まじないとおまじない

「えっと、ごめんなさい。もう一度言ってくれる?」
「だからね、おまじない教えて欲しいの」
「……」
 聞き間違いではなかったらしい。
 ぐっと目に力をこめてそういったティアに、ナナイは「んー……」と呟きながら、頭をかいた。ふわりと、赤い髪が揺れる。
 どうにも、ティアの意図がわかりかねる。
 沈黙に、ティアが不安を覚え始めたのか、眉が八の字を描くように下がっていく。
 あら、かわいい。
 そんな表情に対して素直な感想を心の中で漏らしつつ。ナナイは艶やかな唇を動かした。
「一応、聞くわね。どんなまじないを教えて欲しいの?」
 魔女と呼ばれ、それに相応しい魔術をあのオオリから教わったナナイに、できぬまじないなどないに等しい。だが、ティアがそんなことを言い出すとは本当に意外だった。
 そんなものに頼らずとも、ティアならばたいていのことは努力で成し遂げてしまうだろう。預言書もあることだし。
 ナナイの言葉に、胸の前で手を組んだティアがじっと大きな瞳を向けてくる。懸命な視線に、なんだか背筋がくすぐったくなった。
 さて、どんなことをいってくるのだろう。
 意中の相手を己の意のままに操って侍らせるのか。否、すでに恋人がいるからそれはないか。
 ならば、どこぞの金持ちを洗脳して金品でも貢がせるのか。否、なんだかんだとあのがめつい双子とさえも仲のよいティアは、そんなこと考えもしないだろう。
 では、ティアを反逆者扱いした者たちへの報復か。否、助けには手を差し伸べずにはいられない性分のこの少女が、そんなこと企てるはずもない。
 では、一体なんのためか。
 どこかわくわくと期待しながら、ナナイはティアの言葉を待った。
 そして、頬を淡い紅に染めて、恥ずかしそうに微笑んだティアは言う。

「えっと、あのね、アンワールが幸せでありますようにって」

 僅かな沈黙のあと。
「――へ?」
 ナナイはいつもの年上の余裕なぞどこかに放り出して、間の抜けた声をあげた。
 その様子をみたティアが、あせったようにさらに頬を赤らめながら一歩前にでる。
「あ、えっと、大雑把すぎてだめなのかな? じゃあね、アンワールにいいことがありますようにっていうのは……」
 それでも十分大雑把である。
 あまりに予想外の展開に、ナナイはこめかみに指先を当てて呟く。
「ええっと、ティア、まじないじゃないの……?」
「えっと、だから、おまじない……」
「「……」」
 二人の緑と茶の視線が絡み合う。
 再びの沈黙に、ティアがおろおろと俯いた。さらりと頬に零れる髪をみながら、ナナイは考える。
 どうも両者の認識に齟齬があるようだ、と。
 ナナイのいうのは、まじない――すなわち、相手を意のままに操り、呪いさえ成す、忌み嫌われる魔女の術だ。
 対するティアがいっているのは、おまじない――年頃の少女が恋の成就を願う類の、可愛らしいもののようだ。とはいえ、こめられる想いによっては、ただではすまないのだが。
 ふむ、と。ナナイは顎に細く綺麗な指を添えた。
 最初は「まじないを教えて欲しい」という言葉に驚いたが、こちらが思わず想像したものとはまったく真逆のお願いであったようだ。
 でもまあ、そういうわけなら。
「なるほど。恋人が幸せになれるように、『おまじない』を教えて欲しいというわけね」
「うんっ」
「そうねー、ティアの頼みだもの、教えてあげてもいいわよ」
 ぱっとティアが顔を輝かせる。嬉しそうなその表情に、思わずナナイは微笑んだ。
 しかも相手があのアンワールとなれば、ナナイに断る理由などない。ただ問題がひとつある。
「ほんとっ?!」
 やった、と両手を挙げて喜ぶティアに、ナナイは心の内で謝った。
 なぜなら。
 都の魔女と名高いナナイではあるが――そういった「おまじない」と呼ばれるものは知らないのである。
 大体、考えてもみてほしい。砂漠の魔女の修行で、どこをどうやったらそんな他人の幸せを願う術が学べるというのか。

