緋色の花

Caution!!
ティア死にかけ、レンポ突っ走ります。二人でこういう未来を選んだりする場合もあるのかな~、という管理人の妄想です。あいかわらず勝手設定全開です。いつものことです。お話は全体的に明るくありません。一般的なラブラブハッピーエンドではないと思います。ただ、ティアとレンポなりに幸せであるはずです。たぶん。躊躇われる方はお戻りください。
読後の苦情は一切お受けいたしかねます。

 

 

 揺れて、また揺れる、無数の花。
 朱と金色の光を撒き散らす夕焼けの下、乾いた風にざわめき光るその光景は、炎がたゆたう様によく似ている。花々に覆われた丘全体が、淡く燃えたっているかのようだ。
 東から西へと息を飲むような色彩の美しさをたたえた空を、地平の端から出航した月の船が、ぼんやりと光りながら進んでいく。その先には、これから起こることを静かに見守るように銀の星がひとつ、またひとつと輝きだしていた。
 世界は、ときにせつなさを覚えるほどに、美しい。
 あの世界と別れを告げたときも、そうだった。今とは真逆の、青い空と緑の丘の上だったけれど。
 すう、と目を細めていき。やがて瞳を閉じれば、耳の奥に懐かしい声が転がった。

 ――ねえ、ねえ

 ――なんだ?

 ――ずっと先に、わたしってどうなってるのかな
    雨になってるのかな、それとも風になってるかな

 ――雨は勘弁してくれ、力がだせなくなっちまいそうだ

 ――ふふ、それじゃあ、風がいいかな
    火を燃えあがらせるには、やっぱりそれだよね

 ――光もいいなぁ。火は燃えている間ずーっと、暖かな光の源になるでしょう?
    それならずっと側にいられるってことだよね
    ね、どう思う?

 ――オレは……、そうじゃないほうがいい

 ――え?

 ――オレは、おまえと……

「レンポ」
 涼やかな声が、精霊の名を紡いだ。遠い時代からともにあり、互いのことをよく知っている存在のもの。
 心に響いていた少女の声がかき消されたせいで、レンポは眉根を寄せて振り返る。
「なんだよ、ウル」
 すらりとした影。金の髪を夕焼けにひときわ輝かせた雷の精霊。
 その顔は枷に覆われているせいで、表情は見えないけれど。深い知性を滲ませる口元は、ずっと変わらない。精霊たちを束ねる長を自負する、威厳が滲む。
「私たちが、もうここにいる理由はありません。あとは――あなたの役目です」
「わかってる」
 言われずとも、それが自分の役目であることくらい、知っている。
 ふ、と肩から一度力を抜いて。レンポは両腕を前に突き出した。
 重たげに、じゃらりと鎖の音が響く。指先を動かすことも、腕を曲げることさえ許さない、力を封じるための枷。
 忌々しいと思ったこともあるけれど、大切な思い出もまた封じているのだと思えば、いまは特に気になるようなものでもなかった。
 自分が触れるのは、あのぬくもりだけでいいのだから。
 何かを迎え入れるように、ゆっくりと左右に開いていく。
 その空間に、小さな炎がともった。ゆらりと意思もつように大きくゆらめき、きらきらと小さな火の粉を撒き散らしながら、それはゆっくりと落ちていく。
 すう、と大地にそれが溶け消えたとき。
 どくり、と世界が慄いた。
「終わったぜ」
 世界を灰に帰す「滅びの炎」の火種を、世界の中心に据えたレンポは、ウルを見遣った。
 これが、レンポの役目だ。世界が遙かなる場所を目指して、滅びと再生を繰りかえすことはじめたときに、請け負ったもの。
「では、次の世界へ旅立ちましょう。あちらで、皆が待っています」
 レンポの報告に小さく頷いたウルが、背を向ける。目がみえずとも、彼のいく先が間違うことはない。
「おう」
 促され、その後に続きながらも、ふいに立ち止まったレンポは振りかえった。
 沈みゆく太陽が、さらに赤々と燃えたってみえるのは、錯覚などではない。滅びの炎が世界の片隅で生まれたことによる、影響だ。
 この世界で、すでに価値あるものとそうでないものは分けられた。残されたものは、火勢に飲まれ、消えゆくこととなる。
 その火を灯すことを課せられたこの役目は、いつになったら終わるのだろう。いつになったら。
 考えるだけ無駄なことだと、小さく頭を振って前を向く。
 進まねばたどり着かないのならば、自分はそれを目指すだけだ。
 ウルとともにあがった丘の上、預言書の主が立っている。その手には、大きな鍵に似た剣がひとふり。
 預言書の精霊が皆そろったことを確認し、主が力を行使する。
 そうして開かれていく扉は、新しき世界へと続く道。
 溢れる光を浴びながら、レンポは遠い過去に、思いを馳せた。

