一番一緒にいたいひと 前編

 乾いた風に砂塵が舞うサミアド地方。
 過酷なこの地に住まう民の集落が、陽炎に揺らめく砂丘の向こうにある。
 彼らは大きな古代遺跡の傍らにいくつもの居を構えており、その中央には大きな宮殿が存在する。
 ほんの少し前までは、そこにはこの世を支配せんとする魔女が巣食っていたが、いまは心優しい老神官が管理をするようになっている。
 そして、そんな宮殿の中の一角、魔女たるオオリを退けただけでなく、魔王さえも倒した預言書の主と老神官が、顔を合わせていた。

「じゃあ、これはエエリさんのところにおいていきますね」
 そういってティアは視線を落とす。その先にあるのは、テーブルの上で鈍く輝く、ブランダーバスと呼ばれる銃だ。かつて砂漠を支配していたオオリが、独り占めにするためにシリル遺跡の奥深くに隠したという武器。
 その探索をティアに依頼していたエエリは、小さく頷いた。
「世話をかけてしまったのう。じゃが、これからはこちらで厳重に保管してゆこう。もう姉のような者の手には渡さぬ」
「はい」
 エエリの言葉に、ティアは笑った。そして、銃の傍らにおいてある柔らかな白い布を手にとる。
「ところで――のう、ティアや」
「はい、なんですか?」
 ブランダーバスを布でくるんでいたティアは、手を止めて顔を上げた。
 今日ようやく、エエリのもとへブランダーバスを届けることができたけれど、他になにあっただろうかと首を傾げる。
 深い知識の片鱗をうかがわせる光を宿したエエリの目が、優しく綻ぶ。
 祖母という存在を知らぬティアにとって、エエリはほんとうのおばあちゃんのように心温まる人だ。だから、ティアはつられて淡く微笑んだ。
 エエリが、がっしりとその容姿に見合わぬような力強さで、ティアの手をとり持ち上げる。
 ん? と、首を傾げたティアが不穏な空気を悟るよりはやく、エエリが口を開いた。
「おぬし、アンワールと一緒になる気はないか?」
「え」
 いきなりの言葉をティアが理解する前に、エエリが畳み掛けるように、さらに手に力を込めてくる。
「アンワールは、あの宝砂の大剣に支配されていたせいで、おぬしに剣を向けたこともあったじゃろうが、本来とても心の優しい子なのじゃ」
「は、はぁ」
 エエリの、静かだが口を挟む余地のないその剣幕に、たじたじとしながらティアは目を瞬かせる。
 そういえば、アンワールに自宅前で声をかけられ、みぞおちを殴られ気絶させられた挙句、この砂漠に連れてこられたこともあった。オオリのもとから逃げ出すときに、牢屋の抜け道の先で剣を交えたこともあった。
「戦うことはあの子の本心じゃないんじゃ。どうか、悪く思わんでやってくれ」
「いえ、それはわかってます、けど。えっと……」
 ティアは本当に、そのことは気にしていない。むしろ、今気になるのはさきほどのエエリの言葉だ。
「そうか、そうか。アンワールのことを、理解してくれているのじゃな」
 あからさまにほっとした表情をみせるエエリが、小さく息をつく。そして、次に顔を上げたとき、つぶらな瞳がきらりと輝いたのをティアは確かにみた。
「で、どうじゃ?」
「どうって……」
 何がですか。
 思わずそんなことをいいそうになって、ティアは口を噤んだ。エエリの真剣すぎる表情と、ぎちぎちと握り締めてくる力がそれを許してくれそうに無い。というか、ちょっと痛いし、怖い。
「あの子は将来、いい男になるじゃろうて」
 確かナナイも似たようなことを言っていたような。
 やっぱり、おばあちゃんと孫なんだなぁ、とティアはぼんやり考える。
「あまり口数は多くはない子じゃが、ティアとはよく語り合っているとも聞いておるぞ」
「えと、それは、まあ……そうですけど」
 確かに、ローアンの街の人たちに比べたら、ティアはアンワールとよく喋るほうだろう。
 だからといって、それが一体何なのか。
「姉が捨てられていたアンワールを拾ってきて以来、ワシはあの子の面倒をあれこれみてきた。その成長を、見守ってきた」
 あのオオリがまともに子供を育てられるとはとても思えないので、エエリの言葉に納得したティアは小さく頷く。
「だからの、あの子には幸せなってもらいたい。ワシは本当の孫のように、あの子のことを想っているんじゃ」
「はい」
 エエリのしみじみとした口調につられるように、ティアは神妙な面持ちで頷いた。その言葉に嘘偽りなどひとかけらだってないのは、すぐにわかることだからだ。
「そして、おまえさんのことも、同じように想っておる」
「エエリさん……」
 ふ、とエエリの手の力が緩み、強張っていたティアの手をそっと撫でた。
「だからの、ティアや。アンワールと一緒になっておくれ」
「えーっと」
 結局そこに行き着くらしいが、その真意を読みかねてティアが目線を泳がせると、エエリが笑った。
「つまりはな、アンワールと結婚せぬか、ということじゃ」
 ぴた、とティアは動きを止めた。

