「あれ、教官ってばあんなとこで何してるんだろ~?」
「え?」
「おや、本当ですね。あのような場所でなにを……?」
ホーリィボトル作成のため、材料である免罪の水を汲みに来たアスベル、ヒューバート、そして暇を持て余していてくっついてきたパスカルは、聖堂正面のさらに奥のほうでなにやら話し込む逞しい体躯をした教官こと、マリクと――その傍らに立つ、見知らぬ妙齢の女性を見つけ、さっと手近な物陰に隠れた。
身を隠したあと、ヒューバートが「ん?」と眉を顰める。
「ぼくたちが身を隠す必要など、ないのではありませんか?」
「あ、いや、まあ、つい……。でも、出にくいというかなんというか」
もっともなヒューバートの意見に、アスベルが頭をかいた。
「なんだろなんだろ~、逢引きだったりして!」
「な、なんてこというんですかっ」
わくわくとしたパスカルが放った一言に、真面目なヒューバートがすかさず反応した。
「おいおい、シェリアじゃあるまいし、何言い出すんだよパスカル」
アスベルの呆れた言葉もなんのその、パスカルがちょいちょいとマリクたちを指差す。
「でもさ~、なかなかいい雰囲気っていうか~、立ち入れそうにない二人の世界って感じしない?」
その言葉につられたように、アスベルとヒューバートがみつからないようにしながら、そっと視線を送る。
真剣な表情でみつめあう一組の男女。二人の端正な容姿もあいまって、そこだけが切り取られた異空間のようだった。
「そういわれれば、確かに……」
「ヒューバートまで……」
触発されたのか、顎に手を当て頷くヒューバートに、アスベルが苦笑した。
「ん~、でもどうしよっか? 免罪の水だったっけ、とりにいこうとしたらどう考えてもみつかっちゃうよね」
「でしょうね」
パスカルの言葉に、ヒューバートが頷く。
「仕方ない。ここは出直すことにしよう」
「ええ~、気になるよ~」
配慮したアスベルに対し、パスカルは不満を隠そうともしない。
「個人的なことに首を突っ込もうとするなんて、子供のすることですよ」
呆れたような顔をして諌めるヒューバートに、ずいとパスカルは顔を近づけた。大きな茶色の瞳は、好奇心という光で溢れんばかりに彩られている。
「でも、教官の恋愛って気になるでしょ?」
「それはそうだけど……盗み見はよくないし、教官は大人なんだからいろいろあるだろう」
こそこそと決して聞かれてはいけない悪巧みでもするように、パスカルとアスベルは顔を見合わせて囁きあう。
「兄さんの言うとおりです。パスカルさんだって、他人に詮索されたら嫌な気分になることくらい、あるでしょう?」
だから余計なことに首を突っ込もうとするなと、ヒューバートが暗に告げる。
「え~、あたしはそういうのないなあ」
それに気付いているのかいないのか、まったく悩むことなくそういってのけたパスカルに、アスベルが感心したように頷いた。
「さすがパスカル」
「兄さん、そこは突っ込むか、呆れるところです。……ごほん、とにかく人のプライベートは尊重するべきです」
小さく兄へと突っ込みを入れて、ヒューバートはわざとらしく咳払いをして注意する。
「あ~、弟くんが隠し持ってるものみたいに?」
ぽん、と手を打ちながらパスカルが朗らかにそういった瞬間、ヒューバートが固まった。
「っ!?!!!」
一拍の後、声にならない悲鳴をあげてヒューバートが顔を真っ赤にして仰け反った。その様子は、パスカルの言葉が真実であるといっているようなものだった。
「な、ヒューバート、おまえ……」
「ち、違います、勘違いしないで下さい、兄さん! 別にあれはそういういかがわしいものではなくて……!」
