乾いた夏の風吹き抜ける、午後の気だるい空気に満ちた路地裏に、目標を確認。
白い雲が眩しい青空の下、長い髪を揺らしてどこか遠くをみるその横顔をじっとみつめれば、自然と頬が熱くなっていく。陽だまりではない、建物の影から様子を伺っているのにどうしたことか。それに走ったわけでもないのに、心臓が勝手に煩くなっていく。
なぜこうなるのか、わからない。自分はもしかしたら変な病気なのかもしれない。
いやいや、それでは困る!
そんな考えを吹き飛ばすように、ティアはぷるぷると頭を振った。このままではいけない。
今日こそは、今日こそは! これが何かを確かめるんだから!
そんなことを強く思いながら、身を隠していた家の影から、ティアはぱっと飛び出した。だーっと、整えられた石畳を踏みしめながら、目標へと駆け寄っていく。
その勢いに気付かれぬはずもなく、目標は長い紫の髪をなびかせ振り向いた。つりあがった金色の瞳が、ティアをうつしだす。
ほんの一瞬の後、砂漠の凍える夜空を思わせるほどに冷たかった表情が、夜明けを迎えたように柔らかな色を帯びていく。
「ティア」
ふわりとした微笑を向けられたうえ名前を呼ばれ、ティアの足がその場に縫い付けられる。たったそれだけで、動けなく、なる。
「どうした、ティア?」
ティアの様子に不信感を覚えたのか、首を傾げながらアンワールが近寄ってきて、ひょいと顔を覗き込んでくる。
「っ!」
その近さに、ティアは頬を引きつらせ、びくっと肩を跳ねさせた。
二人の視線が絡む。手のひらに噴出した汗が、じっとりとしていて気持ち悪い。ここへ来る前に家で水を飲んだはずなのに、やけに喉が渇く。激しく血がめぐるたびに、頭が真っ白になっていく。何も考えられなくなっていく。
そして、とうとうティアの思考は沸騰した。頭のてっぺんから蒸気が噴出しているのではなかろうかと考えてしまうほどに、全身が火照っていく。
ああ本当に――自分はどうしてしまったんだろう?
これまで経験したことのない、原因不明の現象に襲われたティアは俯き、胸の前で震える細い指を祈るように組み合わせた。
「こ、こここここ、こんにちは、あ、あ、アンワール……、あ、あの、そのっ……」
とりあえず、どもりながらもなんとか挨拶をしてみるもの、その後が続かない。
ぱくぱくと、喘ぐ魚のように口を動かし。それでも何もいえなかったティアは、胸が苦しくてどうしようもなくなって、きゅっと唇を引き結んだ。アンワールの顔さえも、まともにみられないなんて。
「~~~っ、じゃ、じゃあ、またね!」
叫ぶようにそういって、駆け寄ったときよりなお力強くつま先で地面を蹴ったティアは、左側にある占い横丁への近道を飛び降りた。
流れる景色の中、何が起きたのかわからずにきょとんとしているアンワールが、ちらりと視界の端を掠めた。
ティアは小さな両手を握り締める。
ああもう私、なにやってるんだろー!?