 けっこん……ケッコン? ああ、「結婚」かぁ――

 数段階を経て、脳にようやくその単語が馴染み、意味を理解するに至った瞬間、ティアは一息で頭に血を昇らせた。
「ぅ、え、えええええ!?」
 真っ赤な顔で、おろおろと視線を彷徨わせるティアの背に、汗が噴出す。
「えっと、そんな、私なんて、その、まだそんな……早いです、結婚だなんて……!」
 早口でまくし立ててみるものの、エエリはただ笑うだけだ。
「そうなのか? 砂漠の民であるならば、ティアの年頃にはすでに婚姻関係を結んでいてもおかしくないのじゃが」
 ヒョホホホ、とエエリが声をあげる。
「ワシがおまえさんくらいの歳には、もう夫がいたのじゃがなぁ。時代かのう」
「す、すごいんですね、エエリさん……」
 思ってもみなかったエエリの過去に、ティアは目を丸くした。
 固まった視線の先で、エエリが笑う。それは、歳経たもののみがもつ、なにもかもを見通す深さがある。
「じゃが、おぬしは、アンワールのこと嫌ってはおらぬじゃろう? 違うかの?」
 エエリに顔を覗き込まれ、ティアは思わずうつむいた。はく、と唇を一度大きく動かす。
 何も言葉がでてこない。
 だって、わからない。実のところ、砂嵐の向こうに眠るオアシスのような煌きが、自分の胸のうちにあることはわかっているけれど、それが一体何のか、まだ掴みきれていないのだ。
 穏やかに微笑んだエエリが、悩みに沈み身動きが取れなくなったティアの手を撫でる。
「ワシには、お前さんがたはこの上なくお似合いにみえるぞ。まあ、よく考えてみておくれ。あの子は、ほんとうにいい子じゃて」
「……はい」
 ティアは真っ赤になった顔を、かくんと小さく縦に振った。

 

 どこか夢心地のようにふらふらとした足取りで去っていくティアを見送った後。
 エエリはじっと、ティアがやってくる直前まで話をしていた少年が、息を潜めているとある柱の影を見つめた。
 ティアとは違う用向きでサミアドに戻ってきていたアンワールだ。
 それは、心を取り戻した少年の、自覚していない恋の相談だった。冷静にみえる幼さの残った顔の下、自分の心を持て余した少年の姿を思い出し、エエリは微笑んだ。
「さて、おぬしはどうするんじゃ? ティアはあのとおり可愛らしい子じゃからのう。ぼんやりしていると、すぐに誰かに持っていかれてしまうぞ」
 柱の向こうで、空気が僅かに動く。
 姿は見えずとも、想像することはたやすい。きっと、困ったように戸惑うように。その金色の瞳を揺らめかせているのだろう。
「なに、受け流すでもなく、茶化すわけでもなく、断るでもなく――あんな風に悩むということは、すなわち希望があるということじゃて」
 こつこつと、杖の先で床を打ち鳴らす。
「ちょっとばかり、頑張ってみたらどうじゃ?」
 結局、これがエエリからの恋に戸惑う少年への最大限の助言。
 そのための布石は、いままさに打った。あとはアンワールの頑張り次第でどうとでもなるだろう。
 考えるような数瞬の後。
 すい、と影が動いていくのを気配で感じ、エエリは口元を緩めた。それは、すぐに出口方面へと消えていく。
 それをティアと同じように見送って、エエリは満足げに息を吐き出した。

 ああ、若者たちをたきつけることの、なんと楽しいことか!

 自分もあんな初々しい頃があっただろうかと考えながら、鼻歌でも奏でたい気分になりつつ、エエリはブランダーバスを抱える。
 そして、砂漠の大神官はゆっくりと宮殿の奥へと歩いていった。