが好きだから、そう思う」
そっと耳元に落とされた言葉に、ティアはぽろりと涙を零しながら、自分を抱きしめる腕に、震える指先を重ねた。
「願いが叶う方法がそれだけだというのなら、オレは望まずにはいられない」
ティアは、くすんとひとつ鼻をならし、震える声を喉の奥から絞り出す。
「……私も、アンワールが好き。アンワールが、私の一番だよ……」
そう告げた瞬間に、柔らかだった戒めが、力強いものに変わる。痛いほどのそれが、アンワールの不安が昇華された証のように思えて、ティアは喘ぐように小さく声を漏らした。
「オレの一番も、おまえだ。これからも、ずっとそれはかわらない。だから、」
「うん……うん……!」
アンワールの想いが声になるよりはやく、ティアは大きく何度も頷く。
「「ずっと、一緒にいよう」」
ね、とティアが声を転がす。
そんな未来を結び合う神聖な誓いを交わし合い。
ぬくもりだけでなく恋の鼓動を分け合うように、静かに寄り添ったまま、そっと重ねた手を結びなおして。
世界中にこの幸せを伝えるように、二人同時に甘く柔らかな笑みを零した。
ひゅう、とここには吹かぬはずの熱く乾いた砂漠の風が、二人の頭上を吹き抜けていく。
それはこの二人の幸福を願う老神官のもとへと、よき知らせを届けるように南へと駆けていく。
照りつける太陽の下、静寂に眠るような宮殿に、歓喜の声が響くのは――きっと、もうすぐ。