ゆたんぽの君

 すでに季節は、冬とされる頃合となってから久しい。すなわち、身も凍るような季節の真っ只中であるということだ。
 吐く息が白いなんて当たり前。指先はかじかみ、不用意に耳を風にさらせば、痛くなる。太陽が顔を覗かせている日中はまだしも、夜ともなれば寒さが増す。そして明け方になれば、あたり一面が雪と氷に包まれるのだ。
 ネアキは、とっても元気で機嫌が良くなる季節なんだよねぇ……。
 氷の属性をもつ、儚げで清らかな青い精霊が脳裏に浮かぶ。雪模様の空の中、くるくると踊るように、楽しげに飛び回っていた。それを家の中から眺めながら、ちょっと羨ましく思ったものだ。
 だが、人間であるティアにはこの寒さは堪える。友人からもらった暖かなガウンを着ているというのに、そっと寄り添って体温を奪おうとする冷気が足元から込み上げたような気がして、ティアはぶるりと肩を震わせた。
「今日はもうおしまいにしよっと……」
 手にしていたペンをもどし、書き物を終えることにする。寒さのせいで、あまり筆も進まない。こういう日は、寝てしまったほうがいいだろう。
 椅子から立ち上がり、暖炉へと向かう。蕩けるような色合いの薪に躊躇することなく灰をかけ、燃え盛っていた暖炉の火を落とす。今回の以前のこの季節には、火種を残すことに努めたものだが、いまそれは必要ないのだ。まあ、残っていたら、恋人の手間が少しだけ減るというくらいだ。
「これでよし、っと……うう、寒い~」
 さてさて、暖かさが残っているうちに……と、ティアはガウンを脱ぎ捨て椅子にかけ、ランプの明かりを消すと、寝台へと滑り込んだ。
 前までは冷え切った氷のようなシーツが出迎えてくれたものだが、今は違う。そこは春の陽だまりのように暖かい。込み上げる安心感に、ほう、と息が漏れた。
 入り込んだ空気か、ティアの動きのせいか。その暖かさをもたらしている存在が、もぞもぞと動いた。ふわ、と小さな炎が、寝台の上に浮かび上がる。
「……ティア……?」
 書き物をしていたティアより一足先に眠りについていたレンポが、うっすらと目をあけた。レンポが灯した炎の明かりの下、その寝ぼけ眼を覗き込みながら、ティアは苦笑した。
「起こしちゃってごめんね」
 申し訳ないとう気持ちをこめてそういえば、ゆっくりと目を瞬かせたレンポが手を伸ばしてきた。頬をなでられ、首筋をたどり、肩が掴まれる。
「って……、もう肩冷えてきてんじゃねーか、おい」
「ぅ」
 そのまま、ぐいと引き込まれるように抱きしめられた。胸に顔をおしつけられて、ティアは小さく声を漏らす。ぎゅうと抱きしめられれば、息が肺から押し出される。
「ん~、レンポ……」
 だがそれには逆らうことなく、ティアはその名を呼びながら、レンポにぴったりと寄り添っていく。
「あうう~、あったかい~」
 素直な感想を述べながら、その胸にこれでもかと頬を擦り寄せる。火の精霊ということで、レンポはひどく暖かい。想いを通じ合わせてから、こうして共に眠るようになったのだが、夏は少々まいったものの、この季節は幸福の一言に尽きる。ありがたいことこの上もない。レンポ自身は、寒い冬は大層苦手なようだが、ティアは随分と助けられている。心地よさに、うっとりとした表情が自然と浮かぶ。
 恋人である精霊は、そんなティアの様子をみつめながら、ご満悦な様子で抱きしめてくる。髪を撫でられ、背に腕を回されれば、今の季節さえ忘れてしまいそうだった。
 ここだけが、春のひだまりのよう。
 ぬくぬくとしながら、そんなことを考える。
 ちらと見上げたレンポも、たとえ湯たんぽ的扱いであったとしても、ティアが自ら身を寄せてくるのは嬉しいらしい。つりあがった瞳が柔らかく、そして優しい。
「なあ、ティア。オレ様がいてよかったろ?」
 褒めろと暗に誘うレンポに、笑う。
「うん、もちろん。出会ったときから、ずーっとずっとそう思ってるよ」
 預言書に選ばれて、なにがなにやらわからぬ自分を導いてくれて。時に励まし、時に手を差し伸べて、時に身を挺して守ろうとしてくれた。
 そうして、いまはこうして自分を凍えるような寒さから、隔絶するように抱きしめてくれている。
「そうだろそうだろ」
 きゅうと瞳が細くなる。その様子に、くすくすとティアは笑った。
「ほんとうにありがとう」
「ティアのためだからな」
 ちゅ、と額に落ちる口付けさえも、暖かい。
「明日も寒くなるのかなー……」
「まあ、この分じゃな。いきなり夏になるってこともねぇだろうし」