落下の浮遊感に包まれながら、ティアはなんだか頭を抱えて泣きたい気分に陥っていた。
そんなことがあったのが、小一時間ほど前のこと。
そして現在、ティアは占い横丁の川辺で、目に滲む僅かな涙を拭っていた。膝を抱えたまま、光を遊ばせて輝く水面をぼんやりと眺める。
自分が何をしたいのかわからない。どうしてこんな状態になるのかも、全然わからない。
やっぱり、病気かなにかだろうか。レクスやデュランを前にしても、こうならないのも気になる。どうして、アンワール限定なのだろう。
今日はそれを確かめるためにも、頑張ろうと決めていたというのに。それを見極める前に逃げ出してしまうなんて。
そっと服の上から、胸元を押さえる。アンワールの姿が、ほんの少し脳裏を過ぎっただけなのに、胸の奥がきゅうと鳴って痛くなる。
これは、きっと心臓の病気だ。新たな世界をつくるべく頑張っているのというのに、あんまりだ。
私の病のコードって外せるのかなぁ……。
ファナのときと同じことはできるだろうか。そんなことを考えながら、ティアはゆるゆると俯いて小さく息を零した。ぐす、と鼻を鳴らし、再び落ちかけた眦の涙を拭ったところで。
「ええっと……なにしているのかしら? ティア」
おずおずとした呼びかけに、ティアは勢いよく顔をあげた。声のした方向である背後へと、頭をめぐらせる。
赤い髪を靡かせ、深い色合いの外套を羽織り、すらりと経つその人影に、安堵感がこみあげる。ティアは、くしゃりと顔をゆがめた。
「うわぁぁん、ナナイー!」
「……本当になにやってるの、あなた」
いきなり泣き出したティアに、呆れ半分心配半分の顔をしたナナイが近寄ってきてしゃがみこんだ。
近くなった視線のせいか、友人の優しい声のせいか。ティアの感情がぽろぽろと零れていく。
「う、ううっ、だってぇ。だってぇぇぇ!」
意味をなさない言葉を口にし続けると、ため息をつきながらナナイがそっと頭を撫でてくる。そのぬくもりに誘われるように、ティアはナナイに抱きついた。
ふう、と肩から力を抜いたナナイが、あやすようにティアの背を叩いた。
「まったくもう、しょうがないわね。ちょっと待ってなさい」
これがカレイラの英雄なんてねぇ、と、くすくす笑いながらナナイが立ち上がろうとするので、ティアは一度腕を離して一緒に立ち上がる。そして、すぐさまそのくびれた腰へと張り付いた。その甘え縋るような仕草に、ナナイは口元に柔らかな弧を描く。
ぴったりとくっついたままでも術を使うことに問題ないらしく、ナナイが魔物よけの結界を張りなおしていく。彼女の日課となっているこの行為は、さすがに手馴れたものだった。
鮮やかに魔力を編み上げ、術を成した後、ナナイはティアの肩を抱いた。
「これでよし、と。さ、ちょっといらっしゃい。お姉さんがお話きいてあげるから」
「……うん」
そのまま、ずるずるとひきずられるようにして、ティアはナナイの家へと連れこまれた。
紅茶に独自のブレンドを加えているという魔女のお茶が、ティアがよく使わせてもらうカップに淹れられ、目の前に置かれる。そこから立ち上る芳しい湯気が、鼻腔をくすぐる。その甘さに、ティアはほっと息をついた。
「で、本当にどうしたの? 何かあったの?」
自分の分をテーブルにおいて、定位置に座ったナナイの問い掛けに、ティアはぐっと膝の上で拳を握った。
「わ、私もうすぐ死んじゃうかもしれない……!」
「はぁ?」
あからさまに、何を言っているのかわからないという顔をしたナナイが、綺麗に整えられた爪のついた指で、頬にかかった赤髪を払う。
「どうしてそう思うの?」
「だって、すごく胸が苦しくて、痛くて……どうしようもなくなっちゃうの。身体は火照るし、何も考えられなくなっちゃうし……私、きっともうすぐ死んじゃうんだ……!」
わぁっとティアが顔を覆うと、ナナイの少しだけ真剣になった声が響く。
「ティア、とりあえず落ち着いて」
そう諭すように言い聞かされて、ティアはしゃくりあげる喉をなんとか抑え込む。