 

 どうして。
 そんな思いが精霊たちの間に漂っていた。皆一様に、沈痛な面持ちを隠さない。心優しい森の精霊が、声を抑えながら泣いている。はらはらと落ちる涙は、静かな雨のようだった。
 逃れ逃れた草原の片隅、大きな岩の傍らにうずくまっていた少女が、小さく身じろぎした。ゆっくりと、血の気のない顔があがる。
「だい……じょうぶ……?」
 周囲にいるものたちを見渡して、少女は小さくか細く、そう言葉にした。
「馬鹿野郎っ! なんで、なんでこんなときまでっ……!」
 言葉につまるレンポに、弱弱しくも懸命にティアは笑いかけてくる。
 自分のことではなく、どうしていつも他人のことばかり考えるのか。レンポは苛立ちまぎれにそんなことを口惜しく思った。
 だが、それがティアだと。
 ともに世界を作り上げた精霊たちよりも誰よりも、レンポが一番よく知っている。
 だって、ティアのそんな心優しいところに、惹かれたのだ。愛したのだ。
「……ごめんね。私、うまくできなかったね……」
 掠れた声で、荒い息とともにティアは言う。
 真に価値あると信じて、預言書に記したもので構成された新しきこの世界。
 古き世界はすでに滅び、灰の中より新たに生まれたこの地に降り立った一人の少女と四人の精霊は、赤ん坊のごとく頼りない世界がよりよきもとなるように、導こうとした。預言書のページの大部分をメタライズとして世界の礎としたあとも、残されたわずかな力で、最初の一歩を正しき道に踏み出させようと尽力した。
 だがその試みは、人にとっては恐怖の対象でしかなかった。
 都合が悪くなれば奇跡を求め。
 必要なくなれば、その奇跡を疎んじる。
 それでも人を信じようとしたティアの思いは、最後まで届かなかった。
 ごほ、とティアが苦しげに小さく咳をする。口元に赤いものが滲む。べったりと、大地を濡らす赤いものと同じもの。それは、ティアの命だ。
 追い立てられた際に負ったわき腹の深い傷から、静かに零れて落ちていく。
 ティアはただ、狂気に満ちた人間たちの群集の隅、人波に押されて転んだ子供を、精霊達の制止を振り切って助けようとしただけだったのに。
 動きをとめたティアは、その一瞬に、刺されてしまった。
「やっぱり、人間なんて……!」
 そのときのことを思い出したのか、いつもは表情を大きくかえぬネアキが、くしゃりと顔を歪めた。
「ネアキ!」
 震えるネアキの言葉の続きを遮るように、ウルの鋭い声が制した。
 人間をこの世界へと価値あるものとして導いたのは、ティア自身だ。人間を否定することは、ティアを否定することに等しい。
 その様子に、ふふ、とティアは力なく笑った。
「……うん。でも、あの人たちは悪くないよ?」
 精霊たちの反応とは逆に、ティアの言葉はひどく穏やかだ。
「どうして、そんなこというんだよ! どうみたってあいつらが……!」
 人間たちは、この世界の創造主たるティアの奇跡を恐れ、疎んじ、排斥し、石を投げ、追い立てた。あげくに、こんな目にあわせている。あんなにも、ティアの力に頼ったくせに。
 図らずもそれは――魔王と呼ばれた先代預言書の主、クレルヴォの言葉のとおりだった。
 この傷では、うずくまったティアはもはや動くことはできないだろう。死をただ待つしかないだろう。
 悔しい。悔しくてたまらない。あの呪いに似た言葉どおりの未来に、ティアはいる。そんなこと許したくなかったのに。
 もし、かつての力を預言書が有していたなら、これくらいの傷など癒すことくらい容易かったはずだ。だけれど、今、ティアにその奇跡を起こす力はない。精霊たちにも、ない。
