St. Valentine’s Day~思惑~

 ずらーっとテーブルに並べられた箱、箱、箱。
 そこへせっせと手にした物体を詰めていくティア。それは、一日の大半を利用してティアが作ったお菓子である。おかげで、狭い家の中には甘ったるい空気が充満しきっている。
 台所には、材料の中でも主役であったものがはいっていた袋が放置されている。それには『チョコレート』と書かれている。
 そういえば、ローアンの街も最近浮き足立つような熱気に包まれていて、その中心にあるのはいつもそのチョコレートなるものだった。ウルは己の膨大な記憶の引き出しを的確にあける。
 このカレイラ王国の勢いが強かった頃のこと。今よりずっと版図が大きかった時代だ。
 聖者バレンタインと呼ばれる者が、戦争に行く兵に対して禁止されていた婚姻を執り行ったという昔話が伝えられている。愛し合う恋人たちのために、その身を省みることなく、神の前での誓いに立ち会い続けたという。やがて、その罪に問われ死刑とされた日を、恋人たちの日とし、かの聖者の偉業を称え祭るようになったのがバレンタイン・デーである。
 それは帝国などにも伝わって、いまや一大告白行事としてすっかり定着している。
 ティアについていった本屋で得た知識を思い出しつつ、顎に手を当てたウルは呟いた。
「もしかして、それはバレンタインの贈り物、ですか?」
「うん。そうだよ」
 てっきり自家消費のためにお菓子作りをしているだけかと思っていたウルは、わずかに眉をひそめた。
 なぜならば、その日は恋人同士で想いを確認したり、片想いの相手へ恋しい想いを伝えるものだったと記憶しているからだ。
 恋人である自分だけに作っているのならまだしも……。どうみても、この量は他の者にも配るつもりなのが明らかである。道理で時間もかかっているし、材料もいつもよりずっと多いわけだ。
「ティア、私も頂けるのですか?」
「え? もちろんだよ!」
 そういって、ひとつだけ別格というように置いてある箱を示す。それは一回り大きくて、その中には見てすぐわかるほど綺麗に整ったものが丁寧に入れられている。そして、他のものには入っていないお菓子もおさめられていた。
「明日になったらちゃんと渡すから、楽しみにしててね」
 えっへん、と胸を張るティアに、ほっとウルは息をつく。自分がティアにとって特別な存在であることが、嬉しくて誇らしい。
「で、あとは普段お世話になってる人たちに配ろうと思ってるの」
 そうして、いち、にい、さん……と指差しで個数を確認していく。
「ファナにあげる約束もしてるし、シルフィも楽しみにしてくれてるし」
 どうやら、ティアと仲の良い女の子たちと、プレゼントのやり取りをするらしい。その後も挙げられていく名前は、ウルも良く知っている面子のものであった。
 だが。
「他に、レクスとか、デュランとか。そういえば、ヒース将軍は甘いものだめだっていってたっけ。どうしようかな……」
 半ば独り言に近いティアの言葉が続けていった男たちの名前に、ウルはぴくりと肩を跳ねさせた。何故そんなに要注意人物ばかりなのだろう。
「その方たちにも渡すのですか?」
「うん」
 ウルの問いかけに、あっさりとティアは頷いた。
「しかし、その日は自分の恋心や愛を伝えるものなのでしょう?」
「本当はそうなんだけどね。『お世話になってます』っていう意味の、義理チョコレートっていうのもあるんだよ」
「義理……」
 それが今、包装しているものだとティアは言う。
 だが、親しみを込めたものだといわれても、それでも複雑である。
 一万歩譲って同性は構わないが、ティアが手ずから作ったお菓子を自分以外の異性に、その日に贈ってなど欲しくない。
 自分に気があるなどと、妙な勘違いでもされたらたまらない!
 ふたを閉じた箱に、リボンをかけようとしているティアを、ウルは衝動的に後ろから抱きしめた。
「ひゃ!? ちょ、ちょっとウル、どうしたの? 危ないよ!」
 丁度、リボンを切るためのハサミを手にしていたティアは、急なその行動に驚いて、非難めいた声を上げた。
 だが、ウルはそんなティアの抗議にはおかまいなしに、ぎゅうぎゅうと抱きしめる。
「ティア」
「ちょ、ちょっと……痛いってば、ウル!」
 ハサミを置いて、じたばたと暴れるティアを押さえ込んで、ウルはささやく。
「それ、配るのやめてください」
「……へ?」
 ぴたりとティアが動きを止めた。口をあけたまま、ゆっくりとウルを見上げてくる。
「えーっと、もう一回……」
「ですから、プレゼントはやめてください、といっているのです」
「…………」
 ウルの発言を理解したせいで、ティアは頭痛がしてきたらしく、こめかみに指先をあてた。
 理由をいっていはいないのに、これまでの付き合いからウルのいいたいことがわかったらしいティアは、小さくため息をついた。
「えーっと、さっきも言ったけど……義理なんだよ?」
 言外に、それ以外の想いなど含まれていないとティアはいう。
「それでも、です。嫌なんです、私以外がティアからチョコレートを贈られるなんて、耐えられません」
 ウルは、ティアの頬に口付けを落とした後、その瞳を覗き込む。

