ひとりのためのサンタクロース

「はいっ、皇子!」
 元気よく目の前に突きつけられたものが、ぷらぷらと揺れている。ヴァルドは、赤い瞳を瞬かせた。
「ええと、ティア、これは……?」
「靴下、です!」
 輝かんばかりの笑顔で、おおよそ人がはくには大きすぎる派手なそれ――靴下をぶらさげて、ティアは誇らしげに言った。
「いや、さすがにそれはわかるけれど……」
 そうじゃなくて。
 ヴァルドは困り果てて、睫を伏せた。
 どうして、その靴下を自分に差し出しているのか、という理由を問いただしたいのだけれど。
 そんな気持ちを察したのか、察していないのか、ティアがさらにその靴下を突き出した。そうして、きりり、と至極真面目な顔をするものだから、何かいわれがあるのか、特別は理由があるのかと、ヴァルドは次の言葉を待たざるをえなくなる。
「これをですね、暖炉に下げるか枕元においておくと、朝にはサンタクロースさんがプレゼントいれていってくれるんです!」
 知ってましたか?! すごいですよね!? と、薄い胸を堂々と張って言い切って。ティアは満足そうに一息ついた。
「……」
 知っている。知ってはいるが――そうして、私にどうしろと。
「……そう。それは素晴らしいね」
 それ以上いえることが思いつかず、ヴァルドは曖昧に微笑んだ。ティアが、にこーっと可憐に微笑む。
「だから、皇子もちゃんと置いておいてくださいね?」
「え」
「できれば、寝室のベッドのところがいいと思いますよ!」
 ぐい、と胸元に押し付けられたものを、間の抜けた声をあげながら、ヴァルドは反射的に受け取った。
「じゃあ、私はこれで。お邪魔しちゃってすみませんでした。お仕事、頑張ってくださいね!」
 ひらり、スカートとコートの裾を翻し、ティアが背を向ける。そのまま来室したときの勢いそのままに、ドアへと足早に向かっていく。
「ま、待ちたまえ、ティ―――!」
 慌てたヴァルドの留める声を綺麗にかわし、ティアは風のように去っていった。
 ぱたんと軽いドアの閉まる音の向こう、たーっと廊下を駆けていく足音が遠ざかって消えていく。
 手を伸ばした姿のまま、ヴァルドはしばし固まって。のろのろと視線を落とす。その先には、目の粗い大きな靴下が一足。
 くす、とヴァルドはそれを手にしたまま、笑った。
 どうしてこんなことになったのか、わからないけれど。あんな風に言われたら、やらないわけにはいかないだろう。
 クリスマスには、一緒には過ごせないといった次の日に、こんなことをしてくれるなんて。彼女なりの、自分に対する気遣いだろうか。
 それにしても、靴下を用意して、プレゼントを待つのはいつ以来だろう。確か、子供の頃に、乳母が一度やってくれただけだ。わくわくして、楽しかったのを覚えている。
 遠い記憶の懐かしさに浸りながら、それを思い起こさせてくれたティアに感謝しつつ。ヴァルドは、ゆっくりと執務机の椅子に腰掛けなおして、書類と格闘するべくペンを手にする。
 それはきっと、さきほどとは比べ物にならないくらいの軽やかさをみせるだろう。
 そんなことを思いながら。

 

 疲れた。
 ふう、と重々しいため息をつきながら、ヴァルドはそっと上着を脱いだ。
 ちらりと視線を走らせた大きな時計の針は、短針長針ともに間もなく真上をさす。こんな時間まで続くパーティは、貴族たちには当たり前のことだ。
 まだホールでは、宴が続いていることだろう。ヴァルドも王族である以上、慣れているとはいえ、疲労が募るのは仕方のないことだった。会話の端々に滲む、腹の探りあいにも、精神的に辛い。
 本当なら、清々しい気配をもつ愛しい少女と、この夜を一緒に過ごしたかった。
 だが、国同士の付き合いとなると、そうもいかない。わかっている。ティアも、それをわかってくれたことに、感謝している。
 申し分けない気持ちで伝えたヴァルドに、にっこりと笑ったティアの優しさを思い出しただけで、頬が緩んだ。それは、自分の暖かな心を呼び起こす。彼女の笑顔は、ヴァルドの心に健やかさを取り戻す、天上だけに存在する奇跡の薬のようだった。
 そうだ、明日には彼女の喜びそうなものを、贈ろう。せめてのお詫びに。何がいいだろうか。
 そんなことを考えていると、ふと、ベッド脇のテーブルにのせられたものに目がついた。
 ティアがくれた、大きな靴下。パーティにでかける前に、そこに置いておいたものだ。
 小さく笑い声を漏らして、ヴァルドはそれを手に取った。そのまま、ティアにいわれたとおり、ベッドヘッドの飾りにそれをひっかける。
 ぷらり、垂れ下がったそれを、そっと撫でてみる。物は何も入っていないけれど、そこには確かに彼女の自分への想いが詰まっているのだ。そう考えるだけで、幸せな気持ちが込み上げた。
 ああ、会いたい。ティアに、会いたい。
 と。