「これでも、商売柄もあって薬とかには詳しいの。何か力になれるかもしれないわ。とりあえず具体的に、どういったときにどんな症状がでるのか、もう一度教えてくれる?」
手近においてあったメモとペンを引き寄せて、安心させるように微笑んでくれるナナイを頼もしく思いながら、ティアは口元に丸めた手をあてて、わずかに俯いて記憶を手繰る。
どきどきして、痛いほど胸が締め付けられること。
頭が真っ白になって、まるで雲の上でも歩いているように足元がおぼつかなくなること。
顔が上げられないくらいに、耳まで熱くなってしまうこと。
ため息が勝手に零れて、視界が潤んでしまうこともあること。
そう伝えながら、考える。
そうなっていたのはいつの頃からだろう。どんなときに、最もひどい症状に陥るだろう。
「――ええっと、それでね、そうなるのはアンワールの前にいるときが一番ひどいみたいなの」
ついこの前まで、こんなことなかったのに。
まざまざと思い出してしまったせいか、また心拍数のあがっていく心臓に不安がぶり返す。くすんと、鼻をすすり上げながらティアがそう訴えると。
メモをとる手をぴたりと止めて、ナナイは怪訝な表情で顔をあげた。
「……えっと、なんですって?」
「んと、だからね、アンワールとお話しようとするとね、こう……さっき言ったみたいになっちゃって……」
しゅん、とティアは項垂れた。
「お話たくさんしたいのに、できないくらいひどくて困ってるの……」
二人の間に沈黙が落ちる。切れ長の瞳を瞬かせ、ゆるゆると俯いたナナイが、口元に指先を添える。その下からくつくつと零される極力抑えこんだその声に、ティアは不思議そうに頭を傾けた。
今の会話の、どこに笑うところがあったのだろう。わからなくて眉を顰めたティアに、ナナイが「なんでもないわ」と、ひらひら手を振ってくる。そして。
「さて、今の話をきく限りじゃ……ずいぶんと重症ね、ティア」
言葉とは裏腹に、その顔をニヤリという表現がぴったりな笑顔で覆いながら、ナナイが言う。が、そんな彼女の表情よりも、自分が病気と思い込んでいるティアにとっては「重症」という単語のほうが問題だった。
「やっぱり!?」
「ええ、申し訳ないけれど私には無理ね。しかも、お医者様でも治せないわよ。ティアが自分でなんとかしないと。私にできることといったら、せいぜい助言をすることくらいかしら」
「ど、どうしたらいいの!?」
ティアは藁にも縋る思いで、落ち着いてカップに口をつけているナナイへと、机越しに詰め寄った。
「簡単よ」
かちゃりと陶器の触れ合う音をたてさせながら、ふっと妖艶に微笑むナナイの赤い唇が、ひどく楽しそうに歪む。
「あなた、アンワールに好きっていってきなさい」
ぴた、とティアは動きをとめた。
なんだか、とんでもないことをいわれたような。
えっと……と呟きつつ、ナナイの台詞を噛み砕いて咀嚼して、意識になんとか飲み込ませる。それでもって、理解しようと試みる。
は? え? アンワールに好きって、好きって……好きって……ぇぇぇぇええ!?
「なっ……なに、言って……! そ、そんな、こと……! わ、私の病気と何の関係が……!」
派手な音を立てて椅子から立ち上がり、机の上に手をついて真っ赤な顔を晒しながら、しどろもどろに言い募ると、とうとうナナイが噴出し盛大に笑い出した。
今にも泣きだしそうな少女と、慎みなど放り出して大口をあけて笑う妙齢の女性という光景はなんとも奇妙であるが、まわりに満ちる空気はひどく柔らかい。
ひーひーとお腹を押さえ、眦に浮かんだ涙を拭いながら、ナナイがいう。
「つ、つまりね、ティア。あなた、いわゆる『恋の病』にかかってるのよ。話を聞く限りじゃ、そのお相手はアンワールね」
ひくっとティアは喉を震わせて、ナナイを凝視した。
恋の病――それは本で読んだり、年頃の女の子たちの間でよく噂されていることだから、ティアだって知っている。だが、それはもっと甘いものではないのだろうか。こんな、締め付けられるような痛みを伴うものだなんて、きいていない!