「ティアを愛し、ティアに愛されている私だけが受け取れば、十分でしょう?」

 私だけ、というのを強調して言えば。
 ぷしゅ、と音がたったようにティアの顔が一息で赤くなった。
 そんな愛らしいさまに、たまらずに今度は額に口付ける。そして、ウルは端正な顔に胡散臭いほど爽やかな笑みを浮かべた。
「ああ、女の子同士であるならば構いませんよ」
 今の発言で、ウルは自分の心がおおいに狭いことを公言したわけであるが、そこは気にしてはいけない。
 ぎゅ、と己を包むウルの手に細い指先をかけて、ティアはくちごもる。
「でも、せっかく作ったのに」
「私がすべて食べます」
「でも、いつもお世話になってるのに」
「それはこちらも同じでしょう」
 ローアンの街を救ったり、心のしがらみを取り払ったり、ティアにしかできないことでどれだけ彼らに貢献したことか。
「でもやっぱりね、感謝は必要じゃないかな」
 ウルを見上げ、ティアは温かな笑みを浮かべた。
「私は今までこの世界で、たくさんの人に支えられて生きてきたよ。ウルに出会う前も、後も。いろんなことがあったけど、それでも人との関わりがなかったら、私は生きてはいけないもの。だから、ちゃんとありがとうっていわなきゃ。言葉とか形にして、伝えなきゃ」
 ティアのこんなところが、ウルはとても素晴らしいと思う。ちゃんと感謝を表すことは実は以外に難しいものだ。
 照れてしまって言葉にできなかったり。身近にいるせいでその大切さがわからなかったり。最悪なのは、その厚意を当たり前だと勘違いすることだろうか。
 でも、ティアはそんなことはない。受け取ったものを、ちゃんと覚えている。忘れない。
「わかりました……ですが、ふたつ条件があります」
「なぁに?」
 結局折れることにしたウルは、ティアに提案する。長い人差し指を一本立てる。
「まずひとつ。これらは私に配らせてください」
「え?」
 ティアが、大きな目をさらに大きくしてウルを見上げた。
「明日の朝にみつけてもらえるように、今晩配りに行ってきますので」
「でも、悪いし……」
 申し訳ないと眉を下げるティアに、安心させるようにほのかに笑った。
「いいえ、たいしたことでありません」
 中指を立てて、続ける。
「そしてふたつめ。明日はどこにもいかず、ずっと私といてください」
「そんなことでいいの?」
 一瞬きょとんとしたティアが、すぐに肩の力を抜いてくすりと笑う。
「はい。お願いします」
「わかった。じゃあそうしよう? ……私も、ウルと一緒にいたいもの」
 頬を染め付け加えるティアの目じりに、ウルは「ありがとう」と囁いて唇を落とした。
「では、終わったら机の上において置いてください。ティアが眠っている間に、ちゃんといってきますから」
「うん、ごめんね。じゃあ、よろしくお願いします」
 名残惜しくウルの腕が離れると。ティアは可愛らしい気合をひとついれて、リボンをかける作業を再開した。
 そんな後姿を眺めながら、ウルはあることを考えていた。

 

 そうして、ティアがすっかりと夢の世界に旅立ってしまった深夜。
 ひらり、と雷を纏ったウルが夜の空に浮かび上がる。手にはティアからのプレゼントが入った袋。そしてもう一方の手には、簡素なメッセージカード。
 そこにはこう書いてある。
『いつもありがとう。チョコレートです。受け取ってください』
 あとは各個人宛の言葉が二言三言。そして最後に、ティアより、と記されている。
 メッセージがなかったら誰からのものかわからないかもというウルの進言で、ティアが人数分書いたもの。
 それを見下ろし、ふっとウルは笑った。そして、流星のようにローアンの街を駆け抜ける。
 まずは手近なところからということで、ウルはレクスの家にやってきた。ひょい、とドアノブのところへと紙袋ごとプレゼントをひっかける。
 そして、レクスあてのカードを出して、その裏面をすっと指先でなぞる。
 ぱりぱりと小さな雷が火花を散らす。指が離れたあとにはウルの力で焦げた跡ができていた。それは、とても綺麗な文字。書かれた言葉は。

 ―― 義理 ――

 ついでとばかりに、男あてのものには片っ端から同じ言葉を書いていく。
 まあ、ここまですれば、変な気は起こさないでしょう。
 出来上がりに満足したウルはひとつ頷いて、カードをそっといれると次の配達先に向かって飛び去っていった。

 

 翌朝。カードの裏面いっぱいに書かれたウルの文字に、ティアに対してほのかな恋心をもつ男たちは揃って頬を引きつらせ、その見知らぬ文字にティアの恋人の影を感じとった。だってそれはあからさまに、心温かくなるようなメッセージを綴ったティアの字ではないからだ。

 すべては――ウルの思惑どおり。

 そんなことをティアは知る由もなく。
「ウル、チョコレートおいしい?」
 テーブル越しに頬杖をついて優しくみつめてくるティアに、愛しさを隠すことなくウルは笑う。
「ええ、とてもおいしいですよ、ティア」
 その言葉に、ティアは頬を薔薇色に染めて、ふにゃっと幸せな笑みを浮かべる。
 そうして、悲嘆にくれる外界から完全に隔離された空間で、恋人たちはほのぼのとした空気をこれでもかと振りまきながら。
 二人っきりの甘い一日を、ゆっくりと過ごしたのだった。