 どうして、世界のため、この地に生きるものたちのため力を尽くしてきたティアが、このような仕打ちをうけなければならない?
 高ぶる感情に、目の前が真っ赤に染まりそうだ。
 レンポが拳を握り締めていると、ティアが動いた。
「おい、ティア……!」
 それを、慌てて支える。血がつくのも構わなかった。
「誰だって……自分と違うものは、怖いもん……ね?」
 大岩になんとか背を預けたティアが、ふ、と息をつく。
「でも、きっと大丈夫……」
 ゆっくりとした瞬きを繰り返しながら、ティアがいう。
「なにがだよ! こんな、こんな……!」
 思わず声を荒げたレンポに、ティアが微笑む。すべてを包み込むような、優しさに溢れたその顔に、レンポは怒り混じりの息を飲み込んだ。
「この世界は、それでもちゃんと未来へと進むから……」
 いつか滅ぶとわかっていても、それでも世界は歩き出した。価値有るものを育み、さらなる時と空間の果てへとつなぎ、いつかその先で咲き誇り、大いなる実を結ぶために。
「あとはみんなに、任せちゃうことになるけど……。いつか、たどりついて……ね?」
 自分を乗り越え、さらに先へとゆかねばならぬ精霊たちを、ティアが健気に励ましてくる。
 土と血に汚れたティアの手に、ひとつふたつ熱い雫が落ちる。それが自分の涙だと、レンポはすぐにはわからなかった。
 ティアの傍らに膝を付いて、その手をとる。
 いつも温かかった指先は、白く冷たい。それが恐ろしくて、恐ろしくて。火のぬくもりを分けるように握り締め、レンポはティアの顔を覗き込んだ。
「オレ、オレ……オレたち、約束したじゃねぇか! 忘れたのかよ?!」
「うん……約束、したね」
 ふふ、とティアが力なく笑う。
「だったら……!」
「うん……ごめん、ね」
 ぜぇ、とティアが苦しそうに息をつく。
「あやまんなよ……!」
 ごめん、ともうひとつティアの謝罪がそっと届けられる。
 いつか、心を繋いだ自分たちに別れがくることはわかっていた。
 新たな世界が生まれ、役目を終えた預言書は世界へと還り、契約を結ぶ精霊たちもまた、眠りにつかねばならない。
 そして、ティアは人間だ。いつまでもそのままであり続けることはできない。死んで、いつしか、ひとりで世界に還ってゆく。
 わかっていた。でもそれを許すつもりはなかった。こんな終わりは、絶対に望んでなどいない。
 レンポは、止まらぬ涙を拭うことなく、ティアに頬を寄せた。気遣いながら、抱きしめる。
「……レンポ。カエンバナ……すごく、綺麗だね」
 ティアの言葉を待っていたかのように、夜が明けていく。
「はじめてあったときも、咲いてた……」
 草原の東、大地が描く線が輝く。太陽の光が、零れてくる。広い場所に咲き乱れる花が、鮮やかすぎるほどの赤さで、波打った。ティアにいわれるまで、気付かなかった。そこにある花。とても、綺麗だった。
「……ねぇ、レンポ。……だい、すき……だ、よ……」
「っ、」
 すう、とティアの言葉が落ちていく。意識もまた、遠ざかっていく。
 レンポは喉の奥で悲鳴をあげた。
 だめだ。だめだ。
 ひゅう、と炎の精霊なのに胸の奥が冷たく凍りついていく。
 このままティアを死なせない。死なせたくない。別れたくない。
 どうしたらいい。
 そう懸命に考えるレンポの脳裏に、ひとつのひらめきが過ぎった。
 それが善いか悪いか、熟考する時間はない。
 腕にティアを抱きしめたまま、レンポは天を仰いだ。
 天から降る雨などないのに、見開いた瞳を、頬を濡れたままにして、大きく口を開く。
「レンポ!?」
 何かしようとしていると察したウルが、ひどく動揺した様子で手を伸ばしてくる。
「いけない!」
 だが、間に合わない。ミエリとネアキが、息を飲んだ。