 まあ、願う気持ちが満たされれば、それでいいのよね。

 世間一般でいわれる「おまじない」というのは、ナナイにしてみれば気休めである。自分はこうしたのだから、大丈夫という自己暗示のようなもの。
 しかし、それが功を奏することがある。「おまじない」という行動をすることで、安心感から実力を十分に発揮したり、それ以上のことができたりする。結局は気の持ちようというやつだ。
 だが、ナナイはそんな考えは微塵もみせず、にっこりと笑った。純粋な少女の願いを打ち砕いてもつまらない。頼ってきてくれているのに、すげなく断ることもしたくない。それに――楽しいではないか。
 だますつもりなどないが、きっとティアは自分のいったことを素直にきくに違いないのだから。
「じゃあ、よくきいて、ちゃんと実行してね」
「うん!」
 きらきらと瞳を輝かせるティアを前にして、ナナイは自分の知識にある本当の「まじない」の中からそれらしいところを拾い上げ、それっぽく「おまじない」として組み立てつつ。
 にやり、と心の中で笑った。

 

 

 まだ夜も明けきらぬローアンの街を、大きな剣を背負った褐色の肌の少年が歩いていく。
 空はゆっくりと白み、瞬きひとつするたびにその表情を変えていく。その下で眠りにまどろむ街は静かだ。
 砂漠の目覚めのひと時とはまた違う、世界が目覚め始めるこの早い時間、向かうのはすでに足が覚えてしまったとある場所。
 大勢の人間が住むこの街の入り口近く。周囲にはあまり家もない。
 古い木造りの扉を叩くことなく、ぐるりと家を迂回して東側へ。そのまま、手近な木へと飛び上がる。

 ――明日、夜が明ける頃にティアの家を東側からみてみなさい。みつかっちゃだめよ、じっと静かにしてなさい。声もかけちゃだめ。いいわね?

 昨夜、いきなり現れたナナイの言葉を思い返す。
 やたらと上機嫌で、それだけいうとさっさと姿を消してしまった。何か問う暇もなかった。不審に思うが、ティアのこととなれば話は別だ。
 大切な恋人に何かあるのかと考えて、アンワールはじっといわれたとおりに息を潜めてそのときを待つ。
 この場所ならば、何事かあってもすぐに駆けつけることができる。
 そうして、わずかに時間がながれ。
 ひんやりとした朝の風に、腰掛けた木の梢がさざめく。
「!」
 小さな蝶番が軋む音とともに窓が開いていく。思わずアンワールは身体を硬くした。みつかってはいけない、というナナイの言葉が耳の奥で木霊する。
 気配を殺し、家の中でなにやらしているティアをみつめる。思ったよりも明るい空にあせっているのか、せわしなく動き回るティアの髪は寝癖がついてあちらこちらで小さく跳ねている。
「えーっと……まず、月の光にあてた水をかける……」
 身だしなみに気をまわす余裕がないらしいティアは、ひとつひとつなにかを思い出すようにしながら東の窓辺で手を動かす。
 それをの木の上から見下ろしながら、アンワールは首をかしげた。
 これを、ナナイはみせたかったのだろうか。朝に何をしているのか、という疑問はあるがさしておかしいこともない。
 そんなことを考えている合間にも、ティアは手早く作業をすすめる。
 小さな黒い布の上、水に清められて輝く紫色の小さな石がひとつ置かれる。
 そして、祈るようにティアが細い指を組み合わせる。わずかに俯いた頬を、栗色の髪が覆った。
 さあっと、昇る太陽の光が窓に差し込む。ティアを、照らす。
 金色を零れ落ちさせながら、柔らかな唇が開いて綺麗な声が紡がれる。