わずかに身を引いたアスベルに、ヒューバートが焦って手を振りながら否定する。
「あ、やっぱりあるんだ? ん~、まあ、弟くんもお年頃だしねえ~」
にや、と含み笑顔でパスカルが口元に指先をあてた。その表情と口調に、アスベルが頬を引きつらせる。
「まさかパスカル、かまをかけたのか!」
「ぴんぽ~ん! いや~、まさかこんなにうまくいくとは思わなかったよ~」
「パスカルさん、あなたという人はー!」
いっそ気持ちのいいくらい単純な駆け引きにひっかかってしまったヒューバートが、顔をさらに赤くして叫んだ。これ以上からかわれてなるものかといわんばかりに、ヒューバートが手を伸ばし、にやにやとしているパスカルの口を塞ごうとした、まさにそのとき。
「なにをしているんだ、お前たち」
低くて、静かに鼓膜を震わせる、落ち着き払った渋い声。
「「「!!!」」」
三人は、そろって声のかけられた方向に顔を向けた。
そこには逞しい腕を組んで立つ、表情の読みきれない男がひとり。鈍い金の髪が、風に揺れている。
「きょ、教官……」
「ど、どうして……」
引きつるアスベルとヒューバートの疑問にこたえるように、マリクは目を細める。
「それだけ騒いでいて、気付かれないと思ったのか?」
「……あ」
どうやら会話に熱中してしまったせいで、気付かれたらしい。
「す、すみません教官! 別に俺たちは覗き見をしようとしていたわけではなく……!」
立ち上がったアスベルがいいわけをしようとするが、それをマリクは片手で制した。
「そのことは別にいい」
そして逞しい腕が、一人に向かって突き進む。
「パスカル、こっちにきてくれ」
「ふえ?」
ぐい、とマリクはパスカルの腕をとり立たせると、そのまま肩を抱き寄せて歩き出す。少し離れた位置、どこかぼうっとした様子でいつの間にかこちらをみていたマリクの連れである女性のもとまで、パスカルは連行された。そして、するりと小さな手が持ち上げられる。
「すまないが、オレにはこうして同じ指輪を分かち持つ人がいるんだ。どうか、わかってほしい」
絡めあうようにして掲げられた両者の指には、同じ素材、同じデザインの一対の指輪。フォドラのバシス軍事基地で、パスカルが作ったもの。ソフィと同じ光の力を扱えるようにするための、世界でたった二つの指輪だ。
それをまじまじと、食い入るように見つめた女性の唇がわななく。ぎりっと切れ長の瞳が、剣呑につり上がった。
「っ!」
顔を真っ赤にした女が、手を振り上げる。
事態を見守っていたアスベルとヒューバートが間にはいる間もなく、その白い手が閃いた。
だが、肌がぶつかりあう高い音は聖堂前広場に轟くことはなかった。
そっと、女性の手をマリクが掴み取ったからだ。そのまま握り締めて、優しくに口元へと引き寄せていく。ふわと女性の頬が薔薇色に染まった。
「マリク様……!」
「君のような美しい人が、そんなことをしてはいけない」
マリクの言葉に、風の原素を閉じ込めた石のような女性の瞳が、みるみるうちに涙に覆われていく。
「マリク様、どうしてもだめなのですか……こんなにも、お慕い申し上げているのに……! この方がそんなにも大事なのですか……!」
いまにもその場に泣き崩れてしまいそうなほど、悲壮な空気を滲ませて女性は訴える。
「すまない。オレにとってかけがえのない人なんだ。わかってほしい。オレなどよりよほど君を大切に想うものが、きっと現れる」
真摯で、嘘偽りのない本心だと伝えるマリクの声が、低く心地よく響いて消える。それと同時に、マリクが女性の手をそっと離した。
「私は、それがあなたであればよいと、夢にまで見たというのに……ひどい方」