「――――――――!」

 それは精一杯の叫び声。救いを求める声。でも、人には決してわからぬ言葉。聞こえぬ言葉。
 精霊をはじめとした尊いものたちの間でのみ使われるそれは、それ自身が大きな力をもっている。
 そんな言葉で紡いだレンポの願いは、ティアではなく、精霊たちにでもなく。
 もっと偉大なるものへの呼びかけであり、誓いであった。
 ごう、と世界を震わせるような強い風が吹いた。
 それは――了承されたことの証のようだった。
 止めるに間に合わなかったウルに、肩をつかまれたまま。レンポは、荒い息を繰り返した。
「あなたは、なにをしたのか……わかって、いるのですか。レンポ!」
 常に冷静であるウルの声が、高ぶり混乱した感情に揺れている。細い指に痛いほどこめられる力は、レンポがしでかした現実を、思い知らせるかのようだった。
「……わかってる」
 ぎゅ、とまだほのかにティアの温もりが残っている己の手を握り締め、レンポは、ことりと言葉を置いた。
 目の前に、一枚の紙が、ひらりと舞う。
「ティア……! ティア、を……どうしたの!?」
 ミエリが弾かれたように、ティアがいた場所へと飛んでくる。だが、そこにティアはいない。あるのは、冷たく赤い大きな染みだけ。
「レンポ……まさか……あのとき、みたいに……」
 最後に近づいてきたネアキの声が、震えている。
 呆然とした彼女が暗に示しているのは、クレルヴォの手によりティアと離れ離れになったとき。暴走した預言書が、生きたまま一人の少女を取り込んだ、あのときのことだとレンポにはすぐにわかる。

 だって、今まさにそれを望んだのはレンポだから。

「ティアを預言書に取り込むなど……! あなたは何を考えているのですか!」
 語気荒くウルが責めたててくる。
「ど、どうしてこんなことしたの!?」
 ティアを写し取ったページとレンポを交互に見ながら、理解できぬ状況に、ミエリが声を歪める。
「……約束、した」
 ぽつり、レンポは言う。
「約束?」
 ネアキが不思議そうに繰り返すが、その先を答えるつもりはなかった。
「でも、どうして、こんなことができるの……?」
 本来、預言書は本質のみを読み取り、記録するもの。生きたまま、何かを取り込むことなど通常はありえない。
 かつてのことは、預言書が暴走したことによって引き起こされた、異常事態だった。しかし、今はそうする要因はなにもなかった。
 ミエリが細い指を伸ばす。それを阻止するように、レンポはティアのページを横から攫った。かさり、とわずかな音がたつ。
 それに視線を落とす。目を閉じたティアの絵姿と、その情報がわずかに記されている。そう、わずかだけ。
 ぎゅ、と。レンポは顔を歪めた。
「レンポ、あなたは……。契約の報酬を、望んだのではないですか?」
「……」
 ウルの推測にも、答えるつもりはなかった。だがその沈黙は、問いかけを肯定するものだった。
 あ、とミエリが息を飲む。
「でも、だってそれは、すべてが終わってから決めることじゃ……」
 預言書とともに世界をこえ、また新たな世界を導く精霊へ、世界の願いが叶えられたとき、結んだ契約の対価となるもの。
 いいえ、とウルが小さく頭を振る。美しい手を優雅に口元に当てて、わずかに考え込んだウルが、冷静さを取り戻した瞳を向けてくる。 「私たちがそれを手にするのは、『世界が望む正しき世界』にたどり着いたときですが、報酬をさだめるのに、『いつ』、という取り決めはありません」
 ただ、とウルが眉を潜めた。
「一度決めてしまえば、覆すことはもうできない」
 困惑した三つの視線を受けながら、レンポは立ち上がった。
「……これで、よかったの?」
 契約が完了すれば、叶えられないことはなにもない、無限の可能性をもつ大いなる報酬を望む権利が与えられるはずだった。
 ティアをこんな風にすることが、レンポが選ぶべき報酬なのかといいたげな、ネアキの静かな冷えた瞳。
「――オレのほしいもんは、ひとつだけだ」
 そういったレンポの全身を、照らす光。
 太陽が昇りきる。あたりが満たされる。新たな一日が、滅びの日に向かって進みだす。
「あなたを問い詰めたいところではありますが……。もう、時間がないようです」
 ウルの言葉が終わる前に、じゃらりと重たげな音を響かせて、いずこからか現れた鎖が、精霊たちを捕えた。
「きゃあ!」
「……っ!」
 ミエリの足、ネアキの喉、ウルの瞳、そしてレンポの腕。
 心通わせた預言書の主は、もういない。ならば、真の力を行使できる状態であることは、許されない。
 皆、そのことは理解していて、精霊たちは誰一人とて抵抗することなく、封じられていく。
「次に目覚めたときには、力尽くできかせてもらいますよ。レンポ」
 あなたが、ティアと交わしたという約束と、本当に願いを。
 目枷を帯びたウルが、レンポをのぞく全員の心をそう代弁し、ひらりと栞へと変じる。ミエリ、ネアキが、それに続いた。
 ぐるりと腕を捕らえられ封じられた腕はもう動かない。
 ティアの情報を写した紙に、レンポはそっと唇を寄せた。
 そうして。
 同じように、一枚の栞にその身をうつしたレンポは、預言書に吸い寄せられるままに、身を任せた。
 一枚の、ティアという少女をとりこんだ、ページとともに。

