どこだ!
どこだどこだ、どこにいった!?!
酔いも覚めるようなあまりもひどい展開に、顔を青褪めさせてアルヴィンはイル・ファンの街をひた走る。
まったくもって情け容赦のないジュードの獅子戦吼をまともにくらい、身体のあちこちが痛いけれど、それを気にする余裕もない。
というか、すっかり研究者になっているはずなのに、昔より威力があったような気がしたが、どういうことだ。
ジュードがル・ロンドの魔人に近づいているような予感がして、空恐ろしくなったアルヴィンは、エリーゼのことがなにより気になることもあって、ひとまずそのことを考えるのはやめることにする。
そうしたらもう、少女の泣き顔しか浮かばない。
どうしてジュード相手にあんな練習をしたのかと、後悔してもあとの祭りだ。
アルヴィンは分かれ道になっている場所で、あたりを素早く見回した。
と、夜色の街中を、街灯樹から淡く降り注ぐ光をあますところなく跳ね返し、小さな何かが走っていくのを、目の端が捕らえる。
傭兵時代に鍛えた自分の目に、アルヴィンは心から感謝しながら、口を開く。
「エリーゼ!」
必死に名前を呼べば、一瞬だけその動きが止まった。だが、再び駆け出したアルヴィンが追いつく前に、また走り出す。
逃げられている。
エリーゼが、逃げている――自分から。
そう理解した瞬間、いままでにないくらいに、全身が軋んだ。吹っ飛ばされた肉体的な痛みではなく、心的要因がもたらす痛み。
悲しくて、辛い。故郷を失い、母を失い、裏切り続けたときとはまた違う、アルヴィンが初めて感じる痛みだった。
「ちくしょう……!」
歯を食いしばり、止まりかけた震える足を叱咤する。ここで追いかけなかったら、今以上に辛い思いをするのはわかりきったことだった。
走っているのに、なかなか追いつけないのは、それだけエリーゼが大人になったという証であり、アルヴィンが傷ついている証だった。
だが、男と女の体格差や体力は、歴然とした差があるもの。
やがて小さな背がはっきりと形になる。そうして、それが間違いなくエリーゼだと判断できるくらいに距離をつめたとき、二人がたどり着いていたのは、イル・ファンの海停だった。
あたりには穏やかな波の音が満ち、遠い海面を渡る風も心地いい場所であるのに、自分たちはいったいなにをやっているのか。
むなしさを抱えながらも、アルヴィンは呼びかける。
「待て! 待てって! エリーゼ!!」
「こないでください!!」
だが、エリーゼは止まってくない。金色の髪を乱し、振り返ることなく走っていく。
「話をきいてくれ!」
「きゃあっ!」
そんなエリーゼの細い腕を、アルヴィンはつかまえた。
前へと動いていた身体を急にひかれたせいで、エリーゼが身体のバランスを崩す。慌てたアルヴィンは、もう片方の腕で、その華奢な腰を支えた。
抱きしめられるような格好になったエリーゼが、いやいやと頭をふる。
「私……! 朝一番の船で、カラハ・シャールに帰るんです……! だから、はなして……!」
エリーゼの訴えに、アルヴィンは目元を険しくした。
このまま逃げられてなるものか。
「いかせねぇよ! 誤解したままいくな!」
「いやぁ……!」
伝えたいことはたくさんあるのに、エリーゼは聞く耳を持ってくれない。まったくもって、取り入る隙がない。
ぐいぐいと小さな手で、アルヴィンの胸を押し、なんとか距離をとろうと努めながらもがくエリーゼが、唇を震わせている。恐怖のためか、混乱のためか、羞恥のためか、嫌悪のためか。
その様子があまりにも必死で、哀れで、アルヴィンは泣きたくなった。
二人きりで会っているとき、こうして抱きしめる機会がなかったわけではない。そのときには、幸せそうに嬉しそうにしてくれていたのに。
優しい思い出とは真逆の現実に、アルヴィンの焦りは頂点へと駆け上がっていく。
「わ、私、勘違いしてて、アルヴィン、私の、こと……きっと好きでいてくれてるんだって……かってにそう思って、て……! 言われたことも、なかったくせに……」
ひっく、とエリーゼがしゃくりあげるたび、眦からこぼれる雫は、精霊石のように一瞬だけ煌いて消えていく。
「アルヴィンが、私と会ってくれていたのだって、と、ともだち、だからだったかもしれない、のに……私、一人で、浮かれてて……恥ずかしいんです……! だからもう、お願い、ほうっておいてください!」
「エリーゼ!」
確かに、これまで気持ちを言葉にしたことはない。ふざけたような口調で、からかうように滲ませたことはあったけれど、明確なものにはしていない。だが、エリーゼのそれは勘違いなんかじゃない。
聞き分けのよい女を取り繕うように、こちらの胸に突き刺さる辛そうな笑顔をなんとか浮かべたエリーゼが、言う。
「だ、大丈夫、です。誰にもいいません。二人が幸せなのが、いちばんですから……、と、ともだち、ですから……」
そういいながら、ゆっくりとエリーゼが俯いていく。かたかたと自分の胸に押し付けられた手が、震えている。
アルヴィンは何も言っていないのに、エリーゼがまたぽろぽろと涙を流し、乾いた石畳を湿らせる。
己の言葉で自分を傷つけてどうする!