 滅びに向かうこの世界は、以前ならばその兆候として天変地異に襲われることもあったが、ティアの活躍でそれは緩やかかつ静かなものとなっており、そういうことはきっと起きないだろうと精霊たちが話していたことを思い出す。
 そんなことが起きればいいと思うわけではないが、この季節、人間なら誰しもが願うだろう。
 はやく、春がきてほしいと。
 ティアもその一人だ。
「とにかく、春まで我慢我慢」
 ぶつぶつと自分自身に言い聞かせるように呟くティアの頬に、レンポの手のひらが当てられる。
「なに、それまでオレ様が、ちゃんとティアのことあっためてやるよ」
「ふふっ、それなら何があっても大丈夫だね」
 ティアは瞳を閉じて、その全てに身をゆだねるように頬を摺り寄せる。  凍えてしまいそうな冷たさも寒さも、レンポがいるなら大丈夫。確かに、そう思う。
「ね、明日はどこいこっか?」
 雪の季節であっても、価値あるもの探しは続けられている。雪原にだけ現れる不思議な虫や、体毛の入れ替わった動物。妙薬になる角をもつ雪の魔物たち。
 そうしたものをまた、預言書に記さなければいけない。ティアの問い掛けに、レンポは方眉をあげた。
「そうだな……あー、エルオス火山とか」
「でも大体の探索終わってるよ?」
 灼熱のマグマが血液のように火山内部を流れる洞窟を思い出して、ティアは目を瞬かせる。
「じゃあ、砂漠」
 間髪入れぬ応えに、ティアはぴんときた。どうやら、暖かい場所、暖かい場所と選んでくれているらしい。
 くすくす、とティアは笑った。レンポ自身も寒いところはごめんのようだが、それ以上に自分のことを考えてくれているのだと感じたから。
「そういえば、エエリさんに最近会ってないね。じゃあ、明日は砂漠にいこっか」
「おう、そうしろそうしろ」
 ティアの言葉は満足いくものだったらしく。に、とレンポが笑った。
「そうだ。小さい雪だるまとか作って持っていったら、びっくりするかなぁ?」
 雪の降らないサミアドだ。きっと珍しいに違いない。
「ユキダルマってあれか。ティアが今日作ってた、あの雪の塊か」
 雪の塊、といわれて、ティアは顔を真っ赤にした。確かに、ちょっと不恰好になってしまったが、目も鼻も口もつけたし、頭には逆さにしたバケツものせたし、枯れ枝で手だって作った。ちゃんとどうみても雪だるまだったはずだ。
「塊じゃないよ! ミエリだって可愛いっていってくれてたもん!」
 出来上がったとき、瞳をきらきらさせて魅入っていた森の精霊の姿を思い浮かべて抗議する。
「そうだなー、ミエリだけが可愛いっていってたなあ」
「う~……」
 だけ、の部分がやたらと強調されて、ティアは僅かに頬を膨らませた。たしかに、ウンタモを可愛いと賞したミエリの美的感覚にかなったのならば、それはそれで不安が過ぎる。
 ううう、とティアが小さく唸っていると、レンポが噴出した。
「冗談だろ、むくれんなよ」
「ん、」
 宥めるように、額をあわせてきたレンポが、楽しげに笑っているから。まあ、いいかとティアは思う。でも、なんだかちょっとだけ悔しい。
「もう、いいもん……」
「だから、すねるなって」
「ふふっ」
 そのままの状態で、しばらく二人であれこれと話し合う。今日のこと、明日のこと。
 手を繋ぎ、心を繋ぐように言葉を交わしているうちに、ティアの意識に睡魔が滑り込んでくる。
 だがそれも仕方ない。冷たい冬の気配に満ちた世界の中、ここは最高に安堵できる場所なのだから。そして、そのぬくもりは眠りを誘うには充分すぎた。
 とろり、とろり。
 上の瞼が、下の瞼と仲良くなりたいと訴えてくる。
 でも、もうちょっと……おはなしがしたい。
「ティア?」
「……ん」
 そう思っても、自分の答えには夢の世界が色濃く反映されていて、鈍い。
「……ほんっと、しゃーねぇなあ」
「ん……」
 一言、二言、口数が少なくなっていくティアの様子を察したのか。くっ、と笑ったレンポが、そっと唇に口付けを落としてくる。そこから一気に、眠気が押し寄せた。もう、逆らえない。
「おやすみ、ティア」
 いつもの闊達な声が、とても優しくて心地よい。ティアは、ん、と精一杯頷いて返した。
 頭上に浮かんでいたレンポの炎が、燃え尽きるようにして消える。夜の闇に覆われるのにあわせて、ティアの意識は落ちていく。
「あーあー、このままずっと冬ならいいのな……」
 冬が嫌いなレンポのそんな呟きを聞きつつ、薄っすらと微笑んだティアは、重いまぶたをゆっくりと降ろした。

 預言書の主の眠りは、炎の精霊に守られて、今日もまた温かくどこまでも深く、広がっていく――