 がた、がたたっ

「――!」
 微かに窓辺から響いた物音に、恋に沈みかけた意識を引き上げたヴァルドは、大きく飛びのいた。
 昔、暗殺されたときの暗く嫌な記憶が蘇る。だが、あのときのようにいくわけにはいかない。あの頃よりももっと、自分には死ねない理由ができたのだから。
 愛用の剣を音もなく手にとって、調度品である椅子の陰に素早く隠れる。いつでも抜き放てるように、柄を握りながら息を潜める。
 きぃ、と小さな音をたてて何者かが窓から入ってくる。刺客にしては小柄だ、と目にした瞬間に思った。
 一体、どこの手のものだろうか――脳内で、ありすぎるほどの心当たりを探っていると。
「よいしょ、と……おじゃましまぁす」
 ヴァルドの緊張感を台無しにするような、柔らかな声が響いた。
 たわめられた弓から放たれる一瞬を待つ矢のように、切りかかる機会を伺っていたヴァルドは固まった。だってそれは、よく知っている声だったから。
 小さな曲者が、静かに動き出す。きちんと扉をしめて、てくてくとベッドへと無防備に近づいていく。
 そうして、その中を覗き込んで、小さく飛び跳ねた。
「あ、あったぁ! 嬉しいなぁ。皇子、ちゃんと置いてくれたんだ……!」
 その言葉そのままに、浮き足立ったような仕草で、ついさきほどベッドヘッドにぶらさげた靴下を手にする。
「それにしても……皇子、まだもどってきてないのかな。無理、してないといいんだけどなぁ……」
 ぶつぶつとした独り言に滲むのは、恋しい者の身を案じる気遣い。
 ヴァルドは、細く長く息を吐き出しながら、ここでようやく、強張った体から力を抜いた。目元を緩ませ、影をみつめる。
 懸命に、靴下の中に何かをいれようとしているようだ。だが暗闇でよくみえない上、プレゼントの箱の角がひっかかっているらしく、四苦八苦している。
 うんうんと漏れる声に、ヴァルドは隠れているのも忘れて、噴出しそうになる。
 ああ、だから、あんなにもあの靴下を自分に押し付け、念押ししていったのか。なんて可愛いらしい、サンタクロースだろう。
 剣を床に下ろす。もう、これはいらない。
 ヴァルドは、そーっと、その背後へと息と気配を殺して近づいていく。
 よし!、と小さな声をだし、ようやくプレゼントを靴下に入れられた頃合を見計らい、ヴァルドは手を伸ばした。
「きゃぁっ」
 ぎゅうと抱きしめると、驚いた声をあがる。無理もない。じたばたと暴れる身体を、さらにきつく抱きしめる。
「ティア、ティア」
 ヴァルドは、柔らかな髪に鼻先を寄せて、笑い声交じりにその名を呼んだ。
「や……! って、え、お、お、お、おうじっ!?」
 抱きしめてきたのが、ヴァルドだとようやくわかったらしいティアが、別の意味で慌てたように身を捩った。
「ど、どうし、て……?! い、いいいいいつのまに、部屋にっ」
「最初から、いたよ。可愛いサンタクロースさん。プレゼント、どうもありがとう」
 引きつった悲鳴が漏れた。どうやら本当に気付いていなかったらしい。
「ううっ……、いるならいるっていってくだされば……!」
 頭を抱えるティアに、ヴァルドは素直に答えることにする。
「いや、侵入者かと思ってね」
「……あ」
 ぴたっとティアは動きをとめた。ヴァルドの腕の中、しおしおと縮こまっていく。
「そ、そ、そうですよねっ、やだ、私ってば考えがたりなくて……すみません、驚かせちゃいましたよね……!」
「いや、驚いたのは確かだけれど……嬉しい驚きだから、かまわないよ」
 これもまた、素直にヴァルドは言葉にする。
「ふぇ?」
 どうして、と問いかけるような声を漏らすティアの、小さな耳に唇を寄せる。
「君に、会いたくてたまらなかったからね」
 そのまま、こめかみに口付ける。柔らかな頬にも、ひとつ。
 はう、とティアが切なげな息をつく。その吐息すらも可愛くて、ヴァルドは笑う。
「来てくれて、ありがとう」
 こく、と頷いたティアが、身を捩りつつ細い腕を伸ばそうとする。それに気付いたヴァルドは、抱きしめる腕を緩めた。くる、とティアが体を動かし、躊躇うことなく首へとその腕を絡ませてくる。きゅ、と抱きしめあう。
「このために、私に靴下をくれたのかい?」
「はい。会えなくても、これなら一緒にクリスマスを楽しんだことになるかもって、私なりに考えたんです」
 ヴァルドは子供のようにプレゼントの靴下を吊り下げて。ティアが、サンタクロースのように、想いのこもったプレゼントを届けにくる。
 確かに、それは悪くない。
 ヴァルドは、自分だけのサンタクロースを抱きしめる腕に、力を込める。
「あと、私も……できれば、今夜、皇子に、会いたかったから。お忙しいのはわかってましたけど。ここに来るときも、もしかしたら、もしかしたら、って……ずっと、思ってました」
 だから、私も会えてすっごく嬉しいです。
 そう続けて、えへへ、とティアが照れたように笑う。
「……そう」
 聖夜の寒空の下、そんな期待に胸を高鳴らせてやってきてくれたティアを考えるだけで、ヴァルドの胸が焼けつくように熱くなる。
 血潮にのって巡るティアへの愛しさを伝えるために、ヴァルドはそっとティアの体を離した。僅かな距離をもどかしく思いながら、指を伸ばしてその頬を撫でる。指先で柔らかな曲線を辿り、唇を探り当てる。
 そうすることが自然なことであるように、そっと口付ける。
 ティアが、くすぐったそうに目を細める。
「ねえ、ティア」
「ね、皇子」
 示し合わせたように、甘く呼び合う。

 ――メリークリスマス――

 わかっていたように、それが当然であるように、声を重ねてそう囁いて。
 二人同時にとびきりの笑顔をみせあい、愛しいひとを力いっぱい抱きしめた。