アルヴィンは、エリーゼの様子に眉をひそめた。
「エリーゼ、まて、違う!」
両肩を掴み、なんとか自分をみてもらおうと声をかけるが、美しい若草色の瞳はアルヴィンの意思とは真逆だ。逸らされたまま、俯いたまま。前をみない。
苛立ちのあまり、細い顎に手をかけて上向かせようとまで考えた瞬間。
「ちがいません!」
「!」
今まで聞いたことのない、大きな声が響いた。それは、大きな拒絶で、アルヴィンは身体を硬直させた。v ぱっ、とエリーゼが顔をあげる。大きなそこに浮かぶのは、涙とその奥に隠された、傷つきぼろぼろになった恋の感情だった。
「だって、アルヴィン、ジュードに……! 私、ききました! アルヴィン、幸せにするから……って、いってました……!」
その言葉を待っていたのはほかでもないエリーゼだったのだろう。真珠のような涙を夜に撒き散らしながら、気丈にアルヴィンを睨みつけてくる。
「あ、あれは!」
なんとか発した声は、自分でも驚くぐらいにひっくり返っていて。
「……おまえにいうはずの言葉だったんだ!」
落ち着くために、肩を上下させて大きく息を吸い込み、そうして発した言葉は、告白も同然のものであった。が、エリーゼは頭をふってそれを否定する。
「嘘です!」
どん、と小さな手がアルヴィンの胸を叩く。アルヴィンは、顔を歪めた。身体は痛くはない。痛いのは、心のほう。
「あ、あんなに、真っ赤な顔して、真剣にいっておいて……! そんなわけないです!」
「ああ、もう!」
どうやったらこの想いがエリーゼに伝わるのか、どうしたら誤解を解くことができるのか、もうわからない。
そもそも、あの場面をみたからって、男が男に愛の告白などするわけがないというのに!
