そういってほしかった

 パスカルは、ふらふらとストラタの首都、ユ・リベルテにある大統領府内を歩いていた。
 機密等々の関係で、入ってはいけない区域もあるらしいが、そこにはちゃんと見張りの兵も立っている。それ以外のところを歩いていても、咎められることはきっとない。
 なにしろ、今のパスカルは、フェンデルにおける大煇石研究の第一人者という立場であり、その研究内容を発表した要人なのだから。
 もともとは、定期的にひらかれるようになった会議に、フェンデルの代表として参加しているマリク経由で請われたものだった。
 各国首脳陣の前で、これまでにわかった大煇石のことに関する研究発表をしてもらえないか――そんな内容の依頼だった。その見返りとして、ウインドル、ストラタの大煇石の調査許可をとりつけている。
 とはいえ、いまだに未知の部分や解明できていない部分も多い大煇石のことである。はっきりしていないことを発表するわけにもいかず、これまでわかったことについて、あたりさわりのないところを話した。
 あんまり面白くもないかも、と思ったものの。予想に反し、えらく感心されてしまった。研究者たちの、尊敬するような畏怖するような視線が、ちょっと痛かったりしたものだ。
 そんなこんなで発表を終え、参加者たちからの質問攻めになりそうなところをなんとか潜り抜けてきた。
 今開かれている会議が終了したら、懇談会があるとマリクがいっていたけれど……。その時間まで、まだまだある。というか、参加したら身動きできなくなりそうな予感がした。
 さてさて、どうしようかな~。
 噴水でも見に行こうかな、と思いつつ。なにか面白いものを求めて、パスカルが足を動かしていると。
「パスカルさん!」
 背後からかけられる、よく知った声。つられて振り返ると、青い軍服を隙なく身につけた青年が立っていた。
「弟くん、お話終わったのー?」
 確か、ヒューバートは暴星魔物討伐会議のメンバーとして名を連ねていたはずだ。駆け足で近づくと、ヒューバートは眼鏡を軽く押し上げた。
「ええ、ひととおりは。むろん、討伐当日にむけての調整は必要ですが……」
「そっかぁ、弟くん頑張ってるね!」
 いまだ世界に残る暴星魔物に対し、各国が利害をこえて共闘できるようになったことは、素晴らしいことだ。怯える人々の生活のために尽力しているヒューバートが、素直にすごいと思う。
 こほん、とヒューバートが咳払いをする。
「あ、ありがとうございます。それよりも、今お時間ありますか?」
「うんうん、ばっちりあるよ!」
 むしろどうしようかと思っていたくらいだ。
「では、ついてきてください。みせたいものがあります」
「ほいほ~い」
 ヒューバートの申し出は、パスカルにとって渡りに船だった。
 案内するように前を歩くその背中をみつめながら、ひょこひょこと着いていく。
 なんだか、会うたびにヒューバートが逞しくなっていくような気がする。背も、まだ伸びているようだ。こっちはすっかり成長がとまってしまったというのに。
「うーん、なんかずるいなあ」
「なにがですか?」
 とん、と廊下を蹴って、ヒューバートの隣に並ぶ。きょと、とわずかに幼さを滲ませて、ヒューバートが目を瞬かせる。
「なんでもないよーだ、ぷい~っだ」
「なんでもないって感じじゃないじゃないですか……。まあ、いいです。つきましたよ」
 どうぞ、と促される。パスカルは、たどり着いた部屋の、大きな扉をくぐった。ざっと見回した景色から、ヒューバートの執務室かな、とあたりをつける。だがしかし、その意識もすぐにある一点へと注がれた。
「うわぉ~!」
 部屋の真ん中あたり。テーブルの上で、色とりどりの美しさが重なり合っている。パスカルは、歓声をあげて近寄った。
 そこにあるのは、マフラー。
 どれもこれも質の良いものだとひとめでわかる。
 自分の後を、ゆっくりと歩いてきているヒューバートに、振り返って笑いかける。
「弟くんすごいね、これ全部マフラー!?」
「ええ、そうです」
 静かな肯定に、パスカルは「うひょー」と感激したように声を漏らし、手を伸ばした。
 ひっぱりだしてはひろげ、ひろげてはまた元に戻し。パスカルがあれこれ触っていると、傍らに立ったヒューバートが、得意げに腕を組んだ。
「どうですか? パスカルさん」
「どうって何が? あ、これ可愛いね!」
 そういった瞬間、勝ち誇ったようにヒューバートが口の端を持ち上げた。
「いいましたね」
「ふぇ?」
 きらり、と眼鏡を光らせたヒューバートに、パスカルはきょとんと目を瞬かせた。
「いいましたねパスカルさん、『可愛い』、と!」
 なんでここまで念押しされなきゃいけないんだろ……。
 そう思いつつも、こくこくと頷く。
「うん! いったよー」
 満面の笑顔で、手元を見下ろす。そこにあるのは、淡い黄色の薄手のマフラー。これから迎える季節には、これくらいの薄手のものが、ちょうどよさそうな気がした。
「実はここにあるものは、すべてぼくが選んだものです」
「へえー」
 選ぶのにどれくらい時間かかったんだろう。
 そんなことを考えていると、ぐぐっとヒューバートが拳を握り締めた。