 

 ふ、と目をあければ、そこはもう新しい世界だった。
 水に溢れた場所だ。濡れれば力をだせないが、素直に美しい世界だと思う。
 ここからまた、歴史が紡がれていく。
 ちゃんと役目を果たせたと喜ぶ主と仲間たちを横目に、レンポは遠い記憶を、胸の一番奥へとしまいこんだ。
 次に目覚めるのはいつになるのだろう。
 この世界が滅ぶのは、いつになるのだろう。
 自分は、終わりまでどれくらい近づいたのだろう。
 レンポはゆっくりと新しい世界の大地へと身を預けながら、果てのみえぬ旅路にひとつ、心の中で印をつけた。

 

 

 そこに生きるものたちの欲望が大きくなり、支えきれなくなったとき。
 熟れた果実が落ちるように、世界は滅びていく。
 そうしてまた、新たな芽が綻ぶ。
 前の世界の価値あるものをもたらされ、次こそはと願われながら健気に花を開かせる。
 大切に育てても、やがて朽ちることを知りながら、それを飽きることなく繰り返す。ただひたすらに。
 それは己の願いのため、受け取るべき報酬のため。
 それは世界と契約を結んだ大精霊には、あるまじきことかもしれない。正しき世界のためではなく、己の願いのためのみを考えている。  だが、大精霊は出会ってしまったのだ。
 不完全な世界の中、目を奪われ心さえも奪われるような、たったひとつの存在に。
 それは、なにものにもかえがたい宝物として、預言書が有する無限のページの奥深く、他の大精霊にも守られて、世界を渡っていく。
 歴代の預言書の主でさえ、みることが許されぬその宝は、ただひたすらに解放されるときを待つ。

 

 

 たどり着いた世界は、雲ひとつない高い空が目に沁みるような青さを湛えていた。あの世界に似ているけれど、ずっとずっと遠いところだ。
 そこに、レンポはゆっくりと降り立った。
「よし! きたよ、新世界に!」
 明るく喜びに満ちた声が、辺りに満ちた。
「おめでとうございます。私たちはこのときを、待っていました」
「やったねー! ずっとずっとここを目指してきたんだもの!」
「……うん」
 主の言葉に感慨深げに頷くウル、諸手をあげるミエリ、風を受けて微笑むネアキは、ひどく嬉しそうだった。そしてそんな彼らに、力を封じる枷はない。だが、レンポにはだけは枷があった。
 心が通じていないわけではない。最後の世界にたどり着くために選ばれた主は、レンポのこともよく理解してくれた。世界はその絆を認め、真の力を振るうことを許している。
 だが、レンポはこうあることを、自ら望んだ。
 この時のために。
 最後を導くに相応しい心優しい預言書の主が、少し離れたところにいるレンポに向き直る。
 栗色の髪に縁取られた優しげな面差しの少年が、預言書に微笑みかければ、赤い表紙にある瞳が、一度大きく見開かれた。
 次の瞬間。
 弾けるように大きく開いた本から、ばらばらとページがほどけて勢いよく散らばっていく。無限のページが空を覆い隠していく。
 そうして最後に本に残ったのは、古びた一枚のページ。
「はい、これがレンポの望みだよね?」
「おう」
 今の主と、絆を結んだときに語ったことがある。
 そのページには自分の、愛しいものがいるのだと。
 本から離れることのなかったそのページを、主はそっと預言書ごとレンポに差し出した。
 レンポは、枷に覆われた手を伸ばした。
 その先端が、わずかに紙に触れた瞬間。
 枷が、そこからぼろりと崩れた。決して壊されることのない、朽ちることのないはずのそれが、形を失っていく。大きく小さく、やがて目に見えぬほどの塵となり、大気に次々と溶けていく。それは、ほんとうの終わりにたどり着いたのだと、知らせるかのような光景だった。
 そうして現れるのは、レンポの手だ。
 たった一人の人間以外にみせたことはなかったその手で、レンポはそれを受け取った。
 薄汚れていたページが輝く。かつての光を、とりもどす。
 そこに記されているのは、一人の少女の姿だった。
「ティア……」
 そっと、愛おしさをこめてその名を呼ぶ。
 これまでに、幾度その名を呼んだだろう。
 応えるものがないことをしっていてもなお、ただただ、重ねてきた尊い音。
「レンポ。君の願いは? 僕の最後の役目はね、ずっとずっと世界と預言書を繋いできた君たちの願いを、形にすることだ」
 背後に無限のページを従えて、厳かに預言書の主はいう。
 もし、この世界に神と呼ばれるにふさわしいものがいるとするならば、それは今まさにレンポに問いかける、彼の人だった。
 レンポは、胸を張った。