次々と湧き上がる感情を、もう身体の中に留めておくことができない。
「俺にはそういう趣味はねーっていってるだろ!」
夜空に向かって吼えるように、アルヴィンは声を張り上げる。
薄い両肩をきつく掴み、エリーゼの顔を必死に覗き込む。
「エリーゼが好きなんだって! 俺だって、この歳でみっともねぇと思うけどよ! 仕方ねーだろ!」
家族を探していたひとりぼっちのエリーゼと、家族を護りたかった居場所のない自分。
自業自得ではあったけれど、大切にしたかったものを失い、今度こそ手放せないと思った居場所に懸命にしがみついていた頃に、傍らにいてくれた少女。
仲良くしてあげますと、大人びた様子で言ってくれた少女。
周囲の子供たちはみな、それぞれに駆け足で大人になっていくから、取り残されるようで怖くて、独りもがいていた自分にそういってくれた少女。
羨ましくて眩しくて――それでも、その輝きから目を逸らしてはいけないと、逃げてはいけないと、真正面から向き合ううちに、いつしか心は傾いていた。
立場や年齢や、いろんなことを考えて、一歩踏み出せない自分のそばに、それでもいてくれたエリーゼに、ずっとずっと、伝えたかった。
それを、こんな形で言葉にすることになるなんて。
アルヴィンの血を吐くような告白に、エリーゼが一瞬怯んだ。大きな目がさらに見開かれる。でも。
「うそ、うそです……!」
ふるり、エリーゼはまた頭を振った。
「俺は確かに嘘つきだけと、これは嘘じゃない! これ以上どう言えっていうんだよ!」
うまく言えないもどかしさに、アルヴィンは自分の喉を掻き毟りたくなった。
「うそ……!」
「うそじゃない……!」
いつもなら、鮮やかに生まれる言葉は、まったくでてこない。傭兵時代から得意だったはずだ。信用を得るために口八丁手八丁で危ないところを切り抜けてきた。商売をはじめてからだって、それを存分に活かしてきた。
だが、そんなもの、本気の前では役に立たないのだ。これが、嘘で塗り固めた人生を歩んできたことの代償ならば、なんて大きく重い罰だろう。
「なあ、頼むよ。信じてくれよ……」
いっそ、地面に力なく膝をつき、なけなしの誇りも威厳も、かなぐり捨てて目の前の少女に縋りついたら、信じてもらえるだろうか。
ああ、もうほんとうに泣きそうだ。
というか、実際泣いているのかもしれない。そういえば目頭がひどく熱くなっている。ぐ、とアルヴィンは奥歯をかみ締めた。
だって、こんな終わりはいやだ。絶対に嫌だ。
好きだといっても信じてもらえず、その原因が仲間であるジュードへの告白(盛大なる誤解)であるなんて。死んでも死にきれない。
こんなことで人生さびしく終わりたくねえ! やっと、やっと言おうと決めたところだったのに!
時間を巻戻せるのなら、ジュードにいわれたとおり、エリーゼの部屋に行って、あの言葉を告げたい。
どうしてあのとき躊躇ったのだろう。
それはつまり、ジュードがいっていたように、ひとえに自分がヘタレであるからなのだ。情けなさに、絶望感しか胸のうちに浮かばない。
うちひしがれてどうしようもないアルヴィンの手を、僅かな重みが覆った。
のろり、下げていた視線をあげると、くしゃくしゃな顔をしたエリーゼが、こちらを見つめていた。
「なら……」
小さな唇が、健気に震える。
「ちゃんと、いってください。私だけに、私のためだけの言葉で、いってください……」
はらはらと止め処なく泣くエリーゼの言葉に、身体は勝手に動いた。
「エリーゼ……」
アルヴィンは、愛しい名を掠れた声で紡ぎながらその前に膝をつく。わずかに見上げる存在は、涙に塗れているけれど、それでも綺麗だった。手を伸ばさずにはいられないくらいに、恋しい。愛おしい。
「エリーゼ、俺の傍にいてくれ。俺を独りに、しないでくれ」
それは必死な願いだ。年齢も、立場も、ふさわしくないことはわかっているけど、願わずにはいられない。
「俺の家族に、なってくれ」
すがるような気持ちで、エリーゼの手を握る。そっと懇願のキスを、その小さな手に贈る。
くすぐったいのか、ふふ、とエリーゼが笑う。
「……私たち、お付き合いもしてないのに?」
それは確かに。