「これでぼくのセンスが悪いというわけではないということが、おわかりいただけましたか!?」

 部屋の中いっぱいに広がった声に。
「え?」
 パスカルは、なんともいえぬ言葉を零した。
 なんかやたらと力がはいっているヒューバートに、パスカルは首を傾げる。何がいいたいのか、いまいちわからない。
 その反応が気に入らなかったのか、ヒューバートが苛々とした様子で口を開く。
「え?、じゃありません! いつぞや、パスカルさんはぼくのセンスが悪いといったでしょう!? 忘れたとはいわせません!」
 いまにも詰め寄ってきそうなヒューバートを尻目に、パスカルは暢気に小さく首をかしげて記憶の棚を漁る。
 センスが悪い。センスが悪い――その言葉を繰り返す。
 あ、と自然に口から音が漏れた。ぽん、と手を叩く。
 脳裏に鮮やかに描き出されたその光景は、ゾーオンケイジで新しいマフラーを手に入れたときのもの。

――に、似合ってます

 そんなことをいわれて。

――ヒューバートってセンス悪いね~

 そんなことを返した。
「あ、あ~……。そういえば、そんなこともあったね~」
 しみじみと頷く。
 でも、あれはヒューバートが……。
 と、それに付随する個人的な想いを引き寄せかけたとき。
「ええ。ですが、あなたは今『可愛い』といいました。ぼくの選んだものを『可愛い』と!」
 ヒューバートが強調する。
 だから自分のセンスは悪くない。つまりそういいたいようだ。
 どうだ! といわんばかりの表情を浮かべるヒューバートと、机の上にある大量のマフラー。
 それを交互に見比べているうちに、パスカルのお腹の底がむずむずとしてくる。胸に、ふわふわと積もるなにか。
 だって、これってつまり。
「ありがと、弟くんっ、あたしのためにこんなに選んでくれたんだね!」
 わーい、と諸手をあげて、感情のままに喜ぶ。
 と。
 ヒューバートがぴたりと固まった後。すごい勢いで真っ赤になった。
「っ、ち、違います! ただ、ぼくは『センスが悪い』というあなたの言葉を撤回させようと……! そう、思っただけで……!」
 焦り、どもり、上擦った声でそういうヒューバートが面白い。そんなこといったら、怒り出しそうなのでいわないが。
 ん~、とパスカルは口もとに指先をあてる。
「だからそれって、あたしの好みを考えた上で、あたしに似合うものを探して、そんでもってこれだけのマフラーを選んでくれたってことでしょ? だったら、ぜーんぶあたしのためじゃん!」
 しかも、今日パスカルが訪れるのにあわせて用意している。
 砂漠の国であるストラタでは、それほどマフラーは使わないはず。おそらくウインドルやフェンデルで探したのだろう。もしかしたら、ストラタで懇意にしている店に、作らせたのかもしれないが。
「……う、く……!」
 さきほどまでの勢いはどこへやら、ヒューバートが言葉に詰まった。
 どうやら、パスカルの言葉を撤回させたい一心であったのは本当らしい。しかしながら、その行動はパスカルが言ったことにも繋がっている。いまさらながらにそれに気付き、何もいえなくなっているのだろう。かといって、素直に認めることも、ヒューバートの性格ならばままならないはず。
 そんなヒューバートの心理を見透かしながら、パスカルは今一度マフラーの山を見渡した。
「ねー、ねー、弟くん、こんなにあるんだからさ、ひとつあたしにちょうだい?」
 にひひ、と笑いながらおねだりすると、はっとヒューバートが顔をあげた。
「え、あ、はい……! それはかまいません。というか、その……」
 ヒューバートがごにょごにょと口ごもる。もともとそのつもりでいてくれたのかな、とパスカルは嬉しくなる。
「わーい! 弟くんからはじめてのプレゼントだ~!」
 ごそごそと再び山の中へと手を突っ込む。ふわふわとした手触りを、かきわけかきわけ一番を探していく。
「あ、え、い、いや……! プ、プレゼントと、いいますか、その……」
「あれ? ちがうの?」
 慌てて否定してくるヒューバートに、「じゃあこういうのなんていうんだっけ」、と尋ねると、ヒューバートが俯いた。