「オレ――人間になりてえ。そうしてティアと一緒に生きる。それが、あいつとの約束だった」

 どんな方法であろうとも、ティアが作った新しい世界で人間になって。そうして、ティアと一緒に人間としての幸せを手にして、生きて、死にたいと。たった一人で、ティアをいかせはしないと。
 そう言葉にしたときの、ティアの泣きそうに歪んだ顔を覚えている。
 愚かだと思っていた人間になって、ティアの側にいたい。
 本来なら、精霊が考えることのないはずのことだった。だけども、レンポは変わってしまった。そう願うことのほうが、自然なことに思えた。
 そんな自分の気持ちを真摯に重ねれば、ティアはやがて頷いてくれた。
 そうしてこぼれた、輝く笑顔もまた、はっきりと覚えている。
 もしそうだったらいいのにと、ちょっとだけ思っていたのだと、べそべそと子供のように泣きながら、ティアもまた告白してくれたことも。
 だから。
 ふたりできめたこのことは、果たすべき約束。
「それは、精霊である自分を、捨てるということです」
 静かに、静かに。ウルがそうした場合の結果を告げてくる。
「わかってる」
 レンポはすぐさまそう返した。
「いくら世界の力であろうと、存在そのものを変えるとなれば、あなたの記憶は失われる」
「わかってる」
 自分というものを組み替えることの代償が、必要なことくらい。
 揺らがぬレンポに、赤と青の瞳に迷いを滲ませ、ウルが長い睫を伏せた。
「そのページにおさめられたティアの情報は、失われる寸前のもので、完全とはいいがたい。もしかしたら――、いいえ。きっと、私たちの記憶は……ないことでしょう」
 そっと、レンポはティアのページに視線を落とした。
 ティアという存在の礎となる魂の情報と、なにかしらの記憶がわずかに書き込まれただけの、ページ。
 あのときに、失われかけていたものだ。残っているものも、数多の世界を越え、数えられぬ時間の波を渡ってきたせいで、色あせてしまっている可能性が高い。
 つまり、二人が出会ったときの瞬間も、ともに過ごした穏やかな時間も、胸躍らせた冒険の一時も。きっと、ティアは持っていない。
 わかっている。でも、それでも。
 レンポはティアのページを持つ指先に、ほんの少し力をこめた。
「かまわねぇ。ティアが、ティアでさえあれば、オレはいい」
 魂は不変のもの。世界の滅びと再生に立ち会ってきた、レンポはそれを知っている。
 その輝きだけが、滅びの炎でも決して失われないことを。
 ともに過ごした記憶がなくとも、あの綺麗な心はきっとまた彼女に宿る。
 力強い言葉は、言霊として世界に届く。