わずかに皮膚に残る男のぬくもりを抱くように、女性はその手を胸元へと引き寄せた。ぎゅうと目を閉じ、口を閉じ、はらはらと涙を零す。
あまりの展開に、さっぱりついていけないアスベル、ヒューバート、パスカルをよそに、やがて答えを得たのか、納得したのか――女性は、顔をあげた。何かを堪えながらも、健気に微笑む。
「……マリク様。あなたを手に入れることなどできはしないと、ほんとうはわかっていたのです。ただ、最後に想いを伝え、わがままをいいたかっただけ」
風を連れて、女性が前にでる。滑らかな動作で、ちゅ、とマリクの唇のすぐ近くへと口付けた。
「「っ!」」
「ぉぉ~……」
アスベルとヒューバートが頬を赤らめ言葉につまり、パスカルは目を見開きながら小さく声をあげた。
「……さようなら。よい思い出をありがとうございました」
そういい残し、女性は美しくに膝を折って一礼すると、呆然とする皆の前から優雅に去っていった。
その後ろ姿が街角に消え、香水の残り香が、風に紛れてしまった頃。
「ふう……たすかったぞ、パスカル。ちょうどいいところにきてくれた」
ひょい、とマリクはパスカルを解放した。
「なになに、今のって修羅場ってやつぅ?」
「それほどのものではないだろう。まあ、ずいぶんと熱心ではあったと思うが」
黙ってされるがままになっていたパスカルが、にやにやとさきほどヒューバートをからかったときの比ではない笑顔で、マリクに詰め寄る。が、マリクはひょいと肩をすくめただけだった。
「――いったい、あの女性になにをしたんですか、教官」
ようやく我を取り戻したのか、はっとしたアスベルがマリクをみつめた。
「人聞きの悪いことを言うなアスベル。せめて何があったのか、と言え」
「す、すみません」
あはは、とアスベルが頭をかいた。その様子を眺めながら、マリクが額にかかった髪をかきあげる。
「少し前に、公園の片隅で彼女が元気がないようだったので、声をかけたことがあったんだ。それからちょっとな」
「え~、そのちょっとが気になるなあ~」
「別にパスカルが期待しているようなことはなかったぞ。様々な相談を受けて、幾度か励ましただけだ」
腕を組み、そのときのことを思い出すようにマリクが目を閉じる。
「そ、それだけであんなふうになるなんて……」
「……なんという」
どれだけのタラシなんだろうこの人――アスベルとヒューバートが、心をひとつにしながら呻いた。
「それにしても、悪かったなパスカル。ついてこい、バナナパイでもおごってやろう」
過ぎ去ったことだと気持ちを切り替えたように、マリクは傍らでゆらゆらとしていたパスカルに声をかける。
「ぃやったぁー!」
それを聞いて、曇天が裂けて光が差し込んだように顔を輝かせたパスカルが、ぴょん、と元気よく飛び跳ねた。
「すまなかった。いい気分はしなかっただろう?」
くしゃり、大きな手で頭を撫でられながら、パスカルがへらっと笑う。
「ううん、そんなことないよー! もう、教官なら全然おっけーだから、あたし! むしろ大歓迎~!」
「ふっ、そうか。そういってもらえると助かる」
「「えっ!?」」
パスカルの明るい笑顔と偽りなど微塵もみえない言葉に、マリクがわずかに微笑む。だが、アスベルとヒューバートはパスカルのいったことの内容に、肩を跳ねさせる。
だって、その言い方ではまるで。
教官になら恋人扱いされても不愉快などではない――むしろ、恋人として扱ってもらってかまわないと、そういっているようではないか。
「お、おいパスカル?! まさかパスカルも……?!」
「ま、まままま、まさか……!!」
パスカルまでもが、教官にたらしこまれた――?!!