「……プレゼント、です……」
 かぼそくそういうヒューバートの、真っ赤になったその頭のてっぺんから、熱気が伝わってきそうである。
 とにかく言質をとったパスカルは、機嫌よく、さらにマフラーをかきわけた。やはり、どれも可愛い。
「じゃあ遠慮なくっ! ん~、と……、あ、」
 さあ、とパスカルの琥珀の瞳をかすめる色彩。無意識のうちに、それを掴む。にこ、とパスカルは笑う。
「これ!」
 それは、海の蒼とも空の青ともいえる綺麗な青地に、白い糸が繊細な模様を描いた、軽やかなマフラー。
 選ばれたそれをみて、ヒューバートが「おや?」というような顔をした。予想外だったらしい。
「こちらにするのではないのですか?」
 ヒューバートがいっているのは、月のように淡い黄色をしたマフラー。最初にパスカルが手にしたもの。黄色が好きな自分にとっては、それも捨てがたいのは確か。
 でも。
「うん。それも可愛いけどね、あたしはこっちのがいい」
「?」
 今しているものをはずし、もらったばかりのものを首に巻いて、鼻先を埋める。
「だって、弟くんの色でしょ。これでいつでも一緒にいるみたいじゃん」
 ぱちん、とヒューバートに向かってウインクをひとつ。それを見たヒューバートが、目を見開き、くわっと口を開いた。
「な、なななな、なにを……! パスカルさん、ぼくをからかうのもいい加減にしてくださいっ」
「えー、ほんとのことなのに」
 ぶーぶーと、唇を尖らせて抗議する。素直な気持ちを否定されては、いい気分はしないもの。
「そ、そんなことばかりいうなら、返してもらってもいいんですよ?!」
「やーだよー!」
 駆け寄り、手を伸ばしてくるヒューバートから、さっと身をかわす。普段ならば無理かもしれないが、焦ったヒューバートの攻撃を避けるなんて簡単だ。
「とにかく、ありがとねっ」
 勢いあまってバランスを崩し、上半身が傾いたヒューバートは隙だらけ。
「うわっ」
 ちゅと頬に口付けると、面白いくらいに耳と額、そしてかっちりとした襟元から僅かにのぞく首までもが、真っ赤になった。
 錆びた機械が動くときのような、緩慢かつぎこちない動きで、ヒューバートがパスカルへと顔を向ける。
 その色に、その表情に、パスカルはくすくすと笑った。
「お姉さんからのお礼だよ」
「お、お、お、お礼って……! はしたないにもほどが……!」
 きゃらきゃらと笑いながら、パスカルは頬に手を当てたヒューバートから離れる。
 ああ、なんだがすっごく楽しい。
 首元にある、ふんわりとした優しい感触にも、顔が綻ぶ。
「ね、どう? 弟くん」
 くるり、その場でひとつまわってみせる。
「……」
 後ろでに手を組んで、感想を求めるように高い位置にある瞳を見上げた。
 どうにかこうにか体勢を整えたヒューバートが、なにか眩しいものを見るように、眼鏡の奥の瞳を細くする。
「その……似合って、います」
 ふい、と視線を逸らして、そんなことをいう。成長していない。
「ちっちっち、弟くん、こういうときはそういう言葉じゃないんだよ~」
 指を振り振り、そういうと。
 きょとんとした後、何か思いついたのか、ヒューバートが意味のない、音でしかない言葉を零しながら、息を飲んだ。こく、とその喉が鳴る。
「あ、その……ええと、……か、わぃぃ……です」
「んー、きこえなーい」
 わざとらしく、パスカルは肩をすくめる。ぷるぷると握り締めたヒューバートの拳が震える。
「可愛いです!」
 やけくそ気味に叫ばれた言葉は、今日の出来事のきっかけとなったあの日に、欲しかったもの。

 ゾーオンケイジでも、そういってくれたら――よかったのに。

 くす、とパスカルは歳相応の、いつもとは違う笑みを浮かべ。
 すぐにそれを打ち消した。
「よし合格~!」
「っ! ちょ、パスカルさんっ」
 ひゃっほうと、声をあげてヒューバートに飛びつく。
 もうこれ以上無理だろうと思っていたのに、覗き込んだヒューバートはさらに赤くなっていく。
 パスカルは、砂漠に落ちる夕陽を思わせるヒューバートの顔をみつめながら、大きく笑った。