「大好きなアンワールが、幸せでありますように」

 アンワールは息を詰まらせ、身体を震わせた。
 今、ティアはなんといった?
 一瞬前の言葉を反芻するよりはやく、ティアがもう一度同じ言葉を繰り返す。そして、もう一度――もう一度。
 繰り返すたびに、言葉は神聖な響きを帯びていく。朝の光を浴び、清らかな風に髪をそよがせ願うその姿を、それ以外見ることを忘れてしまったかのように、アンワールはみつめ続けた。
 やがて、ティアは目を開ける。
 ひとつ息をついて微笑むと、小さな石をそっと手で恭しく包んでしまう。
 そのすべてを静かに見守ったアンワールは、窓が閉じられたのを確認し、そっと木の上から姿を消した。
 ティアの家の前を通るような気分になれなくて、道場方向へと歩き出す。やがて、朝の光を背負って歩いてくる人影に、足を止めた。
「あら、アンワール。どうだった?」
「ナナイ」
 にこーっといつもの魔女の表情など微塵も思わせない満面の笑みで、ナナイが笑いかけてくる。
「どうしてここにいる」
「街に張った結界の補修よ」
 こんな朝早くに? もう魔物の脅威もほとんどないというのに? 思わずそういいかけるが、アンワールは口を噤んだ。どうせいったところで誤魔化されるに違いないのだから。
 対するナナイは、髪をかきあげひどく楽しそうな声でいう。
「その様子だと、ずいぶんいいことあったみたいね?」
「……ああ」
 ふっと、アンワールの唇が勝手に綻ぶ。
 己の幸せを願ってくれていた、ティアの姿を思い出す。真剣に、祈るようなあの姿は美しくて。あの言葉は嬉しくて。あの存在すべてが愛おしくて。
 心のままに微笑んだアンワールその表情に、ナナイが大きく目を見開いて――くしゃり、と顔全体で笑みを刻んだ。
「そう。じゃあ、ちゃんとティアにいってあげてね。きっと喜ぶから」
「ああ」
 砂利を踏みしめながら、ナナイは去っていく。
「あ、でもみてたことはいっちゃだめよ? 『おまじない』は、本当は誰にも知られちゃいけないものらしいから、ね」
 ひらひらと、肩越しに蝶が舞うように手をひらめかせながらそういうナナイに大きく頷いて。
 アンワールは、ざわざわと人の喧騒が生まれ始めたローアンの街へと姿を消した。

 

 

 うす暗い青に沈んでいた朝とは違う、まさしく空色をした天の下、いつもの裏通りのいつもの場所で、ティアを待つ。
 今日も、きっとティアはやってくる。
 今か今かとはやる気持ちを表には出さず、吹く風に目を閉じた。
 遠くから、小さな駆け足の音がした。
「アンワール!」
 目を開いて、顔をむける。満面の笑みのティアが、手を振って近づいてくる。手に提げた小さな紙袋は、前にアンワールがおいしいといった菓子屋のもの。一緒に食べるつもりで、買ってきたのだろうか。
「ティア」
 ふわりと微笑んで出迎えると、一瞬で笑みを消したティアが、ぱっと頬を赤らめた。
「え、えっと……?」
 せわしなく目を瞬かせて、ティアがぎこちなく再度微笑む。
「ど、どうかしたの、アンワール?」
「なにがだ?」
「う……んー……、なんていう、か。いつもより、ずっと……」
 愛しむ気持ちが顔にでていたのか。照れた様子で言葉を濁し、もじもじとしているティアに、アンワールは笑みを深くした。
「ティアが、きてくれた。だから――幸せだと、思っているだけだ」
 ナナイの助言どおり、喜んで欲しいと思いながらそう自分の心を素直に言葉にして、届ければ。
「……!」
 ぱあっとティアの顔が輝いた。
「そっか、そっかぁ……! アンワール、今幸せなんだね!」
 はにかみ、微笑むティアに愛しさが募る。自分の「おまじない」が、さっそく効果を発揮した、とでも思っているのだろうか。
 ティアが自分を想ってくれること。
 自分がティアを想えること。
 ティアがいてくれるなら、笑ってくれるなら、いつだってこんなにも自分は幸せだ。「おまじない」などに頼らずとも、ティア自身がそれをもたらしてくれているというのに。
 心からそう思うから、アンワールは言う。
「お前が、オレの幸せそのものだ。ティア」
「っ!」
「ずっと、そばにいてくれ」
 今朝、真摯な祈りを捧げる間、ずっと組み合わされていた指を絡めとり、アンワールはティアへと囁く。
 もちろん、その願いにティアが首を振ることがあるわけもなく。わずかな沈黙のあと、こくんと小さく頷いてくれる。
 そして、ナナイのおまじないってすごく効くんだ……、と熱に浮かされたように頬を染めてぼんやり呟くティアが、あまりにもかわいかったから。
 アンワールは笑って、そっと華奢な身体を引き寄せて抱きしめた。
 応えるように、きゅ、と上着を掴むわずかな力。抱きしめかえしてくれる腕の細さに、愛しさを募らせながら、アンワールはそっとティアの額へ口付けた。

 その後、絶大な効果を発揮するとして、ナナイ即興の「おまじない」はローアンの街の少女たちの間で人気を博し――これ以降、街の少女から少女へとひそかに伝えられていくのであった。