願いかなう日まで

「んー、さすがドロテア王女からもらった紅茶だよね」
「ええ、よい香りです」
 ふんわりと家の中に漂う芳しさにうっとりとするティアに、ウルは同意した。
 せっせと預言書にためこんだメタライズの解読に頭を悩ませていたティアをみかねて、ウルが休憩を提案したのがつい先ほど。
 それならば、とティアがお茶を淹れたのだ。
 精霊であるウルにはものを食べる行為は必要ない。しかし、香りの良し悪しくらいならわかる。
 幸せそうにお茶を飲むティアから、幸せな気分が伝染してくるようだ。くす、と小さく笑いを零すと、ティアにじっと見詰められていることに気付く。いくら封印具をしているとはいえ、そのあたりには聡いのだ。
 なにか言いたいことでもあるのだろうか。
 口を開きかけたところで、ティアが問いかけてきた。
「ね、その眼鏡って、外せないものなの?」
「眼鏡……」
 ティアの唐突な問いかけに、ウルは困ったように呟いた。この見た目にもごつい枷を眼鏡といっていいものか。
「ティア。これは眼鏡ではなく封印具です。そもそもこれはですね……」
「うん、わかってる。レンポの手とか、ミエリの足、ネアキの喉にあるのも、そうなんでしょう?」
 説明し始めると長くなると察したのか、ティアが遮った。言外に、話すなら要約して欲しいといわれている。
 ウルは膨大な知識と経験の中から、かいつまんで簡潔に話すことにした。
「ええ。これは預言書と私たちとの契約の証であり、力を抑える役割も兼ねています。契約してから永い時間の間で、外れたことは一度もありません」
「そっかぁ。じゃあ無理なのかな……。ウルなら、外す方法を知ってるかなって思ったんだけど」
「ティア。それは、私たちを可哀想と思っているということですか?」
 もしかしたらと考えて、ウルは問うた。これまでの預言書の数々の持ち主の中に、ティアのようなことを言い出したものも少なからずいた。まあ、結局彼らは自分たちを哀れむだけであったのだが。
 きっとこれからもこのままなのだから、気にする必要はないのだと伝えるべくティアの答えを待つ。しかし、返された反応はウルの予想外のものだった。
「え? 可哀想って……」
 ティアはそんなこと考えてもなかったという風に、目を瞬かせてウルをみつめる。
「だって、それはみんなが選んだことでしょう?」
「ええ、預言書と契約を交わし次の世界に価値あるものを残し、よりよい世界をいつの日か創造するために私たちはこの道を選びました」
「だったら、私がそんなことを思うなんてできないよ」
「……」
「皆が何を思って、契約を受け入れたのかわからないけど。こうして、私と出会って助けてくれる。一緒にいてくれる。旅をしてくれる。それがとっても嬉しい」
 だからね、と呟いてティアが照れたように困ったように、僅かにうつむいてほんのりと笑う。見えないけれど、ウルには確かにそう感じられた。
 ティアは小さな手をきゅっと握り締める。
「レンポと手を取り合ってみたい。その手がどんな暖かさなのか知りたいの」
 その小さな足をぶらりと揺らして。
「ミエリと森を散歩してみたい。裸足の足からなにが伝わるのか感じたいの」
 そっと細い喉を押さえて。
「ネアキとおしゃべりがしたい。綺麗な声でたくさんお話して欲しいの」
 静かに祈るように、目を閉じて。
「それから」
 そうしてティアが顔をあげる。ふわり、と茶水晶をはめ込んだような瞳が見詰めてくる。両目は封印具の奥に押し込められて、目をあわすことなどできないはずなのに、たしかにその先が絡み合っていると感じて、ウルの身体が震えた。
「陽だまりの丘からみえる景色は私のお気に入りだから――ウルと一緒に、みてみたいの」
 可愛い願い、尊い願い、優しい願い。
「だから、みんなの枷が外れないかなって思ったんだぁ」
 単純すぎて恥ずかしい、そういってティアは頬を染めてさらに俯いて。せわしなく目を瞬かせてお茶を飲んでいる。
 は、とウルは小さく息をついた。
 どうして、こんなにもティアは愛おしさをかきたてるようなことを言うのだろう。
 ぱり、とウルの身体が一瞬だけ、放電した。無意識のうちに零れだそうとした雷の力を、慌てることなく冷静に押さえつけ、ウルはその薄い唇に笑みを刻んだ。
「大丈夫、あなたならきっと、その願いが叶う日がくることでしょう」
 それは今まで通り過ぎた時間には得られなかった、確信だった。
「ほんと?! 外す方法があるんだね!」
「ええ、今はまだ秘密ですけれど」
 えー、と僅かな不満の声を漏らしながらも、ティアは希望に満ちた笑みを浮かべている。
 きっとティアは自分たちを心から、信頼してくれることだろう。そして、自分たちはそんな彼女を心から信頼するだろう。そうすれば、この力のすべてを振るうことを世界が認めてくれるに違いない。
「いつか、必ず。この旅の終わりが見える頃には」
「そっかぁ! うん! 私、頑張る!」
 よし! と気合をひとついれてティアはまたメタライズの解読へと向き直った。やる気がでたのか、すごい集中力をみせて没頭してゆく。
 そんな小さな姿を気配だけでたどりながら、ウルはため息をついた。
 こんな風に、自分たちの選択を認めてくれているとは思わなかった。そして、枷である封印具が外れたらいいのにという言葉の底に、そんな可愛らしいお願いを秘めているとは思わなかった。

「かないませんね、あなたには」
「え、なぁに、ウル? なんていったの?」
「いいえ、なんでもありません。それよりも、どうですか。解けそうですか」
「うん! たぶん、これをこうすれば……!」

 こうして、試行錯誤を繰り返して世界の謎のヒトカケラを解く少女と、それを見守る精霊の時間は優しく流れていく。
 少女の願いはいつの日にか、叶うだろう。
 お気に入りの場所で愛する精霊の瞳に己の姿を映しながら、彼女は花が咲き綻ぶように笑うだろう。
 手を取り合い、新たな世界に一歩を踏み出すその日まで、いましばらく優しいまどろみのような日々は続く。