いきなり飛躍しすぎといえば、しすぎだったかもしれない。
だがここで、退くことは許されないのだと、アルヴィンは痛いほど理解していた。
だから、視線を凛とあげてみせた。なけなしの年上の男としての威厳をかきあつめ、エリーゼの手を握り締める。
「そうだ。俺の、ほんとうの気持ちだ。エリーゼが、好きだ。だから、結婚して、ほしいんだ」
なんとか、かまずどもらず、アルヴィンは噛み締めるように、言いきった。
ふるふると、エリーゼがその細い身体を揺らす。くしゃり、ことさらに崩れていく顔。大きな瞳が、みるみるうちにさらなる水を帯びていく。ひう、とか細い息を吸い込むために、目を閉じた瞬間、それは大きな星のように宙を舞う。
「――アルヴィン!」
感極まったエリーゼが、飛びついてくる。なんなく受け止め、感情のままに腕を回した。
エリーゼが、この腕の中にいる事実に、アルヴィンの鼻の奥が、つんと痛んだ。ワイバーンのときだって、最終決戦に赴くときだって、二人であったときだって、寄り添ったことがあるというのに。
あ、やばい泣く。
そう思っても、制御なんてできるはずがない。ころり、それはアルヴィンの目頭から転げ落ち、エリーゼの肩を塗らした。
「わ、私、も、アルヴィンのこと、大好きです……!」
「……!」
ぎゅ、とエリーゼを抱きしめる。その薄い肩に、顔を押し付ける。
「ずっと、一緒にいたいです……!」
アルヴィンの耳元で、わんわんと泣きながら、エリーゼが言う。
「それは俺の台詞だって」
抱きしめてくる細い腕の力に、懸命なその言葉に、アルヴィンは蕩けるように笑った。だって、間違いないエリーゼの心が、そこにある。
「な、結婚してくれるよな? 返事、きいてない……」
情けないことこのうえない懇願に、顔をあげたエリーゼが、つぼみが綻ぶように笑う。花も恥らう乙女である年頃なのに、鼻の頭を真っ赤にしていて。可愛くて仕方がない。
「よろこんで、です」
そんなエリーゼが、頬に口付けてくれる。まるで、あのときのようだとアルヴィンは目を細めた。異国の街の片隅で、月の下でエリーゼから触れてくれたあの夜。幸せの種は、あのときにはもう、蒔かれていたのだ。
それが月日を経て、ここに実を結んだ。
アルヴィンはお返しにと、色づいたやわらかな頬に口付ける。かつては驚いて何も返すことはできなかったけれど、いまは違う。こうしてこの幸せが、また別の何かを実らせることを祈り、触れる。
「あっ」
驚いたエリーゼが、小動物のように首を竦める。かあ、と頬をことさら赤らめ恥ずかしそうにするエリーゼをみていると、むずむずと腹が痒くなるような、幸福感に満たされていく。アルヴィンは、思うままに唇を滑らせる。
「あー、やべ、俺、幸せすぎる……」
ちゅ、ちゅ、と額に鼻先に、アルヴィンは口付けていく。
「あ、ある、アルヴィ……! ぁ、」
「エリーゼ」
最後に、視線を交わしあう。何かを望むように、エリーゼが涙を宿した長い睫毛を震わせて、その瞳を閉じていく。
アルヴィンは、笑って顔を傾ける。
こんなにも幸せなことが、夢のようだ。 互いのぬくもりが、すぐそこにある。こんなにも近い。
ようやく愛しい熱に触れられる――そう、思ったら。
「衛兵さん! こっちです! 変な男が女の子に因縁つけてるみたいで……! はやく!」
「「?!?!?!」」
あまりにもあまりな一般市民の声に、二人は顔を離して青褪めた。
「えっ、えっと……!」
「うそだろ……?」
エリーゼはおろおろとあたりを見回し、アルヴィンは肩を落とした。なんという間の悪さだろう。残念すぎて、アルヴィンは脱力してその場に倒れこみたくなった。
だが。
ちらりと見下ろしたアルヴィンの腕の中にいるエリーゼは、言い争いの最中に軽くもみあったせいか衣服に若干の乱れがあるうえ、どうみたって泣きはらした顔をしている。
つまり、この現場をおさえられたら、悪いのはアルヴィンであることが確定する。捕らえられても、文句はいえないくらいに。何をいっても、信じてもらえないくらいに。
せつない未来を予想して頬を引きつらせたアルヴィンは、無言のままエリーゼをおもむろに立たせると、その手をとった。
そんなことになってたまるか!