アスベルが顔を引きつらせ、ヒューバートが青ざめる。
だが、「バナナパ~イ、バナナパイ~」と、妙な音程で繰り返しながら喜ぶパスカルに、兄弟のそんな疑問は届いていない。そもそも、どんなつもりでいったのかさえ、その様子からは汲み取れない。
「さて、行くか。夜までには宿へもどる」
「じゃあ、いってくるね~! まった後で~」
よほど嬉しいのか、歩き出したマリクのあとをパスカルがスキップしながら追いかけていく。見慣れたふたつの後姿が、遠ざかっていく。
「……あの二人、どこまでが本気で、どこからが冗談なんだろうな……」
アスベルは独り言とも、問い掛けともいえるようなものを、ため息とともに零した。「なあ?」と、アスベルがヒューバートに視線を向ける。
「ヒュ、ヒューバート?」
そして、自分よりはるかに衝撃を受けているような弟の様子に、思わずたじろぐ。光が反射する眼鏡のレンズのせいでその瞳まではみえないが、「気を落とす」という表現がしっくりくるその雰囲気。どんよりと漂う黒いなにか。
だが、さすがはストラタ国において最年少で少佐になった男。くい、慣れた手つきで眼鏡を押し上げ、上着の裾をなびかせながらきびすを返した。
「こ、これで静かになりましたね。免罪の水をはやく汲んでしまいましょう、兄さん」
「……」
必死に動揺を押し隠しているのかもしれないが、その震える指先と声に、アスベルは何故だか哀れみを覚えた。
当初の目的を果たそうと、足早に聖堂へと歩き出すヒューバートの背をみつめ、そして街の中心部へと向かうマリクとパスカルへ、アスベルは再び視線をむける。
背の高い男にまとわりつくパスカルは、まるで飼い主にじゃれつく子猫か子犬のようだ。
「――あ、腕組んだ」
マリクに何かいわれたのか、ことさら手を振り回して喜んだような仕草をしたパスカルが、そのままマリクの逞しい腕に飛びついた。ぶら下がっているような状態だが、それは事情を知らない者が見れば、微笑ましい恋人たちの風景にもみえるだろう。
だから、アスベルはそんな風に表現したのだが。
バン! と盛大な音が響いて、アスベルはびくぅっと飛び上がった。
「ヒューバート!? どうした、大丈夫か?!」
「だ、大丈夫です……!」
大聖堂の大きな扉をあけることなく、そのまま突っ込み顔面を強打したヒューバートに、慌ててアスベルは駆け寄った。衝撃のせいか、傍らに落ちてしまっている眼鏡を拾ってやる。どうやら、壊れてはいない。
「ほら」
真っ赤な顔で口を噤んで、今にも泣きそうな顔をしたヒューバートに、アスベルは眼鏡を渡しながら微笑む。ヒューバートは、まるで七年前の泣き虫だった頃のようだった。
「パスカルが、教官のことを好きだと決まったわけじゃないんだ。そう気を落とすな」
アスベルが、なにげなく励ますようにそういったとたん。眼鏡が勢いよく奪い取られた。
「何をいうんですか兄さん! ぼくには、あの人と教官がどうなろうとまったく関係ありません!」
眼鏡を取り戻し、がーっとまくし立てるようにそういったヒューバートが、聖堂の扉を今度こそ荒々しく開け放ち、中へと駆け込んでいく。
「あーあー……」
触ってはいけない部分に触れてしまったかと、アスベルは肩をすくめた。
「あそこまで動揺しておいて、いまさらだと思うんだけどな」
素直に自分の気持ちを認められない――いや、向き合えないのか。そんな不器用すぎて痛ましいくらいの弟の心中を考えつつ、アスベルはその後を追いかける。
自由な彼女と素直になれない弟と、うまくいく日は果たしてくるだろうか――そうしたら、俺、パスカルにお兄ちゃんとか呼ばれることになるんだろうか――?
自分の鈍感さ加減で幼馴染をやきもきさせていることを棚に上げ、アスベルはどうなるかわからぬ未来に思い馳せながら、大きな扉をくぐった。