声も漏らせず、ただおろおろと視線をさ迷わせると、ナナイがすっと腕を上げた。
「本当に気付いていないの? あなたの心は、いつでもそこにあるのに? ちゃあんと、訴えかけてくれているのに?」
長い指先で胸元を指し示されて、ティアは思わず自分の身体を抱きしめた。
とくとくと、耳元で心臓の音がする。それはまるで、「好き」という言葉を高らかに歌い上げているようで、さらに顔が熱くなる。もう、息をするのさえままならない。ぎゅうと、ティアは瞳を閉じる。意識よりも先に、身体が恋を知っていたという事実に、背筋がむずがゆい。
彼とすごした時間という思い出が光となり雨となり。ティアの恋心という芽を育てていた。それはやがて蕾をつけて、今や大きく花開き色鮮やかな色を誇りながら、たった一人に向かって揺れている。ナナイですらすぐ気付いたのに、どうしてわからなかったのだろう。その花はこんなにも、自分の足元で綺麗に綻んでいたというのに。
ああ、私、アンワールのこと、好きなんだ――
そんな想いが、心の奥底からぷかりと浮かび上がって、太陽のようにすべてを照らす。
だからといって、この症状を癒す方法はわからない。
「あ、あの、じゃあ、私どうしたらいいの……?」
かろうじてそんなことをか細く問えば、ナナイが大きく頷いた。
「だからさっきもいったでしょ。真正面から好きだっていえばいいのよ。そうしたらすっきりするじゃない」
すっきりするとかそういう問題じゃない。
「で、で、できないよ~、そんなこと!」
確かな解決策ではあるのだろうけれど、あまりにも直球過ぎるその処方箋に、ティアは半泣きになって眉を下げた。
そんな様子を、相変わらずにやにやと眺めながら、ナナイは机にひじを突き手のひらに頬をのせた。
「あら、でもそれじゃあいつまでたってもティアのその『病気』は治らないわよ」
「うぅっ」
それはそれでごもっともだ。
しばらく口の中でもごもごと言葉にならない音を転がした後、ティアはゆっくり俯いて、ぽそぽそと呟く。
「ちょっと……考えてみるね」
「んもう、じれったいわねぇ、さっさとくっついちゃえばいいのに」
他人の色恋沙汰に目を輝かせて、少女のように微笑むナナイの言葉は、今は聞こえなかったことにして。
ティアはふらふらと椅子に座り込み、冷めかけたお茶をゆっくりと口にした。
じゃあ、頑張ってね――そんなナナイからの応援の言葉が、心の中で木霊する。
それが響いて消えた頃、ティアは閉じていた瞳を開いて、顔をあげた。
大丈夫、大丈夫……。
そっと胸に手を置いて、深呼吸をひとつふたつ。
自覚してしまったせいか、今日は落ち着いている。逃げ出したくなる気持ちは相変わらずあるが、それよりも好きな人と同じ場所にいることに幸せを感じる。
まあ、アンワールのいるところまでは、まだ随分と距離があるわけだが。
じっと昨日と同じ場所で息を潜め、ティアは昨晩考えたことを思い出す。
さらさらと風に流れる髪が好き。
遠くをみつめる澄んだその瞳が好き。
そばにいるときの、静かな雰囲気が好き。
ちゃんとお話をきいてくれるところが好き。
そして、柔らかくほどけてゆくその笑顔が――大好き。
まだまだ、声とか仕草とか、純粋なところとか……好きなところは、たくさんある。
昨日家に帰ってから、なんとなく書き出しはじめてみて、あまりの好きさ加減にいたたまれなくなり、照れて机の上に突っ伏したところをレンポに呆れられたくらいだ。
だが、わかってしまえば、それは自信になった。彼の心はわかりかねるけれど、自分の想いは確かなものだったから。
じゃあ、あとはどうするか。
脳裏に、ナナイからだされた処方箋が蘇る。
これしかないとわかっていても、たった二文字を伝えることの、なんて難しいことだろう。
世の恋人たちは、全員がこの試練を乗り越えていると思えば、誰彼構わず「すごいですね!」と褒め称えたくなる。
ああ、どうしよう。でも、今日でなくてもいいよね――そんなことを考えて、小さく切ないため息をついたとき。
「どうした、ティア」
「ひあぁあああ?!」
真正面からかけられた声に、ティアは文字通り跳びあがった。
ざっと後ろに退いて、顔をあげれば。いつもどおり、なんら変わりのないアンワールが立っていた。
一体、いつの間に。