「オレが人間としてティアと生きる未来をくれ。それが、オレが望む報酬だ」

 静かな願いをさらうように、ごう、と強い風が吹く。
 それは世界が鳴いた音。別れを惜しみ、その決意に頷いて、届けた音。
「――わかりました」
 ほんとうはわかっていたのだと、きくだけ野暮であったというように、ウルが頷いた。
「やはり、決意は固いのですね。あのときから、ずっと。それがレンポの願いであるならば、世界はその報酬を与えるでしょう」
 すい、とレンポへとウルが近づく。
「あのときは、あなたのしたことが理解できませんでしたが……。あなたの意図に気付いたときには驚きましたよ」
 切れ長の美しい瞳が、柔らかに細くなる。
「レンポ、私は、あなたが眩しかった。いつも真っ直ぐで、こんな風に自分の思ったとおりに動けるあなたが、とても羨ましい」
 どこか少年じみた笑顔で、ウルがいう。
「きっとあなたは、その存在のありどころを変えても、ずっとそのままでしょう」
「へへっ」
 レンポは、なんだか照れくさくて、頬を小さくひっかいた。
 雪の結晶を身に纏い、ネアキがレンポに近づいてくる。いつもなら、その冷気は好まぬもののはずなのに、いまは不思議と気にならなかった。
 当たり前のように伸ばされた小さな手を、こちらも当たり前のように握り返す。ひやりとした感触は、少し震えているようだった。
「……ばか。でも、ありがとう。ティアと一緒に、せいいっぱいに生きて、ね」
「ああ」
 言葉少ないネアキの感謝は、これまでともに預言書の精霊として尽力していたことに対してか、それともティアと一緒に生きることを選んだことへのものなのか。わからないけれど、その言葉は、とてもあたたかい温度でレンポの胸に落ちた。
 と。
「レンポー!」
「うぶっ!」
 鳴き声交じりで名呼びながら、ミエリが勢いよく抱きついてきた。豊かな胸に顔を押し付けられて、レンポはくぐもった声をあげる。 「あのね、あのね、レンポ! 私たちもう会えなくても、いつも側にいるから――ずっと、見守っているから! 忘れちゃっても……覚えていてね! ぜったいね!」
 無茶をいうミエリに抱きしめられたまま、なんとか上をみあげる。やわらかな慈雨のごとく、ミエリの涙がレンポの頬を濡らした。
「……おまえらも。元気でな。いままでありがとよ」
 それは万感の想いだ。最初の世界から、この遠い世界まで、ともに在り、ともに眠り、ともに力を尽くした仲間たちへ。自分の願いを、理解してくれた仲間たちへ。
「永遠に等しい時間を有する存在であることを捨てるあなたにそういわれも、ね」
 レンポの気持ちをわかっているのだろうウルの、わざとらしいからかうような言葉に、ふふふ、とミエリとネアキが顔を見合わせて笑った。
「うっせー!」
 照れくさくなって叫ぶと、くすくすと笑いながらミエリは名残惜しげに離れていった。
「じゃあ、世界からの報酬を、君に渡すよ」
 精霊たちの別れを見守っていた主の声が響く。
「ありがとうレンポ。君が僕のことを忘れても、僕は君のことを、決して忘れない」
 普段の優しい空気はいずこかへと去り、そこにあるのは凛とした威風だった。奇跡を行使するに相応しい。
 と、思ったら。
「そうだ! そのうちに、世界のどこかにいる君たちに、必ず会いに行くよ。もちろん皆と一緒にね! 楽しみだなぁ!」
 いいことを思いついたといわんばかりの、親しみを感じる笑顔をみせて、そんなことを言う。その言葉に、ウルが、ミエリが、ネアキが笑って頷いた。
「わかった、待ってるからな! おまえが最後の預言書の主で、よかったぜ!」
 に、とレンポは笑う。
 預言書の主のもとへ、精霊たちが寄り添う。す、と少年の手が差し伸べられる。
「さようなら、レンポ」
 別れの言葉は寂しいけれど、新たな生を歩もうとするものへの、祝福でもある。
「偉大なる炎の精霊の新たな命の道に――優しい世界の、加護があるように」
 少年の言葉は、美しい旋律をもつ歌のように、あたりに響いた。
「じゃあな!」
 に、とレンポは最高の笑みを浮かべて、それに応える。
 主の背後に控えていた無限のページが、ひとつひとつ、光となり闇となる。
 それらは形を変えてレンポに突き進む。世界のすべてを記したものが、レンポを取り囲む。
 視界を光と闇に遮られながら、ティアのページを胸に抱いてレンポは瞳を閉じていく。
 そうして、瞼を完全に閉ざしたとき。
 レンポの意識は、ぶつりと途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗い場所だ。だがそれも当然だった。自分は、目を閉じているのだから。
 鉛でもぶら下げているような瞼をなんとか開けば、そこは一面の青だった。遠くで小鳥が囀っている。
 頬を撫でる風に甘い香りが混じっている。誘われるようにそちらを向く。顔の側で赤いものが揺れている。それに目を凝らせば、だんだんと視界は明瞭になっていった。
 それは、炎を模したような花だった。一輪でも凛と咲き誇るその花は、瑞々しく、美しい。
 これは、なんて名前の花だった?
 そんなことをぼんやりと思いながら、ゆっくりと体を起こす。はらり、草のかけらが風にのって飛んでいった。
 花とは逆の場所に、大きな存在があることに気付く。自分のことさえよくわからぬまま、のろりと視線を向けると。
 華奢な女の子が、横たわっていた。
 柔らかそうな白い肌に覆われた頬。さらりと零れる明るい色の髪。薄紅に色づいた小さな唇。腹の上に、重ねた手を置いている。ゆっくりとした呼吸に、上下する胸。
 その少女をみた瞬間、なぜだか涙が零れた。
 自分はこの少女を知らない。記憶にない。わからない。
 だけれど、愛おしくて、懐かしくて。胸の奥から全身を押し上げるようなその感情の波に、ぼろぼろと涙は止まらなかった。
 声をだすことすらできず、奇跡をみつめるような心地で、少女を凝視する。
 ふいに、少女が動いた。死んだように横たわっていたのに、涙に応えるように長い睫が震えた。瞳が、すうと開いていく。
 大きな、実り色をした瞳が、自分と同じようにまず空を映し、次にこちらを向いた。
 視線を絡めても、互いに言葉は生まれない。
 だけれど、その間にたしかに結ばれたものがあるように思えた。
 横たわったまま、少女が手を伸ばしてくる。
「泣いてるの……?」
「……ああ」
 空中で止まる指先を、掬い上げるように衝動的に掴んだ。
 触れた瞬間に、このぬくもりを、永い長い間求めていたのだと。直感した。
 もっともっと、というように熱い雫が頬を濡らしていく。
「どうして……?」
「……わかんねー」
 ひく、と喉を震わせながら、頭を振る。嘘偽りなどない。この少女に、そんなことをしても意味がない。
 少女が、小さく首を傾げた。ほう、とその唇から漏れ出でる吐息。視線をあわせたまま、互いに唇を動かした。