「いくぞ、エリーゼ!」
「は、はいっ」
がっしゃがっしゃと響く甲冑の音に急かされて、二人そろって潮風を押しのけるように慌ててそこから逃げ出したのは――いたしかたないことである。
そんな、最後までしまらないヘタレ男の一夜は明けて。
「おーい、ジュードくーん」
事の顛末を話し終えたアルヴィンは、研究室の机に突っ伏して肩を震わせているジュードを、憮然とした顔で見下ろした。
なにもそこまで笑わないくともいいだろう。
ジュードのほうから、ちゃんと報告するようにと拳をちらつかせながら言ってきて、この研究室まで連行してきたくせに。
「だ、だって……! ふ、ふふっ……! そ、それってさ、援助交際の強要とか、売春の斡旋業者とかに、思われたんだよ、ね、きっと……! そ、それとも、ストーカー、かな……?」
「おたくね、笑いすぎ」
「だって、ねえ――っ、」
ぶふ、とまたジュードが噴出す。
もう勝手にしてくれ。
アルヴィンは諌めることを半ば諦め、机の上で頬杖をついた。
「ったく、他人事だと思いやがって……」
ぶちぶちと不満や文句に等しい言葉を繰り返していると、ようやく落ち着いたらしいジュードが、滲んだ涙を拭いながら顔をあげた。ほんと、そこまで笑わなくてもいいだろう。
「でもよく逃げられたね」
「まあな」
それは確かに、自分でも思った。
イル・ファンの街とその海停を繋ぐ道は一本しかない。つまり、退路を塞がれると、海停のどこかで隠れてやり過ごすくらいしかできないのだ。アルヴィンが街の衛兵ごときに遅れをとることは決してないが、それは騒ぎを余計に大きくするだけだったし、なによりやましいことをしていましたと自分から宣言するようなものである。
なので昨夜は、物陰から様子を伺い、隙をみてイル・ファンの街中へと戻ろうとしていたのだが――。
「逃げるときに急に吹いた、突風のおかげで助かったんだ。なんだったんだろうな、あれ」
砂塵を舞い上げ、人の目をくらまし、物音を掻き消してくれたあの夜風。おかげで、衛兵の横を無事にすり抜けられた。エリーゼの精霊術かとも思ったが、彼女はそんなことをしていないという。
「じゃあそれ、きっとミラだよ」
ジュードのあっさりとした指摘に、アルヴィンは目と口をあけた。
「げっ……まじかよ……」
だが、その可能性がないとは言い切れない。自分に従う四大精霊のシルフあたりに命じたのかもしれない。あの場面をみられていたとしたら、とんでもなく恥ずかしいのだが……。というか、精霊の主が何をしている。
そんな届かぬ突っ込みを、心の中でしていると。
「またエリーゼ泣かせるようなことがあったら、きっと今度は燃やされちゃうかもね」
くすくすと、いつもの上品な笑顔で、とんでもないことをジュードが言う。彼がそういうのなら、ほんとうになりそうだ。
「そりゃおっかないねえ」
くわばらくわばらと繰り返しながら、アルヴィンは席を立つ。
「さて、俺いくわ。ジュードセンセーの研究の邪魔するわけにはいかないし?」
「邪魔なんて、そんなことないのに。でも……そうだね、エリーゼとカラハ・シャールにいくんでしょ? そうしたらもう海停にいかなきゃいけない時間だしね」
うん、と壁にかかった時計を見遣ったジュードが頷く。彼のいうとおり、かの街へと続く船の第二便が出る時刻が近い。
「まーな。あのお嬢様にも、ほら一応、挨拶しねーと」
「うん。それがいいよ。ちゃんとしなきゃだめだからね? 失礼なことしてお許しもらえないとか困るでしょ?」
「わかってるって!」
照れくささを隠すように、頭を乱暴にかきながらのアルヴィンの言葉に、まるで不出来な子を見守る親のようにジュードが頷く。
なんだか気恥ずかしくなってきたアルヴィンは、レイアとともにドロッセルへのお土産を選んでいるエリーゼを迎えにいこうと、席をたつ。
扉に手をかけた瞬間。
「ねえ、アルヴィン」
静かに呼びかけられたことに応えて、アルヴィンは頭をめぐらせた。
ジュードの夢を叶えるためのもの、ジュードのなすべきことをなすために必要なものたち――そんな、皆が幸せになる未来を築くためのひとかけらたちがあふれた部屋の片隅で、それらの主が柔らかに微笑む。
眩すぎる光景に、思わず瞳を眇める。
だがもう、それを羨ましいとは思わない。ただひたすらに、尊いものに思えるだけ。
「いま、幸せだよね?」
そうであること以外を認めないとでもいうような言葉と瞳。それは、信じていると告げるようで。
恥じることなどなにもなく、アルヴィンは晴れやかに笑う。
「もちろん」
心からの肯定を返したアルヴィンは、ゆっくりと目の前の扉を開き、一歩を踏み出した。