そんなことを考える間に、アンワールの眉間に皺ができていく。失礼な対応をしてしまったことに、不愉快な思いをさせたのかな、とティアが内心焦っていると。
「顔が赤い。陽射しにあてられたんじゃないのか?」
違います。
なんとも的外れな言葉に、かくりとティアは肩を落とした。
「ううん。そういうんじゃないから、大丈夫だよ……ありがと」
でも心配してもらえれば、やはり恋する女の子としては嬉しいわけで。へらりと緩む頬のままに微笑む。
アンワールが、小さく息をついて「そうか」といってくれたので、ティアは頷いてはにかんだ。
「それよりも……待っていた、ティア」
「え?」
唐突にそんなことをいわれて、ティアは勢いよく顔をあげた。ぱち、と音がしたようにアンワールと目が合う。するりと視線が絡んで、また頬が熱くなる。
「ナナイに言われた。ティアが、オレに話があるらしいから、ちゃんとここで待っていろと。一体何の話なんだ?」
「!」
魔女の用意周到ぶりに、ティアは頬を引きつらせた。手回しが良すぎる。
だが、これでちょうどよかったのかもしれない。お膳立てされていることに、今は甘えてもいいような気がした。
覚悟を決めたティアは、きゅっと唇を一度引き結んだあと、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「うん、そうなんだけど、あの……その、驚かないで、聞いてほしいの」
「ああ」
こく、と頷いたアンワールは、これからのことを欠片も想像していないような穏やかさで、ティアを見つめてくる。
睫をせわしなく羽ばたかせ、ティアは胸の上に改めて手を添えた。
「き、昨日ね、その、わかったの」
「なにがだ?」
当然の問い掛けに、ティアはすうと息を吸い込んだ。
「私、アンワールことが好き」
ようやく言葉にできた音たちは、二人の間で響き、ふいに訪れた風に攫われ消えていく。
お返事は、いまはじゃなくてかまわないから――そう続けようとしたところで、アンワールが大きく頷いた。
「そうか……ありがとう、ティア」
アンワールがあどけなさを滲ませてひどく嬉しそうに微笑むから、ティアは言葉に詰まった。
受け入れられたのかどうなのか、はっきりとわからず、瞬きも忘れて固まっていると。ゆっくりとアンワールの腕が伸びてくるのが見えた。ぼんやりとその動きを眺めていれば、力強く引き寄せられ抱きしめられる。その拍子に、身体はもとより心が大きな悲鳴をあげた。
「!?!!」
いままでよりもずっと近い場所に、恋しい人がいるという状況に、ティアは大きく目を見開く。わたわたと、手の置き所がわからずにばたつかせていると。
「不思議だ。どうして、オレの伝えてみたいと思っていた言葉を、ティアは知っている?」
ひどく優しく向けられる言葉と、アンワールのぬくもりに、ゆっくりと強張った身体から力が抜けていく。まただ。意識よりもはやく、身体が反応する。こちらのほうが、ティアにはよほど不思議なことに思えた。
落ちていこうとする手だけは懸命にもちあげて、ティアはアンワールの上着をそっと掴む。震えているのが、自分でもよくわかった。
アンワールの言葉を反芻し、そこにこめられた意味をじわじわと理解し、くらくらと眩暈を起こしかけた頃。
頬に柔らかな感触が触れる。それがアンワールの頬と知って、ティアはくすぐったくて声をあげた。
アンワールがもっと近くに、とでもいうように腕に力をこめてくる。
は、とティアは喘ぐように息をついた。
なんだか、周りのすべてが遠ざかっていくような感覚がする。ここが路地裏だというのも忘れてしまいそうだ。
だけれど。
好きだ、とその言葉しか知らないように繰り返すアンワールの声だけは、よく耳に届いた。
ナナイのうそつき。
脳裏に艶やかに微笑む年上の友人を思い浮かべ、ティアは可愛らしく悪態をついた。
告白して両思いになれれば、治るっていってたのに。
今、全身を苛む片思いだったときとはもっと違うドキドキに、ティアは夕陽に照らされたような顔をして、恋するものだけが落とす息をつく。
私のどこが好き? とかいろいろと聞いてみたいところだけれど、そんな会話は後回しでいい。
今はこうしていることですべてが満たされる。満たされていく。
好き、と精一杯の気持ちを込めて幾度も呟きながら――アンワールの首元、そのマフラーへとティアは鼻先を埋めた。
そこからは遠い砂漠の、風の匂いがした。