「あなた、だぁれ?」
「おまえ、だれだ?」

 同じ内容の問いをかけあう。
 わからない。わからないけど。
 くしゃりと、顔が勝手に歪む。
「……あいたかった」
「……うん」
 手を伸ばし、抱きしめる。
 この両手は、この少女を抱きしめるためにこそあるのだから。そう、知らぬ自分が叫んでいた。
 よくわからないところから、感情が次から次へ涙と一緒に溢れる。愛おしいと、魂が叫んでいる。呼吸をすることさえ難しくなってきた。
 ああ、人はこんなにも生きるということに必死なものなのだと、そんなことを思いながら、腕に力をこめた。

「オレ、おまえと生きていきたい」

 感情のまま素直に零れた言葉は、突拍子もないものだ。
 互いに、互いが誰かわからぬ状況で、こんなことを言うべきではない。
 でも。
 少女が、ふわりと笑ってくれたのがわかる。うん、と小さな了承の声が響く。

「私も、あなたと生きていきたい」

 そう答えが返されたとき。
 渡る風に、いくつもの軽やかな歓声が、混じったような気がした。幸せにと、そんな声が、聞こえたような気がした。
 それは誰の声かわからないけれど、永い長い時間のなかで、ときに励まし、ときに喧嘩し、ともに過ごしたものたちのものだと、知っている。顔さえ、思い浮かべることもできないというのに。
「おかしいね……。私あなたのこと知らないのに――よく知っているような、気がするの。そういってもらえて、とっても嬉しいの……どうしてかな」
 そう言って微笑んで、ほろり、と少女もまた涙を零した。
 自分と同じ気持ちであるのだと、それだけで理解することができた。
 こうして二人でわからぬままにいることを、不思議だとは思わない。そうあることに、きっと意味があるはずだから。
 泣きながら顔を見合わせて、そして笑いあう。
 ゆっくりと手を取り合って立ち上がる。
 見渡せば、そこは小高い丘の上。小さな木が一本と、草揺れる緑の絨毯、そして、青い青い空に映える――丘の裾野に咲き誇った緋色の花。
 身を寄せ合って、その景色をともに眺める。
 この存在と、これから自分は生きてゆくのだと。それが自分の願いなのだと。
 誰に教えられたわけでもない。ただ魂に刻まれた理を感じながら。
 少年は、繋いだ手に力をこめた。